第24話 満州の王
1924年1月17日
瀋陽県・奉天市
その男は、優しげな双眸を持っていた。
丸坊主にした頭に下がった目尻、鼻下に蓄えられた豊かな口髭。
東洋人にしては長身であり、富裕階級にしては痩せ過ぎな感さえある。
その男、出は一介の貧農であったという。
貧しさ故に、馬賊の世界に身を投じ、その類稀な統率力と包容力でたちまちの内に頭角を現した。
時を日露戦争の頃に遡る。
男は、ロシア軍傭兵部隊の将として私兵の馬賊集団を率いて、日本軍後方を暗躍し、その補給線をズタズタに切り裂いた。
ただでさえ弾薬食料の欠乏に苦しみ、ようやくの思いで満州の地に送り込んだなけなしの補給物資を焼き払い、強奪していく彼の悪名は、自然と日本軍内において高まっていく。
しかし、何故か、これと比例してロシア軍内においても、彼の名声は悪化していった。
曰く「匪賊である」と……。
端的に言ってしまえば、日本軍に対して余裕で“勝つつもり”のロシア軍にしてみれば、日本軍を満州から駆逐した後、その支配体制を盤石とする為には彼ら不法武装集団を捕縛追討しなくてはならない。
つまり、現在、雇用関係にはあるものの、日本軍を退けた次の相手が彼ら馬賊達…という訳である。
頭の良い彼の事である。
無論、ロシアのその様な意図など“お見通し”だった。
転機は突然、訪れた。
いつもの様に日本軍の兵站集積地を襲撃した彼と彼の一党であったが、何故か馬術に巧みな彼とした事がその日に限って落馬し、あれよあれよと言う間もなく、いとも簡単に日本軍の手に捕縛されてしまったのだ。
彼、つまり「チャン・ツァオリン」は、優秀な騎兵指揮官として日本軍内部において高い評価を得ていた…とは言うものの、ロシア軍傭兵という「不正規」な身分に過ぎない彼に対して、苦汁を飲まされ続けた日本軍が全面的に好意的でいられる筈もなく、遠からずして、簡単な軍事法廷が開かれ、当然の如く報復目的の「死刑判決」を受ける事となると思われた。
しかし、ここで又、彼の運命が狂う。
いや、むしろ、その後の経歴を考えると、捕縛された事すら彼の計算の内にあったのではなかろうか、と思えるほどに180度の転換だった。
彼の取り調べを担当した満州軍作戦参謀の一少佐の報告を聞いた満州軍総参謀長・兒玉源太郎が彼に興味を持ったのだ。
兒玉は地理に明るく、ロシア軍の内情にも精通した彼の知識才覚に利用価値を見出し、満州軍・第二軍隷下第一騎兵旅団長・秋山好古少将にその身柄を預ける事とした。
兒玉の意を受け、先の取り調べ担当官を務めた満州軍少佐が、拘置所において留置中の彼に対して“転向”を説得する事となった。
彼とその少佐は、一晩中、その薄ら寒い拘置室内で、肴も無しに冷酒をあおり、二人で一枚の毛布に包まりながら、膝詰め談義で語り明かした結果、夜が明ける頃にはすっかり意気投合し、国籍・立場を超えて生涯変わらぬ友情を誓いあったという。
彼の名を張作霖といい、満州軍少佐の名を田中義一という。
「日本が満州から手を引く……だと?」
その衝撃的な報を、中華民国奉天督軍兼東三省保安指令・張作霖は東郷演説から2日後に自邸のある奉天市内において聞く事となった。
無論、事前に情報としては入って来ていたものの、その意図するところが掴めず、確認作業に手間取っていたのだ。
この辺の情報収集能力の甘さは、所詮、地方軍閥の盟主に過ぎない張作霖の限界なのかも知れない。
その傍らには、結果として敗れはしたものの、先の“奉直戦争”の折り、殿軍戦で勇名を馳せた猛将・姜登選、日本の陸軍士官学校出身で親日派の陽宇霆、張作霖の嫡子・張学良の師にしてその軍師格・郭松齢、張作霖とは馬賊時代から盟友関係にある張景恵、そして嫡子・張学良ら「奉天軍閥」の主だった者達が顔を揃えていた。
日露戦争終結後、日本軍の全面的なバックアップを得た張作霖は、瞬く間に東三省の弱小軍閥を併呑、辛亥革命の立役者である総統・袁世凱にも巧妙に取り入る事に成功し、そしてその死後には、袁世凱直属の北洋軍閥を吸収、今や中国大陸最大の軍閥として地位を固めつつあった。
