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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
44/111

第44話 聖域1924 (2)


……政治家も、軍人も、新聞記者も異口同音に、我が国の軍備は決して他国を侵略する目的ではないと云う。

勿論、そうあらねばならぬ筈である。

私も、我が国の軍備が、他国を侵略する目的で蓄えられている…とは思わない。

しかし、私が常に疑問に思うのは、他国を侵略する目的がないとすれば、他国から侵略される恐れのない限り、我が国は軍備を整える必要が無い筈なのだが、一体、どこの国から我が国は侵略される恐れがあるのだろうか?と云うことについてである。

以前、それはロシアだと云っていた。

今、それを米国にしているらしい。

果して然らば、私は更に尋ねたい。

「米国にせよ、他の国にせよ、もし我が国を侵略するとすれば、一体、どこを占領しようというのか?」と。

思うに、これに対して誰も、彼らが我が日本の本土を占領に来る、とは答えないだろう。

そもそも、日本本土の如きは

「ただでくれてやる」

と云われても、誰も貰い手が無い様な代物である。

されば、もし米国なり、或はその他の国なりが、我が国を侵略する恐れがあるとすれば、それは我が国の海外領土に対してであろう。

否、これらの土地さえも、実は、余り問題にはならないのであって、戦争勃発の危険が最も高いのは、むしろ、支那やシベリアである。

我が国が、支那やシベリアを縄張りにしようとする、米国がこれを妨げようとする。

或いは、米国が、支那又はシベリアに勢力を張ろうとする、我が国がこれに対し、そうはさせまいと手を出す。

ここに戦争が起る。そしてその結果、我が海外領土や本土も、敵軍に襲われる危険が起るのである。

されば、もし我が国にして支那又はシベリアを、我が縄張りとしようとする野心を棄てるならば、そして満州、台湾、朝鮮、樺太等も一切、必要でない、と云う態度に出るならば、戦争は絶対に起らない。

従って、我が国が他国から侵略されると云うことも決してない。


政治家も、軍人も、新聞記者も

「これらの土地を我が領土とし、若しくは、我が勢力範囲として置くことが、国防上必要なのだ」

と国民に説くが、実はこれらの土地を、領土としたり、勢力範囲に置こうとしたりするからこそ、国防の必要が起るのである。

それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起った結果ではない。

しかるに世人は、この原因と結果とを取違えておる。


世人曰く「台湾、支那、朝鮮、シベリア、樺太は、我が『国防の垣根』である」と。

だが、敢えて言おう。

この『国防の垣根』こそが、我が国にとって最も危険な『燃え草』なのである。


――― 大正十年七月三〇日付 東洋経済新報「社説」 石橋湛山 『大日本主義の幻想』 より意訳抜粋引用 ―――


 この時代、所謂『オレンジプラン』は存在しない。

1919年に指針が示された同プランはいまだに研究段階であり、正式な策定はこの年6月の事であり、海軍内部の高級将官への開示である艦隊布告はさらに遅れて8月の事である。

当然ながら、この時点において将来を嘱望される俊才とは言うものの、立場的には海軍の一中堅士官に過ぎないキンメル以下は、プランそのものの存在すら知らされていない。


 また、オアフ島真珠湾は未だ軍港としての本格的な機能を備えておらず、工廠設備や司令部機能なども存在していない。

無論、オアフ島自体、中部太平洋最大の商業港であるからして補給面における海軍の重要拠点、策源地である事に変りは無いが、合衆国海軍太平洋艦隊司令部は依然としてサンディエゴに本拠を構えており、その主力は西海岸各港に点在している状況だった。




告 想定状況 

開戦状況は、中国市場における占有的支配権を巡る外交交渉難航によるものとし、

開戦日時は、1923年12月8日に発生したる上海市街地における暴動を発起点とし、合衆国東部標準時1924年1月1日午前零時をもって日本側からの最後通牒通告による開戦とする。

