第40話 阻む者、阻まれる者
与党三党にとって此度の総選挙は、何から何まで誤算の連続だった。
いくら満州鉄道売却という難題を抱えていたとしても、軍神・東郷という錦の御旗を掲げている以上、内心では高橋も、加藤も、そして犬養までもが「楽に勝てる」と踏んだ戦の筈だった。
最初の躓きは、新聞報道の偏重としてあらわれた。
捏造とまでは言わないが、事実を誇張し、歪曲した政府批判の記事の羅列は、全国各地の在郷軍人会による激しい抗議集会開催へと発展していった。
第二の躓きは、警察権力による露骨な選挙運動への介入と、時に在郷軍人会をはじめとした反与党勢力による選挙妨害に対する取り締まりサボタージュとして現れた。
第三の躓きは、政友会の大分裂だった。政友会反主流派148名の脱党と新党結成は、連立与党に大打撃を与えた。
衆議院464議席中、選挙開始前は430議席を擁していた連立与党は、この大脱党により政友会122議席、憲政会130議席、革新倶楽部30議席の都合282議席にまで激減。
それでも現状、与党側は過半数を制してはいるものの、「政友本党」を名乗る脱党派は、豊富な資金力と強力な地盤をテコとして、日和見を決めていた中正会などの小会派や無所属議員、更には政友会からの新たな脱党者も含めて、次々と糾合し、今や170名という陣容を擁するまでに成長していた。
現有勢力・与党三党278、政友本党170、他16。
一見すると、与野党には大差がある。
だが、過半数は233議席。
与党三党は、47議席を失えば過半数を割り込み、野党は47議席増で過半数を制する。
攻防の焦点となった47の代議士席が偶然、赤穂浪士と同数であったことから、一部の奇矯な新聞紙面において「忠臣蔵」の文字が躍る事になったこの戦い、東郷を塩谷判官とすれば、誰が大星由良之助で、いずれが高師直か。
日本全土に置いて、手段を“選べぬ”戦いが繰り広げられていた。
神奈川県・大磯
憲政会総裁・加藤高明邸
政友会が伝統的にその地盤としてきていたのは地方の名士や地主階級であり、憲政会のそれは都市部の中間所得層だった。
前回総選挙において、政友会が急激にその議席数を伸長させる事が出来たのは、本来の地盤に加えて欧州大戦期、慈雨の如く日本に降り注いだ未曽有の好景気によって、選挙権を得る為に必要な3円の納税が可能となった都市部の中間所得層が一挙に拡大、その新たに生まれたばかりの浮動票が憲政会にではなく、政友会へと雪崩れ込んだのが最大の理由だった。
伊東博文を開祖と仰ぐ政友会に比して、桂太郎が自らの与党とすべく創設した憲政会は歴史が浅い。
生まれて初めて得た選挙権を行使しようとする者にしてみれば、この歴史の長短は、その政策以上に重要な判断材料となる。
それに何より、前回総選挙においては、“平民宰相”として国民に絶大な人気を誇る政友会総裁・原敬の存在が大きかった。
原は卓越した指導力とカリスマ性、先見性を兼ね備え、更には山県閥との間に必要以上の軋轢を生じさせない様にするだけのバランス感覚をも持っていた。
この究極の政党政治家に率いられた政友会の前に、憲政会は一敗地にまみれた訳だが、今や、その巨大過ぎる壁は凶刃に斃れ、既に故人となった。
その原敬亡き今、元老・西園寺に忌避され、苦節十年の長きに渡って辛酸を舐め続けてきた憲政会としては、今度こそ、第一党の地位を奪えるかどうかの瀬戸際であった。
連立与党は表面的には一致結束していたが、過去、あまたの首相を輩出した政友会と違い、加藤・憲政会は政権獲得にあくまでも貪欲だった。
