第45話 聖域1924 (3)
ほの暗い海原を切り裂き、オマハ級巡洋艦3番艦シンシナティを旗艦とする一群の艦艇が対馬と沖ノ島間を抜けてしばらく経つ。
針路は東北東、晴れていれば右舷10浬には日本海に浮かぶ孤島・見島が洋上遥かに見える筈だ。
「針路そのまま、第2戦速に上げー」
『アイ・サー』
艦低部の振動が微かに増し、毎時18ノットの第1戦速で巡航していた艦隊が毎時21ノットに増速する。
その群れの中心に位置するのはシンシナティを先頭に同級1番艦オマハ、同2番艦ミルウォーキー、同5番艦デトロイト、同6番艦リッチモンド、同7番艦コンコードの6隻、随伴するはクレムソン級駆逐艦18隻の面々……。
指揮を執るウィリアム・ハルゼー自ら『スタンピード』と名付けた、この巡洋艦6隻と駆逐艦18隻よりなる合衆国海軍先遣隊は、四周全方位の警戒を厳にしつつ、辺りを睥睨していた。
開戦時の戦力に比べれば、その艦数は半減していたが、いずれも戦闘行動に伴う損失によるものではない。
サンディエゴからハワイ、そしてマーシャルを経てマリアナ、フィリピンへ……。
合衆国海軍の制圧した領域は果てしなく広がり、そのカバーしなくてはならない海域は広大にして、長距離に及ぶ。
その兵站線の確保は戦闘による損失以上に彼らを苦しめ、前線投入が可能な戦力は次第に極小化する。
それでも、ハルゼーの意気は軒昂であり、士気は旺盛だ。
ここは敵地にして聖域。
四周全てが敵の庭であり、うねる波、吹きすさぶ風、全てが彼を死の床へと誘う魔の手にも見える。
「罠だろうな……」
咥えていた葉巻の灰を足元に落としながら彼は呟く。
開戦以来、一切、その存在を秘匿した日本艦隊、彼らはこの薄気味の悪い濃灰色の波の向こうで待ちうけている筈だ。
彼らの聖地に土足で踏み込んだ、無礼なヤンキーどもに鋼の制裁を加えるべく自慢のソードに砥石をあてている野蛮な姿が目に浮かぶ。
ハルゼーの片頬に、自然と残忍な笑みが滲み出す。
「さてさて、どちらがワイアット・アープで、どちらがクラントン兄弟か……」
ふと彼の脳裏に、彼がこの世に生を受ける前年にアリゾナ州の肩田舎ダッジ・シティで行われたOK牧場における決闘、その昔話がよぎる。
鼻を垂らしていた頃から、聞かされ続けた本物の英雄譚だ。
「逃がしゃしねえぞ、この牛泥棒め」
右手でピストルの形を模し、その銃口の先で軍帽のヒサシを少しだけ上に押し上げながら、彼は、彼のジョークに一人、笑った。
「索敵機の報告はどうか?」
ハルゼー艦隊の後方20浬を進む艦隊主力前衛、戦艦6隻、駆逐艦12隻からなる分艦隊を統率するトーマス・キンケイドは苛立った口調で報告を待つ。
彼の指揮する6隻の戦艦――ペンシルバニア、アリゾナ、ニューヨーク、テキサス、ネバダ、オクラホマ――が各2機ずつ放った索敵機は12本の索敵線を構成し、北九州から釜山方面まで300度に渡る広範囲をカバーしていた。
『アリゾナ1番機、定時連絡、ありません』
『アリゾナ2番機、定時連絡、途絶えました』
『ニューヨーク1番機より通信。サセボに敵艦影を見ず』
『ニューヨーク2番機、敵艦影見ず。これより帰投す』
『テキサス1番機、反応ありません』
『テキサス2番機、敵艦影見ず』
『オクラホマ1番機、撃墜された模様です』
『オクラホマ2番機、釜山港に敵艦影を見ず』
『ネバダ1番機、定時連絡無し。撃墜された模様です』
『ネバダ2番……』
次々と告げられる報告にキンケイドは苦い顔をした。
日本海軍の三大軍港である佐世保に、その艦隊が存在していない事は想定済みだった。
ニューヨーク1番機の報告は、その想定を裏付けしたものに過ぎない。
日本海方面に向けて放った索敵機の多くは無事、その索敵結果を報告してきていたが、いずれも日本艦隊の存在を示す証拠は無い。
朝鮮半島方面に放った索敵線は半数が撃墜されたが、港湾都市・釜山に日本海軍の存在は確認できない。
本州方面に放った索敵機は、日本海海上において日本海軍の痕跡を見つけなかったが、陸地に入った途端、邀撃機の迎撃にあったとみえ、全機が未帰艦となっている。