戦争目的は、日本の外征能力を喪失せしむる事とし、

作戦目標は、日本側海上戦力の永久的無力化をもって、その完遂とみなす。


一、開戦時、諸外国の外交的位置づけは以下の通りとする。

英国及び大英帝国各自治領、日本国に対し好意的中立。警戒厳なるを要するものとするが、加国の動向に関してはこの想定から除外するものとする。

中国、内戦状態。

ソ連、中立。

仏国、日本国に対し好意的中立。

蘭国、米国に対し好意的中立。

独国、中立。

伊国、中立。

中南米諸国、米国に対し好意的中立。

諸外国の外交的位置づけは、それぞれ各判定官の判断及び所定係数表により、これを変動しうるものとする。


一、米日両国の投入海上戦力は以下の通りとする。

米国側…戦艦18隻、巡洋艦17隻、駆逐艦180隻、潜水艦45隻、各種支援艦艇200隻。

日本側…戦艦10隻、巡洋艦19隻、駆逐艦45隻、潜水艦50隻、各種支援艦艇100隻。

尚、各個艦性能については所定係数表に則り、その戦闘性能を算出するものとする。


一、米日両国の想定投入陸上戦力は以下の通りとする。

米国側…初動陸軍25個師団、海兵隊3個師団。最大陸軍50個師団、海兵隊5個師団。

日本側…初動陸軍20個師団。最大陸軍30個師団

尚、1個師団あたりの継戦能力は米日同等とし、所定係数表に則り、その戦闘性能を算出するものとする。


一、米日両国の想定商船総トン数は以下の通りとする。

米国側…1500万トン。但し、太平洋方面初動600万トン。

日本側…400万トン。

尚、中立国船舶による海上輸送は可。但し、臨検、無制限海域設定等による阻害行動は可とし、所定係数表に則り、その確率を算出するものとする。


尚、海陸両戦力の初動配置は所定の規約に従うものとする。


以上。





 1923年12月8日に突如、勃発した所謂『上海暴動』が呼び水となり、日本政府は居留民保護を名目として即座に同地への派兵を決定、これに対し、列強各国もそれぞれの租界に住まう自国民保護の為、共同歩調をとる事となった。

米国はフィリピンに駐箚していた海兵1個大隊の派兵を決定、英国、仏国、蘭国もそれぞれが香港や広州湾、蘭印より1個大隊相当の兵力を上海に展開せしめるべく活動を開始した。


……と、ここまでは良かった。

しかしながら暴動の最も深刻な被害者であり、最も多くの居留民を有する日本政府が、暴動の首謀者が米国租界に逃げ込んだ、との不確定情報を得た事が事態を暗転させる。

 日本の派兵部隊である海軍特別陸戦隊は直ちに米国租界を包囲し封鎖、日本海軍遣支艦隊は上海沖合に展開し、全ての外国船舶の入出港を拒否する旨を布告した。

多くの自国民を暴動の渦中、殺害された日本軍は完全に殺気立っており、封鎖した米国租界の出入りを厳しく取り締まり、明らかに無関係と思われる白人男性の衣服を公衆の面前にて脱がし、その身体検査を行う事までして、恫喝的に米国領事館に対し首謀者引き渡しを求めた。

上海市内は暴徒が荒れ狂い、最後の砦たる租界は日本軍による重囲下。

頼みの綱の米国アジア艦隊と海兵隊は、遣支艦隊の威嚇の前に、上海沖合にて待機状態。

首謀者を引き渡したくとも、その存在すら確認できない米国領事館。

懇願する米国領事の言葉に耳を傾けず、声高に己が主張を曲げない日本軍指揮官は、遂に業を煮やし、租界への給水弁を閉鎖、その水の手を絶った。

破局は当然だった。


給水切断。

この報を受けた米国アジア艦隊は、最早、一刻の猶予も成らず、として海上封鎖行動中の遣支艦隊を実力で排除し、上海港湾部への艦隊突入と米海兵隊揚陸を決意する事態となる。

