第31話 密約
北太平洋上 みかさ丸
払暁
北半球のほぼ同緯度に存在する横浜とサンフランシスコ。この両国を代表する港湾都市間の最短距離を作図せよ、と言われるとメルカトル図法で描かれた地図上においてはハワイの北1000海里程を通過する直線を物差しを使って引きたくなる。
しかし、地球が丸い以上、その様なコースが最短距離である訳がない。両都市間を船で旅する場合、当然のことながら地球の表面に沿った最短距離を辿らなくてはならない。このルートを「大圏コース」といい、横浜を出港後、房総半島沖合で大きく左、即ち北東に変針、アリューシャン列島の南・数百海里の沖合に向かい、ここで再び変針、東南に舵をとりサンフランシスコへと直進する。
これが両都市の最短距離なのだ。
では、中国大陸の都市、仮に上海とサンフランシスコを結んだ場合はどうなるか……?
上海を出発した船は一路、北上。対馬海峡より日本海に入り、津軽海峡を抜けてアリューシャン列島の南方沖合を目指し、以後は横浜を船出した場合と一緒のコースを辿りサンフランシスコに至る。
21世紀現在、両大陸間の海上交通は日本海を経由して行われている。この影響が日本経済にもたらす影響は甚大であり、1990年代まで、世界の港湾都市ランキング上位を占めていたはずの神戸、横浜、名古屋らの都市は中国の経済成長と共に消え、今現在、まったくのランキング外に転落してしまっている。これらの都市に変わってランキング入りしたのが、朝鮮半島南端の港湾都市・釜山であり、今や、同市はアジア最大級のハブ港湾へと発展を遂げた。
つまり、両大陸が経済的、政治的に安定し、貿易取引が拡大した場合、主要交通路は日本列島の太平洋側ではなく、日本海側に移るのが船舶の商業的運用を考えた場合の経済原則となるのだ。
では、旧世紀、日本列島の日本海岸の港湾都市が満足に発展せず、太平洋岸の港湾都市ばかりが発展したのは何故か……?
そこには日本海を自らの領土の一部と見立て、完全な管制下に置いておく事を欲し、主要な国際航路となる事を良しとしなかった日本の、取り分け日本海軍の思惑が多分にあったからなのだった。
この日“御用船”みかさ丸は、パナマ運河を通過し東海岸に向かう為、大圏コースを逸れハワイ・ホノルルを経由し、赤道直北の彼の地を目指すコースを辿っていた。洋上を吹き荒れる風神は、遮るものの無い大海原故に、正しく我が物顔で辺りを睥睨し、身を晒す者全てに対して平等に飛沫という名の洗礼を与える。早朝、黎明の薄明りを帯電させ始めたばかりの周囲の空気は、夜陰の匂いをまだ多分に残しており、月さえ沈まぬ空には、昼の支配権を得たる太陽が今にも海を切り裂きて顔を出そうとしている。
そんな、みかさ丸の船首に外套を身に纏った東郷平八郎は立っていた。齢七十と七歳。大きくうねる船首は数メートルの落差を体感させており、冷たい水飛沫が容赦なく頭、顔、全身を叩き、耳朶の奥にまで冷気を送り込む。
警護の者のうち、警視庁から派遣された私服巡査達は立っている事さえままならず、舷側に張り巡らされた転落防止用の安全索にしがみ付き、必死に己が職務を全うしようと激烈な恐怖心に耐えている。これに対し「海軍省附き官邸秘書官心得」という何だかよく分らない職名を与えられ、財部海軍大臣より直々に警護の為に……と派遣された横須賀鎮守府所属の海軍士官達はさすがに勝手知ったる海の上だけに東郷の背後において直立不動の姿勢を示し、指先と足首、それに膝関節の調節を行う事で絶妙のバランスを保っている。
東郷は舳先で気を付けの姿勢のまま、外套の裾を風にはためかせ、ただ前方に迫る波頭を見つめている
。舳先の直下で砕かれる荒波が気まぐれを起こし、一瞬でも、この老人を包みこめば歴史が変ってしまう。
しかし、老人は意に反さない。
背後に立つ海軍関係者達も、警視庁関係者の心配をよそに、海神に愛でられた老人の身にその様な不幸が訪れる可能性など、万が一にもあり得ないこと……と信じきった目つきでその小さな背を見つめ続けていた。
己が出番を待ちかねた様に太陽が遂にその姿を海原の向こうに現すと、空を覆う闇が瞬時にして追われ、雲一つない薄紫の空が秒単位で広がる。東郷は旭日に向かい、二礼すると瞑目し、高らかに拍手を打つ。
一つ、二つ。
そして再び、深々と一礼する。
数秒の時を経て、東郷は頭を上げると、両の腕を真っすぐ左右に開き、大きく深呼吸した。胸一杯に潮を吸い込み、総身の不浄を祓うかの如く……。
