第48話 白鼠
大正十三年、西暦1924年。
後に『第二の産業革命』と呼ばれる出来事が、一人の天才実業家の発案によりこの年、始まる。
それは、日本の得意とする軽工業では無く、国策として振興されてきた造船業でもない。
無論、立ち遅れていた重工業や化学工業である筈もない。
それは、金融界から始まった。
大正十三年二月二十日
(1924年2月20日)
京都・宇治 旅館・花やしき浮舟亭
京都でも指折りの名店・花やしき浮舟亭の主人、山本亀松はかつて関西一円に「どろ亀」の異名を轟かせた博徒だった。
喧嘩っ早くて執念深く、喰らいついたら離れないスッポンの様な男だったのだろう。
引退して随分と経ったこの時代であってさえ、その筋の者であれば、「どろ亀」の名を聞くだけで、思わず「背筋をシャンと」伸ばしてしまう、そんな大物だった。
その山本亀松の営む旅館・花やしき浮舟亭の一室において、その後、この国の産業界に劇的な変革をもたらす、ある密談が行われていた。
「金子君、君の腹一つだ。宗家を大事に思うのであれば、宗家を守りたいのであれば、決断した方が吾輩はいいと思う」
宴席の上座から、下座に陣取る坊主頭に度の強い眼鏡をかけた、どこか鼠を連想させる風貌をした和尚風の痩せた小男に話し掛けているのは、東郷政権において復興院総裁を務める後藤新平だった。
そして、「金子君」と呼ばれた鼠男の名は、金子直吉。この時、57歳。
年商16億円、日本のGNPの1割を握る鈴木商店の専務取締役、大番頭だ。
神戸の小さな貿易商に過ぎなかった鈴木商店を、三井、三菱を凌ぐ大商社に育て上げた天才的な実業家とも、牛頭馬頭羅刹ですら尻尾を巻いて逃げだす様な、商いの鬼とも伝えられる人物……。
先代・鈴木岩次郎の死後、商売の一切を未亡人よねより任され30年。
老舗としての信用力を最大限に利用して成長した三井や、政界と繋がり、その力を利用してのし上がった政商・岩崎弥之助率いる三菱とは違い、金子直吉は政治家と積極的に交わる事も無く、ただひたすら商売に熱中し、製鉄から造船、人工絹糸、製糖、製油と次々に事業を起こし、ひたすら鈴木家の忠臣として仕えてきた。
だが、今、鈴木商店は苦境に立たされている。
理由は、鈴木商店がその資金調達方法を融資に頼り、株式公開による調達を怠ったからだ。
これは一重に金子の責任だった。
鈴木商店程の大会社、ひとたび株式公開すれば、資金調達は容易い。
しかし、金子にとって鈴木商店とは、大恩ある鈴木家の私物であり、株を買った株主の物ではない。
普通の経済人であれば、51%の株式を宗家に残し、49%の株を売り払う事で経営権を握りつつ、資金調達を行い、事業の拡大を図る。
財閥はどこもそうして巨大化していったし、三井に至ってはロスチャイルド家に家人を派遣し、その手法を直接、伝授してもらってまでいる。
だが、金子は経済人ではなく、あくまでも商人であり、番頭であった。
その商売の嗅覚は当代一流であったが、その感覚は家族経営の域を出ず、一度、雇った従業員の生活を慮るばかりに、採算を度外視してでも赤字部門の整理を行わなかった。
その感覚の古さ、その人情の厚さが今の鈴木商店の苦境を作り上げてしまったのだった。
反動恐慌下、鈴木商店の資金繰りは日々、悪化しつつある。
その融資総額は12億円に達し、返済額は年2億円を超え、その多くが国策銀行・台湾銀行と絡む。
いくら年商16億円とはいっても、2億円という現金を用意するのは容易い事ではない。しかし、方法はある。
株式を公開しても良いし、不採算部門を切り売りしても十分にその経営体質は改善される。
だが、そのどちらの手法も、自らを「白鼠(チュウチュウと鳴く事から忠臣の意)」と定義する金子直吉には選べなかった。
後藤と金子、二人の交流は後藤が台湾総督府の民政長官を務めていた明治三一年にまでさかのぼる。
当時、合成樹脂の主要原料、或いは防腐剤として世界的な需要があった樟脳。
この樟脳、クスノキの樹脂から抽出される物質なのだが、台湾はボルネオと並んで天然のクスノキが豊富に自生しており、その世界的な産地であった。
何とか台湾の開発を促進する為の資金をやり繰りしたい後藤は、この樟脳に目を付け、これを台湾総督府の専売制にする事で、その利益を開発費に回そうと考えた。
