第38話 悪貨は良貨を駆逐する
『馬蹄銀』というと、その昔、中国で流通していた『馬の蹄の形をした銀貨』と思ってしまいがちだが、そもそも、この馬蹄銀という言葉自体、明治期の日本人が勝手に名付けたものであって中国人自身は『銀錠』という名前で呼んでいたらしい。
中国は伝統的に銀本位制の経済システムを採用する国家であり、この銀錠と呼ばれる銀地金を介して全ての経済活動は行われている。
即ち、銀という貴金属自体の重さによって価値が決まる…ということであって、形も大きさも様々な銀が日常生活や商取引に用いられており、通貨としての単位も重さを表す単位である「両」で表現されていた。
2009年現在、銀は1g15円程度で推移しているので、感覚的に言うと「ラーメン1杯 600円」を「ラーメン1杯 銀40g」の様な感じだった…という事だろうか。
銀の重さで商取引する、というのは、単純明快ではあったが、同時に恐ろしく不便な事だったと思われる。
近所に駄菓子を買い物に行くのならまだしも、遠く離れた場所で大量に買い付ける…などという商取引を行おうとした場合、大量の重い銀を運ばなければならなくなってしまう。
これでは商業、言いかえれば経済そのものの成長は到底、期待できない。
この弱点への対応として必然的に「両替商」という職種が生まれる。
Aの地点の両替商に銀を預け、その引換券を貰い、Bの地点の両替商にその引換券を提出して銀を引き出して、取引する。
或いは、広大な中国では地域地域によって通用する銀錠の形・大きさが様々なので、持参した銀錠をその地域で通用する銀錠と交換する…。
要は、日本の江戸時代の大判小判を基礎とした経済に似た前近代的なシステムであり、銀錠を鋳造する許可を持つ「銀荘」と呼ばれる両替商達は、この引き換え手数料を収入として、地域経済を牛耳り、独自の経済ネットワークを構築していた。
無論、末期の清政府、それに袁世凱の中華民国政府も、この銀荘を中心とした経済を非効率、時代遅れという認識はあったので、中国国内どこでも通用する共通貨幣として政府鋳造の銀貨を流通させようと試みたのだが、地域経済を握る銀荘達の抵抗にあって、どんな貨幣を発行しようが、なかなか普及してくれないのが実情だった。
今現在、ほぼ全ての国々が発行している紙幣は通貨管理制度下の「不換紙幣」であるが、この時代、列強各国、いや列強に限らず、欧州や南米の多くの国々が発行している紙幣は金と交換可能な「兌換紙幣」である。
為替の動きに左右されず、経済的な安定度が抜群の「兌換紙幣」を発行する為には、その発行量に見合った金を、政府又は中央銀行が保有していなくてはならず、「不換紙幣」を発行するならば、政府や中央銀行に十分な通貨管理能力があると認められなければならない。
だが、結局のところ、兌換紙幣であっても、不換紙幣であっても、紙幣が通貨としての価値を認められ、流通する為には、第一に価値の保証人たる国家が信用されている事が重要であり、第二には偽造紙幣の流通を防止できるだけの製紙技術、印刷技術をもたなくてはならない。
当時の北京政府は、そのどちらも欠けていたようだ。
1924年2月15日
大英帝国・ロンドン
グロスターブレイズ街2番地
ここロンドンのグロスターブレイズ街はリージェント・パークの南西に位置する静かな街区だ。
そのリージェント・パークと、高名なハイド・パークの間を最短距離で繋ぐ街区として利便性も環境も良い地区であったが、東隣に「ベイカー街」という強烈すぎるビックネームが存在する為、どうも人々からは「ベイカー街の裏通り」的な扱いを受けてしまう、そんな浮かばれない街だ。
そのグロスターブレイズの2番地に、一つの会員制紳士倶楽部が居を構えている。
「グレンコー・クラブ」と称するこの倶楽部は、白の漆喰が塗られた実に飾り気のない造りの建物内に組織されており、ロンドンにあまたある有名無名の会員制紳士倶楽部の一つに過ぎないのだが、スコットランド出身者のみに入会を許す事で、その存在を知られている。
