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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
46/111

第46話 聖域1924 (4)

「ミ、ミッドウェー…だと?」

「ば、馬鹿な! トーゴーは日本海に居るはずではないか!?」

「……な、何だとっ!?」

「クソッ、騙された! 奴らの狙いは、最初からこれかっ!」

「通報艦77号艇に緊急返信“日本艦隊の針路、編成について確認し、触接を保て”」

「太平洋艦隊各海軍区、西海岸全州及びハワイに緊急警報を打電“日本海軍来襲の恐れあり。早急に沿岸部より25マイル以内の地域に避難勧告を求む”急げ!」

「り、陸軍だ、陸軍にも打電するんだ」

軍帽を鷲掴みにしたキンメルは、矢継ぎ早に命令を出し続けるが、その声は落ち着きを失い、危うい精神の均衡を示すかの如く完全に上ずっていた。


『通報艦77号艇、応答ありません。撃沈された模様です』


「最悪だ……」


 通報艦77号艇がもたらしたそれは、キンメル以下の指揮官達にとって凶報以外の何物でもなかった。

トーゴーは日本海に居る。

日本海軍は徹底した艦隊保全主義により自国艦隊を温存、痺れを切らし、有効手の無くなった合衆国海軍が殴り込みを仕掛けるのを自らのホームで待ち受け、その一戦に全てを賭けてくる。

その予測は、絶対だった。

その筈だった。


「やってくれたな、アドミラル・トーゴー。だが、あんたは合衆国を舐めすぎだ」

茫然自失の態を示す艦隊指揮官の中で、いち早く立ち直ったのは、やはりウィリアム“ブル”ハルゼーだった。

座っていた椅子を派手に蹴り飛ばし、軍帽を床に叩きつけた彼は指揮下の全艦隊に第3戦速への増速を命ずる。

「トーゴーのケツを蹴り上げてやる。このままツガルを抜けるぞ。太平洋側に補給部隊の手配を頼む」

『しかし、この速力で巡航すれば燃料切れで脱落艦が出ます。それに補給艦群は東シナ海、今からではホンシュウ東方海上には到底、間に合いません』

「阿呆め。合衆国の拠点はサンディエゴやマニラばかりじゃないぞ。ダッチハーバーにだって民間の油槽船や石炭貨物船はあるだろう、それを回せ。会同海域はおって指示する」

『はっ』


「……無駄だ。今更、間に合わん」

豊かな頬肉を発作の様に震わせながら、キンメルは呻くように呟いた。

その言葉に、傍らで海図にディバイダーをあてていたスプルーアンスが、しきりと計算尺を用いて何やら計算しながら答える。

「いえ……そうとは限りません。日本海軍は艦隊随伴可能な給油艦、給炭艦を整備していません。彼らが随伴させているのは、恐らく徴用した民間船、その速力は大きく見積もっても11ノット程度でしょう。撃沈される前の定時報告を基に77号艇の哨戒区域から割り出すと、彼らは大圏航路ではなく、大分、南寄りの針路をとっている様子ですので、まだミッドウェーの北西海上250浬程度の筈です。ツガルからミッドウェーまで凡そ2100浬ですから、こちらが大圏航路を辿り、20ノット以上で急追すればシアトルは無理でも、南のサンディエゴならば際どいところでインターセプト出来るかもしれません」

「毎時20ノット以上だと!? 不可能だ。いったい何隻ついてこられると思う? ほとんどの艦の機関が追い付く前に圧壊してしまうぞ」

「不可能でも、今はやるしかありません。やらなければ、この戦争、我々に勝利はありません」

そう言い切るスプルーアンスであったが、その指先も、そして声さえも微かな震えを帯びている。


「スプルーアンス、君は先程、シアトル、サンディエゴと言ったが、アドミラル・トーゴーの狙いが西海岸にあると考えている理由は何だね? 私には西海岸に向かっているにしては、随分とハワイ寄りの進路に思えるのだが……」

「仮に狙いがハワイだったとしたら、我らにとって僥倖以外の何物でもありません。重要な兵站基地ではありますが、所詮、物資の集積地に過ぎませんから、本土から運べば、いくらでも代替えは効きます」

「……うむ」

「しかし、サンディエゴ、サンフランシスコ、シアトルは違います。彼の地の工廠群の修理補修設備なくしては、太平洋艦隊はその戦力を維持出来ず、継戦能力は大きく削がれます。……考えても見て下さい。艦の損傷を受ける度に、パナマを通って東海岸まで修理に行かなくてはならない事態を……そうなったら、戦争どころの騒ぎではありません。