当然、それまで自由取引だった樟脳を専売制にするのであるから、多くの貿易商は激烈な反対運動を展開、後藤は日々、その説得に終始する羽目に陥る状況となっていたのだが、そんな中、金子と知り合う。
単身、台湾に渡った金子も鈴木商店という貿易商の一員であり、当然ながら、専売化には反対であった。
しかし、後藤と面談し、その考えに共鳴するやいち早く、専売制度導入に対し賛成に回ると同時に、同業者の説得工作にも参画し、最終的にはこの樟脳専売化は後藤の思い描く通りとなり、台湾に「樟脳プランテーション」という一つの重要産業が産み出される切っ掛けともなった。
その後、後藤は金子の協力に報いる為、樟脳販売権の65%を鈴木商店に与えたのだった。
後藤は、金子とは違う立場であったが、その必死さは変らない。
砂糖貿易、そして樟脳販売権絡みで、台湾との関係を深めた鈴木商店は、台湾銀行との関係を次第に深めていき、今では、互いに最大の債権者・債務者の関係にある。
もし、鈴木商店が倒れれば、主力銀行である台湾銀行も多額の不良債権を出し、莫大な損失は免れず、台湾開発を目的とした国策銀行とは言うものの、事と次第によっては巻き添え倒産を引き起こしかねない。
そして、台湾銀行が倒れれば、同行から融資を受けている台湾の地場企業は軒並み、資金源を断たれ、その余波は同行と直接取引の無い企業にも手形不渡りという形で襲い掛かり、日本本土を巻き込んだ凄まじい連鎖倒産の引き金となる。
そうなれば、後藤が心血を注いだ台湾における産業育成や近代化は大きく遅れ、頓挫し、10年は後退してしまう。
だから、後藤は必死だった。
関東大震災からの復興事業の責任者という、多忙を極める役職にありながら、わざわざ鈴木商店の本拠・関西にまで足を伸ばし、その説得に赴いたのだ。
下を向いたまま、答えようとしない金子に、後藤は金子を良く知るが故に、優しく諭す。
「考えても見たまえ、金子君。このままでは鈴木商店は不渡りをいずれ出すだろう。そうなってからでは、終わりだよ? 鈴木の名は失墜し、商社としての信用力は霧散してしまう。今なら、まだ間に合う。な? 金子君」
「鈴木商店が倒産すれば、その系列企業はどうなる? 君が忌み嫌い、鈴木のやる事全てと対立する三井、その三井が死肉を漁る様に安く買い叩いて、全て持って行ってしまうぞ? それでも、いいのかね?」
「君の従業員を守りたい、という気持ちは痛いほど分る。吾輩の本業は医者だ。血が巡らなくなった手足は如何様にも治療しようがないものだ。頭や身体を守るためにも、心を鬼にして切断しなくてはならない事もあるんだ」
後藤のあの手この手の説得に、次第に金子も迷いを見せる。
昔気質の商人、金子としては鈴木宗家という存在は、何ものにも代え難い尊い存在ではあったが、家族とも思う従業員達や、世話になった取引先に迷惑が掛かる、と言われては、なかなか原則論のみで突っ撥ね続ける事は困難だ。
それに加え、今回の説得にあたり、後藤はわざわざ東京から一人の男を同伴してきている。
安田財閥の旗艦銀行・安田銀行の副頭取にして安田財閥の頂上に君臨する持ち株会社・安田保善社の取締役、結城豊太郎だ。
結城は、元日本銀行の京都支店、大阪支店の支店長を歴任していた関西財界に縁の深い人物だけに、無論、金子とも面識はある。
後藤が、この結城という安田財閥の大番頭を連れてきたのには訳がある。
東郷政権が推進する金融界再編により、多くの銀行が合併し、淘汰される。
そして政府は、体質が強化され、資金が溢れる事になる五大銀行に対し、積極的な企業への融資を求めており、その受け皿となるのが多額の復興資金が投下される予定となっている震災復興計画であり、工業団地という顔を持つ五つの鎮守府設置なのだ。
三井、三菱、住友、安田、第一の五大銀行を擁する五大財閥中、三井、三菱に関しては今更、語る事もないほどの多角経営型企業集合体であり、住友は鉱工業や重化学工業に特化した財閥、第一は渋沢栄一という明治期を代表する傑出した財界人を象徴とし、その系列には500社を超える企業が名を連ねる非常にゆるやかな企業集団という顔を持つ。
だが、安田は違う。