倶楽部名の「グレンコー」とは、スコットランド地方有数の景勝地として知られる「グレンコー渓谷」に由来しており、このグレンコーという言葉自体、英語ではなく、スコットランド地方の古い言語であるゲール語で「嘆きの谷」という意味だとされている。
それというのも、このグレンコー渓谷、その昔、イングランド王ウィリアムに忠誠を誓うスコットランドの諸氏族が誓紙に署名するべく集まった地なのだが、とある一氏族が署名の期限に遅れてしまい、ウィリアム王の命を受けた対立氏族によって虐殺される…という悲惨な事件が発生した場所なのだ。
ちなみに、この惨劇事件の加害者の氏族名をキャンベルといい、被害者の氏族名はマクドナルドという。
そしてこの日、口の悪いイングランド人達から、ひねくれ者揃いのスコットランド人を嘲る出来の悪いジョークの舞台に多用される、この「グレンコー・クラブ」に、ある意味、最も似合い、だが少しばかり似つかわしくない人物が来訪していた。
「実のところ、私は、こういう場所は嫌いなんだがね」
招待客の困惑をよそに、ホスト役のマクドナルド首相は建物内部を案内しながら、そう、他人事の様に言い放った。
(人を招いておいて、なんだ、その言い草は…)
自らを労働者の代表と定義する労働党・マクドナルドにしてみれば、保守党や自由党の紳士達が好んで「会員制紳士倶楽部」を根城として、重要政策を密談にて決定する手法を常套手段としている事が不愉快なのだろう。
しかし今宵、何故、この場所が会談の場に選ばれたかと言えば、マクドナルドが出入りする会員制紳士倶楽部がここしかなかった事もあったが、何より、スコットランド人特有の排他的な郷党意識からくる口の堅さにマクドナルド自身が絶対の信を置いているからだろう。
「……お招きを頂き、誠に恐縮にございます、首相閣下」
そう答えたのは招待に預かった一団の一人、下院議員のサー・サイモン・キャンベルだった。
彼は、ゲール語で「捻じれた唇」を意味するキャンベル氏族の出身で、現在、労働党と連立を組んでいる自由党の実力者であると同時に、20世紀初頭に自由党首班内閣を実現した故サー・ヘンリー・キャンベル首相の係累にあたる。
鳶色の髪の毛を、後ろにしっかりと撫でつけた紳士然とした佇まいは、名門一家出身者に相応しく、実に優雅で、一切の隙が無い。
カードゲームに興ずる者、ソファーでくつろぐ者、上質のスコッチを楽しむ者、他者のゴシップに冷笑を浴びせる者……。
スモーキーなスコッチの香りと、パイプの紫煙に満たされた倶楽部のダイニングにおいて一同はハギスとライスプディング、山と盛られた茹でジャガイモという御世辞にも豪華とは言えないハイランド料理を共にしていた。
スコットランドの伝統料理であるハギスは、羊の臓物を玉葱、ハーブ、米や麦と一緒に羊の胃袋に詰め、茹で上げたもので、高名なバイエルンの豚血ソーセージ“プルンツン”同様にかなり癖が強い。
食べ慣れれば結構、病みつきになる旨さなのだが、これを子供の頃から慣れ親しんだスコットランド出身者以外で、この味と匂いを楽しめる人間に滅多に会う事は無い…そんな料理だ。
スコットランド・ハイランダーであるマクドナルド首相は、当然ながら、この料理を楽しめる少数派の一人であり、一日に一度は必ずハギスが食卓に並ぶ事を要求するタイプの人間だ。
この日、招かれた客人達全てがスコットランド人であれば問題は無かっただろうが、イングランドやウェールズ、それにアイルランドの出身者も参加しており、これらの人々にしてみれば、実際のところ、迷惑以外の何物でもなかったことだろう。
羊特有の臭みと臓物の血の香りが漂う皿の上には、匂い消しのスコッチウイスキーが振りかけられ、嘔吐を催すような臭気は若干、抑えられてはいるもの、それでも茶褐色のそれに手をつける勇気はなかなか奮い起せるものではない。
「これは実に美味しいハギスです。素晴らしい」
グレンコー・クラブのダイニングテーブルで、他国人の困惑と迷惑が入り混じった複雑な顔に気付きもせず、口中に広がる鉄釘の様な血の味に舌鼓を打ったのは少数派のスコットランド人、サー・サイモン・キャンベルだった。
「そうだろう?ロンドンでこれ程の物を食べさせるところは他にはあるまい」