トーゴーの狙いも、本命はその中でも最大のサンディエゴでしょうが、行き掛けの駄賃とばかりにシアトル、或いはサンフランシスコ辺りの工廠設備に対する砲撃を狙っているかもしれません……そうだ、いっその事、我々もマイヅル以下の沿岸都市を砲撃しますか? 彼ら同様に……」

顔面を蒼ざめさせ、眼を血走らせたスプルーアンスの動揺も、キンメルに劣らず、恐慌一歩手前の状態を醸し出しており、その分析は正確だが、発言は常軌を逸している。


「いや、それはダメだ。我々が先に都市砲撃を行えば、後着する日本海軍に許可証を与える様なものだぞ。民間人を虐殺された事に逆上した日本海軍が、報復に何をしでかすか分らん、それだけは出来ん。その件に関して、我々はあくまでも、後手に回らなくてはならない」

「ならば、こんなところにいる理由は何一つありません。今、我々にできるのはただ一つ。猪突するハルゼー艦隊に倣い、缶が悲鳴を上げ、機関が擦り切れても、ひたすら東進し、日本海軍の意図を粉砕、その無力化という当初の目的を果たすのみです」

「オーケイ、分った。それしかないだろう。民間人虐殺の汚名を被るぐらいならば、例え間に合わずとも、役立たずの無能者と呼ばれた方がはるかにマシだ」

諦めにも似た表情を浮かべつつ、キンメルは大きく息を吐き出す。

それが自らを落ち着かせる為の深呼吸なのか、或いは、絶望に打ちひしがれた故の溜め息なのか。

その場にいる全員が、前者である事を願った。




『見張より艦橋。2時方向、タッピ岬を視認しました。距離22浬』

『見張より艦橋。11時方向、シラカミ岬を確認。距離25浬』

「オーケイ、艦隊後翼単梯陣、増速第4戦速、陣形変換後の基準艦我にとれ。発動2130。一気にツガル海峡を突き抜けるぞ」

『2130』

「発動」

今や、怒りと憤りを糧として生きる男となったハルゼーは、頬を紅潮させ、指揮下の巡洋艦6隻、駆逐艦18隻に命じる。

それまでの並陣列から、座乗する旗艦シンシナティを先頭にした所謂『逆V字形』に素早く陣形を組み換え、速力27ノットで闇に包まれた津軽海峡へと突入する。

狭隘の海峡部を抜けるならば並陣列の方が素早い機動が可能だが、それは昼間、見晴らしが良ければの話だ。

漆黒の闇に包まれた今、前艦と後艦が同列に進んでいたら、ちょっとした操舵ミスにより、追突しかねない。その点、斜めに連なる梯陣ならば少なくとも前方の艦に追突する心配はない。

現況、右手には本州、左手には北海道が望見出来る筈だが、灯火統制下にあるのか陸地には一つの灯りも見えず、本来ならば闇夜に危険を知らせる白神岬の灯台も、今日は惰眠を貪っている様子だった。

「薄気味の悪い場所だな。まるで地獄の門だ」

海峡部に突入後、右手10浬に聳え立つ高屋岬を過ぎ、針路を方位90度から60度に変針を命じようかという頃、ハルゼーは大きな右手で口元を覆い、誰にも聞こえない様に縁起でもない事を呟いた。

