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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
32/111

第32話 軍用自動車補助法

作者の悪癖が全開モードに突入し、3行で済ませられる話を1万字にしてしまいました。

自分の文章能力の無さに嫌気がさします。

はっきり申し上げて、本話はつまらないと思います。

 時代を少し遡る。

大正七年(1918年)とあるから6年ほど前の話だ。

この年、欧州大戦における戦訓を活かして、陸軍が策定した一つの法案が帝国議会を通過し、制定されている。

『軍用自動車補助法』と呼ばれる法案だ。

要は、陸軍の規格に則った自動車に対し、その製造者、購入者に対し補助金を交付し、有事に際しては、これを軍は簡素な手続だけで徴用する事ができる、というものだった。

欧州大戦における自動車の活躍ぶりは、新時代の輸送手段として欧州に駐在する観戦武官達より報告されてきており、その輸送能力や牽引能力の高さに着目した陸軍の主導により制定された法律で、同時に国内自動車製造企業の育成を狙ったものだ。


 産業育成を所掌する農商務省よりも先に、陸軍省が主導して自動車産業の育成を図る……という時点で既に軍国・日本ならでは、という笑止千万なこの法律、一石二鳥を狙ったのは良いが、さほどに効果を上げる事はなかった。


 というのは、この法案の内容の問題……というよりも、日本の国内事情によるところが大きい。

何しろ、当時の日本は、自動車整備工場というものがほとんど存在せず、その整備能力を持つのは陸軍工兵科を退役した者が僅かに存在しているだけで、尚且つ、そういった“特殊技能”を持つ者のほとんどは資産家階級のお抱え運転手として雇われている状況であり、一般社会において幅広く、その技能を活かす事はなかった…という人的資源における問題と、給油所などの絶対数が絶望的に不足していたのだ。

特に、この給油所の不足は、自動車の普及に多大な悪影響を及ぼすもので、ひどい県になると、県内に存在するのは僅か数か所のみ……などという事も別段、珍しくなかったのだ。

必然的に自動車を有する者は、ドラム缶などを用いて、自宅の車庫や物置にガソリンを買い溜めしておくなどの対策を講じていた。

 そんな対策が有効手段となりうる……という事は、その程度にしか、普及していなかった……の裏返しでもある。

この時代、自動車は生活必需品ではなく、あくまでも高級嗜好品に過ぎないのだった……。




大正十三年二月十日

(1924年2月10日)

神奈川県 横浜市 子安


 この日、若槻禮次郎農商務大臣は、世界最大の自動車製造企業フォード社の日本工場建設予定地において行われる起工式に出席する為、横浜港に程近い子安地区を訪れていた。

来年2月の完成を目指し、震災の焼け野原に建設される事になる、この自動車工場は復興の象徴的な性格を合わせ持っているが、実際のところ、フォード側は震災の発生する遥か以前より、日本国内に工場予定地策定の調査名目で社員を派遣してきていたのだ。

 これに対し、日本側は各自治体と地元製造業者団体が中心となって激しい誘致合戦を展開、連日の接待漬けは、かえってフォード社の社員達を辟易とさせる程のものだったという。

結局、港湾に隣接しているという利便性を重視したフォード社は、ここ横浜市子安にアジア最初の工場を建設する事にした訳だが、横浜市及び市内製造業者団体はその旨をフォード側から文書により通知された際には、狂喜乱舞の様相を呈したという。

 だが、その文書を読み進めるうちに彼らは失望し、大いに落胆する事となる。

何故ならば、フォード側が建設する工場というものが所謂

『ノックダウン方式』

と呼ばれる組立工場だったからだ。


 フォード側の説明によれば、組立用の冶具工具はもとより、組立に必要な工作機械及び機具一切、更には当の組み立てられる『フォードT型』に使用されるネジ1本、ナット1個に至るまで全て米国より船積梱包されて工場に送り込まれるとの事であったからだ。