客人の率直な言葉に頷いたマクドナルドは、皿の上の茹でジャガイモをフォークの先で弄びながら、嬉しげにそう答えた。
「はい。来てみて良かったです。御招待に感謝します」
口髭と頬髭が豊かなキャンベルは、ハギスから溢れ出した肉汁で汚れた自慢の髭をナプキンで拭い、グレンファーグラスの甘く濃厚な香りで口中に残った血の味を喉に流し込む。
「口の肥えたサー・サイモンに満足してもらえるとは、私としても望外の喜びだ。ところで……」
キャンベル以外の客人達が、塩を振りかけただけの茹でジャガイモと、茶碗蒸しに御粥と砂糖をぶち込んでかき混ぜたかの様なライスプディングにしか手を付けていない事に気付きもせず、マクドナルドは労働党の連立相手である自由党の実力者キャンベルに対し、愛想良く話しかける。
「チャータード銀行、香港上海銀行のお歴々の皆さん、英国政府を代表して両行に相談したい事があります」
この日、政財界に知己の多いキャンベルを介してグレンコー・クラブに招かれた一団は、いずれも当時、世界最大級の銀行と言ってよいチャータード銀行と香港上海銀行の役員達である。
無論、この会談を画策したキャンベル自身も香港上海銀行の役員であり、マクドナルドがこれから話す内容を打診された時には、一も二にもなく、賛成した立場にある。
ロスチャイルド一族が創業した香港上海銀行は、往年の東インド会社に代わる「英国植民地経営の先兵」として東アジア各国に巨大なネットワークを有し、1860年代には横浜に支店を開設、日本が明治維新と共に急速に近代国家へと脱皮する過程において、その通貨、銀行・金融制度の基礎確立に協力し、明治新政府が独自の造幣を短期間で成功させたのは同行の助言によるところが大きく、それ無しには到底、成し得なかっただろう。
対するチャータード銀行はインドを基盤とする銀行であり、やはりアジア全域に支店網を構築する大銀行であると同時に、昨今、欧州大戦の結果、トルコから奪った中東各地にも進出を開始している。
マクドナルドは言葉を継いだ。
「既に北京政府・呉佩孚将軍との交渉は、ほぼ9割方、終わっています。後は両行の、貴方達の最終判断に委ねられます。」
マクドナルドが役員達に告げた内容は、金融界の最高実力者達を唸らせるのに十分な内容だった。
「我々に、中華民国の紙幣発券銀行になれと…?」
テーブルの右側に並んだチャータード銀行の面々、左側に並んだ香港上海銀行の面々……。
初めに自らの両隣りに座る同じ銀行の役員仲間と目線を合わせ、続いて、テーブルの反対側に並ぶライバル銀行の様子を上目づかいに盗み見る。
彼らは明らかに戸惑っていた。
目の前にぶら下げられた利権の、あまりの巨大さに圧倒されたのだ。
「首相閣下。確かに我々は既に香港における紙幣の発券を請け負っております。閣下のおっしゃられるのは、それを中国全土に広げろ…という事ですか?」
チャータード銀行の頭取レイモンド・ホッジが、禿げあがった頭部に浮かんだ汗を拭いながら、慎重に問い掛ける。
「無論、その通りです。但し、既成の香港ドルでの発行では無く、中国国内専用の紙幣として発券をお願いしたい。政府としては両行が香港同様に共同で発券して頂く事を希望しますが、もし、嫌だというのなら仕方ない。どちらか一方にお願いする事になるでしょう」
マクドナルドの揺さぶりに満ちた言葉に、両行の幹部は再び、相手の表情を盗み見る羽目となった。
A国の銀行がB国内の通貨発券銀行になる。
この時代において、さして珍しい事ではない。
実際、併合前の朝鮮国内で流通していたのは、渋沢栄一翁率いる第一銀行が発券した「第一銀行券」であったし、ユーロ統合以前の欧州においても隣接する大国の通貨を流通させていた小国の事例には事欠かない。
これとは反対に、複雑な政治的事情のある英国国内では、イングランドとウェールズがイングランド銀行で、スコットランドはスコットランド銀行で、アイルランドはアイルランド銀行がそれぞれ独自のポンドを発券しており、むしろ面倒な形式をとっている。
最も1イングランドポンド=1スコットランドポンド=1アイルランドポンドなので、庶民が生活する上においては、色とりどりな同額紙幣が財布の中に混在しているだけの話でで、慣れてしまえば、さして困りはしなかったらしいのだが…。