無意識の内に、その左手は首からつるしたロザリオをシャツ越しに探し、指先でその形をなぞる。

蛮勇にも等しい積極性と、艦隊運動の妙技では右に出る者なし、と言われるこの男だが、同時に敬虔なクリスチャンでもあり、信仰心の篤さは並々ならぬものがある。

それだけに闇そのものを怖れはしないが、闇に潜む悪意は恐れる。


そしてこの時、闇に悪意は存在した。



 破局は突然、訪れた。

シンシナティの右後方を進んでいたオマハ級のネームシップ、オマハの艦首に閃光が走る。

更にその右後方に占位していたデトロイトの船腹に2つの巨大な火柱があがる。

海底から突如、浮かび上がった球形状の水の塊に押し上げられた駆逐艦ブルックスが、そのまま艦艇部をえぐり取られ、横転する。

更に、右、左、左、再び右……。


 海域のあらゆるところで巨大なバブルパルスが発生し、至近のモノは勿論、数十メートル離れた位置にいるモノさえ巻き添えにする。

その水圧を利用した衝撃波は、か弱い舵機をへし折り、推進軸を捻じ曲げ、艦腹の水面下鋼板をひしゃげさせる。


『巡洋艦オマハ、艦首断裂。沈みます。艦長は総員退艦を命じました。乗組員の救助を求めています』

『巡洋艦デトロイト、爆沈しました。生存者なし』

『駆逐艦チャンドラー、爆沈しました。状況不明』

『駆逐艦サウサード、舵機及び推進軸破損、漂流します』

『巡洋艦リッチモンド、左推進軸全壊、出しうる速力13ノット』

『駆逐艦ブルックス、転覆しました。生存者不明』

『駆逐艦ギルマー、駆逐艦フォックスと接触。フォックス浸水中。間もなく沈みます。艦長は総員退艦を指示』

『駆逐艦ギルマー艦長がフォックス乗組員救助の許可を求めています』


「……機雷かっ!」

猛将は、吐息と共に呻き声をあげる。

当然と言えば、当然だった。

日本海軍が海峡部に何の備えもせずに放置しておくことなど、あり得なかったのだ。

先程、本能的に感じた恐怖が現実のものとなった事に、怒りを感じつつ、次々と指示を下す。

「全艦、後進一杯!」

「制動後、両舷機停止、その場にて投錨、錨泊を行う」

「各艦、錨当直要員、選任当たれ」

「モリスはオマハ、マッコーリーはサウサード、シンクレアはブルックスの生存者救助に向かえ」

「あぁ、それにフォックスもか……ええい、糞ったれめッ! ギルマーに任せよう。各艦、救助にはカッターを使用、洋上には投げ出された生存者がいる。船を動かすんじゃないぞ」

『アイ・サー』

額の脂汗を拭いつつ、更にハルゼーは状況への対処を続ける。

「現行、駆逐艦の内、先位艦はどれか?」

『グリーン、及びバラードです』

「よし、救助作業終了後、全艦、後進微速。一旦、現状海域より避退後、艦隊陣形を2列の並陣列に組み直す。その後、グリーン及びバラードを先導艦とし、機雷原へ再度、侵入を試みる。

艦隊全艦対機雷戦用意、グリーン及びバラードの両艦は対艦式掃海具を展張せよ。掃海装備を有する他駆逐艦全艦は単艦掃海具を用意。全艦、用意でき次第、掃海を開始する。何としてでも、この海峡を突破するぞ!」

『アイ・サー』


 海峡部への突入を開始したのが、昨夜9時30分。

闇夜の中、遅々と進まぬ救助作業を終えたのは、既に夜明けに近い時刻だった。

薄明かりの中、ようやくにして、海面上に生存者がいなくなった事を確認すると、各艦の艦尾が急速に泡立ち、陣形再編の為の後進微速がかかる頃には、太陽が既に昇り始める頃となっていた。


「掃海幅600フィート(約180メートル)に設定せよ。速力、微速」

『アイ・サー』

太陽が昇ると共に、日本軍の戦闘機が空を覆い始める。

頭上で悠然と編隊を組み、時折、嫌がらせの様に舞い降り、精神的にきつい作業を行っている駆逐艦乗組員達を苛立たせる。

その効果が上がった訳ではないだろうが、ハルゼー艦隊は更に2隻の駆逐艦が触雷沈没し、2隻が巻き添え被害を受け、その度に先頭艦が入れ替わる。

津軽海峡東西130キロメートル、それは永遠の長さにも思えた。


 ハルゼー艦隊が津軽海峡の最狭部、下北半島の大間岬と、亀田半島の汐首岬を抜けたのは既に深夜を過ぎていた。

先頭艦の引き摺る対艦式掃海具のカッターに係維索を断ち切られた機雷が水面上に浮かび、後続艦の投光機がそれを照らし出すと、どこからともなく機銃が連射される。

その一連射が狙い過たず、それを粉砕し、閃光と共に爆発が起きる。

至近での爆発は破片の拡散する危険を伴うが、その爆発力は上方に拡散する為、水面下の爆発に比べれば遥かに危害半径は限られる。

 時折、降り注ぐ破片が艦体を打ち据える音が聞こえるが、その音全てが米海軍を海底に引き摺りこむという使命を果たせず、無念の最期を遂げた機械式水雷の呪詛の如く感じられる。