大局的に見れば、小さな分艦隊同士の小競り合い。

時が時であれば、現場指揮官同士の話し合いで容易に解決できるレベルの問題が、転がる雪玉の如く、見る見るうちに巨大化し、複雑化していく。

米国東部標準時1923年12月31日午前零時。

大日本帝国は、アメリカ合衆国に対し、首謀者の24時間以内の引き渡しを求める最後通牒を提示した。




 日本側の最後通牒を受けて、合衆国太平洋艦隊の主力は、既定の作戦計画に従い、サンディエゴ軍港へ続々と集結しつつあった。

艦隊主力を構成するのは、40センチ連装4基8門を搭載する合衆国海軍最強の戦艦コロラド、メリーランド、ウエストバージニア、その前級で36センチ3連4基12門を搭載する戦艦テネシー、カリフォルニアの通称『ビッグ5』と、これに次ぐ戦力と見なされている36センチ3連4基12門を装備するニューメキシコ、ミシシッピ、アイダホの計8隻を中核とした艦隊であり、ハズバンド・キンメル直卒指揮の下、最終整備に余念がない。


 この主力艦隊とは別に、キンメル艦隊の分遣隊として36センチ砲3連4基12門搭載のペンシルバニア、アリゾナ、同じく3連2基、連装2基の計10門の36センチ砲を装備するオクラホマ、ネバダを中核とした艦隊がパナマ沖合に遊弋しつつ、大西洋艦隊の来着を待つ。

太平洋艦隊としては、初戦においてパナマに奇襲を受け、その閘門が破壊される事を何より恐れざるを得なかった。

もし、大西洋艦隊がホーン岬を回らねばならない事態が起きれば、一時的に日米間の海上戦力はほぼ拮抗し、最悪の場合、各個撃破されるという可能性すらありうる。

日米開戦の初動段階、パナマは最重要戦略目標として聳え立つ。


 一方、トーマス・キンケイドが指揮する大西洋艦隊は、その主力を構成する36センチ砲10門を搭載した戦艦ニューヨーク、テキサス、30センチ砲12門を搭載するアーカンソー、ワイオミングの4隻を開戦と同時に、東海岸に点在する其々の母港から出港させ、暫時、カリブ海において会同、大西洋から太平洋へと新たな戦場を求め、疾駆する。

このキンケイド指揮の4隻の戦艦が無事、太平洋方面に到着する事により、日米間の戦力差はほぼ2対1と隔絶し、その完全なる勝利に大きく一歩、近付く事となるだろう。


 最前線部隊という大役を急遽、求められたレイモンド・スプールアンス指揮下のアジア艦隊は、合衆国海軍最古参の旧式戦艦フロリダ、ユタの両艦を中核に巡洋艦、駆逐艦多数を従え、想定される日本艦隊の南下に備えつつ、太平洋艦隊主力の西進に呼応する構えを見せている。

 既に上海沖合に待機していた駆逐艦、砲艦を中心としたアジア艦隊分遣隊は日本海軍遣支艦隊と交戦、これを排除。多数の損傷艦、沈没艦を出しつつも、所要の目的である居留民の保護には成功し、艦隊はマニラに帰港した。

 しかし、このアジア艦隊に課せられた最大の役目は、中国市場の単独支配を狙い、日本と呼応して米国撃攘に動く可能性が大なる大英帝国に対する抑えである。

既に外交情報として、アジアにおける大英帝国の海上戦力、即ち香港戦隊、東インド戦隊、オーストラリア戦隊は平時編成を解隊、戦時編成に移行し、その最大の拠点・シンガポールにおいて東洋艦隊を編成した、との通報があり、現状、日英両国に挟撃を受ける可能性が高まっている。