正に、威勢四海に響く実力を備えた現在の張作霖であったが、自らの後ろ盾にして最大の支援者・日本が事前通告も無しに一方的に手を引くと宣言した事に対して、さすがに茫然自失の態をあらわさざるを得なかった。
「これでは、裏切りではないか……」
そう、思わずにはいられない。
彼と彼の一党は今現在、一昨年、直隷軍閥の領袖・呉佩孚と、彼に擁立された大総統・曹昆に挑み、敗れさった奉直戦争の復仇を誓い、前陸軍大臣・田中義一の好意と仲介により日本製兵器を大量に購入し、20万にも及ぶ陸軍を姜登選の指導下に錬成しており、他にも少数ながら空軍、海軍までも整備しつつあった。
このまま順調に進めば、秋には宿敵・呉佩孚を打倒できるだけの戦備が整えられる…と判断しており、その上でも兵站を握る日本との関係緊密化は必須なのだ。
事実上の「満州王」として君臨する張作霖にとって、奉天を核とした東三省、すなわち満州は重要な根拠地であり、その勢力の策源地ではあったが、それはあくまでも華北・華中・華南という中国本土を制覇する為の一つのステップに過ぎない。
自身の中華大陸制覇・中華民国総統就任という目的があればこそ、南満州鉄道を中心とした日本の傲岸不遜な専横ぶりにも、これまで目を瞑ってきたのだ。
現在、中華民国の内情は事実上、四分五裂の状態にある。
首都・北京には国際的に一応、承認されている北京政府があり、これを事実上、牛耳る呉佩孚の背後には英米両国が強力な後ろ盾となって存在している。
そして、遥か春秋戦国時代の大国・晋の首都として栄えた晋陽、その流れを汲む太原市を中心とした山西省には、陸士16期卒で永田鉄山中佐、小畑敏四郎中佐らと同期である知日派の「山西王」閻錫山が率いる『山西軍閥』が北京政府と良好な関係を保ちつつ、独立独歩の地位を固め、半ば独立国状態にある。
その首領・閻錫山は辛亥革命に便乗したとはいえ、若干31歳で肥沃な山西省を支配下に治めるだけあって、数ある将星の中でも特に異彩を放っている。
何より軍閥としては異例な事に非常に民政に心を砕き、民心の安定と掌握に努めており、その支配領域には鉄道が敷かれ、治安も安定しているせいもあってか、各国の領事館が立ち並び、中国内陸部における最先進地域として繁栄している。
他にも、主だった軍閥としては山西省の西、古都長安の流れを汲む西安市を中心とした陝西省には、政権交代の度に常にキーマン的な役割を果たし、自身の保身と勢力拡大を果たしてきた札付きの裏切者として「現代版・呂布」とも例えられる「陝西王」馮玉祥が率いる『陝西軍閥』。
中国南部の広西省は、国境を接する仏印との関係が深く、フランスからの資金・武器援助をテコとして近隣に覇を唱えるほどに強大化した『広西軍閥』が存在していたが、最近になって陸栄廷、沈鴻英、李宋仁の指導者三人による主導権争いが勃発。
当初、この内紛劇は最大勢力を率いる陸栄廷が楽々と勝利を手にすると思われたが、剽悍な少数民族出身者を主体とした精兵を有する武闘派・李宋仁が、孫文・国民党の支援を得て善戦、今や同地は三派入り乱れた混戦状態となっている。
中国南西部・雲南省では、天嶮によって外界から隔絶された同地域の特殊性もあってか、省内の支配権を巡って激しい抗争劇が従来より繰り広げられていたが、少数民族“イ族”出身の猛将・竜雲を指揮下に収めた唐継尭が、対立勢力の撃砕に成功しつつあり、文字通り『雲南軍閥』の主宰者として自立しつつあった。
これに加え、大軍閥の勢力に表向きは雌伏している小軍閥まで含めれば、中国大陸には実に膨大な数の軍閥が存在しており、袁世凱というカリスマ性と政治力のある巨星が墜ちた後、正しく群雄割拠の混乱状態なのである。
そして何より、中華大陸の遥か南、広東省には孫文率いる国民党・広州政府が新勢力として急激に民衆の支持を集め、膨張を開始しており、
他にも1921年に正式に発足したばかりの中国共産党の存在がある。