右翼の凶刃に斃れた先代・安田善次郎の遺訓により、他業への進出は固く戒められ、銀行業に特化した金融財閥という性格を持つ。
無論、その系列には多少なりとも、金融・銀行業以外の事業に従事する会社もあるにはあったが、その規模も、存在も微々たるものだ。
強化された体質を武器に、三井銀行、三菱銀行、住友銀行、第一銀行は系列企業に対し豊富な資金を提供し、その資本を元手に系列企業は間もなく始まるであろう復興需要に積極的に参入し、莫大な利潤を上げる事になるだろう。
だが、安田はその系列に復興需要で利益を見込める様な企業を持たない。
堅実経営が売りの安田財閥であったが、今、その事実が悩みとなって顕在化しつつあった。
「このままでは、ただの金貸し。これでは遠からず他財閥に遅れをとる……」
それは条件反射にも似た焦りだった。
「鈴木商店の資金繰りが相当に苦しいらしい……」
この財界の一部で、密かに囁かれ始めた噂を耳にした時、結城は、思わず歓喜の叫び声を上げた。
鈴木商店は、多角経営型企業集団であるにも関わらず、系列に有力な銀行を持たない。
故に、その融資元を外部である台湾銀行に頼っていたのだ。
反対に安田は、その系列に実業を持たない。
互いに、欲しい物を相手が持っていて、相手の欲しい物を、こちらが持っている。
『安田・鈴木財閥』
結びつくのは必然だった。
勝負勘の効く博徒の様な天性の実業家・金子直吉と、慎重居士を絵に描いた様な銀行家・結城豊太郎。
共に鈴木宗家、安田宗家という家に仕える大番頭同士。
一旦、腹を割ってしまえば、話は早い。
互いの宗家の面子や利益を保ちつつ、緩やかに融合を進める事で話がつく。
安田は鈴木が必要とするだけ融資し、鈴木は49%を超えない範囲で安田に自社株を提供する。
これにより、鈴木は経営が安定し、安田は系列に実業を得る。
そして何より、安田・鈴木という大連合の実現は三井、三菱、住友らを「弱小」と切って捨てられる程の巨大企業集団の出現を意味するのだ。
先行する三大財閥に遅れをとっていた両者にしてみれば、それは痛快この上ない事だった。
仲介の労をとった後藤にしてみれば、鈴木商店の存続は台湾銀行の倒産を未然に防いだのと同意であり、同行の存続により、今後も台湾産業界には継続的な資本投下が行われるだろう。
台湾の発展は、後藤にとって、その半生を賭けた一大事業だ。
それが継続していく、という事は彼にとって何にもまして喜ばしい出来事だった。
故に金子直吉の英断は、台湾の産業振興という意味で、大きな足跡を残した…とも言えるだろう。
夜も更ける頃には、後藤、金子、結城の三人は、大分、酩酊し始めていた。
すっかり、意気投合した金子と結城は、それぞれの宗家の自慢話しを放談しあい、はたまた、今後の日本経済の見通しについて論じ合う。
そんな話の中、金子が以前から心中、温めていながらも系列に銀行を持たないという資金調達能力の脆弱さから諦めていた新事業計画について語り始めたのは、既に燗酒もすっかり冷めた時刻になってからの事だった。
「鈴木商店が欧米から工作機械を輸入し、これを町工場に売る……これが今までの商売でした」
しかし……これでは、大した商売にはならない。
無論、一台の工作機械は高い物ならば1万円、安くとも2千円はする代物だけに、それなりに大きな「あきない」ではあったが、1台や2台の輸入では、儲けは知れている。
頷く結城に対し、金子は秘策を打ち明ける。
「だから、鈴木で輸入し、これを町工場に貸す、という商売を考えています」
「貸す?」
「そう、貸します。借家や借地があって、借機械があったら変でしょうか?」
「つまり、それは動産を賃貸するって事ですか?」
結城が、杯を膳に返しつつ、居住まいを正し尋ねる。
「あ、そうか、借家借地が不動産賃貸ならば、これは動産賃貸か…そう言われれば、そうだね」
「借りた町工場が、踏み倒したり、倒産したりしたらどうなりますか?」
「最初に多少の敷金は預け入れて貰うよ、勿論。まぁ、倒産した時には、貸した物を返してもらえばいい。それを整備して別な町工場に貸してもいいし、安く売ってもいい。どっちにしても損は無い」
金子の言いだした新事業、それは今日でいうところの『リース』と呼ばれる形態の事業に近いものだった。
