第19話 繁栄と狂騒の二〇年代 (2)
大正十三年一月十四日
(1924年1月14日)
東京 霞が関・外務省 大臣公室
幣原外相が隣室で電話中の為、ウッズ大使は大臣公室のソファーに掛け、日本茶を楽しんでいた。
公室の隅には石炭ストーブが置かれていたが、1月の寒空だと言うのに、火は入れられていない。
ウッズ大使にしてみれば、
(つくづく日本人とは面白い…)
とは思わずにはいられなかった。
その石炭ストーブは、縁周りに彫金の施された豪華な造りのもので、良品ならではの雰囲気を醸し出しており、公室のアクセントとなっていたが、どうやらほとんど過去、使われた形跡がなく、新品同様の輝きを今に残している。
(彼らは、この高価なストーブを使わず、石炭を節約する。そして節約した金で新たな石炭ストーブに買い替える。どうせ使わないのに……)
ウッズ大使にしてみれば、この日本人の“器”ばかり変えたがる非合理的な発想は理解しがたいものであったが、アメリカ人にしてみれな単なる“道具”に過ぎない石炭ストーブにまで彫金を施し、付加価値を付けたがる日本人の感性を面白いものだ、とも感じていた。
「お待たせしました、ウッズ大使」
ようやく電話を終えた幣原が隣室より戻り、会談が始まる。
幣原はやや小太りの童顔なせいか、年齢よりもかなり若く見える。
実際にはこの時、52歳なのだが髪は黒々としており、前頭部が少し薄くなってきているところ以外は、実に若々しい。
ワシントン会議に全権大使として参加、会議の主導権を握ろうとする英米両国の思惑に乗らず、仏伊両国と絶妙な連携を駆使して、その言い分を通した老練さ、そして政権与党の実力者・内務大臣加藤高明とは妻女が姉妹同士にあたり、義理の兄弟関係にあるという閨閥の良さもあり、一目、置かざるを得ない。
決して、外交官が本業でないウッズからしてみれば、外交一筋で今日まで歩み続けた幣原の手腕と来歴に対しては素直に敬意の念を持っていたし、自分自身の外交官としての個人的な能力において、この人物に及ばない、という自覚もしていた。
幣原との会談は、時候の挨拶に始まり、震災の復興状況、米国から送られた官民合わせて三千万ドルを超える義援金への感謝など、ウッズにしてみれば
「どうでもよいこと」
を述べ続けている。
(借款を希望するならば、さっさと言えば良いのに……)
幣原の迂遠な表現に辟易としつつ、ウッズは会話の着地点を探していた。
ウッズは今回の呼び出しが、
「借款の申し入れ」
だと確信しており、事前に本国のクーリッジ大統領や国務長官チャールズ・ヒューズらと協議も行っていた。
アドミラル・トーゴーという、この国の誇る英雄を担ぎ出して、この国の政治家達が何をやろうとしているのか?
実に興味が尽きないところではあったが、トーゴーの晴れの門出にあたり、米国政府は五千万ドル程度の借款には応じようと、既に決していたのだ。
もし万が一、仮に、米国政府がかねてより要求している日本側勢力圏内の中国市場に対する門戸開放に応じるのであれば、そこに“0”を一つ付けてやっても良い……とまで、半ば冗談交じりに相談はまとまっていたのだが、
(日本政府は今回も、門戸開放には応じないだろうな……)
とウッズは内心、確信していた。
「満州鉄道を米国に購入して頂きたい」
唐突に幣原の口から飛び出した、その言葉を最初、ウッズは理解出来なかったが、やがて喘ぐ様に、ようやく次の言葉を絞り出した。
「幣原閣下、それは……それは貴国政府の総意でありますか?」
「今の段階では、東郷内閣の方針としてですが……。我々としては満州鉄道の株式、同社の有する株式及び債券、附帯設備、全ての権利を含めたものとして考えております」
幣原の言葉に、ウッズの膝は震え、心は喝采を叫んだ。
この時代、このタイミングで駐箚大使となった自らの幸運を、心から神に感謝した。
(自分は米国の新たな一時代の幕開けを告げるべく、この場にいるのだ……)
「近いうちに選挙が行われます。満州鉄道の売却は、その選挙における最大の争点となりましょう。しかしながら、我が政府としては事前に署名までは進めておきたいと考えています。正式な締結はあくまで、選挙後の国会による議決、と相成りましょうが……」
(この喜びを顔に出したら、吹っかけられるだろうな……)
小躍りしたい程の嬉しさを押し潰して、ウッズ大使はわざと難しい顔をしながら
「買い取れ、と言われましても、我が国政府は現在、先の欧州大戦に際して発行した戦時国債の償還に取り組んでいる状況でありますので。ご期待に添えるかどうか……」
即答を避けるウッズに、幣原は童顔の眉間に皺を寄せながら、実に残念そうな表情を浮かべる。
「そうですか、大使閣下。そうであれば、本国政府と御相談の上、数日の内にご回答頂きたいと思います」
と言って、スッと席を立ちあがると右手を差し出す。
“会談は終わった。お帰り下さい”の意だ。
ウッズは、その幣原の素っ気無い態度に内心、慌てながらも外交儀礼上、差し出された幣原の右手と握手すると、席を立ちあがる。
諸外国との交流経験から合理性と利便性を第一に考えられた外務省の大臣公室は、手入れの行き届いた中庭に面した1階にある。
大寒波の影響か、中庭はうっすらと一面の雪景色に覆われており、その雪がまた、英国風の剪定の行き届いた庭にはよく似合い、一段と趣が良い。
ふと、ウッズは中庭に人影の動くの感じ、視線をやると、そこでは芦田均外務次官が長身の白人男性と談笑しながら、散策している事に気が付く。
(おや……?)
ウッズはその白人男性の正体に気が付き、愕然とする。
(あ、あれは、英国大使のチャールズ・エリオット卿!?)
(しまった! 先程の電話の相手は、エリオット卿だったのか……くそっ、米国と英国を天秤に掛けおったな、幣原め)
幣原が入口のドアを開け、片手を広げるようにしてウッズの退室を促す。
(まずい、まずいぞ……英国はいくら出す気だ?)
「幣原閣下、宜しければ……」
ウッズは後先も考えず、言葉を発してしまった。
「……はい?」
「そ、その……ご希望の金額を呈示して頂けますかな? 売却金額の」
この時、ウッズ大使は幣原の目の奥に
(素人め……)
という軽い侮蔑の表情が浮かんだ事に気がつかなかった。
幣原は、ウッズの問いに答えず、
「大使閣下。申し訳ありませんが、次の来客との面談時間が迫っておりますので、本日はこれにて……」
と会談の打ち切りを再度、宣言した。
その日夜半、帝国ホテルの一室に居を構える臨時駐箚米国大使館に一通の電信が届いた。
無論、電信は暗号であり、それを大使館に届けた日本人逓信省局員の目には6桁の数字の二組ずつ並んだ、ただの電信にしか見えない。
差出人は、国務長官チャールズ・ヒューズ
宛先人は、日本駐箚アメリカ合衆国大使サイラス・ウッズ
大使館員により解読された、その外交電信には、こう記されていた。
「東郷首相を国賓としてお招きする様に早急に日本政府と交渉すべし」
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加