日本側としては、面白い筈はない。

日本側のメリットと言えば、労働力の提供による職場の確保以外の何物でもないからだ。

ネジ1本、ナット1個に至るまで米国より納品されたのでは、地元の製造業者は全く潤わない。

日本側は農商務省の担当者として貿易理論に精通していた俊才・岸信介を渡米させると、早速、フォード社と交渉に臨ませ、

「最低でも3割、可能であれば5割程度は日本製部品を使用して欲しい」

と用地買収に便宜を図った恩をテコに声高に要求した。

これに対し、フォード社は一瞬の躊躇いも見せずに

「NO」

と答えたという。

フォード社側は米国人らしく一切、言葉を濁すこと無く率直に日本製部品への不審を説明し、粗製濫造の域を出ない、その様な部品を自社ブランドに使用する気は一切ない事を通告した。

余りの言葉に顔面を蒼白とさせた岸信介はこれに食下がり、省令により部品調達率を規制する事も可能である事をチラつかせ、半ば強圧的な態度を示した。

しかし、フォード社側はこれまた一切の躊躇いも見せずに、

「ならば、日本への工場進出を取止めるだけの話だ」

と言って席を立ってしまったのだ。


 米国フォードの年間生産台数は既に200万台を大きく上回っている。

それに対し、フォードが日本工場で生産を予定している台数は年間1万台に過ぎない。

日本工場が存在しなくとも、米国で生産した車両から1万台を日本向けに振り分ければ済む話であり、彼らが日本に組立工場を建設しようと考えたのは、単に

「船便で完成車を送り込むより、部品状態で送り込んだ方が遥かに効率が良い」

という至極、米国人的な合理主義に根差した発想によるものなのだ。


 自社製品に良い意味で絶対的な誇りを持つフォード社は、日本側の難癖に付き合っている馬鹿らしさを態度で示し、白紙撤回も視野に入れると通告してきた。

元より、その主力車であるT型フォードは300ドル足らずという低価格が“売り”で、その低価格戦略により他社製品を圧倒したのがフォード社である。

しかし、日本人の平均所得が米国のそれに比べて9分の1という時代である。

300ドルと言えば、当時の交換レート(関東震災後の円安期の時点)で780円に相当し、仮に米国人の月収を75ドルとした場合、4カ月分の給与額に過ぎない額となる訳だが、月収四〇円の日本人ならばおよそ二〇カ月分に相当するということになる。

300ドル・780円という金額が、日本人にとっては決して“低価格”などでないのは、自明の理だろう。

 加えて言うならば、フォード社はクレジット決済を認めておらず、全て現金または小切手での支払いにおいてしか売買契約を認めていない。

無論、当時の銀行窓口に印鑑を手に赴き

「車を買いたいから、金を貸して欲しい」

などと言ったら、噴飯物の所業でしかなく、態よく裏口に案内され、塩を撒かれるのがオチだろう。

つまり、フォード社から見たら、華族や資産家、それに一部の企業と官公庁しか顧客として見込めない日本という市場は極めて小さな市場でしかなく、それ故に年間生産台数1万台という、彼らから見たら小規模な(国産メーカー上位三社の年間合計生産台数が500台に達していない、という日本側の基準では十分に大規模であったが)タイプの工場設立を考えていたのだ。

 しかも、その様に大して魅力の無い、小さな市場からやって来た小役人が、高圧的な態度を示すなど、無礼にも程がある……とフォード社側では捉えたことだろう。


 結局、日本側の思惑は全くの空振りに終わり、農商務省による工作は徒労となった訳だが、合衆国駐箚日本大使・埴原正直の尽力により、フォード社側は白紙撤回を取り下げる事に同意、横浜子安工場はフォード社側の望む形で起工される事となった。

 しかし「部品納入不可」という事態に直面した地元業界団体の失望たるや凄まじく、その後も度々、農商務省に陳情に出向いたのだが、彼らへの説明とフォード側の態度に板挟みにあい、苦しんだ事務官が病に倒れるという状況に陥る。