中国国内において流通する銀は、それそのものが貨幣として流通する程なのであるから、それこそ計測不能な莫大な量であろう。
この時代より少し前の交換レートでは純度90%同士ならば、銀15.5に対し金1となっており、銀の産出量が年々、増加している時代とは云え、紙幣発券銀行となれば、紙幣と交換する為に銀行に持ち込まれる事になる銀は、狂気じみた量になる。
香港上海銀行、チャータード銀行が中国国内用紙幣、仮に“中国ポンド”という名称だとして、その発券を行った場合、その中国ポンドは当然、英国ポンドに対しポンドペッグを採用する。
ポンドペッグとは、簡単に言うと固定交換レートの事で、英国植民地・自治領で通用する香港ドルや豪州ドル、インドルピーなど全てのポンド圏の紙幣は、ポンドと価値において連動しており、それ自体は兌換紙幣とならない。
例えば、香港ドルとほぼ同等だと仮定し、1英国ポンド=約15中国ポンドというペッグを採用したとする。
発券銀行は、中国ポンドを発券するに際して、その発券額の1/15英国ポンドに相当する金地金を、英国ポンドの発券銀行であるイングランド銀行に一種の保証金として寄託しなければならない。
そして中国国内で、この中国ポンドが流通している限り、事実上、イングランド銀行はこの寄託金を返還する必要は無く、返す必要のない寄託金を眠らせておく馬鹿はいない。
つまり、中国国内で中国ポンドが流通すればするほど、英国に金地金が流れ込む…という事になる。
これが英国の金融面におけるメリットとなる。
発券銀行たる両行のメリットは、紙幣を流通させる事により、商売が成り立たなくなってしまう地域経済の実力者「銀荘」を、新たに「地方銀行」に再編した時に生まれる。
この時代の中国には数多くの外資系銀行が進出していたが、その主要な業務は貿易決済であり、預金や融資などの副次的な業務における主要取引先は、一般民衆や中国人経営の企業では無く、主として、この銀荘に対して行われていた。
これまで外資系銀行は、それぞれ特定地域の銀荘と結びつき、その地域の経済に影響力を及ぼしている訳だが、新紙幣が発券されれば銀荘は両行と取引せざるを得なくなり、同時に両行のさじ加減一つで、特定の銀荘が厚遇され、或いは冷遇されるとなれば、各地の銀荘は争って両行との結びつきを強化するようになる。
同時にそれは、両行の競争相手である他の外資系銀行や、中国資本の銀行を金融面において圧倒する、という事なのだ。
新紙幣の流通量増加に伴い、他の銀行が交換に応じられるだけの新紙幣を腹蔵する様になれば、この当初の優位は崩れるが、一度、壊れてしまった銀荘との関係を取り戻すのは容易ではないだろう。
対する中国側のメリットであるが、この時代、ドルに遅れをとったものの世界的な基軸通貨であるポンドとペッグする紙幣に対する安心感は、北京政府の発行する銀含有率の怪しげな銀貨よりも遥かに上となる筈だった。
その上、中国国内では「貨幣」として扱われる銀は、他の国々においては単なる「貴金属」扱いであり、しかも市場で時に20倍近い価格の乱高下が起きる様な不安定な代物であった事から、貿易決済の煩雑さは想像を絶するのだが、ポンドとペッグする事により決済が容易かつ確実となり、貿易振興上、得られるメリットは計り知れない。
同時に、経済成長における最大の阻害要因であった銀荘が、銀行に衣替えする事によって、国内金融システムが急速に近代化する事になる。
つまり、経済成長の面において大いに期待できる…という訳だ。
「お待ち下さい。いくつか質問させて頂いても宜しいでしょうか?まず第1に…」
やや声を震わせながら質問したのは、香港上海銀行頭取ウィリアム・グレアム・イザードだった。
彼の質問は多岐に渡るものであったが、その中でも取り分け、聞く者達が注目した質問は、中国大陸における機会均等の精神を謳った
「九カ国条約に違反するものではないのか?」
というものだった。
中国国内において、両行が発券するという事は、中国をポンド経済圏に完全に組み込む事を意味する。
