第49話 我、与えるは剣なり
閃光、炸裂音、立ち昇る爆煙。
内部から破壊され、紅蓮の炎に包まれた古風な建物、周囲を睥睨する硝煙の香り。
砕け散った石の破片が、偶然、通りかかった人々の出自に関係なく、その血を求める。
叫び声と、喚き声と、すすり泣く声と、そして声にならない声。
歴史を誇る市役所の建物は大きく破壊され、献身的な警官や消防士達による必死の救助作業も虚しく、石造りの古い建造物は、閉じ込められた多くの人々を黄泉への供としたまま最期の時を迎え、あっ気なく崩れ落ちる。
友を、知人を、同僚を、家族を失い、茫然とする人々の目に浮かぶのは、テロに対する諦めの光。
ポーランド共和国南東部・ガリツィア地方の中心都市リヴィウ。
そこは、かつて『赤ルーシー』或いは『西ウクライナ』と呼ばれた地だった。
1924年2月20日
バルト海・グディニャ港 沖合
ポーランド船籍貨客船『ヤン3世号』
ポーランド共和国・国家元帥ヨゼフ・ピウスツキは灯りを消した薄暗い自室にて、船窓から差しこむ微かな光を頼りに一人、読書中だった。
手にしているのは、手垢にまみれて黒ずんだ革表紙の聖書。
「聖体式の記念に」と祖父から与えられ、これまでの人生において片時も手放さず、何度も、何十度も、読み直し、その内容は、ほぼ諳んじられる。
今、その老いた目線は文字の羅列を追いつつも、暗示に富んだその聖言はなんら脳裏に感銘を与えてくれはしない。
東郷と別れて1週間……。
大西洋上を旅している最中、幾度も幾度も、彼は練り上げた計画を反芻し、咀嚼していた。
穴は無い……筈だ。
しかし、彼はナイフを隠し持つことよりも、剣で薙ぎ払うことを好むタイプの男だ。
本質的に、この手の計画には不向きな性格をしている。
だが、彼の悩みはそこにはない。
彼の悩みは、これから彼が始める、これから彼が祖国にもたらす動乱が、引き金となるであろう血の洗礼式。
罪人たらんと欲する彼は、彼の祖国がそれに耐えられると、ただ、信じたかった。
「ヘトマン、部屋に籠りっ放しでは、気が滅入るでしょう? 間もなく港です。外の空気でも吸われたら如何ですか?」
『ヘトマン』とは、今は亡きポーランド・リトアニア貴族共和国在りし頃、国王に次ぐ地位として軍を統率し、民を導いた終身制の官職名で、日本でいうならば征夷大将軍とでもいったところか。
国父ピウスツキを、そう呼び、入室してきたのは、彼の秘書の一人だった。背筋を伸ばし、知的でいて、同時に頑迷さをも感じさせる眼差しを持った40歳代の秘書は、その所作から軍人上がりである事が一目瞭然であり、それは彼の本来の役割が、秘書ではないことを示している。
ピウスツキは、目線を秘書に移すと、自分と対峙する位置に置かれている椅子を指さし、座るように促す。
秘書は、主人の指示に従い、示された椅子に座ると、部屋の主に許しも請わずに傍らの卓上からポーランド産の蜂蜜酒『ミュウト・ピトヌイ』を手にし、二つのグラスに注ぐ。
濃厚なとろみのかかった琥珀色の液体が、船舶用の底が厚く、鉛含有率の高い重く作られたグラスを満たしていく。
秘書は、グラスの一つを主人に差し出すと、一つは自らが手にし、その長い脚を悠然と組む。
グラスの底に小指を添えないことから、この人物が本質的に海軍の関係者ではない事は確かだろう。
海軍出身者ならば、万国共通、反射的にグラスの底に小指を添え、濡れた手で掴んでも滑り落ちることを防ぐ筈だ。
「お悩みのようですね、ヘトマン」
秘書の口調は軽い。
彼は主人に対して、尊敬と嘲りがない交ぜになった感情を抱いているようだ。
ピウスツキは一瞬だけ、秘書に対して鋭い視線を投げ掛けたが、素知らぬ顔で読みかけの聖書に人差し指を挟んでしおり代わりにすると、片手でグラスを受け取り、豊かな口髭に覆われた口元へと運ぶ。
「私をヘーチマンと一緒にしないでもらえないかな? シモン」