こちらは一定の支配地域というものは持たないが、主として華南・華中の山間農村地帯や、大都市圏の労働者層に支持を広めており、密やかに勢力の浸透拡大に成功しつつある。
この混乱状態、分りやすく例えるならば、北京政府が末期の“室町幕府”、各地の軍閥を“戦国大名”と捉えるのが適当だろう。
各地の軍閥は、“幕府”たる北京政府の権威を認めつつも、その権力には従わず、自ら北京政府の大総統の地位を狙う。
張作霖もその一人であったし、表向きは北京政府の威令に従い、北京政府の重鎮として振る舞っている馮玉祥もそうであったし、そして現在、北京政府を支配し、華中・直隷省に本来の地盤を持つ呉佩孚もかつてはそうだった。
これらは中央の権威を利用して、自らの勢力拡大を図る守護出身の戦国大名的な立ち位置であり、“三好長慶”的とも言えるし、或いは“武田信玄”“今川義元”的とも言える存在である。
一方、幕府に対し距離を置きつつ、自らは中央に覇権を求めず、地盤の育成に熱心だった“後北条氏”に似た勢力が、「山西モンロー主義」を掲げる閻錫山の山西軍閥や、大衆運動家出身という経歴を持つ竜雲の雲南軍閥。
これらに対し、北京政府の権威そのものを否定する立場に立ち、旧弊打破を狙っているのが孫文の国民党・広州政府、これが言わば“織田信長”といったころであり、
ソ連という“革命の総本山”からの帰国者が実権を握り、各地に散った分家的な組織を主導する共産党は、この時点においてはコミンテルンの指示に対して盲目的に従う事を、その活動の第一義としており、その一種、教条主義的な志向は“一向宗”という存在に擬せられるかもしれない。
「ともかく日本に、東京に行ってくる。田中と話をしてみたい。後の事は任せたぞ」
張作霖はそう一同に告げると、日本に知己の多い陽宇霆が供を申し出た。
「自分は日本の陸士8期生として学んでおりました。
その際の同期が今、陸軍次官を務めている渡辺少将です。
彼とは日本人の言うところの『俺・貴様』の間柄ですから、きっとお役にたてると思います」
「よし、では共に参ろう。期待しておるぞ」
その日の午後には、張作霖は陽宇霆を伴うと満州鉄道に用意させた特別列車に乗り込んだ。
旅順まで1日、そこから海路東京まで1日半…。
乗り継ぎさえ上手くいけば都合3日足らずで東京までは着く。
酷寒の満州、その野を疾走する満州鉄道・特別列車の車窓から一面の雪景色を眺める張作霖は、一縷の望みを盟友・田中義一陸軍大将との会談に託すのだった。
同日
外務省・大臣公室
この日も幣原は多忙だった。
東郷首相の訪米日程を詰める為に、連日の様にウッズ駐箚米国大使と内密の折衝が行われているからだ。
本来ならば、事務次官や北米課長級の者達に日程の調整など任せておいてもよいのだが、ここ1週間ほど、外務省、いや日本全土が狂騒の様なお祭り騒ぎの渦中にある為、職員一同も多忙を極めており、とてもではないが部下任せになど出来る状態ではないのだ。
その最大の理由は、摂政宮殿下の「華燭の盛典」が来る1月26日に迫っているからだ。
この次代の大日本帝国元首の婚儀に出席する為、各国の特使や王室関係者が次々と来日しており、その出迎えを行うだけの時間にさえ、やり繰りするのに四苦八苦しており、その上、様々な会談が並行して行われているのだ。
友好関係にはあるが、具体的な交流が薄く、両国間に懸案事項の無い国々…例えばデンマーク王国やスウェーデン王国、ポルトガル、オーストリア、トルコ、メキシコ、南米諸国……などから派遣されてきた要人との夕食会や、単に“ポーズ”の為の会談などには、とても手が回らず、副首相の秋山元帥をはじめ、外相経験のある加藤や、首相経験者である高橋などを総動員して、相手をしてもらっているのが現状だった。
無論、相手が王室関係者ともなれば、こちらも然るべき皇室関係者に出席をお願いして、相手の「格」を守ってやる事にも心を砕かねばならない。
(やれやれ、とんでもない時期に外相を引き受けてしまったものだ…)
幣原は他人にはそう嘯きながら、自身、この状況を楽しんでいる風であった。