それに対して、条約加盟各国が、中でも米国が猛反発するのは疑いようもない。
しかし、この質問を予期していたのであろう、マクドナルドは火の点いていないパイプの吸い口を齧りながら余裕を持って答える。
「条約は英国、米国、日本、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中華民国、以上9カ国全ての批准をもって実施されるのです。署名を行っていても、批准していなければ条約は発効せず、その効力は何らありません」
「おっしゃっている事は分りますが、我が国は確か、ボ-ルドウィン内閣当時に批准していた、と記憶しておりますが……」
一人がマクドナルドの言葉に怪訝な声を上げる。
「そう。我が国は批准しておりますが、フランスは未だに批准を行っておりません。ここが肝心です」
マクドナルドは、豊かな口髭を撫でつけつつ、一同を見回す。
「私が殊更、ドイツ贔屓のような言動を弄し、フランス政府に揺さぶりを掛け続けた理由、御理解いただけましたかな?」
現在のフランスは、欧州大戦期に大統領を務めたレイモン・ポアンカレが首相を務める右派政権。
ポアンカレと言えばかつては、フランス国内に満ちていた「対独復讐論」に便乗して、仏英露三国協商結成を主導し、英国を欧州大戦に巻き込んだ張本人だ。
厭戦気分の満ち始めた大戦中期以降は『虎』の異名で恐れられた政敵クレマンソーを首相に登用し、反戦派に対し大弾圧を加えた事でも知られるタカ派的人物であり、昨今では、賠償支払い遅延を理由にルール工業地帯の占領を行い、国際的な非難を浴びている。
決して無能ではないし、むしろ戦乱の時代においては、その鉄が如き意志は最適の指導者であろうが、経済復興に重点を置かなくてはならない混乱期の指導者としては、問題の多い人物でもある。
そして、そのフランスは間もなく総選挙に突入する。
ドイツに恨まれ、ルール問題におけるフランスの所業を激しく非難する英国と、それに追随する姿勢を見せる国際社会から孤立し始めたポアンカレ政権は、このままでは国内の経済復興失敗も重なり、十中八九、崩壊するだろう。
「署名を行いながらも、批准しなければ、その国は信義にもとる…と判断されても、やむを得ないでしょう。だが、その国の政権が変わったのであれば、これは仕方のない事です。批判は筋違い、信義も糞もないでしょう」
マクドナルドは肩をすくめながら笑みを浮かべると、銀行家達の顔を眺めやる。
「フランスの背信行為により九カ国条約は成立しない。これは断言できます」
「お待ち下さい。どうしてフランスの新政権が批准しない、と言い切れるのですか?」
半信半疑の様子を隠せないレイモンド・ホッジ頭取の質問にマクドナルドは噛んで含める様に答える。
「新政権を担う事になるのは、間違いなく野党・急進社会党のエドゥアール・エリオです。
ポアンカレ首相はドイツから取り立てる賠償金を使っての経済復興ばかりに目を向けましたが、エリオ氏は市場の確保に重点を置いています。エリオ氏の急進社会党は、我が労働党と立場を一にしており、氏より『我が国との関係強化を何より望んでいる』という言質を得ています。
それにフランスがここまで批准を先延ばしにしていたのは、広州湾の租借地返還を北京政府が強く求めていたからです。
我が国が香港と威海衛を、日本が金州半島を、ポルトガルがマカオを有するのに自分だけ手放すのでは納得できない…という事からでしょう。
フランスの新政権は、自国の権益が保証され、その上、たっぷり分け前が得られると分かれば、前政権の交わした約束など反故にしてでも、英国と行動を共にするのを躊躇わない筈です」
更に一人の銀行家が質問する。
「国民党・広州政府の北上が実現したらどうなるのです? ナショナリズムに目覚めた民衆が、北京政府を支持するか? 広州政府を支持するか? 自明の理でしょう。どうも、私には今一つ、納得できませんな」
発言者は、マクドナルドの提案に相当に勇気を振り絞って反論したのだろうが、反論された当人は意に介さない。