『ヘーチマン』とは、『ヘトマン』のウクライナ語読みだ。
シモンと呼ばれた秘書は、嘲りの表情を更に深めつつ、無遠慮にも煙草に火を付け、微笑を浮かべる。
「どこが違うのです? 民主的政権から武力により権力を奪う。それがヘーチマン・パウロ・スコロパードスキーと……」
パウロ・スコロパードスキー。
それはロシア革命後、ひとたびは独立を勝ち取ったウクライナ人民共和国・中央ラーダ(議会)政権を放逐し、自らをウクライナ・コサックの統領という意味を合わせ持つ『ヘーチマン』と称して帝政ドイツの傀儡政権を樹立、同国の政権を握った軍人の名だ。
その後、帝政ドイツの敗亡と共に政権の後ろ盾を失い、ディレクトーリヤ(執政官)と称する中央ラーダ系勢力が再び政権を奪取し、スコロパードスキーは亡命を余儀なくされた。
歴史に『もし』は禁物だが、この権力に魅せられたスコロパードスキーという男の存在が無ければ……ウクライナはソ連の一部とはならず、ウクライナとして存在し続けていたことだろう。
「…………許してはくれないのか、シモン。……いや、それは無理な話か」
ピウスツキの言葉は、目の前の秘書シモンに向けられていたが、同時に、ポーランド国民、そしてウクライナの民に対して向けられたものでもあった。
彼が国父、そして救国の英雄と呼ばれる切っ掛けとなった『ポーランド・ソビエト戦争』
この戦争に際して、ポーランドにはウクライナという同盟者が存在していた。
共に、ロシアの軛より逃れ、民族の独立を手に入れようと、手を結んだ両者であったが、片や独立を手に入れ、片やボリシェビキによってロシア時代以上の過酷な支配を受ける立場となってしまっている。
何故、この様な事になったのか?
答えは簡単だった。
ポーランドが裏切ったからだ。
ポーランド・ソビエト戦争に終結をもたらした『リガ平和条約』
この条約の締結により、ポーランドとソビエトは国境線の確定を行い、互いに主権を尊重する事を盟約した。
しかし、この条約には一つの項目が含まれていた。
「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国をウクライナ唯一の国家として承認する」
という条項だ。
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、無論、ポーランドの同盟者であるディレクトーリヤのウクライナ人民共和国とは別物であり、ソビエト・ロシアの支援を受けて建設された傀儡ボリシェビキ政権だ。
つまり、ポーランドはソビエトの示した領土的譲歩に目が眩み、戦友を見捨てた……という事だった。
『何という裏切り! 何という恥知らず! 私は、かつてこれほどまでに卑怯で破廉恥な振る舞いを知らない。戦士の誇りは、戦士の魂はいったい、どこに行ったのか!』
今から3年近く前の事になるリガ平和条約締結の日、1921年3月18日の日記にピウスツキはそう記している。
締結交渉に際して、当時のポーランド政府首脳部を構成する『ポーランド統一派』の振る舞いに対し、共和国元首の立場にありながら発言権の無いオブザーバーとしてのみ出席を許された『ポーランド連邦派』の領袖・ピウスツキは心底、憤りを感じていたようだ。
事実、彼はその後、ポーランドに亡命してきた大勢のウクライナ難民収容施設を尋ね、幾度となく彼らに対し個人的に謝罪を行っている。
彼の理想とする誇り高きポーランド戦士の名誉を失墜させた、現ポーランド政権に対する怨嗟の想いを心の底に捩じ伏せつつ……。
秘書シモンは主人の想いを知っている。
だからこそ、彼に対して批判的な目を向ける。
ピウスツキはポーランドでただ一人、リガ平和条約締結を阻止できる可能性のあった人間だったからだ。
条約交渉と前後して、シモンはピウスツキに対し、何度となく決起を促し、哀願したが、ピウスツキは首を縦に振らなかった。