「さすがに自国の領空、簡単には覗き見させてはくれんか……」
空母が戦力化されていない時代、陸上を基地とする陸軍戦闘機の空戦における存在感は圧倒的だ。
制空権の確保が不可能な事は最初から分っていたが、こうも敵情が掴めないのが不便であるとは思わなかった。
『第二段階索敵、開始しますか?』
キンケイドは首を左右に振る。
「やめておこう。これ以上、偵察機を失えば砲戦時の弾着観測に悪影響が出かねない……」
彼我の戦力は隔絶している筈だ。
だが、不馴れな土地とあっては不安感が募るのは如何ともし難い。
「全艦、見張りを厳にせよ」
『アイ・サー』
キンケイドは、彼に出来る最良にして最低限の命令を口にしつつ、誰にも聞こえない様に小さく呟く。
「……出会い頭の撃ち合いだけは勘弁してもらいたいな。いきなりナガト級とぶつかったら支えきれん」
彼の指揮する戦艦はいずれも36センチ砲搭載艦。
フソウ級やイセ級とならば互角だが、ナガト級には遠く及ばない。
若く、経験の浅いキンケイドの不安は深まり、その不安は次第に見えぬモノに対する迷信じみた恐怖へと変貌しつつあった。
「ふふん! 絵に描いた様に見事な索敵失敗だな。何をやっていやがる、このマヌケめ」
キンケイド艦隊の左舷10浬という至近を同航するターナーは、同輩の失策を鼻先で笑いながら、その心中は不平と不満で爆発寸前だった。
キンケイドがアナポリス始まって以来とも言われる秀才で、卒業席次が首席であった事は知っている。
しかし、だからと言って先任である自分を差しおいて戦艦部隊を率いる役目を任せられるとは……。
総指揮官キンメルの義弟だから…などという前時代的な理由でない事は分っているが、海上勤務専門だった自分が、エリートコースを行く彼に比べて軽んじられている…とも感じられる。
だが、“ザ・テリブル”ターナーの怒りはそこにはない。
彼の憤りは、そういう女々しい嫉妬心を抱く自分に対する、やり場のない怒りだった。
ターナーの両用艦隊は、日本海への大侵攻を前にして解隊、彼自身はハルゼー艦隊から分派された駆逐艦12隻、それに前時代的な30センチ砲12門搭載の戦艦ワイオミング、アーカンソーの両艦、それに両用艦隊から引き抜いた軽巡洋艦デンバーにガルベストン、タコマ、クリーブランドの4艦。
この4艦はいずれも本来は防護巡洋艦に分類されていた旧式艦であり、ワシントン条約以降、軽巡洋艦に艦種変更されたものの新時代に相応しい能力を備えているとは言えない年代物だ。
貧弱な装甲防御力も時代遅れの産物だが、その攻撃力でさえも、数こそ10門と多いが駆逐艦並みの単装5インチ砲を並べているに過ぎない。
石炭缶から噴き出す煤けた排煙で空一面を曇らせながら、他者が見たらゾッとするほどの旧式艦を率いて彼は進む。
旗艦デンバーを先頭に、巡洋艦、戦艦の順に単縦陣を組み、その左舷側に2個駆逐隊12隻による単縦陣を揃えた2本の線から発せられた視線は、遠く左手に臨む朝鮮半島に注視する。
侵攻艦隊の次席指揮官ハルゼーは、日本艦隊はマイヅルを母港とし、前方より邀撃に出現する……と想定していたが、奇をてらう事を好まず、セオリーを重視するターナー個人としては違う意見だ。
トーゴーが再現を狙っている“ツシマ沖海戦”の故事に則っているとすれば、日本艦隊は朝鮮半島沿岸の多島域に身を潜めている筈なのだ。
ターナーは今、1個駆逐隊6隻をその多島域に突入させようか…と考えている。
主力艦隊の側防という、脇役もいいところに位置する彼としては、比較的、自由な裁量権が与えられているのだが、それは少なくともターナー本人からしてみれば、「勝手にしていいぞ」的な扱い、と感じる種類の物だった。
キンケイド艦隊が航空偵察を行い、釜山港におけるトーゴー艦隊の不在が確認済みである事は聞いている。しかし、この海域は無数の小島が群立する多島海であり、一航過のみで引き上げる様な腰の引けた偵察機に全てが見通せる訳ではない。