 中部太平洋最大の商業港にして策源地、真珠湾に、ウィリアム・ハルゼーは指揮下の艦隊と共にいた。

彼自ら『スタンピード(大暴走)』と名付けた艦隊は、多数の巡洋艦、駆逐艦により編成されており、その数は太平洋艦隊の半数にも及ぶ。

彼の役目はただ一つ、太平洋艦隊の先遣部隊として、突出してくる日本海軍をその機動力により翻弄し、叩き潰す、それのみだった。


 リッチモンド・ターナーはサンディエゴにいた。

海兵隊3個師団を直卒し、陸軍を含めた強大な陸上戦力を一元指揮する彼は、多数の揚陸艦艇とその護衛艦艇を合わせて指揮下に有している。

大きいがタレ目で、一見すると如何にも優しげな風貌を持つ彼であったが、“ザ・テリブル(悪鬼)”の異名に恥じぬ猛将であり、目的の為ならばどんな手段も辞さない覚悟を持つ、意志の強い軍人だった。

 日本本土へと連なるマーシャル、トラック、マリアナ、ボニンの各諸島では激しい抵抗が想定されており、その占領作戦を指揮する彼には、損害を恐れないだけの冷徹な意志の強さが何より求められる事になるだろう。


 1月1日午前零時を期して、日本海軍によるグアム、フィリピンへの攻撃に備えた合衆国海軍であったが、完全に肩透かしを食らった形になり、開戦1カ月を経ても日本海軍に大きな動きは無く、その戦艦10隻を主力とした艦隊の所在は杳として不明のままだった。

この間、キンケイドの大西洋艦隊主力はキンメルの太平洋艦隊とサンディエゴにおいて会同、ターナーの両用戦艦隊も続々とその船腹に海兵隊員や陸軍兵、多量の物資を呑み込み続け、侵攻作戦の開始に向けて準備を整えつつあった。


「日本の連合艦隊は、あくまでも自国近海における邀撃に固執する…という事だろうか」

合衆国海軍を束ねる立場にある最先任のキンメルが呟くと、次席指揮官であるハルゼーが受け応える。

「その判断はまだ早いだろう。しかし、我が両洋艦隊が一度、集結してしまえば、日本海軍との戦力差は隔絶している。彼らとしては、最良のタイミングでの一撃に全てを賭けてくる、と見るべきだろう」

「では……やはり、我が艦隊の隙をついて各個撃破を狙ってくる、と考えておこう。

 諸君、それでは既定の作戦方針に従い、我がキンメル艦隊、それにキンケイド、ターナーの艦隊はサンディエゴを出港、暫時、真珠湾に集結する事とする。ハルゼー、君の艦隊は、真珠湾から出撃し…」

「分っている。マーシャルからトラック、パラオと打通し、スプールアンスのアジア艦隊と会同すればよいのだろう? 任せておけ」

「うむ、では作戦発動は2月10日とし、作戦終了予定は4月末日とする。侵攻作戦の総指揮はハルゼー、君が執りたまえ。ターナー君にはその補佐役を頼みたい」

「御言葉ですが、”スタンピード”は巡洋艦と駆逐艦。確かに高速機動を発揮できる艦隊ではありますが、上陸時の火力支援として不安が残ります。せめてアーカンソー、ワイオミングの両艦を我が艦隊に回してもらえませんか?」

「よかろう。キンケイド、君の大西洋艦隊から両艦を引き抜く。代わりに私の分艦隊の指揮を君に委任しよう」

「結構です」


 軽快な高速艦艇によって編制されたハルゼーの率いる打撃艦隊は、日本海軍による襲撃を警戒しつつ、海兵隊による上陸を支援すべく、2月18日にはマーシャル沖合にその姿を現した。

ハルゼー艦隊はここで諸島外苑に並ぶラタック列島線のマロエラップ、ミリ、ウオッゼの攻略支援艦隊と、内苑のラリック列島のエニウェトク、クエゼリンの攻略支援艦隊に艦隊を分けると、それぞれの攻略予定環礁に激しい艦砲射撃を加え、この初動作戦を同月24日には無事、終了させる事に成功した。