その事務官は、フォード側の説明にあった「日本製部品に対する粗製濫造という評価」を業界団体に告げる事を憚った為に、一人、悩み、苦しんでいたのだ。

相手の気持ち、体面を重んじる日本人的な美徳の持ち主であった事が彼自身を苦しめる事になるのだから気の毒この上ない。

 事、ここに至り、農商務大臣・若槻禮次郎は地元業界団体関係者のみならず、直接的には自動車と関係の無い製造業に携わる業界団体の幹部を含めて、これらを一同に集めると、自らフォード社との交渉の経緯を率直に説明する事としたのだった。


 白皙で貴公子然とした、どこか繊細なひ弱さを感じさせる若槻は、淡々と、フォード側の言い分を説明する。

「……日本製部品の精度強度について、彼らは疑問の念を持っているようです」

若槻がそう言って言葉を結ぶと、しばしの間、一座は静まり返り声も出ない。

そこには何の言葉の濁しも、飾りも存在しない。

病に倒れた事務官の気苦労が気の毒になってしまうほどに、それはあっさりと、ざっくりと、駄目なものは駄目、といった伝法な切り口上で説明を締め括ってしまったのだ。


「ふざけるな!」

しばしの沈黙の後、一人の発した怒号により、会議室の空気が一変した。

「もはや、フォード社など無用。即刻、政府は許可を取り消すべきだ」

「馬鹿にしおって!」

「フォード社の車など、この国で走らせるな、締め出せ」

議場は炎上するが如く燃え上り、日頃、対立関係にある業界団体同士でさえ、手に手を取り合ってフォード社側の言い分に対し、反論し、若槻に対し強硬な態度を取る様に要求する。

瞬く間に暴徒の如く精神を高揚させた資産家階級と言ってもよい紳士達は、演壇の上に立つ若槻の膝下に集まり、

「政府の対応や如何に!?」

と足を踏み鳴らし、唾を飛ばしつつ強談判に詰め寄る姿を見た農商務省職員達は顔面を蒼白にして、大臣の身を案じ、一同に鎮まる様に声を枯らす。


「だまらっしゃい!」

突然、この様子を壇上より静かに見つめていた若槻が怒声を発した。

「あなた方は商人でしょう?

商人ならば、政府の力など借りずとも商人らしく復讐なさい!

何故、ならば勉強し、努力し、寝食を削り、身代が痩せ細ろうと、フォード社が膝を屈し頭を垂れてでも欲しがるような部品を作ってみせようぞ、と、思わないのかね。

嘆かわしい。

引く手あまたの良品を作り、それを高値で売り捌き、良い着物を着て、良い家に住んで、良い車に乗って、フォード社のお歴々を玄関先にまで迎えに来させ、それでも尚

『主に売る品物などはござらぬ』

と、そう大見得を切るのが商人というものでしょう?

恥を知りなさい!」

触れれば折れてしまいそうな細面の若槻が顔面を朱に染め、激昂する。

一同、あまりの若槻の豹変ぶりに、声も出ない。

その言葉に、腹中、据えかねて業腹を立てる者も多かったが、己の醜悪さに気付かされ、悄然と恥じ入る者はそれ以上に多かったという。



 フォード社の日本進出と時を同じくして、米国自動車産業界のもう一方の雄が動き出した。

ゼネラル・モータースである。

先発企業であるフォード社に対する競争心を剥き出しにし、フォードなど何するものぞ、の気概に満ち満ちたこの新興大企業は日本進出にあたり、その得意とする綿密な市場調査を行った。

大量生産方式を確立し、より多くの、より安い車の提供を実現したヘンリー・フォードに対し、大量販売方法を確立したのがGMの創設者W・C・デュラントであり、彼と彼に率いられたこの誇り高き“セールスのプロ集団”の真の狙いは、日本市場をフォードに独占させない事にある。

一度、独占されてしまえば、部品供給や流通、サービス面で大きな後れを取る事になるのは必定だからだ。

GMは、比較的早い時期に大阪市大正区への進出を社内的には決定していたが、要地買収交渉を積極的に行わず、日本側をまるで焦らすかの如く、のらりくらりとした態度を示してきた為、その進出計画の信憑性を疑われ、何度か頓挫しかけていたのだが、それもこれも全ては日本側からの更なる譲歩を引き出す為の戦略に過ぎない。


