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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
41/111

第41話 溺愛の代償

東京・三宅坂 

陸軍省 大臣公室


「入りたまえ」

公室の入口扉をノックする音に、陸軍大臣・秋山好古元帥はソファに座り、手にした書類の束に目を落としたまま、そう応じた。

「陸軍次官・渡辺、入ります」

どことなく、のんびりとした声とともに、秋山に劣らぬ巨躯肥満体の渡辺錠太郎少将が入室する。

「あぁ……忙しいところ、すまんね」

秋山は、ずり下がった老眼鏡の上から、少しばかり上目づかいに渡辺を見ると、顎で目の前のソファに座る様に促す。

 秋山は、酒を飲んではいない様だ。

もっとも、秋山にとって酒は飯の代わりであり、呑んで酔う様な便利な代物ではない。

「火急のお召しと聞き及び、参上いたしました。如何されましたか?」

「あぁ…古い書類を整理していたら、ちょっと面白いものを見つけてね。渡辺君にも見せてあげようかと思ったんだ」

そう言うと、秋山は山と積まれた書類の中から1部の冊子を渡辺に渡した。

その冊子の表紙には

「内外国策私見・考」

という達筆だが無骨そのものの様な筆文字が大きく躍っており、日付は大正九年十月十五日となっている。

渡辺は、その冊子を目にすると、一瞬、ギョッとした様な顔をしたが、

「大正九年と言うと……原首相の頃ですか。陸相は田中大将ですね。原首相が暗殺されたのが、この翌年の十一月。……という事は、この頃は原内閣の全盛期そのものでしたね。拝見します」

と言うと、懐から老眼鏡を取り出し、持ち前の速読術を持って読み進める。

この「内外国策私見・考」と題する冊子は、冒頭に「内外国策私見」と題する提言が配され、その後、参謀本部と陸軍省が其々の立場から、この私見に対する意見書を付託する…という三部構成になっており、冒頭部分の論者は、当時の蔵相で、現東郷内閣においても蔵相を務めている高橋是清。

そして、この提言を受けたのは、時の総理大臣・原敬。

 ここで高橋是清が論じたのは、『農商務省を再編し、農務省、商工省に分割』、『対支外交の見直し』、そして何より『陸軍参謀本部の廃止』というものだった。


 当時は、シベリア出兵の時期であり、原政権は諸外国の圧力と不信感に耐えかね、国際協調の気運に従うべく即時撤兵を宣言したのだが、時の陸軍参謀総長・上原勇作はこれを完全無視、現地陸軍部隊に対し戦線の延伸と更なる占領域の拡大を指示し、東シベリアを日本の勢力圏下に置く事によって将来の杞憂、その一切を伏滅すべくひた走った「元帥ご乱心」の時代。

 当然、諸外国は、政権の言い分と、陸軍の行動が正反対な日本政府に対する不信感を強めており、当初、出兵の共犯者であった筈の米国までもが自国の撤兵を機に態度を豹変、

「日本政府は二枚舌である」

と断じ、日英同盟により、まるで日本の行動を追認するかの様な態度をとっていた英国政府を厳しく非難、日米両国の板挟みにあった英国が対応に苦慮する……という世界情勢であり、無論、この時の日本政府に対する不信感が、後のワシントン会議における米国の基本方針「対日包囲網構築」へと繋がったのだ。

 高橋の私見は、閣僚の一人として、勝手な行動をする陸軍、というよりも統帥権をたてに自儘な所業を繰り返す上原勇作率いる参謀本部への激烈な不快感をあらわしたものであり、提出された原敬にしても、これは

「我が意を得たり」

の心境であった事は疑い様もない。

 また、内閣の一員として、閣僚会議の度に同輩閣僚陣から難詰され、矢面に立たされる羽目となっていた田中陸相でさえ、何かというと統帥権に帷幄上奏、更に己の辞任までをも、ちらつかせて内閣を嘲弄する上原に対し

「辞めるなら、辞めてしまえ!」

と声を荒げたことも一度や二度では無かったという。

もっとも、シベリア出兵自体、上原と田中が手を結び、山県の反対を押し切ってまで断行した、という経緯によるものではあったのだが……。


 ものの数分で読み終えた渡辺は無言で、冊子を卓上に置くと秋山の顔をじっと見つめる。

「高橋さんは、あの顔で存外、恐ろしい事を考えだすものだな。今では高橋さんと毎日の様に顔を合わせるが、これっぽっちも、陸相である俺にこんな昔話をした事がない。やっぱり、あの人は狸だな」