「貴国の開明開放的な政策に対し、我が国は心よりの称賛を贈りたい、とラムゼイ・マクドナルド次期首相よりの親書を預かってまいりました」
この日、幣原に対し急遽、面談を申し込んだチャールズ・エリオット日本駐箚英国大使が長身を日本風に屈して、薄くなった頭を幣原に披歴する。
長身痩躯、「サー」の称号を持つ典型的な英国紳士であるエリオット大使は、その立ち居振る舞いが実に優雅だ。
幣原としては多忙な折でもあり、この様な事前予約なしの面談など断ってしまいたかったが、東郷の国会演説において聞き様によっては英米批判ともとれる言動があった故に、
(さては、その抗議にでも訪れたのだろうか…)
という思いもあり、取りあえず無理矢理、スケジュール調整して、この老大国から派遣された老外交官の希望に応じる事にしたのだった。
彼の祖国・英国では史上初の左派政権である労働党内閣ラムゼイ・マクドナルド次期首相が、現在、22日の迫った正式な政権発足に向け、組閣の真っ最中である。
そのマクドナルド新首相の主張する政策…。
これの基軸となっているのが、先の欧州大戦以降、極端な『ドイツ脅威論』を振りかざし、何かとうるさい存在になってきたフランスと距離を置こう、というものがある。
何故ならば、ベルサイユ条約により、事実上、海軍力を失ったドイツという存在は
「海軍力こそ軍事力であり、国力である」
と考える英国人の中で“敵”としての存在感を急速に失ってしまってきており、必然的に英国人の多くは新たにこのように考え始めた。
「歴史的に見れば、英国が欧州本土に進出するのを常に扼してきたフランスの方が、我が国に対しての脅威度は大きいのではないだろうか?」と。
不透明なソ連を除けば、ヨーロッパ随一の陸軍力を保持するフランスが、兵力をたった10万人まで削減されたドイツの存在を、むやみやたらと危険視する声を大きくすれば、大きくするほど、英国人達は、その声の裏にある思惑を勘繰らざるを得なくなってきたのだ。
これに対してフランス第三共和政は欧州大戦後の経済復興に失敗、これも原因となって離合集散を繰り返すお得意のオポチョニストぶりを発揮し、1年間に数度も政権担当者が入れ替わる混乱ぶりを国内外に露呈、そのスキャンダル暴露合戦は、もはや三文新聞の記事にすらならないほどとなっていた。
ところが、誰が政権を主宰しても、大国としての威信は欲しいらしく、特に米国の勃興により相対的に影響力の低下が顕在化しつつある英国を“欧州の盟主”という立場から追い落とすべく、殊更
「ドイツ脅威論」
を声高に主張することによって、欧州大陸内における求心力を高め、主導権を握りたい……という訳だ。
事実、先の欧州大戦で戦場となり、甚大な被害を受けたベルギー、中立を守り通し、連合国、中央同盟国双方に大量の軍需物資を売り捌き、巨万の利益を得たまでは良いが、結果として双方から睨まれ始めたオランダ、ロシア革命の混乱に乗じて民族悲願の独立を手に入れたばかりのポーランドなどは、この主張にまんまと傾斜し、昨今、急速にフランスとの関係強化に努めはじめていた。
しかし、同時にフランスは、ある種のジレンマにも陥っていた。
インフラ類に戦災が及ばず、戦後経済への移行も戦争中に強化された生産施設・設備類のお陰もあって比較的スムーズだった英国と違い、その本土が戦場となり、北東部が焦土と化したフランスには、今もって「本気になった」英国に単独で対抗するだけの力は無い。
その上、戦前の英・仏・独三国鼎立により、均衡の取れていた欧州三強体制が、英仏という敵対の歴史を営んできた両国による二強体制になってしまった現在、もし、英国が
「次なる脅威はフランスなり」
などと少しでも考えはじめたら、山高帽をかぶった英国紳士達は平気な顔で自慢のステッキを昨日までの宿敵ドイツに貸し与え、サクソン同盟を結成して、どんな手段を使ってでもフランスの後背を脅かし、安穏と眠る事など決して許しはしないだろう。
世界帝国の経営者・英国人にとって国際外交とは、常にそういうものなのであり、これこそ正にフランスが恐れる地獄絵図だったのだ。
