第36話 六分半利
1924年2月14日
合衆国 ニューヨーク
ワシントンDCを目的地として船旅するならば、ポトマック川を少しばかり遡上して行くのが最短コースではあったが、むしろ、ワシントン北西方向にある港湾都市のボルティモア、或いはハドソン川河口のニューヨークを経由する方が一般的だ。
ローワーニューヨーク湾を経て、幅の狭いアッパーニューヨーク湾に進入すると、視線の先にまるで海原から突き出したかの如く天空に聳え立つ自由の女神像が屹立するリバティ島が正面に見える。
この様に岩盤だらけの小島に、何故、この様な巨大な立像を立てたくなったのか?
事情を知らぬ者が見れば欧州からの移民の玄関口として栄えるこの街一流の“こけおどし”だろうか?と、うがった見方をしてしまいたくなる、そんな威嚇的で挑戦的な空気を醸し出す街、それがニューヨークだ。
今、予定より丸一日早く、東郷の乗船する“みかさ丸”がアッパーニューヨーク湾内の指定された埠頭に錨泊すべく、水先案内人の指示に従い、静かに停船した。
パナマ運河の大西洋岸まで迎えに来たアーカンソーとワイオミング、更にはローワーニューヨーク湾口では海軍士官学校生を乗船させた戦艦テキサスを旗艦とするスカウト・フリートの各艦が礼砲と敬礼で東郷を迎えるというパフォーマンスまで披露されたこの日のニューヨークは、冬の終わりを告げる様な穏やかな海上風に包まれていた。
みかさ丸の周囲では、在泊の客船、貨物船、曳船などが放水により歓迎を表し、ヨットや手漕ぎボートに乗った市民が歓声を上げて出迎えている。
皆、一様に新聞紙面が煽情的に書きたてる東洋の英雄を一目、目に焼き付けようと舷側に身を乗り出しており、危うく転覆しかけた者さえあるようだった。
「この歓迎ぶりは……さすがはアドミラル・トーゴー、といったところですかな」
士官学校生に敬礼を返す東郷の横で、首席随員格たる幣原が呟くと、海軍側随員の最上席者である山本が誇らしげに頷く。
「ふん」
警備上の打ち合わせを行うべく、ひと足早く、連絡艀を用いて乗船した米国駐箚日本大使館の陸軍武官・原口初太郎少将が苦虫を噛み潰したような表情で鼻を鳴らす。
丸一日早い到着とあって、警備の予定などが大狂いになってしまい、日本側の警備責任者格の原口としては素直に喜べるものではない。
米国側の警備担当は、財務省傘下の内務検察局だったが、日本側が突然、希望した“ニューヨーク市内観光”計画のせいで、ただでさえ1日早い到着により、警備日程が大きく狂っているにも関わらず、この予定にない行動計画を聞かされて、すっかり頭にきているのだという。
米国側との交渉窓口を任され、その矢面に立たされている原口にしてみれば愚痴の一つもこぼしたくなるのは仕方のない事だろう。
前年まで、米国駐箚日本大使館に勤務していた山本は、陸海の違いはあれど同輩だった原口の不機嫌そうな表情を気の毒そうに眺めやると、
「日露の折りに我が国に好意的だったセオドア・ルーズベルト大統領閣下の墓参り…はまだしも……クーン・ロエプ商会の故ヤーコブ・シフ頭取の墓参りまでなされる…とは」
と呟く。
「全くだ。しかも、これは幣原外相の発案だというではないか。他人の苦労も知らずにつまらぬ入れ知恵をしおってからに……」
数メートルの距離を開けて、舷側から身を乗り出す様にして市民に向けて上機嫌に帽子を振るい、歓呼に応える幣原の耳に入らぬ様に小声で原口が答え、山本も苦笑し応ずる。
「シフ氏のお陰で我らは日露の戦費を調達できました。それは事実ですし、分ってはいるのですが……」
「然り然り。所詮、シフ氏は銀行家だ。彼とて金儲けでやったに過ぎない。まぁ、無論、帝国に対する好意が無かったら出来る事ではないだろうが」
「お二方とも、おやめなさい」
突然、風向きが変わったのか、二人の声が耳に届いたらしく、幣原は若い軍人達をたしなめる。
「明治大帝が……万世一系の天皇陛下ともあろう御方が、歴史上、初めて晩餐に招いた外国の民間人ですぞ、シフ氏は。ただの金貸しなどでは断じてない。その重み、お忘れなく」