シモンの目から見れば、ソビエトの領土的な譲歩に目が眩み、ウクライナを裏切ったポーランド統一派も、その事実を知りつつも「軍人としての立場をわきまえる」という理由で締結阻止に立ち上がらなかったピウスツキも同罪だった。
ポーランド人は皆、同罪。
ウクライナ独立派の最高指導者シモン・ペトリューラの目にはそう写っていた。
シモン・ペトリューラは罪深き人間だ。彼は作家であり、政党指導者であり、詩人であり、軍人であり、哲学者であり、虐殺者でもあった。
勇戦虚しく、故郷キエフを去らねばならなくなった日、ソビエト赤軍の迫りくる夕べ、彼は反ウクライナ民族主義であるが故にボリシェビキに与したキエフに住むユダヤ人の殺戮を命じた。
彼の手は、彼の名を汚すほどに血にまみれている。
この点、ヨゼフ・ピウスツキとは一線を画している。ピウスツキは独裁者として全権を掌握した後、反対者を粛清することも、投獄することも決して厭わなかったが、少なくとも「ユダヤ人だから」「ドイツ系だから」などという理由で他者を差別する事はなかった。
これは、伝統的に反ユダヤ感情が根深く、時折、思い出したように無知な住民が自発的に、且つ、組織的にユダヤ人虐殺を行っていたような東欧では、異例中の異例な事であり、だからこそ1930年代、ポーランドには他国から迫害を逃れてきたユダヤ系住民が多数、居を定めるようになったのだ。
多民族多文化主義者である彼が理想としたのは、卑小な民族主義を超越した国家の創造、往年の『ポーランド・リトアニア貴族共和国』の様な、民族や文化、出自に囚われない平等な国家であり、その最終目標はロシア帝国から解き放たれた東欧の諸民族が打ち立てる多種多様な独立国家群による共同体の創設、言うなれば『東欧大同盟』の建設にあったのだ。
リガ平和条約が締結されると、シモン・ペトリューラは自らの親衛隊と言っても良い『シーチ銃兵連隊』やコサック民兵、それにウクライナ民族主義派の民衆を伴い、ポーランドに亡命した。
その頃も、今も、彼の胸中では、裏切り者であるポーランドに対する呪いの言葉に満ちている。
そしてそれは多くの亡命ウクライナ人にとっても同じだった。
だが、彼らの亡命先に選択肢は無く、国境を接し、条約により西ウクライナを正式に領土に編入したポーランドを頼るしかなかった。
亡命ウクライナ人の多くは、この同胞の住む西ウクライナを新たなる永住の地として、いつの日か祖国の解放を夢見つつ、ある者は新たなる生活を営み、ある者は地に潜んだ。
中でも、先の欧州大戦時、東部戦線最強の精鋭部隊と謳われた『シーチ銃兵連隊』の面々は裏切った戦友に対し、執拗にして激烈な悪感情を抱いた。
彼らの半数は、シモンの下に残り、西ウクライナ人や亡命ウクライナ人の志願兵に対して軍事教練を施し『来るべき日』に備える事としたが、残り半数はチェコスロバキアに拠点を移し、西ウクライナにおける反ポーランドの地下活動に従事した。
熟練の戦闘技術、爆破技術に裏打ちされた数々のテロ行為は、ポーランドの振る舞いに反感を抱く西ウクライナ民衆の密かな支持と協力を得て、次々に成功し、新たに支配階級となったポーランド人官吏や駐屯するポーランド軍に対し、有形無形の圧力を与え続けた。
「ウクライナ全土を解放する為には、まず西ウクライナの回復が必要である」
軍人としての名誉を捨て、一介のテロリストに身をやつしたシーチ銃兵連隊は、そう己の心情を糊塗し、かつての戦友に裏切りの代償を支払わせるという行為を正当化し続けた。
今、シモン・ペトリューラはピウスツキの庇護の下、ワルシャワ市内において『亡命ウクライナ人民共和国政府』を主宰しており、ポーランドやフランス、チェコスロバキアなどに散らばった亡命ウクライナ人達に対する啓蒙活動と生活扶助を行っている。