もし、偽装したトーゴーがそこに身を隠していたとしたら……それは即ち、彼自身の予測が的中していたという事であり、それは彼自身にとって大変な名誉となる。同時に、もし的中していなくとも慎重な用兵を行ったという評価は得られる。
「……どっちにしろ、損は無いな」
ターナーは自分自身に言い聞かせる様に呟くと、釜山市南西のリアス状海域に指揮下にある第23駆逐隊、第24駆逐隊の2隊のうち、後者を前進させる事とした。
指令を受けたクレムソン級駆逐艦で構成された軽快な第24駆逐隊は、海面上に弧を描くようにして、取舵を効かせると索敵海域に第2戦速を維持したまま近付いていく。
『第24駆逐隊より緊急信。“我、敵の砲撃を受けつつあり”』
「いたか!」
自らの予測が的中した事にターナーは心中、小躍りし、身を乗り出す。
しかし、第二信が届いた時、その喜びは軽い失望へと転落した。
『続信です。“敵砲撃は中小口径砲によるものと判断。陸上に発火炎を確認す”』
砲撃は、巣に飛び込んできた駆逐隊に、怒りの唸り声をあげた日本艦隊からのものでは無く、恐らくは釜山市防衛の為に配備されている陸軍師団の砲兵連隊からの反撃だったのだ。
『反撃を行いますか?』
問い合わせにターナーは頭を振る。
「いや、やめておこう……。弾着観測もままならない状態で、散開した陸上火力相手に砲撃戦を挑むのは愚かな事だ。思わぬ損害を出してもつまらない。本隊に合流せよ」
彼はあくまでもセオリーに忠実に、駆逐隊に離脱を命じると軽く溜め息をつき、軍帽を脱ぐと右手で、その汗ばんだ頭髪をクシャクシャと掻きむしる。
「少しばかり功名を焦ったか……。まぁ、良い。罠に飛び込むんだ、これくらいの用心は当然のうちさ」
言い訳ではない……自分自身に言い聞かせる様に、彼は呟く。
「アドミラル・トーゴーはどう出るだろう?」
侵攻艦隊の総指揮官ハズバンド・キンメルは、旗艦コロラドにその将旗を掲げ、戦艦8隻を中核とする豪勢な艦隊主力を従えつつ、静かに対馬海峡東水道を東北東方向に突き破る。
問われたのはレイモンド・スプルーアンス。アジア艦隊の指揮官を務めている男だ。
彼は今、その職に加えてキンメルの参謀長役を兼務している。
この“大侵攻”に際して、英東洋艦隊が動かないと云う保証がどこにも存在しない以上、アジア艦隊はフィリピン防衛の任をおろそかにする訳にはいかず、艦隊主力を構成する戦艦フロリダ、ユタの両艦はマニラ湾にその存在を誇示し続ける必要がある。
更に、アジア艦隊隷下の巡洋艦、駆逐艦群を南沙諸島近海から西沙諸島付近にまで展開させ哨戒線の構築を行い、それを維持する為の統制にもあたらなくてはならない。
その上、マニラという最大級の軍事拠点・兵站基地を指揮下に置く以上、全艦隊への補給計画も彼の範疇とされている。
同時にスプルーアンスは、合衆国海軍に属する全て潜水艦の指揮権も委ねられている。
その緻密な脳細胞を駆使して、最高に面倒な潜水艦隊のローテーションを組む事を要求されている訳だが、本来ならばこれはニミッツの役割であり、専攻の違いや、得手不得手もあってアジア艦隊を指揮しつつ、キンメルの参謀長役を務め、補給計画を立て、更に潜水艦隊の統制まで任される…というのは完全に彼の能力限界を超えていた。
その限界をスプルーアンスはハッキリと自覚していたし、その旨をキンメル以下同僚陣にも告げてはいたのだが……結局のところ、誰一人、面倒な仕事を自ら抱え込む義侠心に駆られる事はなかった。
「キンケイド艦隊の航空索敵によれば、日本海海上に敵艦影は見えず、との事でした。日本海は間違いなく敵地、地の利は彼らにあります。彼らは、自分達にとって最良の場所で、最良のタイミングを狙って我らを邀撃するでしょう……このままでは」
脂の浮いた細面に憔悴した表情を見せつつ、スプルーアンスは疲れ切った声音で答える。
「このままでは……という事は、何か策を考え付いたのだね? スプルーアンス」
キンメルは鷹揚に構え、あえてスプルーアンスの疲労を無視し、尋ねる。心中、
(こんな事ぐらいで弱音を吐かれては困る。しっかりしろ!)