幣原の言葉に山本も、原口も内心、不満を覚えつつも、ここは退き時と考え、反論は行わない。
「シフ氏は大帝陛下とお会いになった折り、こう御話しになられたそうです。
『価値ある資源や資産、権益を御持ちにならない貴国は、諸外国から借款を受けるのに必要な“担保”を有されていないも同然です。しかし、今、貴国は“信用”という担保の代わりとなるモノを御持ちです。それを御大切に』と……。
我々は、この言葉を肝に銘じなくてはなりませんぞ」
ニューヨーク・五番街
プラザホテル
ニューヨーク随一の格式を誇る「プラザホテル」はセントラル・パークを見下ろす一等地に建つ灰色を帯びた総石造りの建物だ。
一見すると、何の変哲もないただのビルの様な外観を有するこのホテルだが、最上階にあるスイートルーム一泊の値段が1500ドルという、とんでもない金額を要求するホテルであり、この額には放蕩癖のある米国の富豪達でさえ、さすがに二の足を踏む。
仮に、この格調高いホテルに無縁の一般人が冷やかし気分で、その一階にあるロビーに足を踏み入れたとしても、丁重過ぎるホテルマン達の立ち居振る舞いが無言の圧力と化して押し寄せ、どんな厚顔者でさえ、これに堪え切れず、自らの場違いを恥じて退散してしまう、そんなホテルだった。
幣原は、プラザホテル内にあるバーのカウンター席の一角に据えられたストールに腰をおろしていた。
時代は禁酒法時代。
取り締まる側の恣意的な思い付きで如何様にも市民を罰する事が出来る、この世紀のザル法、どういう訳かこの高級ホテル内は治外法権らしく、バーの店内は富豪階級の妖艶なささやき声に満ちていた。
フィッツ・ジェラルドやディケンズの小説の舞台として、再三、登場するこのバーの名物カクテル「フレンチ75」をバーテンダーにオーダーすると、幣原は紙巻き煙草に火をつけ、紫煙を大きく吸い込む。
ドライ・ジンにレモンを一絞り。
これにスプーン一杯の粉砂糖を加え、クラッシュアイスとシャンパンを注ぐ。
年配のバーテンダーは、手慣れた様子でこれを軽くステアして仕上げると、崩壊する炭酸により白濁した、その液体をグラスに注ぎ、差し出す。
甘い。
ジュースの様な甘さだ。
正式な名前は「ダイヤモンド・フィズ」という、このカクテル。
元来が女性向けのカクテルだけに、並みの男性であれば口端を歪めたくなる様な甘ったるさだが、酒に弱い幣原の口にはよく合う。
先の欧州大戦中に、優美な外観と致命的な一撃を与える破壊力をもって著名となったフランス陸軍のM1897/75ミリ野砲にちなんで「フレンチ75」と名付けられたそのカクテルは、口当たりの柔らかさに反してアルコール度数が高く、女性を一撃で“落とす”事から、その様な名前が付けられたのだという。
みかさ丸下船後、故セオドア・ルーズベルト大統領、故ヤーコブ・シフ氏の墓参を夕暮れ時までに済ませた東郷は急遽、この日の宿としてあてがわれたこのプラザホテルに一泊し、明日、首都ワシントンDCに向け移動する事となっていた。
米国史上、屈指のアグレッシブな大統領としていまだに人気の高いルーズベルト大統領はポーツマス講和条約の仲介者であり、ヤーコブ・シフ氏は日露戦争の際、日本側が必要とした戦費の調達に関して計り知れない便宜を図ってくれた西半球随一の銀行家である。
その両者への献花を東郷に行わさせる事により、米国人に対して
『日本人は恩義を忘れない』
というアピールをさりげなく行うのが発案者である幣原の狙いだった。
恩義ある死者を利用するなど不敬不遜ではないか……と随員団の一部からは苦言を呈する声や、反対意見も出たが、幣原はその様な節度はあっても甘い東洋的な考えを歯牙にもかけず、自らの意見を押し切る事に成功した。
幣原の見るところ、今日の東郷の行いに対して、概ね、米国の新聞記者達は好意的な印象を受けた様であったし、明日の新聞紙面は“恩人の墓前に手を合わせる日本の首相”の写真が飾る事になるであろう。