今は東郷与党として協力する姿勢を惜しまない憲政会ではあったが、東郷内閣を短命・改革内閣と位置付けており、大正維新を実現した後には、東郷内閣は静かにその役目を終えるはず…と先を読んでいた。
加藤にとっては、その時が勝負だ。
「憲政の常道」に則れば、西園寺がどんなに加藤個人を嫌っていようが、衆議院第一党の党首が次期首班として奏薦される。
本来ならば、政友会270議席に対し、憲政会130議席。
これでは勝負にも何も話にならなかった。
だが、降って沸いた様な政友会の大分裂が、加藤に、そして憲政会にツキを呼び込んだ。
衆議院の勢力図は一変し、憲政会は依然として第二党のままではあったが、政友会が脱落した今、第一党・政友本党を射程に捉えたのだ。
「この機を逃すな! 何としてでも、第一党の座を手に入れるんだ、どんな手段を使おうとも!」
加藤は、大磯の私邸に顔を出した幹事長・三木武吉を叱咤激励する。
後年、権謀術数の限りを尽くし、政界随一の寝技師の異名を冠せられる様になる三木ではあったが、この頃、若干39歳、当選2回の若手議員に過ぎない。
その三木が大政党・憲政会の幹事長を任せられるようになったのは、一重に実力者・浜口雄幸のお眼鏡にかなったからだ。
三木自身もその知遇に答えるべく、政治家としては一流でありながら、政党人としては無為無策な人である浜口の、その足りない部分を補うのが自分の役目だと心得ている。
だが、浜口を将来、政界の最高位に就ける為には、まず、面前の加藤に総理の座をもたらさなくてはならない。
目的の為なら、嘘も言うし、汚れ役も平気でこなす三木は、加藤が三菱財閥から調達してくる無尽蔵とも思える選挙資金を惜しみなく投入し、事が露見したら、己一人が泥をかぶる覚悟で、買収や切り崩し工作の陣頭指揮を執っていた。
当初、今回の選挙に関して連立与党を組む憲政会と政友会は選挙協定を結び、政友会は農村部、憲政会は都市部という住み分けを行う事としていたのだが、農村部に強固な地盤を持つ政友会議員の多くが脱党した事により、政友会残留議員の過半が、都市部選出の者という予想外の状況に陥った。
政友会本来の主力が地方選出議員である以上、都市部選出議員は言わば「余禄」の様な存在であった筈なのに、この大脱党が情勢を一変させてしまい、政友会も都市政党化してしまったのだ。
一選挙区から複数名の当選者が選出される中選挙区制の時代であるから、共存は可能であったが、それでも選挙活動をやり辛い事、この上ない。
三木は各選挙区を回り、当選回数の少ない政友会の都市選出議員と面談、選挙指導及び選挙協力を約束する代わりに、将来の浜口政権実現の為、あらゆる布石を打って歩く状況に追い込まれる事となった。
それは裏切りにも等しい行為ではあったのだが……。
東京・麻布
元田肇邸
この夜、政友本党筆頭幹事・元田肇の邸宅に総裁・床次竹次郎を始めとした同党幹部、即ち中橋徳五郎、山本達雄ら、そして同党の黒幕的存在である田中義一とその政治ブレーン・森格が集まり、先々の展開について談義していた。
政友本党に移籍した地縁血縁によって強固に有権者と結びついた地方選出議員というのは、事実上、王侯貴族も同然の特権階級であり、衆議院議員に選出されなければ、いずれ高額納税者として貴族院議員に選出されるという保険付きの存在であった。
脱党に関して言えば、当初は完全に見切り発車だった。
いくら、強固な地盤を有しているとは、軍神・東郷に対し挑戦するなど、正気の沙汰ではない……誰しもがそう感じ、考えたのは当然だっただろう。
新党結成を渋る床次、元田ら反主流派を説得する役目を負った森格は、田中義一の了解を取り付け、東郷という存在を一切、棚上げし、政策対決を避け、政党同士の醜聞や政争レベルに論点をすり替える事で、党分裂を演出する事に成功したのだった。
