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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
47/111

第47話 聖域1924 (5)

『ハルゼー艦隊、壊滅。指揮官ウィリアム・ハルゼーは戦死の模様』

『残存艦、駆逐艦フラッサー、デイル、ギルマー、モリス。機雷原を抜け、太平洋上に進出した模様です』

『最先任のギルマー艦長が指揮権を継承した旨、報告あり』

『ギルマー艦長より指示を求めてきています』

後続する3艦隊の指揮官は、それぞれがぞれぞれの想いで、その報告を受けた。



「ギルマー艦長に打電“我が指揮を執る。残存艦は生存者救助に尽力しつつ、現海域において、対潜掃討を継続せよ”」

艦隊の二番手、キンケイドは、報告を受けると同時にハルゼーの作り上げた安全水道を進む指揮下艦隊に命ずる。

「指揮下全艦に告ぐ。増速、第1戦速、陣形そのまま、発動0930」

『0930、アイ・サー』

今、キンケイドの指揮する戦艦6隻を基幹とする艦隊は、海峡の半ば、左手6浬にハコダテを望む位置にまで進出している。

後ろにはターナー、キンメルの両艦隊が続航してくる以上、前方に潜水艦群が待ち受けているからといって、引き返す事は出来ない。

いずれ前方には、ハルゼー艦隊が突き破れなかった機雷原が再び姿を現す筈だったが、彼には勝算があった。

「潜水艦がいくらいようとも、次発装填には時間がかかる。彼らが再装填し、再度、配置につくまでにはまだ、少し時間がある筈だ。急げ、急げ! 時の女神は蜜を垂らして貴官らのナニを待ちわびているぞ!」

低速の戦艦を伴う、その艦隊は、キンケイドの常軌を逸した命令に煽られ、出しうる最大速力で一挙に押し切るべく、怒りの咆哮にも似た推進機の音を轟かせた。



 艦隊の最後尾にして主力を形成するキンメル艦隊は、今、その殿艦が津軽海峡に突入を完了したタイミングだった。

「ビルが……か」

アナポリス同期の僚友にして親友の、勇敢だが、似つかわしくない不幸な最期に想いを馳せ、その弛んだ顎を指先でなぞる。


(艦隊を転進させるべきか…?)


一瞬、その考えが脳裏をよぎる。

しかし、二番手を進む義弟キンケイドの下した勇敢とも、無謀ともとれる判断が、その思考を断ち切った。

「最後の機雷原……。駆逐艦が何隻か突破に成功したのだから、その縦深はたかが、知れているだろう。ここは、キンケイドの判断を良し、とするか…」



 艦隊の三番手、ターナーは椅子に腰を落ちつけたまま、前方を行くキンケイド艦隊の背中を見つめる。

平素は慎重な、彼から見れば臆病な、キンケイドが下した増速命令は正直、意外だったが、十分に根拠のあるものだったし、一度、突破してしまえば身動きの鈍く、足の遅い潜水艦など、ものの数では無い。

「……思いの外、やるじゃないか。キンケイド」

本来ならば、彼が指揮する筈の艦隊を指揮している後輩の指揮能力に、若干、嫉妬にも似た満足感を覚えながら称賛の言葉を投げ掛けつつ、士官候補生から差しだされたコーヒーを口にする。

右手には津軽海峡と繋がる平舘海峡が見え、その奥には陸奥湾が広がっている。

キンケイドに倣い、艦隊に増速を命じようとした、その時だった。


第二の破局は、彼の艦隊に襲い掛かった。


『見張より艦橋。3時から4時方向、タイラダテ海峡内に敵艦影見ゆ』

「敵艦影だと? 艦の種類を特定せよ。艦隊各艦、合戦準備」

『敵艦は駆逐艦多数、10……20……30以上! 総数不明。タライダテ海峡内を毎時30ノット以上にて北上中』


(駆逐艦? 何故、駆逐艦がこんなところに…?)