当初、GMもフォードと同じく自社ブランドの最底辺に在る廉価ブランド“シボレー”を日本市場に投入するつもりでいた。

日本人の平均所得を考えれば、このクラスが購入できる上限と考えられたからだ。

しかし、いくら廉価ブランドとはいえシボレーはライバル車であるT型フォードに対し、その価格は1.5倍近い。

だが、それでも米国内において確固たる人気を得ているのは、T型フォードが塗装でさえも黒一色にほぼ限定して量産化を追求したのに対し、シボレーは内装塗装仕様に至るまで各種のラインナップを揃え、顧客の多様なニーズに応えられる強みを持っていた事に加え、GM独自の強大な販売網、即ちサービスネットワークを構築したからなのだ。


「如何に顧客のニーズに応えるか?」

を自社の命題と考える彼らにとって、全てにおいて情報こそが最も重要視されるものであった事から、フォード社と日本の交渉経緯に関しても出来うる限りの資料を集め、それを子細に渡るまで綿密に読みとり、検証すると、どうやら問題は二点に絞られた。

 一つは、部品の現地調達である。

日本側は、フォードに対して部品を供給する事を希望していたようだが、はっきり言ってしまえば、フォード側の言い分の方がGMとしても理にかなっていると思えた。

日本人が自国製品をどれほどに考えているかは知らないが、世界で通用するレベルには遠く及ばないのが現実なのだ。

故に、GMも『ノックダウン式工場』の建設を企図していたし、それしか方法が無い様に思えたのだ。

もう一つは、大量生産方式のノウハウ伝授についてだ。

日本側自動車生産企業は、自社の生産台数があまりにも少ないが故に、フォード社より大量生産方式を学びとろうとしていたようだが、これに関してGMとしては、日本側の願いそのものが“正気の沙汰”であるとは思えなかった。

フォード社が確立した、その大量生産方式自体は現在の米国においては、さほど独占的な手法という訳ではない。

実際、GMもその方式を採用してはいたが「顧客のニーズに応える」というモットーがあるだけに、フォード社ほどの徹底さは欠いていた。

無論、それは意図的に“徹底しない”のであって、もしフォード社並みに徹底してしまったら、自社ブランドの“強み”や“存在意義”が見いだせなくなるからだ。


 ベルトコンベアを利用した流れ作業や、分業化、品質管理技術ばかりが注目されがちなフォード式大量生産方式だが、その“肝”は部品の規格共用化にある。

故に、可能な限り部品点数を減らし、可能な限り部品の種類を減らすという設計上の問題解決と、工程数を減らすという生産管理技術さえ確立できれば、流れ作業による分業化を行おうと、行うまいと、その量産数に大きな差はなく、むしろ、需要の見通しが無いままに必要もなくラインを動かさざるを得ないという過剰生産が引き起こす弊害の方がともすれば大きくなる。

フォード社が成し遂げた極端なまでの分業化というシステムは、過度の作業単純化を産み、それに満足できない熟練労働者は次々と会社を去るという、弊害を巻き起こした。

 これに対してフォード社は次々と入れ替わる労働者に対応する為に、更なる作業の単純化を推し進める、という悪循環としか思えない選択肢を選ぶしかなくなってしまったのだ。

言わずもがなの事ではあるが、フォード社のそれは熟練労働者を必要としないシステムであって、逆に熟練労働者を一定数、確保出来うる環境が整えられるのならば、必ずしも過剰生産と過剰在庫というリスクを背負ってまで為さなくてはならないシステムでは無いのだ。


 極々、単純化してしまえば1人がネジ1個締めるだけの作業に技術も熟練も必要はないが、1人が一定時間内にネジ10個を締めるのであれば、それなりの段取りとそれなりの熟練を必要とする。

そして、その熟練労働者の作業を支えるのが、同じ規格で、同じ精度や品質の部品を、大量に供給できる体制が整えられるかどうか? なのだ。

GM社の首脳陣が手にした日本の工業力に関する報告書では、その精度や品質が確保できていない、とレポートされていた。

ネジ穴にネジを締め付ける、という作業をする時、米国ならば倉庫から所定の規格のネジが入った箱を持ってきて、その箱内から無造作にネジを掴み取って作業を開始する事が出来る。