ユダヤ系ドイツ移民であるシフが率いたクーン・ロエプ商会は、かのユダヤ財閥最有力のロスチャイルド商会と比肩しうる財力・政治力を有しており、その発言力は欧米財界において重きを成している。
勿論、単純な個人資産的な意味合いであれば、ヘンリー・フォードやアンドリュー・メロンといった大富豪の方に軍配が上がるであろうが、数百年の伝統を持つユダヤ財閥が長年に渡って構築し、張り巡らした政治力というものに関してならば、彼らは足元にも及ばないであろう。
しかし、日本政府とクーン・ロエプ商会とは、頭取であるシフ氏の死後、疎遠になりつつあり、これは短期的に見ても、長期的に見ても、米国金融界との間のパイプが狭まった事を意味する。
現在の日本は、先の大戦時に欧州諸国の不在にかこつけて荒稼ぎした事より、世界でも屈指の債権国となっている。
だが、債権国とは言っても、米国やチリ、アルゼンチンなどの南米諸国の様な海外債務を持たない国々とは違い、日本政府の負っている債務よりも、国内金融機関や民間投資家が有する海外債権の額の方が大きい、というだけの事であり、日本政府が借りた金よりも、貸した金が大きい、という意味では無いし、財政事情が好転した、という意味でも無い。
長年に渡り、債務国だった日本は夢にまで見た債権国となった訳だが、いざ、なってみると
「債権国とは何と不自由なものだろうか……」
といった思いもある。
これが借款であったり、他国の募集した国債を、自国政府が買い取ったのならば、貸主として発言力も増すであろうが、買ったのは自国の銀行や投資家達である。
当然、裕福な彼らは政治的な発言力も大きい。
債務国が経済的に苦境に陥り、返済が滞った時、これに困るのは国債を買った投資家達であって、債務国政府ではないからだ。
無論、債務国政府の信用は地に墜ちるであろうが…。
そもそも「我が国は総額21億円余りに及ぶ債権を保有する債権国である」などと胸を張ってはいるものの、その実、5億6千万円に及ぶ対支債権は、元金どころか利子すら払ってもらえないという、完全に踏み倒されたも同然の代物であり、2億3千万円を有する対露債権に至っては、債務国そのものが存在しないという、絵に描いたような空証文。
正に「債権国だ」などと、言うも虚しいのが実情であり、対支、対露の空証文分を差し引けば、2億5千万程の債務超過となり、相も変わらず債務国のままだ。
しかしながら、この回収不能な債権を含めてやっと「書類上」の債権国となった事が、安いプライドを無意味に肥大化させたこの国の政府や国民には、余程、嬉しい出来事だったのか、普通ならば損金に繰り入れるべきものを繰り入れずに、問題を先送りし、目を瞑り続けた。
そして、残りの「真っ当な」債権を確実に回収する為に、或いは自国の資産家を保護する為にも、事ある毎に債務国を宥めすかし、下手に出て、返済が滞らない様に気を遣っているのが現状だった。
何の事はない、傾き、潰れかかった会社から、追加融資を強請られ、困り果てる銀行担当者とやっている事は何ら変わり無いのだ。
この時点で、日本が負っている債務51億6321万1千円の内、外債は約15億677万5千円であり、残りの36億5千万円余りが国債や借入金などによって構成されている。
外債の内、2億1千万円は低利への借り換えによる一時発生的なものであるので、実質は13億円ほど。
そして、その過半を占めているのが日露戦争当時に発行したものであり、戦費調達の任を帯びた高橋是清が、シフ氏との間に個人的な信頼関係を築き上げ、そのシフ氏の仲介により、パース銀行、香港上海銀行、ナショナル商業銀行、ロッチルド商会、ナショナル・シチー銀行といった金融機関がシンジケートを結成、引受団体となって合計8億4460万円にも及ぶ外債に応じた事により発生したものだ。
日露戦争当時、前後5回に及ぶ募債を行い、戦費の調達を行った日本政府であったが、当時はロシアという大帝国と戦争中であり、海外金融界や投資家にしてみれば、日本という国家の存続が危うくさえ見られていたものだったが、それでもシフ氏の尽力により第1回、第2回の募債に際しては、“六分利”という国債としては、暴利とも言える破格の利率提供によってではあったが、ようやく募債に成功。