 キンケイド艦隊と、キンメル艦隊に前後を挟まれたターナー艦隊の基幹部隊は、旗艦である軽巡洋艦デンバーを先頭に巡洋艦ガルベストン、タコマ、クリーブランド、戦艦ワイオミング、アーカンソーの順に一列の単縦陣を形成し、その前衛に2個駆逐隊6隻が並列陣を形成している。

 日本の駆逐艦が出現したのは、丁度、旗艦デンバーから見て、やや右斜め後ろの方向だった。

その駆逐艦部隊は、10キロほども海峡幅がある平舘海峡の中心部から、やや西寄りに北上し、東西に長い津軽海峡中心部を6ノットという微速で航行するターナー艦隊と並進する様に少しばかり進むと、再び南に舵をとり、平舘海峡のやや東寄りの位置を南下していく。

 その姿は、まるで、巣穴から顔を出した臆病なネズミが、目の前に猫がいた事にびっくりして、慌てて巣穴に戻っていく様にも似ていた。

だが、その臆病な小ネズミ共は並進すると同時に、誠に厄介な代物を放り出しては、背中を見せて南へと逃げ去っていくのだった。


『3時方向に雷跡多数』

見張員の悲鳴じみた報告をターナーは、至極当然の出来事として受け取ると同時に、あまりに不用意に過ぎた自分自身の海峡突入の決断を呪った。

『アーカンソー右舷に水柱ふたつ!』

『ワイオミング艦長より“我、舵機故障、操舵不能”』

『アーカンソー右舷に更に被雷』

『回避運動中のタコマ、艦首左舷に触雷した模様!』

『巡洋艦クリーブランド、駆逐艦ミードの艦尾に衝突しました』

『駆逐艦ウォーデン、被雷! 艦体断裂、生存者不明』


「右砲戦、各艦各個に迎撃せよ」

落ち着いた口調で反撃を命じたものの、全てが手遅れだった事は分っている。

頬杖をついたターナーは、最期のコーヒーを味わいつつ瞑目し、成り行きに身を任せた。




 ターナー艦隊に逃れようのない破局が襲いかかったのは、キンケイド艦隊の先頭艦が丁度、右手に大間岬を望み、ハルゼーの形見となった啓開水道を辿り、120度に変針してしばらくしてからの頃だった。

 海峡突入時、事前の位置関係からキンケイドの艦隊は航行序列が変化し、12隻の駆逐艦が並列陣で前駆し、その後方に戦艦6隻が単縦陣で追随する形となっている。

戦艦群の先頭を切るのは、旗艦ペンシルバニアではなく、ニューヨークだった。

以下、テキサス、ネバダ、オクラホマ、アリゾナ、そして殿艦がキンケイドの座乗する旗艦ペンシルバニアの順となっている。

増速しただけあって、間もなく、一旦、機雷原を抜けようか…というタイミングだった。


この時、第3の破局がキンケイドを襲った。


 突然、キンケイド艦隊に属する6隻の戦艦群のうち、先頭を航行していたニューヨークの周辺に無数の水柱が林立する。

10や20という数では無い。

その数、恐らく100に近い。

その水柱全てがニューヨークを中心した半径300メートル程の範囲内に集中し、それぞれが数十メートルの高さにまで上り詰め、更にその内、十数本は他の三割増しの高さにまで達する。

水柱の中央部に位置していたニューヨークは瞬時にして、その雄姿を水煙の中にかき消す。

その水柱が、火柱に変化し、煙が柱となって立つ頃には、ニューヨークは四散し、鉄屑としてすら海面上に存在していなかった。


『ニューヨーク、大口径砲による直撃弾多数。爆沈しました』

『砲撃は戦艦によるものと推定』


「せ、戦艦……戦艦だとぉ?」

報告に思わず、キンケイドは腰を浮かし、茫然とする。

「どういう事だ? 日本の戦艦がこの近くに? いったい、どこにからなのだ?」

海図の上に身を乗り出したキンケイドは、その海と陸が色分けされた図上に視線を泳がせる。

その間にも、大口径砲弾が多数、飛来し二番艦テキサスが餌食となる。

41サンチ砲弾が、ほぼ直上からの大角度落下弾となって降り注ぎ、砲塔を、艦橋を、甲板を易々と貫通し、至近弾となった36サンチ砲弾が27000トンの巨躯を嬲りものにする。

『テキサスに直撃弾7。至近弾多数、航行不能。現在傾斜中』


「ムツ湾……ムツ湾か! 日本の戦艦群はムツ湾にいたのか!」

下北半島の基部から大きく西に競り出したマサカリの刃、その南に抱かれる良港・陸奥湾。

その湾内に長門以下、10隻の戦艦は存在していた。

標高800メートル余の山々が連なる恐山山地の頭越し、直線距離にして30キロ近い。

有効射程ギリギリとも言える距離だったが、静かな湾内からの射撃、更に上空には陸軍戦闘機多数の護衛を得た弾着観測機、そして恐山山地の各処に設置された測的所を利用した陸軍砲兵同様の三角測定、加えて事前に試射を繰り返して得たデータを基に正確無比なる射撃を繰り返していた。