反対に日本では、所定の規格である筈の箱内から、まずは1個1個“適合する”ネジを探す作業から始めなくてはならない。

これでは大量生産方式云々……以前の問題だ。

“一品物”に関しては瞠目に値する様な職人芸を発揮する日本人ではあったが、基礎的な工業力という部分に関しては、米国企業から見たらその位、劣っていたし、故にフォードは日本製の部品などをあてにせず、自国からすべてを持って来るつもりなのだ。



 しかし、調査資料を読み進めるうちに、彼らは日本国内の状況が、乗用自動車を運用する事に適していない……という事に気が付いた。

購入する事が不可能な低所得者層が多いのに加え、劣悪な道路事情と絶望的に絶対数が不足しているサービス拠点や整備能力者、更に拠点や整備士をバックアップする体制の欠如……。

彼らの目には、日本において乗用自動車を普及させるのには、あと30年は最低限、必要であると映った。

 GM首脳陣は日本進出をこの時、躊躇った。

かつて米国内で彼らが行い、そして今日の隆盛を誇るきっかけともなった販売網、即ちサービス網の構築を行う為には大金を投じる必要があり、無論、大企業であるGMはその出費に対して余裕を持って耐えられるが、しかし、投じたところで元が取れる可能性が見いだせないのだ。

彼らはふと考え直す。


 フォードが年間一万台を量産する体制を整えてしまえば、日本の市場規模では自社の乗用自動車を売るのは不可能なのではないか? と。


 大量生産というものが成立するには、それに見合った需要が必要なのだが、その需要が日本では今後、長期に渡って見込めない。

見込めない以上、目先を転じるしかない。

GMが最近、傘下に収めたあまたの自動車関連企業の一つに「イエローコーチ」という会社が存在する。

自動車産業の黎明期に各地で勃興した地域限定メーカーのひとつだ。

その存在を思い出した時、答えは直ぐに出た。

 イエローコーチは、バスやトラックを主体とした大型車両の製造に特化した会社であり、それらは、国土があまりに広大過ぎる為に鉄道線路を全土に敷ききれない米国において、その代替え輸送手段として発展を遂げてきていた。

日本人の所得では乗用自動車は購入不可能だ。

だが、日本人がいつまでも、その移動手段を徒歩や馬匹、自転車に頼っている筈はない。

必ずや移動手段が必要になる。

個人で所有できないならば、鉄道などの公共交通機関を利用するしかない。

しかし、鉄道を網の目の様に敷設する事は不可能だ。

ならばバスこそが、日本という市場に最も適した自動車なのではないか?

個人所有のバス……などいう存在が考えられない以上、顧客は必然的に自治体や地方で輸送業を担う企業となる。

 GMはフォードと違い、米国内においてはクレジット購入を可としているが、政情の不安定な日本においてまでそれを適用する気は無い。

しかし、企業が事業として購入するならば銀行からの融資も容易な筈だと考えられたし、しかも、その売価は乗用車10台分にも相当するだけにGM側の得られる利幅も大きい。

同時に関東大震災という災厄に見舞われた日本では、復興需要としてトラックなどの貨物自動車を緊急に、かつ大量に必要としており、これらは将来的にも十分な需要が見込まれるし、これもやはり高価なだけに十分に利益が見込まれる。

それに所有者が個人ではなく、企業や自治体であれば整備体制に関して、さほど危惧する必要はなさそうだ。

民間自動車整備工場などという存在が皆無に等しい日本の現況下では、購入者は自ら整備に当たるか、技能を持った者を個人的に雇うしかなかったが、その絶対数が日本においては絶望的に不足している。

つまり、日本の自動車事情というのは、自動車を作る、作らない以前の問題で、運用できる体制すら満足に整っていないのだ。

しかし、バスやトラックを運営する企業自治体は当然、効率的な運用を行う為に日常の整備やオーバーホールは欠かせないし、その為には自前の整備工場を所有するのが一番の近道だ。