その後、旅順攻略後に募債した第3回、奉天会戦後に募債した第4回では、これが“四分半利”に急落、更に戦争の総仕上げとも言うべき日本海海戦が行われた後の第5回募債では“四分利”にまで下落している。
つまり、この募債利率の急落は、正に戦場における勝利の積み重ねによって日本に対する国際的な信用度が上がった事を、そのまま、物語っているのだった。
しかし……。
現在、日本政府の内意を受けた日本銀行・横浜正金銀行は米国との売却交渉が不調に終わった場合の事を考え、欧米の金融界に対して、当座の所要金として5億5千万円の募債を打診している。
そして、この打診に対する欧米の金融界が出した回答は
『六分半利ならば引き受けても良い』
という、残酷な迄の現実であった。
この最早、法外と言っても良い募債引受利率が指し示すのは、欧米の金融界が現在の日本という国家を、日露戦争により国家存亡に瀕していた当時の日本よりも“信用できない”と断じた、という事なのだ。
幣原は日銀関係者より“六分半利”という募債利率を聞かされた途端、暗澹たる気分となっていた。
日本政府がどれだけ強気の発言をしようが、己の正統性を主張し、列強の一員として誇り高く振る舞おうが、海外金融界から見た絶対的な評価は、
「そんなものなのか……」
と思わざるを得ない。
もし今、“六分半利”で募債など実行しようものならば、日本という国家の実勢国力よりも遥かに下に見積もられている、と世界情勢など理解しようともしない日本国民の多くが憤りを感じ、国辱と断じるだろう。
しかし、これは国力云々の問題ではなく、鬼籍に入ったシフ氏が諫言した通り、日本と云う国家の“信用度”の問題であった。
軍事予算と借金返済に追われ、国家としてのインフラ整備や基礎的な資本投下に回せる予算は僅かな金額……。
この逼迫した財政事情を事実上『破綻しているも同然』と海外金融界は見ている、という事だ。
過去、募債に際して日本国内の港湾にて徴収される関税収入さえも担保に入れた経験を持つ日本政府ではあったが、今回、その保有する最後の担保価値ある存在“満州鉄道”の売却により、日本はこれから先、かつてシフ氏が明治大帝に奏上した様に
「信用を担保とする」
ことしか出来なくなるだろう。
その為には、日本人が
「恩義を忘れず、節を曲げず」
という事を、海外の投資家や金融界に印象づけ、証明し続けるしかない。
墓参は、その為の小さく、稚拙な一歩だった。
例え、故人を冒涜する所業だとしても、幣原にはそれを成さなくてはならない理由があったのだ。
「宜しいですか?ミスター・シデハラ」
フレンチ75の甘さが疲れ切った体に浸み込み、心地良い酔いの中に身を置いていた幣原は、突然、声を掛けられた。
丸眼鏡を掛け直した幣原は声の主に視線を送る。
「おぉ、これは……」
声の主は、クーリッジ政権で商務長官を務めるハーバード・フーヴァーだった。
“タフガイ”という言葉が、これほどぴったり当て嵌まる米国人も珍しいだろう。
鉱山技師を生業として、政界に進出してきた変わり種の理系政治家であり、クーリッジ同様に頑迷な自由主義者としても名を馳せている。
ただ、クーリッジのそれが、やや原理主義的な域にまで達しているのに対し、フーヴァーは持ち前の温かみある柔軟さを持っている。
フーヴァーは長身を幣原の隣のストールに預けると、
「エヴァンウィリアムズ、シングルバレルで」
とバーテンダーに対し注文を伝える。
幣原は少しだけ驚いたが、米国政府の現職閣僚が犯した法律違反を、にこやかに見逃す。
フーヴァーは、禁酒法に対して嫌悪感を持つドイツ系移民の子孫だったし、もともと、禁酒法自体が宗教対立を発起点とする、守るに値しないくだらない法律なのだ。
バーボンが並々と満たされたグラスを目線の高さまで持ち上げたフーヴァーは、幣原に微笑みかけると一気にあおり、大きく息を吐き出す。