その正確さは最早、『狙撃』と呼べるレベルにある。

無論、山地が視界を遮り、キンケイド艦隊から日本の戦艦群は視認できない。

「糞…糞……馬鹿にしやがって……」

紳士然としたキンケイドの、その気品ある口元から呪詛の言葉が捻り出される。

「弾着観測機を出せ、残余の全艦で反撃する!」



『アリゾナ機、撃墜されました』

見張員の告げた報告は、キンケイドにとって残酷すぎる代物だった。

対馬海峡突入時の索敵により過半の観測機を失っていたキンケイド艦隊であったが、今、告げられたアリゾナ機の撃墜により、全ての機体を失ったのだ。

頭上ではアリゾナ機を屠った日本陸軍の戦闘機隊が乱舞し、次の獲物はまだか…?と、おかわりをねだらんばかりに艦橋間近にまで挑発的に舞い降りてくる。

 弾着観測機の発艦中も日本海軍の砲撃は一瞬も手を休めず、3番艦ネバダ、4番艦オクラホマが無数の直撃弾を受け、海中に没した。

狭隘な水道では満足な回避運動も行えないとあって、5番艦に位置するアリゾナは、既に観念し、己の身をトーゴーの魔手に委ねている様子だったし、戦艦列の前衛に位置した12隻の駆逐艦群は、態よく無視され、無傷なまま機雷原を抜けており、安全海域で主達の到着を待つ猟犬のように屯している。

 程なく日本海軍の放った8度目の斉射がアリゾナを包み込む。

苗頭も、見こしも、舌を巻くほど完璧だ。

十分な試射に裏打ちされた神業にも等しい、恐ろしく正確で、無慈悲な砲撃……。

最初の犠牲となったニューヨークの損失から僅か10分程しか経っていない。

 10隻の戦艦が放つ80発の36サンチ砲弾と16発の41サンチ砲弾は、何の遠慮会釈もなくアリゾナをこの世から取り除くと、最期の仕事に取り掛かる。

程なくキンケイドは、自らが座乗するペンシルバニアの頭上から急角度で襲いかかる無数の無機質な落下物の存在を感じつつ、下唇をきつく噛み締めた。

それは、例えるならば巣穴へと戻る黒蟻の隊列を踏み潰す、無邪気が故に無慈悲な子供の靴底にも似たものだった。




『日本の戦艦群がムツ湾に存在する』

その報告を聞いた瞬間、キンメルはうな垂れる以外の対処を失った。

潜水艦群の生贄となったハルゼーに続き、駆逐艦の群れの前に成すすべなく潰えたターナー、そして主敵である日本戦艦の姿を見る事無く、その体を喰い千切られたキンケイド……。

 最早、完敗どころの騒ぎでは無い。

しかし、不審に思うのは何より、日本の戦艦群が陸奥湾に存在するということだ。

では、ミッドウェー西北海上で発見された日本艦隊とはいったい、何だったのか?

どうにもキンメルには解せない。


「最早、ツガル海峡を抜ける意味合いはなくなりましたな……」

冷徹なスプルーアンスの言葉が、キンメルの意識を現実に引き戻す。

「そうだな……。日本の主力がムツ湾に存在する以上、米国西海岸に脅威は無いと考えられる」

ため息と共に己の無力感を吐き出すキンメルに、スプルーアンスは場違いなほどに冷静に解説を始めた。

「通報艦77号艇の発見したのは、日本海軍の巡洋艦部隊だったのでしょう。それも、トーゴーは意図的にその巡洋艦群を発見される位置に進出させたと思われます……恐らく、我らが日本海の中ほどにまで進出するタイミングを見計らって……」

「……そうか、なるほどな」

キンメルの返事は素っ気ない。

全てのやる気を失い、戦意が喪失しまった抜け殻の様だ。

「しっかりして下さい、キンメル司令長官。ここは一旦、日本海へ引き返しましょう。海峡内は日本海軍自らの設置した機雷だらけです。彼らの追撃はありません」

キンメルは海図の見つめたまま、答えない。

スプルーアンスの言葉が耳に入っているかどうかさえ、怪しげな様子だ。

「長官、ご決断を。まだ我々にはコロラド以下8隻の戦艦が健在なのです。それにマニラには私のアジア艦隊の戦艦、衰えたり、とはいえユタとフロリダも健在です。この2隻を呼び寄せれば、数ならば10隻対10隻の互角です。しかも、我々には切り札たる40センチ砲搭載艦は無傷なのですから」