2月20日、マロエラップ無血占領。

2月21日、ミリ、ウオッゼ無血占領。

2月22日、エニウェトク無血占領。

2月24日、クエゼリン無血占領。

連合艦隊、出現せず。


「無血占領だと? 在地守備隊は存在せず、現住島民も不在。その上、日本海軍は出撃せず……か」

一座の最年少であるキンケイドが如何にも、意外な展開だ…という表情を見せつつ呟く。

「最初から放棄するとは大胆だな。当然、ハルゼー艦隊を叩きに出てくると思ったが……東郷の方針は、やはりあくまでもボニン海域、或いはマリアナ海域での艦隊決戦という事でしょうか?」

日本海軍風に言うと「潮っ気」のたっぷりある海焼けしたターナーもその発言に同意する。

「いや、マリアナの線は無いでしょう。マリアナで邀撃するつもりならば、グアムを攻略しない訳がありません」

アジア艦隊という、一種の捨て石艦隊を指揮するスプールアンスが即座に否定する。

「敵の主力艦隊の出撃情報は? まだ、入っていないのか?」

「アジア艦隊隷下の潜水艦部隊に全力をあげて捜索を命じておりますが…いまだに。恐らくはクレないしヨコスカに集結したまま、動いていないと思われます。」

「どっちにしろ、確定情報が欲しいな。今後は潜水艦にはやはり、艦載偵察水上機を載せるべきだ。潜水艦が夜間、軍港に近付いても潜望鏡だけでは、何とも心もとない」

「いや、むしろ、行方の知れない日本艦隊の主力よりも、潜水艦による襲撃や、高速艦艇による強襲を警戒すべきだ。日本海軍の狙いは、補給線が伸び切ったところでの兵站寸断ではないだろうか? ただでさえハワイ・マーシャル間は広大過ぎて補給部隊を警護しきれん」

「ふん。ならば、日本海軍が想像も出来ないほどの飽和攻撃を仕掛けるべきだ。あっちもこっちも火が点いては、手持ち戦力の少ない日本海軍としては、ご自慢の戦艦部隊まで投入せざるを得なくなるだろう。そこを叩く。スプールアンス、君の艦隊でパラオを叩けるか?」

ハルゼーの問いにスプールアンスは頷く。

「よし、予定より前倒しになるが、我がハルゼー艦隊も補給整備の後、3月10日頃には稼働戦力が回復するだろう。どうかな? キンメル」

「よかろう。但し、ターナー艦隊の護衛と支援にはキンケイドの大西洋艦隊を差し向ける。君は、あくまでもフリーハンドで自在に動きたまえ。我が太平洋艦隊は日本艦隊主力の出撃情報が入るまで、ここ真珠湾にいよう」


3月10日、キンケイド艦隊のマーシャル諸島到着を期して、同地において艦隊整備が終了したハルゼー艦隊が西進を開始する。

同日、優勢な日英艦隊との直接対決を避け、レイテ湾に息を潜めていたアジア艦隊の巡洋艦、駆逐艦部隊が東進、パラオ方面の制圧に動き出す。

一方、真珠湾に引きこもったキンメルは、ハワイ、ミッドウェー、ウェーク周辺に通報艦多数を配置し、日本海軍主力による強襲攻撃を警戒、キンケイド艦隊と合流したターナー艦隊は、最終整備後、第二段階目標であるトラック、パラオの攻略に向け動き出す。

ここに、合衆国海軍5艦隊全てが積極的に日本艦隊を狩るべく動き出した。


 英国東洋艦隊及び連合艦隊に備えなくてはならないアジア艦隊は2日後の12日には、パラオ諸島沖合に進出、激しい艦砲射撃を加え、その港湾設備を粉砕、港湾としての機能を失わせると素早く一撃離脱し、再びフィリピンへと舳先を返す。

 対して、ハルゼー艦隊は3月14日にはトラック諸島に出現、予見される連合艦隊の邀撃に備えながら、防御砲台の想定位置に対して間断なく砲撃を行いつつ沖合を遊弋、17日、キンケイド艦隊の擁する6隻の戦艦による十分過ぎる火力支援の下、ターナー艦隊が上陸、海兵隊1個師団が攻略を開始する。