という励ましを込めているのだが、その声援が相手に伝わる事は無い。
「ハルゼー艦隊を突出させます」
「ふむ。それは、私も考えたが……確かに彼の艦隊ならば、優勢な日本海軍と接触したとしても、高速を利して逃げ切れるし、我らの待ちうける戦場に日本海軍を誘引も可能だとは思うが…どうにも、ビルの性格がな」
キンメルは、そう言ってスプルーアンスに苦笑する。
その苦笑が意味するのは
(日本海軍を発見したハルゼーが、作戦とはいうものの逃げると思うか?)
だろう。
スプルーアンスとハルゼーは以前、同じ駆逐隊の隊司令(先任駆逐艦長)と駆逐艦長という関係にあり、家族ぐるみで付き合うほど個人的に親しい仲にある。
それだけにハルゼーの性格も良く知悉していたし、その自分には無いアグレッシブさに尊敬の念も抱いていた。
抱いてはいたが……過度の疲れが声に剣を帯びさせた。
「では、ターナー艦隊を突出させますか?」
「馬鹿な。ターナー艦隊は旧式艦の観艦式状態だぞ、単独で見つかったら最後だ」
「ならば答えは出ているでしょう? 逃げ切れる可能性のある艦隊か、ない艦隊か……どちらが餌に適しているかは……」
「あぁ……分ったよ。君の言う通りだ。ハルゼー艦隊に命令してくれ」
キンメルは、温和なスプルーアンスの意外なほどに突き放した物言いに肩をすくめると、その意見に従う事とした。
「それからターナー艦隊ですが、ツシマ海域に後置しておいた方が良いのではないでしょうか? 海峡近海に日本艦隊の存在は確認できておらず、ある程度の安全は確認できていますが、日本本土の空中偵察が不可能な以上、小官としてはクレの存在に重大な懸念を抱かざるを得ません」
「クレにはいないだろう。それに開戦直後より、ずっと君の潜水艦達が関門海峡や豊後水道に展開しているが、一度たりとも日本艦隊主力を発見していないじゃないか」
「日本艦隊を視認していない、という点ではマイヅルとて条件は同じです。最も、南方海域における哨戒任務に多数を投入していた為、日本海に潜水艦部隊を突入させるのは遅きに逸した感もあります。
……いずれにしろ小官の判断ミスです」
「分っている。君を責めてはいないから、安心したまえ。しかし、少なくとも、背中から撃たれる心配は無いと私は判断している。
……それより、むしろ、君の懸念は日本海軍との決戦に敗れた場合の退路を確保…という意味合いじゃないのかね?」
キンメルの問いに、スプルーアンスは小さく、申し訳なさ気に、それでいてハッキリと頷いた。
「実際のところ、それだけではありません。既に東シナ海における最終補給から1000浬。艦隊随伴艦中、最も足の短いクレムソン級の航続力は巡航速力で5000浬足らず……ここまで、第1戦速で進出してきていますので、実質2割程度、燃料消費量は上がっているでしょう。
敵地・日本海における補給作業は不可能と判断し、そのまま東シナ海に給油艦、給炭艦を留め置いてきましたので……。
最悪、早い時期に日本海軍と決着をつけないと、駆逐艦長達は肝心の戦闘時に燃料メーターを気にしながら戦う羽目になりかねません」
「時間は我らに味方しない…という事かい? それはさすがに心配しすぎだと思うぞ。
……おい、まさか、補給艦部隊をツシマ付近にまで進出させ、ターナーに護衛を命じろ…とでも言いたいのか?」
その問いに小さく頷き返す幕僚に、キンメルは溜め息を返さざるを得ない。
太平洋戦線の花形部隊と言って良い両用艦隊を率いていたターナーだったが、戦線が上陸戦を目的としない日本海に集約されてしまえば、その出番は限られる。
本来であれば先任順に従って再編成に際しては、キンケイドの指揮する大西洋艦隊の指揮権を継承しても良い筈だったが、キンメルはその必要を認めず、他艦隊から引き抜いた旧式艦の寄せ集め艦隊をターナーの指揮下に組み込んだ。
キンメルは別段、キンケイドを贔屓した訳ではないし、かといって、なにかしらターナーに含むところがある訳でもない。無論、その能力を疑っている訳でもない。
ただ、これまでの作戦展開において先陣を切り続けたハルゼーやターナーに比べ、後置されていたキンケイドには出番がなかったのだから、最後の仕上げぐらいには参加させてやってもいいだろう…といった単純な動機に過ぎなかったのだが、艦隊編成を発表した時、ターナーが露骨に不快気な形相を見せていた事が気に掛かっているのだ。
「頼むからやめてくれないか。ここまで日本海軍を追い詰めておきながら、トーゴーに勝利する、という栄誉を彼から取り上げる様な事を私が命ぜられるとでも思うかね?」
「勝利の美酒は、前列、後列を問わず参加者すべての頭上に等しく降り注ぐものだ、と小官は考えておりますが……?」
「そう考えない者もいるという事を理解したまえ。特に“ザ・テリブル”の様な男の場合はな」
(これ以上、厄介な事を言い出さないでくれ!)