 

 キンメルは沈黙したまま、その言葉を咀嚼する。

確かに膨大な艦艇を失った…。

失った戦艦は8隻に及び、巡洋艦以下の艦艇の損害総数は未だ計上されていない。

だが数字上、いまだ合衆国海軍は日本海軍と互角なのだ。

しかも、40センチ砲搭載艦3艦を擁する以上、個艦としての性能では凌駕しているとも言える。

言葉の咀嚼を繰り返すうち、ようやくにしてキンメルの眼に精気が蘇る。

「よし、全艦後進半速。一旦、現状海域を離脱後、東シナ海まで退いた後、艦隊を再編成し、日本艦隊と再戦する。今度こそ、トーゴーに真の合衆国の怒りを見せつけてやろうぞ!」

命令を下し終える頃には、キンメルの血走った両眼には憤怒が宿り、何者であろうと薙ぎ倒す程の眼力が蘇った。




 僅か幅180メートルの細い一本水道であったが、今来た安全な道を後退する、という気楽さもあって、キンメル艦隊の転進は順調に進んでいた。

前方で待ち伏せしている日本艦隊は大いに肩透かしを喰らい、慌てて自分達が撒いた機雷畑の収穫に追われている筈だ。

その間抜けな姿を想像すると、知らず知らずのうちにキンメルの口元は綻ぶ。


『殿艦アイダホより報告、我、間もなく最終ブイを通過、日本海に進入せり』

「うむ、順調だな……。勝負はこれから、これからだ」

底なしとも思えた気落ち状態から脱し、怒りに身を焼かれそうだった気分の高揚も過ぎ去った。

今、ようやくにしてキンメルは平素の冷静さを取り戻しつつあった。

傍らのスプルーアンスは艦隊に細やかな指示を与えつつ、己の職務に精励している。

艦隊の半身に近い損害は取り返しのつくものではないが、最後の最後にトーゴーに勝利すれば、十分にお釣りがくる。

キンメルの思考は、次第に僚友ブル・ハルゼーのアグレッシブな思考が乗り移ったかの如く積極性を帯び始めた。



『我、アイダホ。艦尾に触雷、右舷推進機全壊!』

悲劇的な一報がキンメルの司令部に届く。


(馬鹿め、この肝心な時に……。操舵をミスしおったな!)


日本海軍の潜水艦も、戦艦も、駆逐艦の大部分も前方に取り残されている筈だ。

日本海に脅威となる存在は無い。

キンメルの脳裏にアイダホ艦長のしでかしたヘマに対して浴びせる数々の罵声の言葉が浮かぶ。

「今度は何なのだ!? 状況を報告しろ!」


……そして、その言葉に対する報告は、彼とスプルーアンスを絶望させるに十分過ぎるモノだった。


『ツガル海峡出口に浮遊機雷多数、その数、凡そ2000……2500……いや、3000以上』

「な、何……?」

『浮遊機雷群、ツガル暖流に乗り日本海側から海峡内に雪崩れ込んできます。海流の速度、凡そ6ノット』

『回避不能、回避不能! 数が多過ぎる!』


 季節は初夏。

西太平洋を突き抜ける黒潮は、熱帯性低気圧を発生させる程に温まっており、その分流である対馬海流は、その温かさを保ったまま日本海に乱入する。

その対馬海流は津軽海峡に流れ込む津軽暖流と、宗谷海峡に流れ込む宗谷暖流に分岐し、北と南の海に介在する海水温度の差が生み出す熱エネルギーを速度エネルギーに変換しつつ、この季節、西から東へと最高の速度を保ち、突き進む。

 今、津軽海峡を西に出ようとしたキンメル艦隊の最後尾に対して、日本海洋上に展開した貨物船改造の特設敷設艦多数が放った浮遊機雷の大群が、まるで濁流に押し流される巨石が如く襲いかかった。