「当初の構想では日本と同盟し、仲間に引きずり込んで、彼の国の中国との至近さを利用して、いざという時の番犬代わりにするつもりでいましたが……どうやら、うまくいきそうもありません。
あの国は今、本気で中国をかまっている余裕は無いらしく、国内の改革に重心を移したようです」
「では、より一層、先行きが不安ではありませんか?」
「御心配には及びません。新紙幣が流通しはじめれば広州政府の財政基盤である浙江財閥は崩壊し、広州政府は糧道を断たれたも同然。
しかし、我々は彼らの自壊を待つまでもなく、既に幾つかの手を打ってあります。
ソビエト政府の支援を得たぐらいで広州政府が簡単に北上できる、などと考えているとしたら……彼らは己の思慮の足りなさを生涯、悔いる事になるでしょう」
大英帝国租借地・香港
花園通り 香港総督府
1920年から香港総督を大過なく勤め上げているレジナルド・スタッブス伯爵、中国名・司徒抜は、白髪を裾野だけ残して頭頂部まできれいに禿げあがった頭を風に揺らしながら、この日の賓客・陳炯明を玄関先で見送っていた。
「大望が成され、御武運長久なる事をお祈り致します」
そういって差しだした右手を、上気した顔を見せつつ陳炯明は両手で握り返す。
「孫匪に、兵も、金も、家族さえも奪われ、身一つでこの香港に逃れてきた私への御厚情、そして此度の御支援……。大英帝国政府と国王陛下への感謝の念、生涯忘れませぬ」
陳炯明の瞳は潤みを帯びており、その言葉は間違いなく、その心底を表しているものと言って良いだろう。
彼は、広州政府が地盤とする広東に、かつて割拠した軍閥の首領であり、孫文の革命思想に共鳴し、その最大の支援者であった。
だが、孫文の中央集権的な統一構想に対し、陳は広大な中国を一つにする事によって起きるであろう経済格差を予見し、合衆国を手本とした広範な自治権を有する省による緩やかな地方分権的な連邦制を志向した。
諸外国の干渉を排するには、孫文の理想とする強権国家の育成が必要であったろうし、庶民の生活を第一に考えるのならば陳炯明の理想が適していただろう。
要は、統治に重心を置くか、民治に重心を置くかの違いで、優劣がある訳ではない。
二年ほど前の事だ。
二人の道が離れはじめた時、国民党系の人物達の不遜な態度に不満を抱いた陳炯明の部下が暴発し、孫文を襲撃する、という事件が起きる。
孫文は危うく難を逃れ、海上に避難したが、陳炯明が育て上げ、それまで孫文の軍事的基盤と言っても良い存在だった広東軍閥は、孫文支持派と陳炯明支持派に分裂、西隣の広西軍閥の親国民党派(新広西軍閥)や、至近の雲南軍閥が、次々と孫文に味方し、この広東内乱に介入した事から、陳は衆寡敵せず敗れ去り、香港に亡命したのだった。
今、英国政府から「義勇インド旅団」の指揮権を譲渡された陳炯明は、彼に忠誠を誓う僅かな広東軍閥の生き残りと共に、怨みに満ちた陰惨な笑みを浮かべると大陸中国と香港を隔てる大帽山の頂きを睨んだ。
仏国租借地・広州湾
塩沙埠頭
前夜半に入港した一群の英国貨物船のデリックが絶え間なく動き続け、大量の木箱が陸揚げされている。
無数の港湾労働者が働き蟻の如く蠢き、木箱は次から次へと受領者の手に渡されてく。
その蓋はしっかりと固定されており、その中身を窺い知る事は出来ない。
本来ならば、フランス税関の職員が検品に現れる筈だが、何故かこの日、本国の要人が発した一通の電文により、彼らは怠ける事を許されていた。
本国から遠く離れた広州湾、しかもこの広州湾は植民地省の直轄地では無く、仏領インドシナ総督の行政権の下に置かれた、言わば間接統治の緩み切った地域である。
彼ら税関職員の怠慢を非難するには及ぶまい。
受領者はいずれも軍服を着ている。
フランス軍の制服であれば何の問題もないが、その一群が身にまとっているのは明らかに違う。
彼らは広西省善後督弁(広西省総督)陸栄廷の配下の者達だった。
卑賤の身から一代で広東・広西両省にまたがる大軍閥の主となり、時の総統・袁世凱ですら、総兵力90万と称されたその勢力を畏怖したと云われる希代の英傑・陸栄廷ではあったが、広東省を陳炯明に奪われ、広西省内が内乱状態に陥った今となっては往年の威勢はない。