鈴木商店は、銀行から金を借り、その金で工作機械を購入し、その工作機械を使いたい町工場に借入利子よりも高い利子をつけて貸しだす。
その利率の差額が鈴木の儲けとなる。
町工場の立場からしてみれば最初、敷金がわりの保証金を一定額、鈴木に預け入れた上に、銀行融資よりも上乗せした金額を支払わなければならないが、銀行から金を借りて、欧州まで工作機械を購入しに行く……などという発想は、およそ無い時代の話である。
海外との商取引は、全て貿易商や商社を介して行われていたし、単独で購入した場合の渡航費や輸送費、諸経費を考えれば、むしろ安いぐらいだ。
それに借入期間を、仮に5年に設定すれば、5年後には、その機械は自分の物となる。
町工場は、その機械を中古市場で売り払って、新しい工作機械を借りる為の元手としてもいいし、そのまま壊れるまで使い続けても良い。
工業界の9割以上が従業員5名足らずの小企業という時代において、小企業主は銀行から融資を受けるだけでも容易な事ではない。
新しい工作機械を購入しようと思えば、性能の悪い安物の古い工作機械を、騙し騙し使い続け、せっせと蓄財に励み、現金で買う以外に方法の無い小企業主がほとんどだったし、資金調達能力のない者にとって、それはごく当り前のことだった。
だが、そんな低性能の古い機械が作り出す機械部品に性能や規格など求める方が土台、無理な話であり「規格に合わない」という理由で、発注者に買い叩かれたり、買い取ってもらえなかったり……。
だからこそ、彼ら資金調達能力の無い者にとって
「貯めてから買う」
のと
「借りてから払う」
では、同じ金を支払うのでも、その内容は大きく違ってくる。
現金で購入しようと考えている限り、その機器の更新は、常に後手後手に回り続けるが、動産賃貸ならば、先に機器が手元に来るので、より高性能な部品の出荷が可能となり、高性能な部品は買い叩かれず、より高価で売れる。
「金子さん、それは面白いね。うまくいけば、小粒な企業が次々と工作機械を新調するよ」
結城は、しきりと金子の目の付けどころに感心した様子を見せつつ、腹の中でソロバンを弾く。
(安田は、鈴木に貸す訳だから、余程の事が無い限り、損失を受ける心配は無い。鈴木も、現物という担保が先に存在する以上、借主が飛んでも、損失は少ないはず……)
慎重な性格の結城は、慎重であるが故に、この新しい事業に危険は少ない、と踏み、さり気無く飛びついた。
この年、鈴木商店は、その定款にこの『動産賃貸業』を新たに加える。
当初、金子直吉は「工作機械類」を主として考えていたが、実際に商売を始めてみると、これが大誤算だった事が間もなく判明する。
動産賃貸の需要は、単に工作機械に留まらず、紡績機、転炉、電気炉などの産業機械類全般、更には社用車、大型バスや貨物自動車、機関車や貨車、建設重機といった建設輸送機関連、漁船、艀、押船や曳船などの小型船舶類など、中古市場が存在するありとあらゆる物が賃貸の対象となり、広がっていったのだった。
…………数年後の話となるが、鈴木商店の成功を見た他の総合商社群も一斉に動産賃貸業への参入を開始する。
他社参入による低利率化、競争激化は、必然的に賃貸期限を終えた設備・機械類の新規入れ替えを促進し、新たに多数の企業と商社の間で動産賃貸契約が締結される。
その結果、期限の切れた工作機械類が中古市場に大量に放出され、その中古品を更に小規模の企業群が購入するという構図が生まれ、末端企業においても機械類の更新が一気に起き始めたのだ。
同時に、日本国内に置いて「中古市場が活況を呈している」という経済情報が、広く世界に伝播していった結果、大恐慌下、操業停止に追い込まれていた欧米先進工業国の休眠工場から大量の中古機械類が換金目的に流入し、それを日本よりも遅れて工業化の歩みを辿っている中南米圏や東欧圏の諸国が買っていく、という新たな市場取引が出現し、盛んに商取引が行われる様になる。
そして、こういったA社とB社の間を取り持つ商取引こそが、日本独特の企業形態である『総合商社』の本質、神髄であり、それが例え中古品であったとしても「物が動き続ける」という事は、そこで健全な経済活動が行われている、という事の証明に他ならないのだった。