前甲板を規則正しく歩く、足音が聞こえてきた。その近づいてくる音を耳にした瞬間、海軍武官達は振り返りつつ外套の懐に収めた拳銃にそっと手を伸ばす。彼らの目線の先には、見知った顔があった。海軍武官達は、その近づいてきた人物に目礼すると、黙って道を開ける。瞑目し、磔刑に処された救世主が如く両の腕を広げてたまま風を浴びていた東郷も、その人物の存在に気が付くと微笑みを浮かべるのだった。
その人物は“摂政宮御成婚式”への出席を名目として、日本を訪れた外国要人の一人であり、東郷の訪米に際して、ニューヨークまでみかさ丸に便乗したのだ。本来、欧州出身のその人物が祖国に帰る最短経路はシベリア鉄道を利用するルートの筈だった。しかし、この人物は意図的にそのルートをとらず、東郷の船旅に同行した。無論、目的は東郷との接触に他ならない。それは所謂、『正式な外交ルート』を介した会談を希望していない……という事なのである。
ヨゼフ・ピウスツキ。ポーランド共和国・国家元帥の称号を持つ男だ。年齢は57歳とあるから、丁度、マンネルハイム元帥と同年である。一本棒の如き眉毛と半円を描いた様な口髭、そして炯々と光る力強い濃藍の瞳。短く刈り上げた濃い金髪は精悍そのものであり、長年、鍛え上げた胸板は分厚く、壮年期以降の老いを全く感じさせない。東郷と視線を交わしたピウスツキ元帥は、帽子を軽く掲げ
「おはようございます、首相閣下」
と、笑顔であいさつをする。
そう、日本語で。
国家として123年ぶりに独立を回復したばかりのポーランド共和国において『建国の父』と称され、尊敬を集めるピウスツキ元帥は、今回が2度目の来日だった。最初の訪問は、およそ二〇年前、日露戦争中の事だった。当時、彼の故国ポーランドはドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、そしてロシア帝国という列強に分割支配されており、故に彼は、彼自身が強大と信じてやまないロシアという大帝国に対し、無謀にも挑んだ東洋の新興国家・日本に絶大な関心を持ったのだ。ポーランド社会党党首という身分を偽り、来日したピウスツキは日本におよそ二ヶ月間に渡って滞在、独立運動家として『敵の敵は味方』理論を展開して、日本政府に対し独立派への支援として武器及び資金援助を求めた。日本政府側も、既にフィンランド革命党への支援工作によって一定以上の成果を収めていた事もあり、この独立派からの要請に対し尋常ならざる興味をもった。
しかしながら、この試みは成功寸前にピウスツキにとって残念ながら失敗に終わる。というのは、ピウスツキと時を同じくしてもう一人の独立派指導者ロマン・ドモフスキも来日、穏健派だったドモフスキは強硬派のピウスツキの動きを危険視し、日本政府に対し援助を行わない様に説得したのだ。二人の独立運動家の意見対立に困惑した時の日本政府は、結局、露軍捕虜の3割に上る4600名のポーランド出身兵を、他のロシア出身兵よりも厚遇するだけの措置に留め、資金・物資の援助については丁重に拒否する事としたのだった。当然、ピウスツキは落胆し、失望したが、その怒りの矛先は日本政府に対してではなく、国内の穏健派――――彼の目線では日和見主義者達――――に向けられる事となる。
ヨゼフ・ピウスツキ元帥と日本の結びつきは、これだけに留まらない。彼の実兄プロニスワフ・ピウスツキ博士を介しての関係である。文化人類学者でアイヌ民俗研究の第一人者として高名なピウスツキ博士は、独立運動家という別な顔を持ち、ロシア皇帝アレクサンドル三世の暗殺未遂事件に連座、長期に渡ってシベリアに流刑に処せられたのだ。しかし、元来、ポジティブな性格であったらしい博士は、刑期満了後にシベリアから樺太に渡り、同地においてアイヌ人の研究を推し進める事とした。アイヌ人有力者の親族を妻とした博士は、その後、日本に渡航、東京に滞在し大隈重信、二葉亭四迷ら政界の実力者や有識者達と積極的に親交を結び、
『日本・ポーランド協会』
を設立、両国の交流を深めるきっかけを作った人物でもある。無論、ヨゼフの達者過ぎる日本語は兄プロニスワフより習ったものだ。
独立運動の闘士として名声を博していたヨゼフ・ピウスツキは、独立と同時に実権を伴わない『国家元首(大統領)』の称号を贈られていたが、その彼の名声が伝説へと変化したのが
『ヴィスワ河の奇跡』
と呼ばれる会戦における大勝利によってだ。
この会戦は、1920年に勃発した『ポーランド・ソビエト戦争』と呼ばれる一種の干渉戦争において、首都ワルシャワを陥落寸前にまで追い込まれたポーランドが、正しく起死回生の一発逆転を果たした戦いなのだが、その奇跡的な勝利を演出したのがヨゼフ・ピウスツキであり、この戦いの勝利により彼は『独立の父』から『救国の英雄』へと進化を成し遂げる。