そう、願いを込めてキンメルは諭す。
「“ザ・テリブル”が“ザ・トラブル”になると?」
スプルーアンスの冷たい視線を真正面から受けたキンメルはそっ気なく視線を逸らし、その皮肉めいた言葉が聞えなかったふりをする。
その皮肉が、自分に向けられたものなのか、それともターナーに向けられたものなのか? いずれにしろ、愉快な事ではない。
『殿艦、東水道を抜けました』
その報告に頷いたキンメルは各艦隊に変針を命ずる。
「ハルゼー艦隊、舵、速力そのまま。前進せよ」
『アイアイ・サー』
「キンケイド艦隊、変針。新針路方位30度、北北東に針路をとれ。速力、強速。発動0620」
『030斉、発動0620、アイアイ・サー』
「ターナー艦隊、キンケイド艦隊の左舷側10浬を維持。列方位変換、発動0620」
『発動0620、基準艦ペンシルバニア。アイアイ・サー』
「本艦隊はキンケイド艦隊の右舷側10浬に順位する。各艦、列方位変換後の基準艦我にとれ。速力、第1戦速、発動0620」
『アイアイ・サー』
「発動」
3列の横縦列を組んでいたキンメル、キンケイド、ターナーの各艦隊は、キンメルの発した発動の下知と共に駆逐艦を先頭にした単純陣へと変形、3艦隊が巨大な横縦列を形成しつつ、ハルゼー艦隊と離れる様に少しずつ距離を置き始める。
「内回りで日本本土沿いに進むハルゼー艦隊が日本艦隊と接触し次第、3艦隊は変針……。主力はこのコロラドを先頭に日本艦隊とは反航戦になりますな」
スプルーアンスの確認の言葉にキンメルは頷くと
「主力艦同士の叩き合いならば16隻対10隻、我が艦隊の勝利は動かない。私としてはむしろ、ツシマ沖海戦に際にして大暴れした日本海軍の水雷戦隊の方がうるさい存在だと感じている」
と自信に満ちた口調とは裏腹な懸念材料を口にする。
「……えぇ、確かに」
「だから、3艦隊に属する駆逐隊には敵主力艦への突貫よりも、敵駆逐隊を我が主力艦隊に近づかせない様に阻止運動に全力を傾注してもらいたい。必要ならば巡洋艦も全艦投入してもいいと思っている。主力同士の真っ向勝負に邪魔者はいらない」
「3艦隊の巡洋艦、駆逐艦に加えてハルゼー艦隊……。彼らはヘビー級タイトルマッチのリングサイド警備員という訳ですか。随分、豪華ですな」
「彼らを“セコンド”とは呼ばないのかね?」
(タオルを投げ込んで貰うおつもりですか?)
キンメルの過剰な自信に対してスプルーアンスは、そう心の底で嫌味を呟くと、腕時計に目をやり話題を変える様に厳かに告げる。
「オキを過ぎて間もなく5時間が経ちます。そろそろハルゼー艦隊がマイヅルの沖合50浬に出る頃です。いよいよですね……」
『通報艦77号艇より緊急信“我、東進中の日本艦隊を発見す”』
「来たかっ!」
行儀悪く、椅子に前後逆に座り、その背もたれ部分に顎をのせて、待ちくたびれていたハルゼーは、待望の報告に口笛を吹き破顔する。
……そして、気が付いた。
「おい、ちょっと待て。通報艦77号艇とは、どこの艦隊に属しているフネだ?」
『合衆国海軍第13海軍区所属。哨戒担当区はミッドウェーの北西海域です』
2010年1月14日 誤字及び文章推敲により一部訂正。