肝心のマスコミが未発達、コミュニケーション手段としての電話ですら、その本来の機能の万分の一も発揮していない時代、地方では一郷一村において重きを為す古老の采配一つで、その村の票全てが動く。
近年になってさえ、その様な因習が山間部では残っているが、この当時、これは個人の意志とは関係なく、絶対の事だった。
故に古老への「心遣い」が全てを決する。
心遣いの出来ない者が、地方において勝ち残る可能性など寸分もない。
地方貴族たる政友本党議員にとって、その手の心遣いは、霞が関における政策論争などよりも遥かに得意な分野であり、己の存在理由そのものであった。
「東郷を敵としない」
この方針が決定した瞬間、軍神の天罰を怖れていた地方貴族達は、自己の地盤に絶対の自信を持つが故に動き出した。
関東大震災復興という大義名分によって国家の資産たる満鉄を売るという行為が、日清・日露に多数の親兄弟息子達を送り出し、働き手を失った素朴な農村部の密やかな反感を買っていた事実が彼らを後押しした。
東郷内閣が示した地方への資本投下とて、関東復興の巨額予算に比べれば、民・民投資任せの微々たるものに過ぎない。
開発の遅れた地方は、何よりも鉄道を欲しており、地元に鉄道さえあれば全てが解決する…という地方の鉄道敷設に対する信仰にも似た願望を煽った床次、元田らの巧みな扇動が、与党の言う「国家百年の大計」を軽く上回った。
軍神・東郷が満鉄を売ると公言してしまった以上、それに公然と反対するのは憚れる。
だが、その売却益を関東の復興に使うだけではなく、地方開発にこそ積極的に投下すべきだ…それが、政友本党の主張となって各地に伝播していった。
『都市 対 地方』
『中央集権 対 地方分権』
それは奇しくも、米国において共和党と民主党の間で長年に渡って結論を見ぬまま争われ続けている議論と酷似するものだった。
元田邸の二人の居候、永田鉄山陸軍中佐と小畑敏四郎陸軍中佐の二人は、この日も、東条少佐の運転する自家用車にて帰宅した。
車中、三人が話題としたのは、かつてバーデンバーデンにおいて藩閥打倒を誓いあった盟友・岡村寧次陸軍中佐の事だった。
上海領事館駐在武官という肩書で対支情報収集の任を帯び、赴任していた岡村が、どういう手練手管を使ったものか、北京政府の宿将・孫伝芳将軍が指揮する南征軍の顧問に就任したという。
陸軍大学校教官として、後進を指導する身ではあったが、彼らとて実戦経験がある訳ではない。
日露戦争から20年近い月日が流れており、欧州大戦期に行われた青島攻略戦は小さな規模の戦闘に過ぎず、その後のシベリア出兵でも、欧州に駐在武官として赴任していた彼らに出番は回って来なかった。
軍略兵学を学ぶ者である以上、実戦経験がない事は、試合に出られぬ運動選手同様、切歯扼腕する想いであった。
「岡村は上手い事、やったなぁ」
「敏さん、俺は、今から上海に飛んでいきたい気分だよ」
「戦闘自体は欧州にてつぶさに観察して参りましたが……やはり、指揮を執るのと、傍観するのでは大きな違いでしょうね、羨ましい限りですな」
東条の荒っぽい運転と未舗装の道路が共振して、より一層、激しく車内は揺れ動く。
後部座席の二人としては、毎日、車酔いする事、甚だしいが、これといって他の通勤手段もなく、また同期後輩の手前
「車酔いするから、ゆっくり走れ」
とは言いだす事も出来ず、さり気無く、寒空に窓ガラスを開けて冷気にあたっては吐き気に耐える日々が続いていた。
「あれは、もしや……?」