掃海が完了した幅180メートルの細い水道の両脇にはブイが投ぜられ、その内側が勇敢なる米海軍の占領地である事を示す。


『機雷原が途切れた』

右手に見える大間岬を過ぎてしばらくしたところで、待ちわびたその報告がようやくにしてハルゼーのもとに届く。

決して馴れる事のない、苛立たしげな時間を過ごしていた猛将は、大きく溜め息をつく。

長い、本当に長い時間だった。

「全艦、掃海具収納せよ。陣形そのまま、速力増速、強速。後続の3艦隊に打電“我、機雷原を突破”」




「ふぅ……ようやく…か」

津軽海峡の西側、海峡の手前で憔悴し、双眸の下のたるんだ肉を黒ずませたキンメルは大きく息を吐き出す。

ハルゼーの報告電を待ちわびていたかのように、3艦隊の中央に位置していたキンケイド艦隊が投光機の明りで、左右のブイを確認しつつ、二列の並陣列を形成しながら安全水道に侵入を開始する。

その北側、ターナー艦隊の各艦の艦尾も泡立ち始め、やはり並陣列に陣形を組み変えつつキンケイド艦隊に後続し、ハルゼーの報告から2時間後には、ようやく最後尾のキンメル艦隊が水道への侵入を開始する。

既に東の空は明るみを帯び、新たなる一日の始まりを告げていた。

「間に合うだろうか……?」

とは、もう口にしない。

間に合う、間に合わないではなく、自分に残された選択肢はそれしかないのだから。



 初夏の日の出がハルゼーの目を正面から焼き始めた時、再び、水面下に潜む悪意が牙を剥いた。

下北半島尻屋岬と亀田半島恵田岬を結ぶ線で、再び機雷原に突入したのだ。

設置位置からして、太平洋側から日本海側への侵入を阻害する為の物と考えられたが、機雷であることには変りは無く、再びハルゼー艦隊は掃海具の展張を行い、微速航行を余儀なくされる。

「念のいった事だな、トーゴー」

ハルゼーは憤懣やるかたなし…といった表情で呟く。

再び、苛立たしい気分を今しばらく味わわなければならないかと思うと、手にしたコーヒーカップを床に叩きつけたくなる。

だが、このハルゼーの杞憂は、杞憂に終わった。

彼にとって最悪の形ではあったが……。



『2時方向に注水音』

『3時方向、注水音多数』

『12時方向に潜望鏡らしきものを認む』

『11時方向、注水音』

『1時方向より、雷跡4』

『2時方向より、雷跡2…4…いや、それ以上!』

『10時方向に雷跡多数、距離2000ヤード、近い!』


「潜水艦……!? 回避だ、全艦、個々に回避運動を試みよ。判断は艦長に一任!」


最早、やはりと言うべきか、コーヒーカップを床に叩きつけたハルゼーの命令は、常ならば当然と言えるモノだったが、時と場所を選ぶべきだった。

水路幅180メートル。

二列縦隊。

周囲は全て機雷原。

回避を試みれば、僚艦に衝突するか、機雷原に突入するしかなかったし、回避を行わなければ微速航行中の今、至近距離から放たれた無数の魚雷は恐らくすべてが必中距離だ。


『巡洋艦コンコード、被雷、左舷に4!』

『回避運動中の駆逐艦ブランチ、触雷。艦体、折れます』

『コンコード、沈みます』

『駆逐艦ロング、被雷、右舷に2、爆沈しました』

『駆逐艦バルマー、被雷の模様、詳細不明』

『最後尾の巡洋艦リッチモンド、両舷に被雷、艦首より沈みます』


「もう、やめてくれ!」

次々とあがる被害報告に、悲鳴にも似た声を上げかけたハルゼーだったが、唇より先にそれをこぼれ出す事を、何とか踏み止まる。

『見張より艦橋。3時方向より雷跡2、距離1500ヤード、本艦へ直撃します』

『見張より艦橋。10時方向より雷跡4、距離2200ヤード、続いて同じく10時方向、雷跡2、距離3000ヤード。共に本艦左舷に直撃します。回避不能』

淡々とした見張員の言葉に、ハルゼーは“最期”の葉巻を咥え、火を点けると、紫煙を大きく吸い込み、悠然と最期の言葉と共に吐き出す。

「ホーリー・シット!(聖なる糞野郎!)」



2010年3月9日 脱字訂正

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