それでも謀反人である沈鴻英や、親国民党派の李宋仁を凌ぐだけの人望も勢力も保持している。
陸栄廷配下の将校が、英国人船長の差しだした受領書にサインする。
「よくもまぁ、これだけの兵器を短期間で集められましたな…」
人の良さそうな将校は、納品目録を目を通しながら、呆れたように呟いた。
その言葉に英国人船長も頷き、やや自慢げに流暢な広東語で答える。
「我が国は欧州大戦の終結で余った兵器類を相当に抱え込んでおりましたからな…。それでも、短時間でこれだけ集めるのに海軍は、東アジアのあちこちの植民地を走り回ったそうですよ」
「でしょうな……。いや、しかし、何はともあれ有難い。これで、反逆者どもに鉄槌を下せましょう」
英国人船長の傍らにたっていたスーツ姿の男が前に出る。
香港総督府から派遣された書記官だという。
「リー・エンフィールド小銃20万丁と弾薬6000万発、ルイス軽機関銃8000丁と弾薬6400万発、それに各種山砲200門と1門辺り2000発の砲弾。確かに納品致しました。数日の内には第二便が届くでしょう。それと……くれぐれも、陳炯明氏との旧怨は忘れ、手を携えて頂きたい。お二方が協力されなければ、国民党の跳梁跋扈を防げません」
将校は、若い書記官の生真面目そうな言葉に苦笑し、敬礼すると答えた。
「御心配いりません。貴国の期待に必ずや答える、と陸将軍も申しておりました」
中華民国・北京
文津街・大総統府
「上将・孫伝芳を福建省、浙江省の二省聯軍総司令に任じ、あわせて両省に巣食う叛徒の掃滅を命ず」
壇上では、坊主頭と顔の両側にまではみ出させた口髭を持つ大総統・曹昆が、気分良さ気に声を張り上げ、命令書を読み上げている。
傍らには仁王の如き精悍な眼差しで、信頼する配下の将を見つめる陸軍参謀総長・呉佩孚。
親日派であった安徽派・段祺瑞を放逐したこの両者は直隷派と呼ばれ、現在の北京政府の指導者だ。
しかし、直隷派といっても一枚岩ではない。
曹昆は保定市を地盤とする保定閥の領袖であり、呉佩孚は洛陽市を地盤とする洛陽閥の領袖、前者が親米派であり、後者が親英派という関係にある。
段祺瑞を追放するあたって、当初、保定閥・曹昆が主導権を握り、両者は一致協力していたのだが、名誉や権威といったものが好きな曹昆はいつの間にか実権を洛陽閥・呉佩孚に奪われ、自身は飾り物とされている事にも気付かず、いたく満足している。
前年の総統選挙において大規模な贈賄工作により総統の座を手に入れた曹昆であったが、腹心と思い、頼りにしている呉佩孚が、実はその選挙の不正行為を密かに洩らし、曹昆の求心力を失墜させた事など知る由もない。
「頼んだぞ、孫上将」
「はっ」
若干39歳にして、安徽派最後の牙城である福建、浙江両省の討伐軍を率いる事になった孫伝芳は緊張した面持ちで敬礼すると、見送る曹昆、呉佩孚に背を向け、総統府を後にした。
孫伝芳が、総統府正面玄関から姿を現すと、一台の黒塗りの乗用車がその前に滑り込み、衛兵が間髪いれずに後部座席のドアを開け、孫伝芳は席に身を沈めた。
「決まりましたか?」
「はい、蒋先生。宜しくお願いします」
前部座席から振り向く様にして声を掛けてきたのは、蒋方震だった。
蒋方震。この時、42歳。
字である「百里」の方が知られているだろう。
後に『近代中国史上最高の兵略家』と呼ばれる人物だ。
日本の陸軍士官学校を首席で卒業し、明治大帝より恩賜の銀時計を下賜された唯一の外国人であり、中華民国の陸軍士官学校を創設するにあたっては、初代校長を務めている。
ちなみに彼の妻は日本人で、無論、日本語は堪能であり、日本の事情にも精通しているが、この人物の面白いところは、決して親日派ではなく、知日派に留まっている事だろう。
外国人には理解しがたい「本音と建前」という日本人の二面性を冷静に分析、理解しており、ある種、研究者的な印象を他人に与える風貌をしている。
彼は、この命が下る事を予期した孫に乞われ、その出征にあたって軍参謀長を務める事となっているのだ。
「よし、面白くなってきたな」
孫の隣の席に座る少壮の男が、左の掌に右の拳を打ちつけ、興奮する。
「おう。岡村、頼んだぞ」
岡村寧次。この時、39歳。