夕闇に包まれた元田邸の門前、ようやくにして今日も吐かずに済んだ…と胸を撫で下ろした小畑と永田であったが、運転する東条の声音に流れる怪訝な響きに気が付いた。
東条がスピードを緩め、ゆっくりと門前に近づくと、一台の車が入れ替わる様に走り去っていった。
元田肇が政界の大物である以上、その門前に高級乗用車が居並ぶ事など珍しくもない。
だが、その一台、今しがた走り去った車の後部には、軍用自動車補助法の適用車である事を示す山形道マークが入っており、そしてその後部座席には、まるで世間を憚る様に面体を伏せる人物が乗っていた。
「おい、敏さん、あれは…」
永田が、目を丸くしながら僚友に呟く。
「あぁ、間違いない……」
その人物と比較的、親しい関係にある小畑も驚いた様子で言葉を返す。
「……あれは、福田大将だ」
東京・目黒
浜口雄幸 私邸
愛娘・富士の舅となる人物、大橋常三郎憲兵大佐からの手紙を受け取った浜口雄幸は、文部大臣としての政務をこなす傍ら、憲政会幹事として候補者への応援に東奔西走する日々に疲れた身体を床柱に行儀悪く預けながら、その文面に目を通す。
元・大蔵官僚でありながら、官僚らしい雰囲気は微塵も感じさせないこの男は、読み進めるうちに、その日本人離れした彫りの深い顔立ちの眉間に、地割れの様な深い縦皺を刻む。
大橋の手紙には、無論、田中義一が関与したとされる陸軍省機密費横領の一件についての詳細が記されていた。
近い将来、嫡子と愛娘の婚姻により、固い姻戚関係を結ぶ事になる大橋家の当主が文面に託した巨悪を告発しつつも、非力な己を呪う、悲痛な想いを浜口はしっかと受け止める。
しかし…。
「この手紙、加藤総裁辺りに見せたならば、膝を打って喜ぶだろうが……」
手紙の端と端を両手の指先で摘まむように持った浜口は、これを事も無げに縦に裂く。
「大橋君ともあろう男が、この浜口を見損なってもらっては困るな」
二回、三回と紙縒りの様に裂かれた、その手紙を浜口は火鉢に投ずると、死にかけていた炭が新たな可燃物質の存在により一瞬、赤味を帯び、紙を燃やし尽くす。
「密告…とは言いたくないが、託す相手を間違えているよ、大橋君……」
座右の銘『正面突破』
一切の小細工を否定し、寝技も、根回しも、政治的な工作全てを「卑しい」と断じる、最も苛烈にして、最も政治家らしくない当代指折りの政治家・浜口雄幸は、苦戦が伝えられる与党に起死回生の大勝をもたらす筈の錦の御旗を自らの手で葬り去った。
煙となって消えるその御旗の残滓を、火箸で突き崩しながら浜口は呟く。
「こんなものを使って選挙に勝ったとしても、浜口雄幸は男として負けになっちまうだろうが……」
後悔は無い。
静岡県・興津市
坐漁荘
横田千之助の目は落ち窪み、その顔からは精気が失せていた。
元来、明るく溌剌とした性格であり、この日も何かと明るくは振る舞っていたが、尊師・西園寺の目にも、その明るさが空元気の域を出ないものであるのは明らかだった。
大量の脱党者を出した己を責め苛む横田の心の動き、西園寺には痛いほどに分った。
帰り際、横田は西園寺の面前に両の手をつき、額を畳に擦りつけ、泣き出さんばかりに詫びを言う。
伊東博文が結党し、西園寺と原が育て上げた伝統ある政友会を崩壊させてしまった横田自身の罪を。
そんな横田の微かに震える背を見た西園寺に出来るのは、ただただ、温かい言葉をかける事だけだった。
床次、元田以下の脱党者、それを背後から操る黒幕・田中。
その田中を唆し、そう仕向けた張本人・西園寺としては、横田に心中、手を合わせ、詫びたい気持ちもあった。
だが、西園寺は己の読みに、政治的な嗅覚に絶大な自信がある。
脱党した者達は、横田の役に立たぬ者、将来、横田に仇名する者達である…という揺るがぬ考えを持っていた。
