第17話 死に損ないの意地
世に言う『舞鶴理論』は、正しく経済素人の東郷が考えついたものだったが、その“思い付き”を実践可能なレベルにまで仕立て上げたのは、日本史上空前にして絶後の財政家・高橋是清蔵相の手腕による処が大きい。
高橋が閣議の席上、東郷に経済というものを分かりやすく説明した一節が議事録に残っている。
「ここに2千円があります。この2千円をある人物が貯金したと致します。さすれば、この人物の口座には2千円が貯まり、それはそれで大変、結構ではございますが、その金は2千円でしかありません。では、この人物がその2千円を貯金せずに、料亭にての芸者遊びに散財したと致します。この2千円は、その料亭への支払いとなり、そこから料理材料の品々を納めた魚屋、肉屋、八百屋に代金が支払われます。
そしてその金は、魚屋は漁師に、肉屋と八百屋は農家へと支払うでしょう。また、芸者に支払われた玉代は、その芸者の使用する化粧品代や衣服の支払い、髪結いの支払いへと回ります。無論、2千円の一部は料亭の料理人、仲居、小僧さんへの給金ともなりましょう。そして漁師も農民も、そして料理人、仲居、小僧さん、そのいずれもが、やはりどちらかでその頂いた給金を遣う事に相成ります。つまり2千円は2千円で終わるのではなく、次から次へと何か所にも出回る事になり、何倍にも活用され数千円、数万円の価値を持つ、という訳であります。尚、断わっておきますが、私は別に芸者遊びを推奨している訳ではありません」
高橋のこの説明――後に経済新聞の記者達は高橋の遊び好きを揶揄して『料亭の法則』と名付けた――は、東郷にも至極、理解しやすかったと見え、この法則と己の舞鶴鎮守府司令長官時代の経験則を切っ掛けとして、舞鶴理論を考えついたと思われる。
しかし重要なのはそこではない。
この東郷への説明の中に垣間見られる、高橋の驚くべき先見性こそが、後の財政運営の方向性を決定づけた、と言っても良い。
1920年代……というこの時点において、イギリスの経済学者J・M・ケインズが1936年に発表した所謂『ケインズ経済学』で言うところの『投資乗数の法則』を既に“直感的”に看破していた、という驚くべき先見性。
金本位制への復帰が巻き起こすであろう凄まじい不況と正面から対峙しなくてはならない東郷内閣において、当時、主流とされていた古典派自由主義経済学『セイの法則』に囚われない高橋の財政運営手腕は、何物にも代えがたい存在として日本の行き先を左右することになる。
高橋はこう考えていた。
投資された資本は、一か所に滞ることなく、その形を変えながら、市場において回転し、還流し、再生産を続ける。
しかし、これには軍需産業という例外が存在する。
軍需産業は資本の再生産に、何ら寄与しない。
何故なら、砲口から放たれた砲弾は、何も生みださず、その先にあるのは『戦争』という、何ら生産性を伴わない単なる浪費活動に過ぎないからだ。
確かに戦争は一時的には市場を刺激し、経済を活性化させ、莫大な投資を呼び込むが、その投資は決して再生されず、ただ、ただ呑み込み続けるだけだ。
再生されない投資は、やがて尽きる。
そして先に尽きた者が敗者となるのだ……と。
「鎮守府の話は分かった。だが、それと陸軍が、どう関わるのかね? そこが自分には分からないのだが……」
上原は財部の話を聞き終えると、そう問いただした。
「正確には、陸軍にではなく上原元帥にお願いなのです」
「はて? ……自分に、とは」
「金本位制への復帰の為には、日本銀行に相応の金の備蓄があってこそ可能であります、お分かりいただけますか?」
「うむ。自分もそこが疑問であった。それほどに日銀に金備蓄があったのだろうか? と」
「はっきり申し上げて、ありません。ですので、東郷内……」
財部が言い終わる前に、いつの間に目を覚ましたのか東郷が遮った。
「上原元帥、おいは満鉄ば米国に売ろうと思っちょります」
「……?」