その吐息が、焦がしたオーク材の香りと微かなバニラ臭に染まり、バー独特の香りとなって昇華されていく。
「ルーズベルト大統領にシフ氏。今日は、良い演出でしたな」
フーヴァーが2杯目の注文をしながら、さり気無く、幣原の演出を褒め称える。
その言葉に、幣原の下心を見透かした様な嫌味な要素は無い。
政治的演出と見抜きつつ、それが善意であれば、正面から受け止める、そういう知性と良識を、この男は持っている。
「お恥ずかしい限りです」
幣原は珍客の言葉を軽く受け流した。
「イタリアがソビエトを承認した様ですな」
フーヴァーが突然、用件を切り出すが、幣原は適当な相槌を打つだけで、その真意を探ろうと、自らは言葉を抑え気味にし、聞き役に徹する。
「英国に続き、イタリア。フランスの外交部も慌てて動き出したようです」
「……そうですか」
「貴国はどうなのです?」
「現在、交渉中……としか、申し上げられません。我が国はいまだにサハリン北部を保障占領中ですから」
「サハリンには油田があるらしいですね。まぁ、我が国としては貴国に益がある様に交渉が実る事を願うだけですが…。いずれにしろ、近いうちに連盟常任理事国はいずれも承認に踏み切る…と見て良いという事でしょうな」
幣原は答えず、口唇を歪め、肩をすくめる。
「我が国は当面、踏み切りません。我々とは対極に位置する主張を、そう簡単に認める訳にはいきませんからね」
「そうですか」
フーヴァーの意図がソビエトの承認話などでは無い事は、幣原にも分るが、真意がどうもよく分らない。
「ソビエトと言えば……。
8年ほど前、当時のロシア政府と貴国の間に締結された中東鉄道の松花江以南の支線売却価格は確か……1億1千万ドルでしたかな?」
「ん…?」
幣原はようやく、このタフガイがプラザホテルにやってきた意図を理解した。
フーヴァーが、否、フーヴァーに限らず米国国務省の対日専門家でもない限り、8年前に日露間で結ばれた支線売却契約の金額に関する知識など、あろう筈もない。
が、しかし
「フーヴァーがそれを知っている」
という事は、即ち
「勉強した」
という事であろうし、彼が勉強した、という事は米国が満鉄を購入した後、事実上、その采配は商務長官であるフーヴァーに
「委ねられる」
という事なのだろう。
確かに、鉱山技師として中国に長期に渡って滞在していた経験を持つフーヴァーならば、現地の事情にも精通しており、最適任者といえる。
無論、実際の売却価格交渉の窓口は財務長官のメロンや、国務長官のヒューズが担当するのだろうが、その後の満州経営の責任者となる商務長官としては、満州経営のノウハウや、張作霖を始めとした満州人脈を持つ日本側との間に太いパイプを築いておきたい。
その手始めとして、幣原とのコンタクトを持つ……という事なのだろう。
「外相閣下……」
幣原が自らの意図にようやく気が付いてくれた事を、その様子から確信したフーヴァーは笑みを浮かべる。
「私は若い頃、世界各地の鉱山で穴掘りをしておりました。今から、四半世紀も昔の話ですが、その頃、私は妻と中国にいましてね…。
その時ですよ、運悪く例の“義和団の乱”に出くわしたのは。清軍と義和団に包囲された租界の中で、明日には死ぬのか…と天を仰いだ時、連合軍の主力だった日本軍が重囲を打ち破って救出してくれた事、今でも感謝しています」
「ほぉ…閣下が中国にいらした事は伝聞にて聞き知っておりましたが、その様な事があったとは」
「あの時の日本軍は、東洋の憲兵として、とても親切で、誇り高く、紳士的でした。
私は貴国が、あの頃の様に振る舞い続けるのであれば、ステーツと貴国は良い関係を築いていける…と確信しています」
二人のグラスが空になった頃合いを見計らった初老のバーテンダーが、さり気無く、近付いてくる。
(フーヴァーは若い頃、貧しさ故に大分、苦労したらしい…という噂話は聞いた事があったが……。
まぁ、取り立てて親日家という訳ではないのだろう。