そんな購入先に対してGMが直接、整備技術を提供し、指導する事は可能だし、日本全国にサービス網を自社で展開するよりも購入先を支援する方式の方が遥かに安価で、容易だし、同時に顧客の信頼も得られる、というものだ。


 GM首脳陣は長時間に渡る検証の末、結論を出した。

我々が日本市場に提供すべきブランドは、シボレーではなくイエローコーチだ、と。




 しかし、問題が残る。

乗用車市場を、あの憎きフォードに独占されてしまう……という多分に雄としての“誇り”の問題だ。

元々、日本進出計画自体がフォード社への対抗意識を剥き出しにしたが為の計画であったのに、シボレーを武器とした一般顧客向け市場を諦め、バスやトラックといった産業市場への進出を企図するのでは本末転倒も甚だしい。

企業戦略上、というよりも、何が何でもフォードの邪魔をしたいGMとしては手段を選んでいる余地はない。

そこで彼らは、自らが進出する大阪に拠点を置く“関西の雄”住友財閥に対して、シボレー・ブランドの

『ライセンス生産』

を打診する事としたのだ。



 その創業は室町期に遡るという世界最古の財閥・住友というのは一風変わった財閥で、新興・後発の三菱や三井が“商事会社”を旗艦会社としてあらゆる分野に進出し、多角経営を行っているのに対し、創業以来“鉱工業”のみに専念して巨大化した組織なのだ。

その点では、金融業を社業であるとして、それに専念して巨大化した安田に似ている。

住友は、この主力である鉱工業にしても、鉱山開発や鉄鋼などの素材提供に特化しており、その気になればいつでも進出できるだけの資力と技術力を持ちながら、機械工業分野には手を出さず…という徹底した本業への執着ぶりだ。

GMよりライセンス生産を打診された時、住友側では文字通り、困惑した。

本業ではない事業への参画は、保守的だが同時に徹底して堅実な住友の社風に合わないからだ。

機械工業を未知の分野と考える住友側は、GM側の意図するところを掴めず、両社の会談は数十回に渡り繰り返され、そして住友側は一つの結論を導き出した。


GMは我々を利用しようとしているのだ…と。


 一度、こう結論が出てしまえば、たかだか創業20年足らずのGMと、300年の歴史を誇る本場の大阪商人「住友」ではくぐった修羅場の数が違う。

相手側の意図に感づいた住友は、完全に開き直り、こんな交渉など壊れてもかまわん…という本音をチラつかせつつ、GMに対して次々と難題を吹っ掛け、翻弄し、易々と交渉の主導権を握ってしまう。

GMもこの時点で、住友との交渉を打ち切ってしまえば禍根を残さずに済んだのであろうが「フォード憎し」という感情論が声高に主張された事、それに加えて現実的には関西経済界の支配者・住友との提携というのは、その後の日本展開を考える時に非常に有益で魅力的である、と判断してしまったのだ。

前述した様に、鉱工業に特化した住友の顧客は一般人ではなく、企業や自治体が主体であり、それは正しくGMが展開するイエローコーチ・ブランドの顧客層と完全に重なる。

即ち、住友の保有する支店網をそのままGMの販路ネットワークとして利用できるのだ。

反対に住友側は未知なる分野への進出とあって、GMに対して、ノックダウン方式ではなく、乗用自動車生産に関わるプラントを丸ごと購入したい、という条件を提示した。

つまり単なる組立工場では無く、部品製造から一括して全て行いたい、という意思表示を示したのだ。

理由は勿論、他でもなく鉱工業を柱とする住友財閥だからだ。

これが三井や三菱であれば、安価に建設が可能な組立工場でも構わなかったであろうが、住友は金属資材を提供するのが本業であり、自社で乗用自動車を製造するのに、自社製金属資材から加工した部品ではなく、他社から部品を購入して作った……と噂されては鼎の軽重を問われる、と考えたのだ。