3月12日、パラオ諸島港湾機能喪失。

3月17日、トラック諸島 無血占領。

3月24日、パラオ諸島、無血占領。

再び、連合艦隊、出現せず。



「ど、どういう事だ!?」

日本海軍連合艦隊が、その姿を見せないままである事に心底、困惑した様子のターナーが答えを求めてキンメルを見つめる。

キンメルとて返す言葉は無い。

最初の餌はスプールアンスのアジア艦隊だった。

二番目の餌は突出させたハルゼー艦隊だった。

三番目の餌は、両者に加えてキンケイド艦隊だ。

連合艦隊が、そのどれかに喰らいつけば、いずれにしろ無傷では済まない。

その手負いの連合艦隊を無傷のキンメル直卒艦隊の戦艦8隻が仕留めるべく登場する……筈だった。


「クックックククク……」

突然、ハルゼーが腹を抱えて笑い出した。

彼は校内においては禁制品である葉巻をポケットから取り出すと、これを誰憚る事もなく咥え、目の端に涙をためながら笑う事を止めない。

「どうしたのだ? ビル」

アナポリス同期のキンメルが、友人の突然の変貌に驚き、問い掛ける。

「どうしたって、バズ、分らんのか? 軍神などと煽てられてはいても、東郷は所詮、アジアの隅っこにいる田舎提督だ、って事だ。彼らが誇る伝説の“ツシマ沖海戦”だって、たまたまラッキーパンチが当たっただけの話しだったんだろう。こりゃあ、傑作だ」

涙を拭いながら、笑い転げるハルゼー。

 ハルゼーとは性格的に一番近いターナーが笑みを浮かべ、それに最年少のキンケイドまでもが、その笑いに追従するかの如く、片頬に笑みを浮かべる。

 スプールアンスは眉毛を顰め、軽く左右に首を振り、キンメルは友人の口が過ぎている事に不快感を表明するかの様に咳払いし、話題を変える。

「日本は英国の参戦に期待している……その可能性は?」

「外交情報によれば、英東洋艦隊は依然としてシンガポールに集結したままです。このまま大勢が日本必敗に流れれば参戦確率は下がり続けるでしょう」

「英国参戦が遠のくのであれば、日本海軍は一体、何を待っているのだ?」

最早、遠慮する必要も認めないハルゼーは葉巻に火を点け、吐き捨てる。

「奴らは単に手も足も出ないのさ。大西洋艦隊が太平洋艦隊と合流し、アジア艦隊との連絡線を確保してしまえば、戦力差は圧倒的だ。彼らにあった勝機は唯一、各個撃破の可能性のみ。それを逃したんだからな」

「それは分るが……だが、何もせず敗戦を認めるなどという事があるだろうか?」

「バズ、お前は敵を買いかぶり過ぎている。自分の名誉を守る為に、勝負から逃げて、単に負けない方策を練るしか能の無い腰抜けなんだ。勝利を手に入れる為に、万分の一の可能性に賭けてみる勇気の無いただのヨボヨボのチキン野郎って事だ」

「私も、その意見に同意致します」

「残念な事ではありますが、小官も……」

ターナー、そしてキンケイドも頷く。


「いずれにしろ、我々としては艦隊を前に進めるのみしかありません。既にハワイから、フィリピンにかけての連絡線を確保し、日本列島を南から半包囲する態勢を整えたのですから、後はマリアナ、ボニンと北上するのみ。

日本海軍が当初からボニン海域を決戦場に選択する可能性は予てより指摘されていましたので、ここまでの後退も十分頷けます。但し、一度も戦闘行動をしないまま……というのは想定されていませんでしたが」

沈黙を守っていたスプールアンスが、躊躇いがちに発言すると、キンメルが頷く。

「……よし。確かに東シナ海辺りを決戦場に想定されるよりはありがたい。同海域は中立国船舶もかなり航行しているから、巻き添えでどんな偶発事故が起きるかもしれん。それに中国の間近で大砲を撃ち合えば、不用意に英仏を刺激しかねない……。