しかし、苦労人らしいこの男となら、日本は何かと上手くやっていけそうだな)
幣原は直感的に、そう感じ、将来の為に小さな投資を行う事とした。
「商務長官閣下。私に一杯、おごらさせて頂けませんか?」
と、尋ねる。
「喜んでお受けしましょう。外相閣下」
破顔したフーヴァーは、微笑み返す幣原と共にバーテンダーに向き直ると、異口同音に同じカクテルを注文する。
「マンチュリアン(満州)・ハイボールを」
大正十三年二月十四日
(1924年2月14日)
神奈川県・鎌倉郡鎌倉町
選挙戦が開始されてから4日が経っていた。
自らの率いる革新倶楽部に所属する立候補者達への応援の為、各地を遊説中の犬養毅と尾崎行雄は少しばかり足を延ばすと、ここ鎌倉に来ていた。
とある立候補者に会う為にである。
「面白い演説をする奴がいる」
その候補者の噂は、二人の耳に、そう聞えていた。
鎌倉駅に程近い、商店街の一角に、その選挙事務所はあった。
呉服屋の広い店先を借り受けた、如何にも泡沫候補の選挙事務所に在りがちな「異常に熱く語る支援者」と「義務感のみの支援者」が混合する、そんな雰囲気の漂う場所だった。
貧しい者にとって、選挙は小遣い稼ぎになる。
3円の納税が果たせない彼らに選挙権は無いが、選挙の応援は出来る。
いくばくかの日当をもらって、候補者の乗る人力車を牽き、演説会場に装飾を施し、会場の整理を行う。
日銭で生きる彼らにとって、わが身に投票権のない選挙というものは、あくまでも貴重な収入源に過ぎないのだ。
「邪魔するぜ」
5尺足らずの犬養が前に、6尺豊かな尾崎が後ろに立った凹凸の二人組は、入口に掛けられた暖簾を捲ると、選挙事務所の中を覗き込んだ。
二人とも羽織袴に雪駄履き、シルクハットにステッキという格好である。
「犬養だ…!」
「尾崎もいる!」
「先生、先生っ!」
事務所内にいた後援者達の間にざわめきが広がり、それがどよめきに変わる頃には奥より石橋が顔を出していた。
「木堂先生に咢堂先生、これは…!?」
若干39歳。無所属、初めての立候補。
石橋湛山は、憲政の神様と呼ばれる両者の訪問を前にして、驚きのあまり声を失った。
石橋は『東洋経済新報』という経済誌の編集長を務めている人物で、その革新的で切り口鋭い論説から、若年ながらも政財界から注目を集めて始めている。
これまで発表した論文の中でも、取り分け「全てを棄つる覚悟」と「大日本主義の幻想」の両論文における主張は極めて前衛的且つ革新的であり、その主張を一言に要約してしまえば
『小日本主義』
と言うべきものであり
「朝鮮、台湾、樺太を手放し、その軍事負担を民生に振り向け、貿易立国として経済発展を享受し、民活向上を謳歌しよう」
というのが、その主旨である。
だが、残念ながら時代は「舐められたら終わり」の帝国主義全盛期である。
無論、この様にラディカルな主張が、一般の国民に受け入れられる筈もなかったのだが、経済界、中でも対中国貿易の主役を担っていた関西の財界人の間では、反日感情に根差した日本製品不買運動に悩まされていた時期でもあり、対外不干渉政策を説く石橋の主張に対しては内心、大いに賛同するところがあった。
この『小日本主義』、勿論、石橋湛山ただ一人が説いたものではなく、同様の主張は大正初期におけるデモクラシー運動を理論的に主導し、普通選挙運動を大いに推進させる原動力となった言論雑誌「第三帝国」を率いた石田友治、茅原華山といった言論人達も行っている。
最も、大正13年というこの時期においては、つまらぬ諍いが原因で石田・茅原は内紛劇を演じてしまい、両者共に時代から取り残される存在と化してしまっていたのだが……。
「君が石橋君だね?少し、茶でも馳走してもらおうか」
相手の都合などお構いなく、犬養と尾崎は選挙事務所代りの呉服屋の土間に置かれた縁台にどっかりと腰を下ろす。
石橋は、30歳近い年齢差のある神様達を前にして、自らが委縮するのを感じた。
「反骨」「札付き」「裏街道」「神様」…。