 揉み手をしながらゴリ押ししてくる相手側の主張に、今度はGM側が困惑した。

部品製造から組立に至るまでの一括プラントを住友に提供する事自体に問題はないし、その工場で生産されたものが“シボレー”のブランド名で日本国内において売られるのは、大いに望むところではあるが、日本の安価な人件費により生産された安いシボレーが米国本土や欧州市場に輸出される事となったら、GM本社にとって将来的に脅威となりうる、と考えたのだ。

しかし、日本という限られた市場の、その上、更に小さな市場規模しか見込めない乗用自動車分野に対して自らの資本を投下するのは、どう考えても躊躇われた。


結局のところ、両社は最終的に妥協した。

ほぼ、住友側の主張をGM側が呑む、という形で。

住友側は自動車及び関連部品の製造を行う新会社を設立、GMの斡旋により部品製造から組立に至るまでの一貫製造プラントを購入し、その生産技術提供を受け、将来的にはGM大阪工場への部品供給も行う。

同時に住友がライセンス生産を許可されるのはシボレー・ブランドのみであり、これは日本国内のみでの販売を可とし、将来に渡って輸出は一切、行わない、という制約を受けいれる。

GM側は住友の日本国内及びアジア全域に広がる住友財閥傘下の各社支店網をその販路として利用でき、同時に住友は自動車の普及拡大を図るべく日本国内において給油所、整備工場などのサービスネットワーク構築を推進、GMブランド車の販売に寄与する……。

住友側は異業種への参入に、その業種の最大手企業の一つからあらゆる技術的な支援を引き出す事により、自らのリスクを軽減し、反対にGMは多額の投資を必要とする販売網の構築を行うこと無く、手に入れる事が出来る。

そして何より、住友製シボレーの市場展開により、日本市場におけるフォードの独占を阻む事に成功するのだ。

一時的に住友を自社の代理人として利用し、将来的に日本の乗用自動車市場が拡大した時点で自らが直接、進出する、というその長期戦略はGMの目論見通りとなったのである。




 ……後日譚となるが、GMの展開したイエローコーチ・ブランドの大型貨物自動車や大型バスといった、それまでの日本では類例をみない程の大型車両群は日本全土の物流・交通を担う一大潮流と化す。

GMは日本の道路事情に合わせて、これらの車種の小型化などの再設計を行わず、米国において展開した車両をそのまま日本に持ち込み、販売したのだ。

結果として、この我が物顔で走り回る大型車両の群れが、日本の道路事情に与えた被害・損害は膨大な金額にのぼる。

 何しろ、満載時の重量が機関車に匹敵する様な大型車両が、それまで馬車や荷車しか走った事の無い様な地方の道路にまで進出した事により、その過大な重量に耐えきれなくなった路肩の崩落や路面の割裂、橋の崩壊などが頻発し、政府・自治体は1930年代を通じて、これらの修繕補修工事のみならず、新道の建設や既成道路の拡幅、橋、隧道の整備などに多額の資本注入を余儀なくさせられたのだった。


作中にありますように、史実におきましては

1925年にフォードが横浜に

1927年にGMが大阪に

それぞれノックダウン式の工場を操業開始しました。


本話はその史実を下敷きととし、作者の長年の疑問を一つ、ぶつけてみる事としました。

日本の自動車産業黎明期、数多くの国産メーカーが存在しましたが、それらはいずれも中小企業の域を出ないもので(後の日産となる企業もありましたが、この時点では小企業に過ぎません)大財閥、大資本による進出の気配はなかったかと思います。


本話は、もし、早期に大財閥が自動車産業界に進出していたら…?

という考えから書いたものです。


数ある財閥の中から、住友財閥を選択したのは、財閥の中でも鉱工業から後に重化学工業へと特化、常に技術を重視したその姿勢に敬意を表すと共に、戦前の日本工業界を支えた同財閥の他財閥とは一線を画した特異性に魅力を感じた為です。

あと、GMの工場進出予定地の大阪に拠点を持つ、というのが物語の進行上、自然と感じた為です。

(念の為に言っておきますが、私は住友の関係者ではありません笑)


だらだらと長い本話をお読み頂きました方には、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。


2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加

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