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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
22/111

第22話 決戦の朝 (2)

「財部さん、海軍省には航空部がありますな?」

「ええ……。正確には海軍省外局・艦政本部内の一部局に過ぎませんが」

「所轄内容は?」

「航空部は所要機材の開発や調達、選定でありますが……ちと、海軍の航空行政は複雑でしてね。航空関連の教育、搭乗員の養成は海軍省の教育局が担当していますし、統括部局としては同じく海軍省の軍務局が所轄している、というのが現状です」

秋山は多分、この財部の返答を予測していたのだろう。

ふふん、と鼻で一つ、せせら笑うと

「無駄、ですな」

「無駄、ですか……」

戸惑いがちに答える財部に対し、秋山はその欧米人と見紛うばかりの大きな目で財部の顔を覗き込むように身を乗り出す。

「無駄、でしょう?」

「……無駄、ですね」

気圧された財部はここまで応えて、先程覚えた『嫌な予感』が徐々に形を露わにしつつあるのを覚える。

秋山は更に畳みかける。

「所要機材は? 何を使っておられる?」

財部は慌てて詰襟の軍服の内ポケットから、老眼鏡と分厚い手帳を取り出すと、ページを捲る。

数十ページを捲って、ようやく目的のページを見つけたらしく、老眼鏡を調整しつつその一文を読み上げる。

「一〇式艦上戦闘機、一〇式艦上偵察機、一三式艦上攻撃機ですな。いずれも三菱です」

「他には?」

「横須賀工廠が水上偵察機と練習機を少し作ってます。他には飛行艇や試験機などの輸入物が少々……」

「陸軍はね……」

秋山がニヤニヤとしながら話し始めたので財部は思わず


(お尋ねしておりません!)


と叫びたくなったが、相手が相手であり大人しく聞かざるを得ない。

「甲式三型戦闘機、それに新たに甲式四型を配備中でね」

「……はい」

「これが1機1万8千円もするんだよね」

「……えぇ、はい」

「中島が作ってるんだ」

「そうなんですか……」

「四型の発動機はイスパノ・スイザの水冷300馬力なんだよ」

「……そうなんですか」

「一〇式艦上戦闘機と一緒だね」

財部は慌てて手帳を捲り、確認する。

「一〇式の発動機は、三菱のヒ式300馬力となっていますが?」

「それ、一緒なんだよ。三菱と中島でそれぞれライセンス生産、しているんだ。武装は機銃が2丁だね」

「そうだと思いましたが……」

「一緒だね」

秋山に航空機に関する詳細な知識がある訳はない。

これらの話はいずれも、渡辺錠太郎次官と武藤信義参謀本部次長らが密かにまとめ上げた航空科創設に伴う報告書に記載されていたものだ。

「元帥、申し訳ありませんが、もう少し単刀直入におっしゃっていただけませんか?」

さすがに焦れた財部が、秋山の外堀を木杓で埋めるような物言いに疲れたと見え、結論を求めた。

「いろいろ、お互い、無駄が多いなって事だよ」

そう言って秋山は再び、席に深く座り直すと

「航空機の調達について、話し合わないといけないね、これからは」

「海軍と陸軍で同一機体を採用する……という事でありますか?」

「戦闘機ってのは敵を落とすのが仕事だろう? 陸軍でも海軍でも。同じ発動機で同じ武装、似た様な性能の機体が二種類あるって無駄だよね?」

「艦上機と陸上機では、何かが違うと思いますが……いや、私も詳しくはないので分りませんが」

「これからは、出来るだけ同じにすればいいでしょう?」

と秋山陸相。

「財部、秋山元帥が言う通りではないか? おいの“三笠”と“春日”や“日進”の副砲が、同じ15サンチなのに違う弾を使っておったら補給が不便じゃろ? 海軍と陸軍で補給しあえれば、こりゃあ便利じゃないか」

唐突に東郷が言葉を挟む。

「あ……いや、それは何か例えとして不適当な気が……」

財部は反論を試みるが、財部自身、航空に関する知識が欠如している為、言葉が尻つぼみになる。

「いやいや、同じだ。それに、どうせ飛行機なんぞ索敵と通報ぐらいにしか役に立たんじゃろ。そうすれば予算も半分で済む。のお、秋山元帥」

秋山も東郷の言葉ににこやかに頷く。

「は、はぁ…。しかし、私の一存では……軍令部長の山下海軍大将にもお話してからとさせて頂きたいと思います」

「山下には、おいの方から言っておく」

東郷は相好を崩し、

(なんだ、そんな事か)

とばかりの表情を浮かべる。

 現・軍令部長を務める山下源太郎海軍大将は、日露戦争のおりには伊藤祐亨が率いた軍令部の作戦担当部局であった第一局の要職にあり、当時、海軍の作戦を主導する立場にあった人物だ。

バルチック艦隊が対馬、津軽、宗谷のいずれの海峡を通るか、逡巡していた東郷に対し、

「必ず対馬海峡を通る」

と説得し、東郷の完全勝利を演出した裏方の一人でもある。

それだけに、東郷からしてみれば、山下という人物に対して絶大な信頼を寄せていたし、何より

(気心の知れた仲……)

だと思っていた。


(あぁ、東郷閣下は何も知らないから……この話を聞いたら、山下軍令部長に怒られるだろうなぁ……)

と内心、頭を抱える財部。

航空機に対する無理解が、少しだけ歴史を変えた瞬間だった。



「書記官長、開会一〇分前です」

若い書記官が、閣議室にドアを細く開け、上司である尾崎行雄内閣書記官長に告げる。

その言葉に、尾崎は軽く頷くと、机の上の書類の束を揃え、閣僚一同を見回す。

「まぁ、陸軍さんと海軍さんの予算配分については両大臣でおやりください。

我々としては、国防予算の分け前がどうなろうと、知った事じゃありませんから」

(酷い、尾崎さんまで……)

財部は俯きつつ、山下軍令部長の細面が激昂に震える姿を想像せざるを得ない。

「では、首相、お歴々。最終的には東郷首相の訪米応諾の方針という事で宜しいですな?」

「異議なし」

「異議なし」

「同意」

「分りました。

幣原外相、では日程などについては、外務省側で至急、詰めて頂きたい」

「はい、畏まりました」

幣原もハンカチーフで眼鏡を拭きながら、尾崎に応える。

「では、皆さん。そろそろ議事堂に参りましょう」

尾崎が立ち上がり、つられた様に閣僚達も立ち上がる。

最高齢の東郷ではあったが、やはり若い頃より鍛え上げた身心は未だに衰えを知らない。

動作にこそ老人特有の緩慢さを湛えていたが、それでも、背筋は伸び、胸を大きく張り、一同の先頭に立った。

ふと、東郷が閣議室の出入り口扉の前で立ち止まる。

追い従う閣僚達も、自然と立ち止まり、

(やれ、何事か?)

と、東郷の背を見つめた。

東郷は振り返りもせず、閣僚達に問うた。

「Z旗の意味、皆さんはご存知かな?」

加藤が応える。

「無論です、閣下。

『皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ』

でありましょう。

今、正に我々はその心意気にございます、閣下」

東郷は前を見つめたまま、呟く。

「England  expects  that  every  man  will  do  his  duty」

「は?」

一同は普段、薩摩訛りの抜けない東郷が突然、流暢な英語を喋った事に驚く。

「『英国は、各人がその義務を尽くすことを期待する』ですな? トラファルガーのネルソン提督の言葉、Z旗の本来の意味だ」

秋山が訳す。

東郷は振り返らなかった。

だが、その背は彼の血が煮えたぎっている事を十分、物語っていた。


2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加

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