「……」

秋山の言葉を黙って聞き入り、全く反応を示さない渡辺の態度に、元来、短気な秋山が言葉を荒げる。

「とぼけるなよ、渡辺君。君もいっぱしの狸だな。この私見、参謀本部回覧である以上、四部長だった君が知らぬはずはないだろう」

「えぇ、勿論知っておりますが……?」

「知っていて、私に黙っていたのかね? 高橋蔵相とは陸軍に対し、これこれこう言うお考えをお持ちの方です、御注意されたし……ぐらいの助言があってしかるべきだろう。君は陸軍省の次官じゃないか」


 渡辺は困惑していた。

目の前の、恐らくは日本陸軍屈指の戦将として奥保鞏元帥と双璧を成す秋山に、なんと言って説明しようか……と考え、答えあぐねてしまったのだ。渡辺は、しばしの沈黙の後、

「……あの、秋山閣下、高橋蔵相が総裁を務めておられる政友会の政策綱領を御存知でしょうか?」

と問い掛ける。対して、秋山は即座に吠え返す。

「馬鹿な。この秋山は帝国軍人だ。政治家の主張など知る訳がない。軍人勅諭にも“世論ニ惑ワズ、政治ニ拘ラズ”とあるじゃないか」

「……なるほど」

秋山は思わず、ため息をこぼす。

「……なんだ? 何が“なるほど”なんだ?」

酒焼けした赤ら顔を更に朱に染め、自分を睨みつけてくる秋山の視線を真っ向から受けた渡辺は、この瞬間、この人の為なら死んでもいい…と思えるほどに、この武辺そのものの上司を愛した。


「政友会の政策綱領に、こうあります。

“帷幄上奏を廃し”“軍部大臣文官制の導入を推進する”と。

突き詰めるところ、政友会、いや正確に言うのなら高橋総裁、横田幹事以下の政友会主流派の考えは

“参謀本部を陸軍省の、軍令部を海軍省の所掌下に置いて、陸海大臣に文官を任じる”

というものなのです」

「……」

渡辺の説明に、言葉を失った秋山は、目を丸くし、黙りこくる。

それは実に長い沈黙だった。

秋山の見開かれた双眸は、疑いようもなく

「そんな話は初耳だ」

といった態をあらわしており、その大きな瞳を前にして居た堪れなくなった渡辺は何故か、自分がとても失礼な事を言ってしまった様な気がして

「……すみません。当然、御存知だと思っておりました」

と、輪をかけて失礼な事を口走ってしまう程に長い沈黙だった。


「統帥権はどうなるんだ? 参謀本部は陛下の大権を補弼する組織なのだぞ」

沈黙を破った秋山は、戦場仕込みの怒声で喚き立てるが、渡辺は物怖じせずに淡々と説く。

「陛下の統帥大権は帝国憲法11条、編制大権は同12条によって定義されておりますが、統帥大権即ち軍令を参謀本部が、編制大権即ち軍政を陸軍省が補弼する、というのはあくまでも慣習的に用いられている法解釈でして、帝国憲法以下、あらゆる法令のいずれにも、その様な文言は一文もありません。

言いかえれば、陸軍大臣が軍令・軍政双方の補弼の任にあたっても、何ら法的には問題ありません。帝国憲法55条に“国務各大臣は天皇を補弼し、その責に任ず”となっておりますので……。

要は陸軍省と海軍省がその気になりさえすれば、陸軍参謀本部も海軍軍令部も事実上、その使命を終えるのです」

「……」

「閣下にこのような事を申し上げるのは釈迦に説法でしょうが……プロイセンを範とした我が国の兵制は、軍令と軍政を可分な物である、という考え方に基づいております。しかし、この考え方は、今や完全に時代錯誤であり、それが通用したのは普仏戦争までの話です。

私は、先の欧州大戦の期間中、全期に渡って欧州に駐在し、前線だけでなく後方の生産現場や教育課程など、つぶさに見て参りました。

陸海含めて帝国軍人中、私ほどに欧州大戦を間近に見てきた者はいない……と内心、自負しております。

その欧州大戦が国家総力戦という形態をとった以上、これから先の戦争は全て同様の性質を持つ筈であり、総力戦には前線も後方も存在せず、国家・国民全てが戦争に何らかの形で関与するようになります。

これからの時代、軍政と軍令は不可分な関係であり、両者を分けたところで、縄張り意識が横行し、不要且つ対等な立場や地位が無意味に増えるだけで、無用の組織対立を煽るだけの事です」