 それは第4の破局と呼ぶにはあまりに無惨過ぎる結末だった。

自然の力を助太刀とした無情なる機械仕掛けの大群は、避け得ぬ未来を手に手に、合衆国海軍に最期の刻を告げた。




「バズ、何をやっとる! かわせ、かわすんだ! 最後まで諦めるな!」

突然、キンメルを叱咤したのはハルゼーだった。

彼は茫然自失の態を示すキンメルの両肩を、その大きな手で揺する。

「しっかりしろ!」


「……黙れ…黙れ…黙れ、黙れ、黙れ!」

ハルゼーの行為に、身を委ねていたキンメルが突然、咆哮する。

「ビル! 貴様はもう、死んだんだ! いいか、もう死んでいるんだ! 死人が口を出すな!」

そう言いながら親友の巨躯を突き飛ばすと、息を整え、テーブルの傍らに立つマクガバン教務主任教授に一礼し、告げる。

「もう、終わりにして下さい、判定官殿……」


「……そうだな、もう十分だろう」

その双眸に、気の毒そうな憐みの感情を浮かべつつ、マクガバンが頷くと、それを合図として一人の若い判定官が、衝立の向こうにいる日本側に、合衆国の降伏を伝えに走り去っていく。

 ふと、キンメルが部屋の外、ガラス越しに廊下を眺めると、そこには無数の士官候補生やトーゴーの講演を拝聴すべく各艦隊から派遣された高級将校や士官達が立って室内の光景を眺めている事に気が付いた。

彼らの目に、惨めな敗残者となったキンメルに対する非難がましい光は宿っていない。

むしろ、ものの見事に、アドミラル・トーゴーの思惑通りに踊らされたキンメル以下に対する同情を帯びた温かな視線と、トーゴーの指揮に対する畏怖にも似た畏敬の念が宿っている。

 大きく息を吐き出したキンメルは、尻もちをついたまま茫然としているハルゼーの手を取り立ちあがらせると、スプルーアンス、キンケイド、ターナーに話し掛ける。

「さあ、諸君。最後の仕事をしようではないか……」

隠しおおせそうに無いほどの悔しさを滲ませた若いキンケイドが、今更、何を…といった表情を浮かべるが、キンメルはそれを優しく諭す。

「……分らんかね? 神に許しを乞いに行くのだよ」




 キンメル達が、礼を述べる為に東郷達の前に進み出た時、東郷は丁度、ニミッツ中佐から受け取ったコーヒーを口にするところだった。

東郷以下、日本サイド全員は、悠然と椅子に座り、それぞれがコーヒーの香ばしい香りを片手に談笑を愉しんでいた。

数時間に及ぶ兵棋演習を終えた東郷は、その老いにも関わらず一切の疲れを感じさせず、目を細め、熱いコーヒーを一口、口に含む。

「……ニミッツ中佐」

「イエス・サー!」

ニミッツ中佐は、トーゴーに自らの名を呼ばれるのが余程、嬉しいらしく、緊張を保ちつつも満面の笑みで反応する。


「……このコーヒーは私には少し薄過ぎるようです。次はもう少し、濃く入れて下さらんかな?」


――――東郷の英国仕込みの英語は、単語の選択も、発音も全てが完璧だ。

それは、その場にいる全員が、聴き間違えようもないほどに完璧なものだった。


だが、この時、米国人、日本人を問わず、その場にいた全員がその意図を、正確に、誤解し、立ち竦んだ。


「こいつらでは相手にならない。次はもう少し、マシな連中を用意しろ……」と。





 校舎内の大講堂で行われた東郷の歓迎晩餐会は大いに盛り上がった。

その学び舎で学ぶ者、教える者、そしてかつて生徒だった者、皆等しく東郷と一言でも言葉をかわそうと押し寄せる。

 東郷は、彼ら一人一人と親しく話をし、彼らの制服や軍帽に求められるままにサインをし、彼らが父親となった時の名付け親となり、記念撮影に応じた。

高齢の東郷には、相当にきつい日程であった筈だが、久々に海戦の指揮を執った事が彼に精気を呼び戻したかの様であった。



 談笑の輪から、少し離れた場所に、山本五十六大佐はグラスを片手に佇んでいた。

東郷の示した戦術・戦略が現実世界で有効なモノかどうか……? 