名将トハチェフスキーに率いられた赤軍に対し、僚友ヴゥワデスワフ・シコルスキ将軍と共に寡兵を率いて出撃、赤軍指揮官同士の連携の悪さを見抜いた彼らは、その一瞬の隙を衝き反転攻勢に打ってで、これを散々に撃破したのだ。ちなみにこの時、トハチェフスキーの指示に対し意図的にサボタージュを行い、大敗の原因を作ったのが、スターリンが政治顧問を務めていた部隊であり、この頃から既にスターリンと赤軍幹部の間に横たわる溝の深さ、即ちそれはスターリンと、赤軍の創設者トロツキーによる対立構図が水面下にあった事を示している。
この歴史的勝利により、赤軍はポーランド領内より撤退、逆に勢いにのったポーランド軍は遠くミンスクにまで進撃し、ソ連側を慌てさせる事に成功した。その後、両国は国際的な圧力もあり『リガ条約』を締結、国境線の確定を行い、停戦を受諾する事となったのだ。『ヴィスワ河の奇跡』により、ヨゼフ・ピウスツキの名声はポーランド国内のみならず国際的にも広く知られるようになり、正しく頂点に達したと言ってよい。その実績、人望、名声……どれをとっても、彼は『ポーランドの東郷』と言ってもよい程の英雄とみなされているのだ。
摂政宮御成婚式に国賓として招かれたこの英雄は先の欧州大戦後、前述した様に再建されたポーランド共和国において初代国家元首を務めた人物なのだが、どう言う訳か憲法を制定するなどの国家としての道筋を作ると早々に政界を引退、一線から身を退いてしまった。しかしながら、今回の御成婚式にあたって同国政府に対し日本政府が来賓として要人の派遣を求めた事に対し、表舞台を退いた筈の同元帥はいつになく自らが出席するとして譲らず、彼の後継者たるポーランド政府首脳陣を少なからず困惑させたものだったという。
日本とポーランド。
前述した日露戦争中のポーランド兵捕虜に対する特別待遇や、列強によるシベリア出兵時にポーランド孤児保護に唯一、尽力した国……。これらの事実を聞き知っているポーランド人が、日本人の想像する以上に、只ならぬ親近感を持ったのは実に自然な流れであり、ロシアに支配されたり、その圧力をまともに受けた国々が日露戦争における日本の勝利に狂喜した、それと同様だった。
しかしながら、両国民の互いの国に対する感覚の差は著しく乖離している。
西欧社会を手本としてきた日本人の視点は常に欧州を西側から見た目線であり、東欧という欧州の深部に位置する異邦に過ぎないポーランドであったが、ポーランド人にとっての日本という国は、ユーラシア大陸の反対側に位置する、遥か遠くの国家などではなく、ソビエト・ロシアという国を挟んだ「一軒先のお隣さん」なのだ。
「国家への一撃に同心される……その御決心は変わられませんか」
二人の英雄は、みかさ丸に乗船して以来、習慣と化した共に朝食をとるべく食堂に向けて肩を並べて歩いていた。東郷の警護担当者たちは、二人から数歩離れた位置におり、その低い声で交わされる会話が耳に届く事はない。
「はい。首相閣下……彼らは、最早、耐えられそうもありません」
ピウスツキ元帥は彫りの深い眼差しに哀しみを湛え、答えた。
東郷は答えない。
彼の故国においては建国後間もない故の政治混乱が続いている。イデオロギーの対立ならば、彼も彼の弟子達も耐えたであろう。
しかし、実像は違った。
醜聞、贈賄、収賄、汚職……。
政治のノウハウも、統治のイロハも知らぬ、にわか仕立ての政治家や官僚達が英仏などの国外資本や新興の国内資本と結びつき、醜悪な利権闘争を繰り広げているのだ。自ら血を流し、独立を勝ち取った彼には到底、耐えられぬ事ばかりだった。
だが、自ら一線を退き、引退したつもりである元帥は堪忍し続けた。
しかし、元帥と共に独立を勝ち取ったかつての部下達は違う。
今や軍高官に昇進していた彼の部下達は、何とか、かつての指導者である元帥を説得し、彼の指導の下、ポーランド政界浄化を断行し、再び祖国が他国の軛の下に置かれる事のない様に東欧の強国として国家再建を為すつもりなのだ。
答えぬ東郷を見てピウスツキ元帥は言葉を続けた。
「皆、かつては良き夫であり、良き父であり、良き息子であり、良き戦士でした。彼らはどこに行ってしまったのでしょうか?」
ようやく上級乗船客向けの洒落た装飾の施された食堂に着き、窓際の眺め良い指定席に落ち着いた二人の存在に気が付いたボウイが、オーダーをとるまでも無く既に慣例となった英国風のミルクティーを供する。周囲の卓には、三々五々、朝食をとる為に集まってきた大勢の各国要人が互いに挨拶を交わしており、食堂内は華やかな喧騒に包まれる。