「船頭多くして船、山を登る……という事か」

「……少し違う様な気もしますが、まぁ、そんなところです。昨今、諸外国において軍政軍令を可分なものである、と考えている軍隊は、ほぼ皆無だと思いますが」


「馬鹿者。日本と他国は違う。帝国は万世一系の……」

渡辺は日頃の想いを吐き出す様に、あっさりと秋山の言いかけた言葉を遮った。

「秋山閣下、軍政軍令が別々な組織として存在するのも、不遜なものいいですが元はと言えば、どっちとも解釈が出来る様な帝国憲法の満艦飾的な言葉遣いに原因があります。

小官とて閣下と同じく、軍人は政治に拘るべきではない、と考えてはおりますが……」




 渡辺錠太郎の軍人人生を紐解けば、その尉官時代、長きに渡って副官として仕えた山県有朋に辿りつく。

その死に際して、当時、一介の新聞記者に過ぎなかった石橋湛山から「死もまた、社会奉仕」――死ぬ事が日本の為になる――とまで罵られた巨魁・山県有朋。

政党政治を「衆愚政治」と断じて嫌悪し、文武官の採用に際して厳しい試験制度を導入、優秀な人材の登用を積極的に行い、日本独自の巨大官僚機構を育て上げたこの傑物は同時に、誠に皮肉な事に政党内閣の拠って立つ最大の根拠である『天皇機関説』の信望者であり、その最大の庇護者でもあった。

山県の矛盾がここにある。

自らの生涯を「一介の武辺者でござる」と語る事を好んだ山県は、陸海分け隔てなく軍そのものを愛したが、その恋慕の情が余りにも強過ぎ、政党政治から軍を守る為に「軍部大臣現役武官制」という誠に厄介な制度を産み落とした。

法案制定時、総理大臣を務め、その全盛期と言って良い時期に在った山県自身、この法案が後年、歪んだ形で大きく発展していくとは考えもしなかっただろう。


軍は他のいかなる機関からも干渉されない。

同時に、軍は他のいかなる機関に対しても干渉しない。


これが、山県の理想とした軍だった。

その為の軍部大臣現役武官制であり、帷幄上奏だった。

この理想が崩れたのが、西園寺内閣の陸相だった上原による「二個師団増設問題」に関する帷幄上奏・陸相単独辞任による内閣倒壊だった。

山県・寺内という巨大権力に対して、山県の寵愛を受けた身ながらも、その支配からの脱却を狙った桂、そしてその対立に便乗した上原という構図が生み出した悪しき先例。

「内閣のやる事が気に入らなければ、大臣を出さずに内閣を潰せばよい」

時に大正元年十二月五日、軍部がその事に気が付いた瞬間だった。


 当然のことながら、二個師団増設問題に端を発した大正政変により、軍部の横暴は国民の批判の的となり、大規模な民衆運動“憲政擁護運動”が沸き起こる。

その先頭に立ったのが犬養毅と尾崎行雄であり、彼らの国民的人気はこの運動により不動のものとなった。

 西園寺内閣倒閣を画策し、その後継首班となった桂太郎が組織した内閣も、この激烈な民衆のエネルギーの前にあえなく崩壊、国民的人気のあった海軍大将・山本権兵衛に大命降下が降り、ようやくにして運動は終息へと向かった…というのが歴史の流れである。




「分っておる。現役武官制をひっくり返して予備役、後備役にまで広げたのが、原さんと組んだその権兵衛さんだ」

「その通りです。この“内外国策私見”を高橋蔵相が提言された当時、原首相も心中、喝采を叫んだでしょうが、山県閣下の威勢を憚って、握りつぶさざるを得ませんでした。そうしなければ、激昂した山県閣下に政党政治ごと潰されてしまう……とお考えになられたからでしょう。時節を待とうとした原首相は、その一年後、凶刃により、志半ばで斃れられてしまいました。

 しかし、もし……語るも不遜な例えですが……山県閣下と原首相の寿命が逆であれば……今頃、原首相は山本閣下と手を組み、海軍を抱き込んで、政友会の政策綱領の如く、参謀本部は陸軍省の内局に逆戻りし、軍部大臣文官制が実現されていた可能性が高いでしょう」

渡辺の意見は正しい。

何しろ、当時も、そして非業の死を遂げ、歴史上の人物となってしまったこの時代においてさえ原敬の国民的な人気というものは、現代の想像を絶する程のものであったし、その与党・政友会は議会過半数を軽く超える270議席を擁し、加えて盟友・山本権兵衛率いる海軍が事実上の与党化……。陸軍が如何に抵抗しようとも、シベリア出兵という大失点がある以上、大勢は遠からず決した事だろう。