 では、諸君。最終局面に向かおう。想定決戦海域はボニン諸島沖合。想定敵戦力は戦艦10、巡洋艦19、駆逐艦多数。

 各艦隊は4月末までに艦の整備並びに乗組員の休養を完了させるように。スプールアンス君、君の艦隊は二分し、一隊は想定海域に先着し、敵情の把握及び予想される敵潜水艦勢力の制圧、もう一隊には、中立国船舶への臨検活動の徹底をお願いしたい。日本への物の流れを何としてでも止めるんだ。

 キンケイド、君の艦隊と私の艦隊とで合流し、共に想定海域まで北上しよう。

 ビルとターナーは、マリアナ及びボニン諸島における敵勢力の駆逐してくれたまえ。最早、占領する必要もないだろうが……。作戦発動は5月1日、以上だ。今度こそ日本海軍は出てくるぞ」

「よかろう、長官殿。アイアイサー」

ハルゼーは、この期に及んで慎重で、謹厳な姿勢を崩さない友人を茶化しつつ、紫煙を大きく吐き出した。




「……俺にはもう、何が何だか分らん」

そう、呟いたのはキンメルだった。

開け放たれた窓から海風が吹き込み、これが程良い潮の香りを運んできており、彼の鼻腔を満たす。

どちらかと言うと肥満体の彼は、長時間、立っていることが辛い。

しかし、海の香りがいつも彼をリフレッシュしてくれるし、それがどんな激務であっても、潮風を感じられる限りは、どんな軽いデスクワークよりも疲れを感じない。

今、キンメルの双眸にうつる海に、連合艦隊は見えない。

その気配すら感じない。

ただの一隻の水上艦艇も姿を見せない。

日本海軍の出現まで、手持無沙汰となったターナーとハルゼーは、まるで暇つぶしとばかりに命令に無いマリアナ諸島のサイパン、テニアンやボニン諸島の父島、母島を攻略、占領していた。

いずれも無血占領。

人っ子一人いない。


「日本海軍が、ここまで艦隊保全主義に徹するとは……」

知恵者の誉れ高いスプールアンスでさえも、この想定外の事態に絶句した。

戦意旺盛なハルゼーとターナーにしても、次にうつべき手が思い浮かばない。

「……日本本土に侵攻しなくてはならないのか?」

キンケイドが、その事実を、さも恐ろし気に口にし、その言葉にキンメルが天を仰ぐ。

「それは……不可能だ、キンケイド」

憮然とした表情で葉巻を揉み消したハルゼーが、先程までの上機嫌とは打って変わった声音で呟く。

「日本海軍も、日本陸軍も全て一兵残らず、無傷なんだ。恐らくは日本本土に上陸は可能だろうし、日本側の意図もそこにあるのだろう。だが、日本海軍が存在している以上、上陸した部隊への補給が寸断される可能性は常につきまとう。そんな場所に兵を降ろす訳にはいかん」

「その通りだ。日本海軍が我が艦隊との乾坤一擲の勝負に出て、もし、それが一時的にでも成功してしまえば……孤立無援となった上陸部隊は全滅するしかないだろう」

ハルゼーの言葉に、陸上兵力を預かるターナーは、己のコメカミを親指と中指で揉みほぐしながら、疲れた表情を浮かべつつ同調する。

「こんな馬鹿な戦略があるか!? 敵の上陸を防ぐべき艦隊をクローゼットの隅にしまい込んで、自国の領土を進んで焦土とする様な……」

若いキンケイドが絶叫にも似た声を上げると、キンメルが義弟を諭す。

「別に奇な事ではあるまい。欧州大戦では、戦場となった国は軒並み焼け野原になった。計画的な民間人の避難計画さえ立てられ、実行に移す事が可能であれば、特別、異例な作戦とは言えない……言えないが……並みの覚悟で出来る事では無いのも確かだ」