しかし、ソビエト政府と関係修復した現ポーランド政府は、ソビエト政府の圧力に抗しきれず、いずれシモンに国外退去を要請するだろう。
いや、むしろ今までワルシャワに、その拠点を構えていられた方が奇跡的であり、一重にピウスツキという頑固な老人の、個人的な影響力を憚った現ポーランド政府首脳が遠慮していたからに過ぎない。
今回の日本への旅、摂政宮成婚式の出席に際しても、この危険人物をポーランドで野放しにする愚かしさを知っているピウスツキとしては、彼に個人秘書の名目で偽名を名乗らせ、帯同した。
ガリツィアにおける報復テロ、表立った関係は取り沙汰されていないが、その背後にシモンの暗く、固い意志が潜んでいる事はピウスツキも知っていた。
だが、それを咎め立てる事も、非難する事も彼には憚れた。
「彼らウクライナ人の正当な権利である」
若き頃、大国ロシアを相手に、やはり一人のテロリストとして生きた過去を持つピウスツキには、そう思えたからだ。
「もし……クーデターが成功したら……の話だが」
彼は、そう断わってから面前で蜂蜜酒を立て続けにあおるシモンに対し、話し掛ける。
「もし……?」
シモンにしてみれば、その仮定はお笑い種だ。
腐敗と醜聞にまみれた現政権に対し、圧倒的な軍と国民の支持を得られる事が確実な国父ピウスツキが、ひとたび獅子の咆哮を上げれば、ポーランド全軍はその面前にひれ伏し、民衆は歓呼の声で迎えるだろう。
「私は、ポーランドの名誉を取り戻す為に、その生涯を奉げようと思う」
「ポーランドの名誉?」
(裏切り者にそんなものが、まだ、あるとでも?)
シモンは嘲るが如く、その目尻を吊り上げる。
その心中は複雑だ。
独立運動家の先達としてヨゼフ・ピウスツキを誰よりも尊敬しているが故に、ポーランドの裏切り行為を阻止しなかった、その行いを許せないのだ。
「……笑うがいい、シモン。だが、私は本気だ」
「はい、大いに笑いましょう」
嫌味に満ちたその言葉をものともせず、太い眉の下、意志の強さを感じさせる双眸を光らせ、ピウスツキは己の決意を述べる。
「ウクライナの独立が達成される、その日まで、私とポーランドは血を流し続けるだろう」
「……ポーランド人のその言葉を、私に、いや、ウクライナの民に信じろ、とでも言いだす気ですか?」
シモンは、苛立ちと怒りの感情を隠さず、吐き捨てる。
(何を今さら……)
「分っている。信じてくれ、とは言わない。ただ、行動で示すのみだ」
ピウスツキは決然と言い放ち、グラスの底に残った最後の一口を飲み干し、それを卓上に戻す。
シモンは、国父と呼ばれ、何よりも戦士としての名誉を重んじる、この初老の軍人が言葉を弄ぶ種類の人間では無い事を知っている。
そして、ポーランド国民の多くが感じている「信頼に足る人物である」という評価に改めて共感を抱くが、過去の裏切り行為を許すつもりはない。
「さてさて、いったい、どうするおつもりなのですか?」
あえて茶化す様に言葉を選ぶ。
「ディレクトーリヤ・シモン!」
突然、大喝が飛び、思わずシモンは組んでいた足を直し、背筋を伸ばす。
「ガリツィアの地において、正式に亡命政権樹立の手筈を整えたまえ。そして、来るべき日に備え、軍組織の再建を急ぐのだ。
新たなるポーランド政府及び国民は、ウクライナ人民共和国再建に対し、最優先で、あらゆる便宜を払う用意がある事を明言する」
ピウスツキの言葉に戸惑いと驚きを覚えつつも、シモンは半信半疑で尋ねる。
「我らがウクライナ解放に剣を抜いた時、ポーランドが再び裏切らないという保証がありますか? 残念ながら、貴方の言葉だけでは、我々は危険を冒せないでしょう」
「友を信じられず、危険を冒す勇気が無い、というならば、それは君らの勝手だ。
私は例え一人となっても『黄金の門』址に、『冠頭白鷲』と『三叉戟』を高く掲げて見せよう」