「はっきり聞こう。山県閣下はもういない。原首相も鬼籍に入った。……となると、与党の中核である政友会は東郷内閣で、再び、これをやるつもりかね?」

「……それは、小官の如き一介の次官に分る訳がありません。しかし…」

「しかし……何だね?」

「帝国軍人の一員として、この様な事を言うのは心苦しいですが、現状のまま、というのは決して良い事ではないと思われます。理由は、シベリア出兵の一件で、閣下もお分りになられると思いますが……。政戦両略一致してこその総力戦、将が知略を巡らし、兵が前線にて暴れれば勝利する……という時代ではありません。小官としては、帝国百年の為には避けては通れぬ道ではないかと考えます」


 渡辺の言葉に、秋山はソファに身を委ね、小さく頷くと、面前の渡辺ではない誰かに話すかの如く呟いた。

「俺の若い頃は“軍部”なんて言葉、誰一人、使わなかった。政治家も民間人も、いや、俺達、軍人でさえ自分達の事を“軍界”って呼んでいたものだった……」

「軍界」とは「財界」や「政界」「芸能界」「社交界」などと同列の、特定の『業界』を意味する言葉だ。

だが、それがいつしか、まるで一つの意志を持った集団であるかのような「軍部」という表現にとって代わられる様になると「名は体を表す」の諺そのままに、軍は急速に意志を持ち始める。

「なぁ、渡辺君。誤解しないで聞いて貰いたい……この秋山は決して君の意見に賛同した訳ではない。俺の信念は、あくまでも先程言った通り、“世論ニ惑ワズ、政治ニ拘ラズ”だ。だが、同時に“主上”の仰せには無条件に従うつもりだ。そして“主上”の御意志が常に『民意を第一義とせよ』である以上……この秋山、その時には、一身を擲って軍を抑えねばならぬ。その時、俺はどの様に軍を御すべきだろうか?」

「政府による法案提出が行われ、それが帝国議会において可決された…と仮定した場合のお話ですが、軍としては軍の総意により、その決定を受け入れる姿勢を示すべきではないかと思います」

「軍の総意…?」

「はい。海軍さんの場合、軍令部は歴史的に浅い組織ですので、海軍省が完全に実権を握っていますし、軍令部も、そして実動部隊である連合艦隊司令部も異を唱える事は無いでしょう。それに何より、東郷首相に逆らえる海軍軍人など、1人も存在しないでしょうからね」

そこまで言うと、秋山と渡辺は視線を合わせて、特徴的な八の字眉を更に歪めながら、いつも困った様な顔をしている財部海軍大臣を思い浮かべ、どちらからともなく苦笑いを浮かべる。

「我が陸軍に関していうならば、軍事参議院による採決、それも満場一致である事が絶対条件だと思われます」

「満場一致? 過半数ではダメなのかね?」

「ダメです。その場で反対の意志を示した者、その者は間違いなく、若い尉佐官連中に担ぎあげられ、いずれ陸軍と国家に仇名する事になります。“陸軍の最高幹部が一人残らず、同意した”この事実のみが将来の禍根を断ちます」

「満場一致か。難しいぞ、それは……。問題は…」

「はい。奥元帥、上原元帥、長谷川元帥、川村元帥、河合総長、大庭総監、福田大将、町田大将、田中大将、山梨大将、尾野大将、それに秋山閣下の12名の参議院出席者のうち、ご高齢の長谷川、川村両元帥は現在、御危篤。残り10名の内、確実に反対の立場をとるのは…」

「上原とその一党……だろうな」


 秋山は心中、渡辺の発した言葉を鵜呑みにはしてはいない。

彼は良い意味で、古いタイプの軍人であり、故・野津道貫元帥や、陸軍最長老の奥保鞏元帥同様に、純然たる戦将として、政治というものに対しては意図的に距離を置く姿勢を示してきた。