「沿岸部の都市に対する砲撃はどうですか? 日本艦隊を首尾よく釣りだせないでしょうか?」

釈然としない様子のキンケイドが発した言葉を、聞き咎めたハルゼーが冷ややかな視線と罵倒を叩きつける。

「軍人を誘き出す為に民間人を殺すだと? 貴様が死ね、このクズが!」


「そうだ、日本国民が生存するのに必要な物資はどうなっているのだろう? 既に開戦から半年、何かしらの支障が出てきてもおかしくは無いはずだが」

「そう言われれば……物資の輸送はどうなっている? 日本へ渡航する商船への無制限潜水艦戦宣言は発動したのだろう? 中立国船舶に対する臨検状況は?」

「無意味だ」

ターナー、そしてキンケイドの縋る様な言葉を、スプールアンスはあっさりと否定し、言葉を継ぐ。

「最初から篭城戦を覚悟し、短期決戦を志向する限り、食糧に鉄、燃料類の海上輸送を止めたところで事前備蓄が行われてさえいれば、さして苦痛には感じない筈だよ。戦艦を造ってもどうせ戦争には間に合わないと分っていれば、その様な無駄な事に労力は誰も使わない。どうしても必要ならば古い商船をスクラップにすれば、十分な鉄は得られるし、熔解し精錬するのに必要な程度の量の石炭ならば日本国内でも産出している筈だ」

コーヒーカップの冷めた褐色の液体を喉に流し込みつつ、スプールアンスは更にダメ押しをする。

「それに、南方からの物流を如何に止めようとも、全く無駄な話だった。ソ連が中立でいる限り、必要物資は、いくらでも北から手に入る。まぁ、高くはつくだろうがね……」

スプールアンスの言葉に、ターナーが頷き、キンケイドも、キンメルも、そしてハルゼーも、ようやく目線を弓なりの日本列島、その奥に広がる青い海原に送り、呻くように呟く。

「天皇の風呂桶……か」



「日本海か……。正しく聖域だな、日本海軍にとっての」

キンメルはその口調に大いなる畏怖の念を込めてはいるが、その言葉は重く、その表情は暗い。

「なぁ、バズ…。これは、アドミラル・トーゴーからの招待状だと、考えるべきなんじゃないかな」

ハルゼーが両の指関節を鳴らしながら呟く。

「姿を見せない日本海軍は、日本海にいると?」

スプールアンスが、脂汗の浮かんだ顔を掌で撫でつけながら、ハルゼーの判断を確認する。

「恐らくはマイヅルだ。それ以外、考えられるか? アドミラル・トーゴーは最初から我々をもてなすステージを用意してくれていたのさ。彼は我々と、彼の聖域における決戦を望んでおられたのだ。まったく、先に一言、言ってくれれば余計な手間などかけずに済んだ物を……」

「危険ではありませんか? 日本海の出入り口はツシマ、ツガル、ソウヤ、マミヤの四海峡のみ。そのうち、ソウヤとマミヤは海峡幅が狭く、大艦隊の航行には全く不向きです。ツシマ、ツガルの二海峡は航行には問題ないと思われますが……」

「問題ない。いずれにしろ、このまま日本海軍が存在している状況では、日本本土への侵攻作戦は不可能だ。それに、この作戦の目標が日本海軍の永久的無力化である以上、日本海軍に決戦を強要しない訳にはいかないだろう」

ハルゼーの主張に、キンメルが諦めた様な表情を浮かべる。

「よかろう。但し、艦隊を二手に分けてしまえば、各個撃破の可能性を生み出す。ここは、全艦隊一丸となって侵攻すべきだと思うが、どうだろう?」

「構わん。但し先陣は俺が切る。文句は無いな?」

大きな両眼で、同輩達を一人ずつ、まるで噛みつく様な表情を浮かべつつハルゼーが問い質す。

「いいでしょう」

「異存はありません」

「お任せします」

「私は止めても無駄だと思う事は、止めない主義だ」

キンメルが、最後に頷き、一同に宣言した。

「さあ、諸君。行こうではないか、神の待つ聖域へ」


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