『黄金の門』とはウクライナの首都キエフにあたったとされる、ウクライナ人にとって特別な意味を持つ史跡であり、『冠頭白鷲』はポーランドの、『三叉戟』はウクライナの国章であり、それぞれ戦士の持つ盾に彫られていたものだ。
「……友、ですと? 正気の沙汰ではありませんな、閣下」
シモンは頭を左右に振りつつ、苦笑する。
それは苦い、本当に苦い、笑顔だった。
(その御言葉を3年前にお聞きしたかったです……)
潤んだ瞳は、そう語っている。
「閣下は、日本に行かれて変られましたな……東郷とは、それほどの人物でしたか?」
ため息交じりに、ピウスツキの瞳を見つめる。
「変った…かも、しれんな。いや、目が覚めた…と、言ったところかもしれん」
ピウスツキは、終生の友情を誓いあった東洋の老提督に想いを馳せる。
「シモン、国父とか、英雄とか、軍神とか……様々な言葉で、讃えられる様な身分というものは、想像以上に不自由なモノだよ、実にな。
日々、人々の手本として生きねばならない、と思うと心底、生きているのが辛くなる。
ふとした言葉、何気ない言葉、その全てが、まるで深慮の末に発せられた物かの如く扱われ、一人歩きする。面倒な事だよ」
この世でただ一人、自分と苦悩を共有してくれた老人と、恐らく自分は二度と会う事は無いだろう。
だからこそ、彼に教えられた事を大切にしていきたい、と思う。
「歴史は変えられない、過ちは覆せない。だが、未来を変える名誉を、未来を共にする名誉を、我がポーランドに与えてくれは、しないだろうか? ウクライナの民よ」
「友、として……ですか?」
「そう、友、として。我がポーランドは、日本と友として歩む事を誓った。私は、隣人であるウクライナに対しても、友として接していきたいと思っている」
「便利な言葉ですな……実に、便利だ。友だと言えば、過去の全てが洗い流される、とでも思っていらっしゃるのですか?」
そう呟くシモン・ペトリューラの語尾に、微かな嗚咽が混じっている事にピウスツキは気が付いた。
「閣下、しばらくお暇を頂きたい」
シモンの発したその言葉に、自身の想いが受け入れられなかった、と感じたピウスツキは失望し、落胆する。
「フランスにいる知人達に助力を乞うてみましょう。ウクライナとポーランドの未来の為に……」
「……?」
シモンの言葉に、ピウスツキは目を見張り、表情を一変させる。
「閣下の御言葉、確かに受け取りました。その御言葉、全てのウクライナの民に語り継ぎましょう」
タグボートがヤン3世号を埠頭に押しつける作業を行う僅かな時間に、ヨゼフ・ピウスツキとシモン・ペトリューラは、手短にこれからの打ち合わせを済ませる。
舷梯が降ろされる金属音が鳴り響き、船内放送が乗客に下船を促す。
“本物の”秘書や護衛役が、一斉にピウスツキの部屋に押し掛け、荷物を手早くまとめ上げると運び出していく。
ほとんどが軍人上りの者達だけに、その動作は優雅さとは無縁だが、無駄がなく気持ち良い。
ピウスツキは分厚く温かいが、軽い黒狐のコートをマントの様に肩から羽織ると、聖書を手にしたまま、バルト海を越えた北風がもたらす氷雨によって滑りやすくなっている舷梯を一歩、また一歩と降りる。
周囲を行きかうポーランド人が、国父の存在を知り、帽子を脱いで会釈し、笑顔を浮かべていくが、本質的に無愛想なピウスツキは、それに一々、付き合う様な真似はしない。むしろ、彼らの笑顔が心に痛みを覚えさせるのを感じる。
舷梯から降りる、最後の一歩。
故国へと繋がる欧州の大地に足を降ろす寸前、彼はふと、手にしていた聖書に目を落とし、読みかけのページに、しおり代わりに指を挟んだままであった事に気が付く。
改めて書を開き、読みかけの一節に目を走らせると、そこには、こう書かれていた。
マタイ伝10章34節
『我、この地に平和を与えんが為に来たれりと思うなかれ。我、与えるは平和にあらず。我、与えるは、ただ剣なり』
2010年1月31日 送り仮名訂正