それが秋山の誇りであり、若い者に対する手本のつもりであったのだが、逆にその姿勢こそが尉佐官達からの軽侮を買ってしまう原因ともなった。

これとは反対に、上原は積極的に軍人として政治に対して圧力を仕掛けていった。

更にこれを一歩進めたのが、往年の桂太郎や、現在の田中義一であり、彼らは元帥杖を蹴ってまで政界に身を転じようとしている。

立場が違う。

思想も異なる。

生き方そのものに差がある。

渡辺の言によれば、この冊子が原首相に提出された時、田中自身

「軍部大臣現役武官制復活と引き換えならば、参謀本部を省部所掌下に置くことを同意する」

と発言していたと言う。

その言葉から推測するに、当時、田中は既に将来、己の政界転身を計画していた……と考えられる。

「参謀本部を陸軍省の下に置く事によって、軍が内閣の頭越しに好き勝手出来る権利と言って良い帷幄上奏権を陸軍大臣の下に一本化する」

つまり、田中自身が首班となり組閣する際には、陸軍大臣の座に自派の人間を据えてしまえば、それだけで陸軍を完全に統制することが可能となり、上原・参謀本部の暴走に散々、辛酸を舐めさせられた原敬の轍を踏まずに済む…と考えたのだろう。


 実際、田中はこう考えた。軍令機構と軍政機構を分けている限り、軍は組織の法則に従い、セクショナリズムを発揮し、その意志統一は不可能だ。

今上天皇の有する大権を陸海で二分化し、更に陸海其々で軍令、軍政に分割していたのでは事実上、四分割しているも同然ではないか。

権力の分散自体は、一極集中を嫌う大日本帝国憲法の精神に沿ったものだ。

しかし、この政・令分割という手法がもたらしたものは、権力の『分散』ではなく、『分極』であり、それによって起きたのは、単なる官僚組織同士の縄張り意識剥き出しの主導権争いであり、それは結果として軍の統制を乱す宿痾としかなっていないのではないか……と。


 己を軍人として定義している限り、見えないものがある。

巨人・山県がそうだった。

溺愛する軍の独立性を担保する為に過保護な程の政・令分割を行い、“伝家の宝刀”帷幄上奏権を軍政・軍令の長、それぞれ与えた。

反対に田中は、自らを政治家として定義し、同時に己が軍人出身である事も知っている。

権力の多極化を防ぎ、組織の意志統一を可能とする軍政・軍令の一体化は、政治家として大いに魅力的だ。

だが、だからこそ軍部大臣を文官にする事だけは断じて許さない。

それをしたら、部外者の素人に支配された軍は今度こそ、政治家の思うが侭に動かされる『便利な道具』となってしまうだろう……と。

故に、田中は軍部大臣現役武官制の再制定を条件として軍政軍令一本化を応諾しようと考えたのだ。


 だが、田中は政治家への道をもう一歩だけ、前に踏み出し、気付くべきだった。

何故なら、彼の発想は完全に誤解に基づいているからだ。

大正デモクラシーという民衆運動の『力』を実感した政治家、それに国民は、軍を『便利な道具』としてではなく『単なる厄介者』としてしか、既に見ていない……という事実を。




「近いうちに上原と話してみよう……渡辺君、俺は弁が立たない。済まんが、君も同席してくれるとありがたい」

「はっ、喜んで」


(閣下は迷っておられるのか……まぁ、当然だろうな)


 渡辺の目に、秋山の姿はそう映った。

日清・日露は帝国の存亡を賭けた大戦争だった。

面前に座る秋山も、そして秋山の前に立ちはだかる上原、隠者として過ごす聾唖の名将・奥保鞏元帥、そして現首相・東郷や、海軍の山本らはいずれも、その大戦争を指導した現存する最後の『救国の英雄』世代だ。

 今日、失墜した軍の威信をよすがとして、この国の舵取りを行おうと現役世代の若い将官達が、どんなに張り切ろうとも、民衆と乖離した精神を持つが故に、その手法は「統制」と言う忌名を持つ荒技に頼らざるを得ない。

将来の日本、列強として揺るがぬ地位を築きつつある大日本帝国に国家存亡の危機と呼べるものが訪れるかどうかは分らない。

だが、国家存亡の危機に備えるのが軍であり、近代戦に不可欠なのが政・令一本化である以上、彼ら『救国の英雄』世代に最後の大仕事を成し遂げて貰わねばならぬ。


(今日、俺が閣下に呼ばれ、詰問されたのも運命、そして俺が閣下に上申したのも運命なのだろう……。ご高齢の閣下達には申し訳ないが、正直、自分達の世代では、どうにもならぬ。閣下達の築いたものの上に胡坐をかいてしまった我々の世代には、号令一下、軍を跪かせるだけの権威も、民衆の支持を得るだけの実績も無い。閣下、不出来な若造を後輩としてしまった御不孝、平にお許し下さい)


2009年12月14日 文章推敲により訂正


2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加

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