ともかく、フランスには復興するまでの時間が何より必要であり、それまでは「ドイツが怖い」と言い続け、英国人の冷たい視線の先にあるのは常にドイツ人……という状況がおきたいのだ。
フランスの日和見主義者達の願いも虚しく、マクドナルド新政権の示した方針は
「反ドイツでも無く、親フランスでも無い」
であり、これは、欧州に再度、三国鼎立状況を創出する事が英国にとっての良策だ…という考えた方を基礎としている。
それに何より、
「相手が断りきれない程の善行を行えば、必ずや善き報いを得られる」
が政治信条である善人・マクドナルド新首相にとって、困窮するドイツ人達の足元を見透かした行為、即ち、ルール工業地帯の占領を行ったフランスの所業は、許されざる非道な行為である、と映っており、この行いに対する牽制的な意味合いも含めてドイツとの距離を縮めようとするのは、或いは必然であったのかもしれない。
幣原は、内心、エリオット卿に
(忙しいんだから、早く帰ってくれ!)
と思いつつも、常日頃以上に、にこやかな応対をしていた。
ところがエリオット卿は、こんな日に限って、どういう訳か面前のソファに深く腰をおろすと、日陰で育った桃の木の様な細長い脚を組んで、幣原にも無言で着席を促す。
(ちっ、全く…)
「1億ポンドと、サラワクの割譲。如何ですかな?」
「…は?」
「ご存じだと思いますが、サラワクには良質な石油が産出します。貴国が望むのであれば、我が国の優秀な石油技術者がその開発のお手伝いを幾らでも致しましょう。如何ですかな?」
「ちょ、ちょっと、お待ち下さい、駐箚大使殿。そ、それは満鉄との交換条件という事ですね?」
幣原は慌てた。
そして、その慌てた内心の動きを正確に、老練な外交官であるエリオット卿は読み取った
(ふむ…優れた外交官として評判の良いシデハラだが、まだまだ若いな)
英国の示した条件、1億UKポンドと言えば、ほぼ10億円に相当する金額だ。
日本よりも先に反動不況を乗り越えつつある、とは言え1億ポンドという金は英国にとっても大金な筈だ。
日本側の予想では、米国が示すであろう満鉄購入金額は最低12億円、最高で20億円。
つまり旧平価換算で、およそ6億ドルから10億ドルといった範囲だった。
これに対し、日本政府が所有する満州鉄道の株式全ての時価購入と、向こう10年間の経常利益相当分、これが日本側の考えている希望売却条件である。
つまり、発行株式総額6億4千万円のうち日本政府が所有しているのは、これの67%にあたる4億3千万円分。
現在、満鉄株は額面1円に対し2円75銭の時価となっているので、凡そ11億8千円相当となり、これに経常利益10年分5億円を加えた合計16億8千万円が希望売却価格だ。
但し、もし米国が株式の時価額による買い取りのみにしか応じない場合、つまり11億8千万円の支払いにしか応じない場合には、この他に10億円程度の低利借款に応じてもらわないと、さすがに売る気にはなれない。
これに対し、英国は最低ラインである11億8千万円には満たないものの、石油という有力な地下資源を内包する植民地サラワクの割譲を申し出てきた。
無論、英領マレーに属するサラワクは、ボルネオ島の西岸一帯であり、その他の地域はオランダ領インドである。
人口の希薄な未開発地域であり、市場としての魅力はないが、何より『石油』というのは無資源国・日本にとって魅力的だ。
(これは……ひょっとすると瓢箪から駒かもしれんぞ)
幣原は動揺を隠そうと、ハンカチーフで汗を拭きつつ、考え込むのだった。
中華民国の大総統「曹昆」の「昆」の字ですが、本来は「金」偏に「昆」です。
使用すると文字化けしてしまいますので、便宜上、「昆」の字をあてました。
ご理解下さいますようにお願い申し上げます。
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加
2010年2月16日 地名錯誤につき訂正