同時に、己の育てた政友会の底力を信じてもいた。
脱党は致し方ない。
むしろ、党内に巣食う悪しき者どもの大掃除が出来た、とすら考えていた。
問題は、先々だった。
西園寺は、この日、ある一つの策を授けた。
その策に驚き、言葉を失う愛弟子に、西園寺は我が子に諭すが如く優しく、あやす様に笑顔を浮かべて言葉を継いだ。
「わてを信じよし。悪い様にはしいひんさかい」
名残惜しそうに最終列車に間に合う様に西園寺邸を後にした横田と入れかわる様に、その書斎の外で気配がした。
「原田かえ?」
「はっ、火急に老公のお耳に入れるべき事柄がございまして…」
そう言うと、原田は膝を揃えたまま滑らせ、室内に音もなく上がり込むと、主人に頭を下げ、報告を始めた。
「頭山……満。あの男が動き出したんかえ?」
報告された事実を聞いた西園寺は平静を装いつつも、知らず知らずの内に呻く様な声音で呟いた。
「はっ。お下知により、犬養木堂が身辺を見張っておりましたところ、夜陰に紛れて邸宅の裏門より出で、霊南坂の頭山邸に……」
頭山満、69歳。
この人物を定義する事は、当時も、そして現在においても不可能だろう。
自由民権運動の闘士にして、大アジア主義者。
国粋主義者にして、最後の侍とまで呼ばれた在野の巨人。
幾つもの顔を持ち、政財界に隠然たる勢力を張る反骨の巨星。
犬養毅の真の盟友であり、二人は同時に表裏の関係でもある。
共に自由民権運動上りの大アジア主義者で、アジア・アフリカの植民地解放運動を支援する立場にあり、その影響力は中国、仏印、英印は元より、遠くアフガニスタン、エチオピア、ムスリム世界にまで及び、犬養が表の顔であるとすれば、頭山は裏の顔。
光と影。
犬養が、その足場を依然として自由民権運動に置いているのに対し、現在の頭山は植民地解放を目指す大アジア主義に置いてはいるものの、肝胆相照らす仲である事に変りは無い。
石橋湛山、松岡駒吉、片山哲、そして頭山満……。
犬養が最近、接触を持った人物達の名を思い浮かべ、瞑想する西園寺の脳裏にある一つの結論が導き出された。
(木堂。こちは、こちはこの国を……)
(……あかん、あかんぞ、木堂。それだけはあかん)
己の導きだした結論に、西園寺は戦慄した。
(最早、やむを得ぬか……)
薄い下唇を噛み締め、己が心底で燻り始めた狼狽という名の炎を揉み消す為、老人は決意した。
「原田、手筈は整っておるかえ?」
発した声音は、冷たく、硬い。
その響きに生気はなく、闇に蠢く亡者の如く、呪いに満ちたものだった。
「はっ」
原田はついぞただの一度も、その面体を上げる事無く平伏したまま、西園寺の問いに答え続けた。
「牛込に面白い男を見つけました。支那の革命騒動に参加し、破れて帰国した者です。名は……」
「黙りやれ! わてが、そないな無頼の名など知らんでもよろしいわ、たわけもんが!」
叱責が鞭となって原田の首筋を打ちつけ、打たれた犬は尾を丸め、畳に擦りつけている額を更にめり込ませるように押し付け、恐縮の態を示す。
「使えるのだな?」
「はっ」
「よし。原田、主に任せる。やってみせよ」
「有難きお言葉に存じます」
「分っておろうの?」
「その者、この原田の身元さえ知りませぬ故、ご安心を」
「うむ。もうよい、下がりやれ」
もう一度、畳に額を押しつけた原田は、両の拳で畳を押しやり、膝先を揃えたまま滑る様にして部屋を退く。
時代は大正、舞台は東京。
第一幕は終演へと向かい、最後の奈落がせり上がる。
平成21年12月9日 誤字訂正(岡田 ⇒ 岡村)
平成21年12月19日 サブタイトルに話数を追加