大日本帝国陸軍中佐、上海領事館駐在武官。
中国語に堪能な彼は、陸軍士官学校時代、生徒隊長として留学生達の世話をした縁から、やはり陸士の留学生だった孫伝芳、蒋百里とは「俺貴様」と呼びあえる仲だ。
「省部にいる同期の連中に頼んで、根回しは済んでいる。“高等軍事顧問”という肩書で許可がおりそうだ」
「そうか…。しかし……」
孫は躊躇いがちに岡村に問う。
「俺が討伐する安徽派は日本贔屓の連中だが……いいのか?貴官が勝手な真似をして……」
近眼で度の強い眼鏡をかけ、細面で繊細な印象のある岡村だったが、その性格は豪放の一言に尽きる。
「あん?俺の知ったことか」
そう言うと、彼は高らかに笑い飛ばす。
青年時代を共に過ごした孫と蒋は、相も変わらぬ岡村の豪胆さに半ば呆れつつも、その心地良い笑い声に身を任せる事にした。
再び、グレンコー・クラブ……。
笑いが共鳴したかのように、その室内を、声にならない笑いが満たし始めていた。
欧州大戦により失墜したと思われた大英帝国が再び、世界の中心に位置する光景がまるで目に浮かぶようだった。
突然、饒舌になったのはサイモン・キャンベルだった。
「海軍軍縮条約も、四カ国条約も、全ては米国が声高に叫ぶ日本脅威論に同調して締結したものです。そして九カ国条約には、ヴェルサイユで我々が認めた日本の権益を放棄させてまで、署名せざるを得ませんでした。全ては米国の言うがままに……」
サイモンの言葉を合図として、堰が切れた様に米国に対する鬱積した想いが溢れ始めた。
「そう、我々は米国に言われた通りに、中身の無い四カ国条約を締結し、日本との同盟を破棄した。彼の国との信義を踏みにじって……」
「ところがどうだ? 米国は、日本から満州鉄道を買い取るという。
我らには中国に手を出すなと言いつつ、日本を日干しにする片棒を担がせておきながら……」
「今考えれば、米国が日本を危険視するのも、フランスがドイツを危険視するのも、一緒の事ですな。
何の事は無い、英国の目線を自国から逸らす為の詭弁に過ぎなかったのではないか」
一同の口走る言葉を遮る様にマクドナルドが立ち上がり、自信に満ちた声で語る。
「日本との取引材料にするつもりで威海衛の再開発を公表しましたが…今となっては、どうでも良い事かも知れませんな。
数年を経ずして、日本は中国への影響力を失って列強から脱落するでしょう」
だが、どの様な会議でも異論を唱える慎重な人間はおり、そしてその様な人間は貴重だ。
「それはどうでしょうか?
日本は僅かばかりの租界を除いて、満鉄売却により中国に有する権益を事実上、全て失う訳でしょう?
という事は中国情勢に関与できる列強で唯一、外交的フリーハンドを得た、と云う事になりませんか?」
「日本が意のままにならない北京政府に見切りをつけ、広州政府の支援に乗り出す…とお考えなのですか?
北京政府ですら籠絡できない彼らに、広州政府を操る能力があるとでも…?」
「なるほど…。
では、上海制圧を目的とした北京政府の南征は理解できますが、陳炯明や陸栄廷の様な敗残者に肩入れして、何か益があるのでしょうか?」
「益などありませんよ」
つまらん質問をするな……そんな表情を浮かべてマクドナルドは答える。
「彼らに期待するのは、広州政府の北上を1日でも遅らせる事です。
スカートの裾を掴んで、少しの間、離さなければそれでいいのですよ。
それ以上、期待するのは間違いでしょうし、その後、彼らがどうなろうと我らの知った事ではない」
マクドナルドの冷徹な言葉を耳にしたダイニングテーブルを囲む一同は、自らの前に置かれた皿に目を落とし、少しばかり考え込んだ。
果たして自分は、無意識の内に、この醜悪なハギスを口に入れてしまったのだろうか…?と。
そう勘違いしてしまうほどに、彼らの口中は、血の味に満たされつつあったのだ。
今回は、作者から見ても、何となく掘り下げ足りない、駆け足みたいな話になってしまいました。
せっかくお読み頂いた方には、お目汚しの様になってしまい、深くお詫びいたします。
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加