東郷がピウスツキ元帥から、このクーデター計画を打ち明けられて数日が経っていたが、事が事だけに、訪米に同行している幣原にも打ち明けられずにいた。クーデターの手順自体はこれといって奇をてらった物ではなく、実にオーソドックスな手法を用いて計画されており、要は政権を実力で奪取し、当面は国土全域を戒厳令下において混乱の収束を待つ、というだけの話だ。部隊の配置や展開、作戦の説明まで受けたが、実のところ土地勘のない東郷には今一つ、ピンと来なかった、というのが本当のところであったが元帥とその部下達が練った計画は成功するだろう。国内的に英雄視されている元帥の政界再登場は、政官財の汚職に辟易としている大多数の国民達の支持も見込めるだろうし、何より東郷自身がその前例となってしまっている。
問題は、諸外国の動きだ。
ポーランド国内に豊富に存在する石炭や銀、銅などの鉱山に関わる利権が複雑に絡み、その大部分に英仏が絡んでいる。
国境線画定において大きく譲歩させられたソ連側の報復にも警戒を要する。
無論、ヴェルサイユ条約によりダンチヒ回廊を奪われたドイツに関しては言うまでもない。
更には北東にて国境を接するリトアニアとは事実上、停戦状態にあるとはいえ公式には戦争中であり、ポーランド軍はリトアニアの首都ビリニュスを占領したままだ。最も、18世紀の『ポーランド分割』が行われる以前の400年間、ポーランドとリトアニアは一つの国家として存在し、その最盛期には欧州最強の国家として恐れられるほどであったのだが、現在の対立ぶりは当事者同士にしか分らぬ近親憎悪であるのかも知れないのだが……。
ピウスツキ元帥が東郷に接触した目的は、クーデター直後に周辺各国を掣肘する役目を日本に期待したからだ。国際連盟常任理事国である日本の発言力は、日本政府が考えている以上であるらしく、政権奪取直後に「新政権を承認する」とすかさず公式に発言し、英仏両国政府との交渉を仲介して欲しいのだ。現ポーランド政府内の利権集団と結び付いている英仏両国は、自らの既得権益に損失が出る事を何よりも恐れている。何しろ、先の欧州大戦で英国は日本の880倍、仏国は600倍もの戦費を費やした。4年間でたった8000万円程度の戦費を浪費しただけの日本とは異なり、国力の差を差し引いても目の眩むような莫大な出費であり、何としてでも、その元を少しでも取ろうと両国は必死になっている。故に、現ポーランド政権に多少、甘い汁を吸わせてでも、同国内の既得権益を維持したいのであり、逆にいえば権益が維持できるのであれば、現政権がどうなろうと知った事ではない。そこに利害関係が希薄、というよりも全く無い日本が、新政権への支持を表明すれば、利害関係が大きく絡んだ両国政府としては、介入に二の足を踏まざるを得なくなる。国内的にも国際的にも、世の流れは軍縮に傾いており、権益確保を名目とした出兵が易々と許される状況ではないし、何より日本という仲介人を介して、既得権益の保全が保証されるのであれば、それ以上は望まない。根腐れを起こした現政権に肩入れする事情も理由も何ら存在しないからだ。
その他の国々……ソ連は今現在、国際関係修復の第一歩として国際連盟への加入を申請中であり、常任理事国である日本との対立は好まざしかる結果を生む事になるだろうし、英仏がポーランドという鍋に手を突っ込まなければ、ドイツが動く心配はない。
フランスはドイツが動いたら、喜んで背後からハルバードの切っ先を突き刺して、今度こそドイツの息の根を止めるだろうし、そのフランスの隙だらけになる背中を、非フランス的な発言から親独派政権と見られ始めている英国のマクドナルド新政権が見逃すはずはないと思われるからだ。
「元帥閣下に合力するとして、我々は何を得られるのですか?」
(やはり…そう来たか……)
ピウスツキ元帥は、東郷の言葉に軽い失望を覚えたが、むしろ国際関係が利害関係で成り立っている以上、当然の事だ。
「……首相閣下、我が国には石炭をはじめとして豊富な地下資源がございます。その中には貴国が必要としている物も必ずやありましょう。私は貴国の求めに応じ、破格の価格にて輸出する事をお約束いたします」
ピウスツキ元帥の言葉に、東郷は小首を傾げ、考え込む。余りに長い東郷の沈黙に耐えきれなくなった元帥は、手持無沙汰に冷めたミルクティーに口をつけ、ナプキンを弄び、再びティーカップを手にする。
「元帥閣下、リトアニアと仲良く出来ますか?」
(何を言っているんだ?)