答えは恐らく否だ。

合衆国海軍の精鋭が日本海に侵攻するというミスを犯したのは、相手がアドミラル・トーゴーだったからに過ぎない。

全く同じ艦隊保全主義を他の日本海軍将帥が採ろうとも、合衆国海軍が日本海に不用意に侵攻してくる可能性など万分の一も無いだろう。

彼らは、トーゴーとトーゴーの栄光に固執し、それが故に敗れたのだ。


だが……。


 この兵棋演習は山本の脳裏に一つの想いを植え付けた。

それは、日本海を利用する…という事だった。

日本の国土は狭く、細長い。

それは防御するには非常に困難な代物だった。

しかし、日本海をその縦深として見立てた時、その国土は巨大化する。

日本海を制する限り、日本列島の太平洋岸のどこに侵攻されようとも機動的で、有効なカウンターが放てる筈だ……。


 山本はこの秋、霞ヶ浦航空隊の司令職へ補される事が内定している。

今、海軍経理学校の教官という閑職にあるのは、今まで歩んできた砲術畑とは違う航空畑の司令職という、全く新しい職務に精通する為に海軍省が用意した準備期間だった。


 もし、日本の本土に敵勢力が侵攻を企図した場合、海上航空戦力による制空権奪取は必然だ。それは先程、キンケイドの索敵失敗が最後まで影響したのが一つの好例となっている。

制空権を得る為には、未だ実用戦力とは言い難いが、空母を使う他は無い。

という事は、空母対陸上航空基地という図式で航空戦が展開するのだろうか?

しかし、陸上航空基地は沈没しないが、移動も出来ない。

対して、空母は沈没するが、移動し、集中できる。

日本全土に1000機の戦闘機を展開しようとも、一つ一つの基地に配置できるのは数十機単位に過ぎない。

これでは、各個撃破の餌食だ。

しかし、日本海に機動力のある空母群を温存し続けたら……?


山本の脳裏に答えは未だ見えない。

しかし、今、成すべき事は分っている。


 山本は、数歩離れたところで片手にスモークチキンを山盛りにした皿を抱え、それを頬張っている米国駐箚武官・原口初太郎陸軍少将に話しかけた。

「原口閣下、宜しいですか?」

「…あ、うん?」

突然、話しかけられた原口は、慌てて好物のそれをグラスに注がれたワインで飲み干すと、口元をナプキンで拭い、山本に視線を向ける。

「何だね?」

「閣下にお願いがあるのですが……陸軍の方で、対ソ戦備計画に精通している人物を御紹介頂けませんか? ……出来れば、私同様の佐官級の方で。その方が、忌憚なく意見を聞けそうな気がするものですから」

「対ソ戦備計画……? 陸軍の仮想敵はソ連である以上、皆、精通しておる……と、言いたいところだが、山本大佐の聞きたいのはそんな答えでは無いのだろうね?」

「はい……」

原口は、無意識のうちにまた、スモークチキンを頬張り、口をモゴモゴさせながら、山本の眼を見据える。

「狙いは沿海地方かね?」

「……はっ、今の段階では何とも」

「あはは、そうだな。あれほど見事な用兵を見せられれば、海軍として日本海の外周全てが欲しくなるのも無理は無い、うんうん」

「御賢察、恐れ入ります」


「山本大佐、君は確か……長岡の出だったね?」

原口が唐突に発した『長岡』という言葉に、思わず山本は眉を顰め、身構える。

長岡の出、というだけで若い頃から、度々『賊軍の裔の癖に…』と何度、言われた事か。

そしてまさか、今、この瞬間、原口の口から、その点を罵られる事になろうとは……。

山本は、必要ならば、原口のその大きな鼻に鉄拳を喰らわせてやろうぞ、と心中、期する。

「はい。祖父は北越戦争にて河井様に従い、戦死致しました」

「うんうん、そうかそうか。いや、何、君の言う対ソ戦備計画に精通している佐官級の人物…だがね、小官が陸大教官をしていた頃、教え子となっていた男の中に、一人、適当なのがいるんだ。

 その男の陸大の卒論が『北越戦争と河井継之助』とかいう一風、変った代物だったからね、君とは話があうかもしれんな、と思ってね」

原口は大人物らしく屈託なく、鷹揚に頷き、山本は勘繰り過ぎる自分の条件反射に内心、苦笑する。

「……ほぉ、それは珍しい研究を」

「相当に変り者だが、構わんかね?」

「小官も変り者ですから」

「あはは、よかろう。では、紹介状をしたためておくよ。今、ドイツ駐箚大使館附きの武官だから、折りをみて足を伸ばしてみるといい」

「ありがとうございます。東郷閣下のお供が終われば、私は暇人ですので、海軍省に願い出てみたいと思います。それで、その方のお名前は?」

「石原……石原莞爾……だったかな? 階級は少佐だ。まぁ、頭は切れるが変人だから覚悟しておきたまえ」


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