犬養と尾崎を形容する言葉は実に多い。
彼らの圧倒的な風格や人品、これまでの言動と比較すれば、己の拠って立つ筆など、軽く折れてしまいそうなぐらい、頼りない存在に感じてしまう。
「私が石橋です。お初にお目に掛かります」
まごう事無き大物を前にした石橋は緊張のあまり、自らの言葉の語尾が調子ぱずれに跳ね上がるのを感じる。
「犬養だ」
「尾崎だ。宜しく頼むよ」
「早速だが、石橋君。うちの植原から面白い演説をする奴がいる…って聞いてね。少し、話を聞かせて貰おうかと思って寄ったんだが…」
植原とは、植原悦二郎の事だろう。
革新倶楽部に属する犬養子飼いの議員で、元大学教授。この時、47歳。
大正デモクラシー運動の最盛期、最も急進的なデモクラットとして学生達にカリスマ的な人気を博した自由主義者。
国民主権を主張し、天皇は統治権のみを有する、という当時としては凡そ考えられないほどに急進的な意見を披歴し、大逆罪で訴追されなかったのが不思議なぐらいの人物であり、その主張と気性を気に入った犬養が三顧の礼をもって自党に招いた。
最も、この植原に限らず、犬養の革新倶楽部には御同様の士が数多く屯しており、正しく“札付きの集団”ではあったのだが…。
「ふむ…。実に面白い。石橋君、ありがとう」
かねてより石橋が主張する「植民地を全部、手放してしまえ」という先進的だが破滅的な主張を一通り、聞き終えた犬養はそう呟いた。
「しかし、まぁ、朝鮮や台湾から手を引くなど、いくらなんでも無理だろう。いかな東郷首相とはいえ、満鉄で精一杯だろうからな」
「無論、分っております。分っておりますが……。
満鉄を売った事により、国民の生活が向上すれば、これを良き前例、証左として国民は朝鮮、台湾を手放す事に納得するのではないでしょうか?」
やや興奮気味に意気込んで答える石橋を軽く制した尾崎が、首を横に振りながら答える。
「石橋君、俺にはあんたの言ってる事は自分勝手だと思うがね。君の主張は内地の人間の事しか、考えていないじゃないか」
尾崎の言葉に、少しだけムッとした様子を見せた石橋が反論する。
「失礼ながら、咢堂翁のお言葉こそ、自分勝手である、と小生は思います。宜しいですか?
全ての民族は自主自立すべきだと私は考えます。
他の民族による支配が如何に善政であろうと、その思想がどんなに高邁であったしても、それが愉快であろう筈はありません。
朝鮮の地では朝鮮人が、台湾の地では台湾人が、それぞれの意志にて行動し、責任を負うべきなのです。
満鉄も捨てる。朝鮮も捨てる。台湾も捨てる。樺太も捨てる。
他者が日本人に圧迫された、と感じるもの、全てを捨て去るのです。
さて、捨てて困るのは日本人でしょうか?
否、困るのは我々、日本人ではなく植民地を保持しようとし続ける列強です。
日本が放った植民地解放の号砲は各地を駆け巡り、アジア、アフリカの民にとって希望の鐘となりましょう。
身を捨てて、死中に活を求めた日本人は、ただただ、アジア・アフリカの民から尊敬を得るのです。
我々日本人は『一切を捨てる覚悟』を持って、強大な欧米に対抗していくべきなのです」
石橋が己の言葉と共に顔を上気させていくのを、楽しげに見ていた尾崎は、チラッと傍らに座る犬養に視線を送る。
左手を右袖の袂に入れ、右手で煙管の吸い口を握り締め、首筋をトントンと叩いていた犬養は尾崎の視線に気が付いたのか、付かなかったのか、石橋の方を向くと
「石橋君、君の言ってる事は正論だよ、正論。一部の隙もなく正論だ」
その言葉に力を得た石橋は大きく頷き、更に尾崎に向かって持説を開陳しようと、口を開きかけた途端、犬養が機先を制する。
「どう思う、尾崎?」
犬養の言葉に尾崎は力強く頷き、
「合格だ」
と満足気に呟くと、犬養に向かい
「いいんじゃねえかい?木堂さん」
「おうよ、俺も気に入った」
「え?」
石橋は、総身が知恵で出来ている様な小兵である犬養の顔を思わず見つめてしまう。
「君の言う内政不干渉に自由貿易主義、それに民族自決。大いに結構、実に立派だ。