元帥は東郷の言葉に混乱した。今度は元帥が答えあぐねる番だった。何を意図して、その様な日本と関係の無い事を……と考えた瞬間、元帥は気が付いた。
(なるほど。東郷は「両国の仲裁を行った」という国際的な名声を欲する、という訳か。だが、それだけでは済むまい……)
「首相閣下の支持が得られるのであれば、占領中のビリニュスをはじめとしてリトアニア全土より撤退致しましょう。他に何か御所望の物はございますか?」
「では……我が国の良き友人となって下され。我が国には、盟邦と呼べる国々はあまた在りますが、友邦と呼べる国はございませんので……」
元帥はこの瞬間、激しい眩暈に襲われた。
(友に……友になれだと? 我らに日本人の……)
想像を絶した要求……とはこの事だろう。元帥は急速に己の目頭に圧力が掛かったのを感じ、全身が総毛立つ。東郷は、国家として産声をあげたばかりで、揺り籠を列強の思うがままに揺らされ続ける我が国に対し、革手袋越しではなく直に握手を求めてきたのだ。
契約書も持たずに……。
イデオロギーと政治、利権と市場、条約と法令、名誉と憎悪、国境と国民……国家を縛る有形無形のあらゆるものを超越した要求が存在している事を、今、57歳の老人は77歳の老人に教えられたのだ。東洋的な価値観、と言ってしまえば、それまでであったが、自らが身を置いてきた権謀術数の蠢く欧州政界を「卑しい」と断じてられてしまったかの如き衝撃をピウスツキ元帥は受けていた。
(馬鹿な……あり得ない……あり得ない要求だ。もはや、これは政治どころか、交渉ですらない……)
この年の5月、所謂『五月革命』と呼ばれるクーデターに成功し、その後、10年以上に渡って祖国を独裁的に支配下に置き、この多民族国家を欧州屈指の強国に育て上げる事に成功するポーランドの英雄は、自分でも信じられない程に声を震わせながら、面前に座る東郷の皺深い手を握り締めると、絞り出す様に答えた。
「はい。首相閣下。喜んで……喜んで、友となりましょう。ポーランドは貴国の傍らに常に立ち続けましょうぞ」
後年、勃発する事になる世界大戦に際して
『国際連盟 最後の常任理事国』
として、満身創痍となりながらも己が義務を果たそうと奮闘する東洋の島国が存在した。そして、その国と常に行動を共にする二つの友邦が存在したという。
史実においてヨゼフ・ピウスツキ元帥は3度、クーデターを計画し、その3度目にようやく成功し、ポーランドを独裁下におき、政界浄化を成し遂げ、飛躍的に国力を伸張させることに成功しました。
しかしながら、時すでに遅く、彼の死後、ドイツ、ソ連の侵略を受ける事となります。
拙作においては、その1度目のクーデターに成功した…という設定となります。
当然ながら、政治腐敗により遅滞し続けた同国の内政は史実よりも早いペースで近代化する事となります。
ピウスツキ元帥の開発独裁型政治の成功は、史実日本の一部青年将校たちにも多大な影響を与えましたが、
拙作における影響はどうでるか…それは、またいずれ後のお話とさせて頂きたいと思います。
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加