だがよ、今の東亜を見たまえ。我が帝国に限らず、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ポルトガル…。
こいつら列強崩れの連中がしがみついて、アジアの民を虐げているじゃないか。
その始末は、いったい、どうつけるのかね?」
「始末?……どうつけるって、木堂翁、どういう意味です?日本が植民地を解放すれば、他国もその先例に習うと私は信じています」
犬養の反論に、石橋は困惑し、尾崎は目を細めた。
「あめえなぁ、お前さんは……。
帝国は幸いにも、列強の支配を受けずに済んだ。これは誠に天佑であり、幕末明初の舵取り人達が、いい腕をしていた証拠だよ」
犬養は独特の伝法な口調で、淡々と持説を吟じる。
彼の半生で関わった中国の孫文、仏印のファン・ボイチャウ、英印のラース・ビハーリ・ボースといったアジアの独立運動家達の想いや日本への期待。
そして、それら全てを踏みにじり、拒否し、列強の一員であろうとした日本。
「つまりよ、石橋君。
脱亜入欧なんて下らねぇものを目指したばっかりに、この国はアジアの人々を裏切り、欧米人の機嫌を取って、ようやくディナーに招かれるようになった。
だがよ、結局のところ、ディナーの後のお楽しみ、カードゲームってやつには呼んじゃもらえねぇじゃねえか…。
みっともねえったら、ありゃしねえよな、日本って国はよ」
言葉を切った犬養は、煙管の雁首を煙草盆の縁に引っ掛けるとスーッと、これを引き寄せ、愛用の銀煙管に火を点ける。
犬養独特の、比喩の過ぎる物言いに困惑した石橋は、そのノンビリとした間合いに焦れて、思わず問い質してしまう。
「木堂翁、何がおっしゃりたいのです?」
「何がって、分らねえのかい? 俺は、もう見たくねぇんだ。助けを求めに来た者が、この国に失望して帰る顔を、な」
「じゃあ、どうするつもり何です?木堂翁」
犬養の淡々とした口調の背後に隠された、烈火の如き怒りを感じ取った石橋は静かに問う。
「分ってると思うが、今の東郷内閣の与党、政友会の主流派と憲政会は英米協調派、脱党した政友本党には対外強硬派が多い」
「はい」
「だがよ、この政友本党の連中ってのが厄介だ。
床次や元田、山本、中橋といった曲者が多い上に、小川や森、鈴木みてえな右翼の跳ねっ返りがいるかと思えば、鳩山の様な凝り固まった自由主義者まで居やがる。
おまけに兵隊の大半は、選挙にゃあ滅法強いが、右も左も分ってねえ様な田舎出のド素人ども……言ってみりゃ、寄り合い所帯だ。分るな?」
「えぇ、まぁ……。で、僕にどうしろって言うんですか?」
さっぱり、訳が分らない…といった表情で困惑しきった様子の石橋を見てとった犬養は、ガツンという高らかな音とともに、煙管を煙草盆に叩きつけて火口を落とすと、ニヤリと不敵な笑みをこぼす。
「お前さんに頼みがある。四の五の云わずに、その身体、俺に預けろや」
会談は数時間に及んだ。
辺りはすっかりと夕闇に包まれており、寒風が身を切る頃になってようやく犬養と尾崎は石橋湛山の選挙事務所を辞した。
二人の話す驚天動地の計画に、すっかり興奮した石橋は、二人を外まで見送りに出ると
「木堂翁、咢堂翁、宜しくお願いします」
と緊張した面持ちで頭を深く下げる。
「やめなよ、石橋君。お願いも何も、君が選挙に落ちたら、今の話は無しだ。分ってるな?」
「はい、勿論、勿論、分っています。全身全霊、ご期待に添える様に頑張ります」
よし、と犬養は満足気に頷く
傍らで立っていた尾崎が、両の腕を羽織の袂に仕込んだまま、巨躯に相応しい持ち前の大声を張り上げる。
「それからな、石橋君……。今度、俺を“翁”と呼んだら、承知せんぞ。木堂の爺さんと違って、俺はまだ、ジジイ扱いされるには欲があり過ぎるんでね」
ちなみに……
日本政府が日露戦争時の外債を完全に返済し終えたのは昭和61年(1986年)の事でした。
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加