上原は東郷の発した言葉の意味が理解できなかった。
長い沈黙……。
それは実際には、数秒に満たない時間であったが上原の脳裏には、東郷に浴びせるべき数々の罵詈雑言が閃いては消えていった。
売国奴、非国民、逆賊……
その顔面が紅潮し、その両頬は微かに震え、その吐きだされる息は沸点を超えているのではないか、と思えるほどに熱い。
知らず知らず、軍刀の鞘を握った左手に力が入り、拳が白んでくる。
(なるほど。俺は今日、東郷を斬る為に生れてきたのか……)
我を忘れて怒り狂う自分と、自らの運命を諦念と受け入れようとする自分。
東郷のそれと絡みあって離れない交錯した視線。
理性も、野性も、本能も全てが面前に座る英雄・東郷の血を欲している。
しかし、如何様にしても右膝の上に置いた右手が全く言う事を聞かず、動かしたくとも動かせない。
(今、この日本で東郷を斬れるのは俺だけだ……斬れ、斬れ、斬ってしまえ)
「上原……貴様も老いたな」
切迫した空気の中、秋山の呟きが耳に届く。
瞬き一つせずに、ただじっと上原を見つめる東郷。
椅子から半ば腰を浮かせ、もしもの時は身を呈して東郷をかばわんとする財部。
「明治の御維新より五十有余年、我らが先達が築きあげた物、国民が命を賭して手に入れた物。東郷、貴様、それを金の為に売るのか? 売れるのか?」
上原はようやく言葉を吐き出した。
「売らねばならんと思っちょります」
そう東郷が答えた瞬間、上原の呪縛は解け、老人とは思えぬ速度で立ち上がると、軍刀を鞘走らせた。
正に、抜く手も見せず。
財部の反射速度を遥かに凌駕したその切っ先は剣風を巻き、東郷の首の右、頸動脈の手前数ミリの位置にてピタリと動作を停止させた。
東郷のくすんだ鼠色の背広の肩に、切り落とされた数本の白い髭が舞い落ちる。
「何故だ? あんたほどの英雄が、何故、そんな糞壺に手を突っ込むような真似をする?」
驚くほど冷静な声で、上原は東郷に尋ねる。
そこに殺意は無い。
薩摩示現流皆伝の腕前。
素人風情と違い、殺意などなくとも人は斬れる。
「おいが売らねば、誰が売れもすかっ!」
東郷の静かな大喝は、上原の何故には答えていない。
しかし、東郷の言は、事の善悪好悪良否その全てを超越していた。
自分にしか出来ないと信じ、知っている者の言葉。
絶対的な自信、とでもいうべきか。
(なるほど、これが余人に神と呼ばれる所以か……)
人知れず、上原の頬が粟立つ。
「日本は大陸への足掛かりを失う。それで良いと?」
上原の軍刀は依然、東郷の首筋に吸いついたように張付いたまま、ピクリとも動かず、そうと知らぬ者が見れば、首に突き刺さっているようにも見えただろう。
対する東郷も微動だにせず答えた。
「例え、ご維新からやり直す事になろうとも……」
「くぬ……。秋山、貴様も同意見か?」
右肘をソファの肘掛に託し、右の拳で頬杖をついたまま、事の成り行きを眺めていた秋山は悠然と立ちあがると、上原の軍刀、その刃元を素手でぐいっと掴んだ。
「年寄りの間違いを、若い者に押し付ける訳にはいかんぞ、上原」
秋山の掌より血が滴り、床に敷かれた絨毯に永遠に消えぬ染みを残す。
「間違い? 貴様、俺の、俺達の半生が間違いだったと言うのか!?」
「全て、ではないが……なぁ、上原」
若い者は俺達の造った土台に、立派な家を建てようとしてくれている。
それはそれで有り難いことだ。
だがな、この家の、この国の、土台は今、傾いているんだ。
傾いた土台に家は建たんだろ?
俺達の墓石で土台の傾きを直せれば、それでいいじゃないか。
今、民はその日の糧にさえありつけぬほど、苦しんでいる。
その彼らから目を逸らす事など、俺には出来ぬ。
お前には出来るのか?
「……秋山、東郷、俺は納得せぬ。納得したら、地下の乃木や先に逝った者達に顔向けできん。だが、満鉄は死んでいった者達が、我ら死に損ないに遺してくれた遺産だと思おう。だから……反対はせぬ。俺も、俺の閥に連なる者どもにも、誰一人とて反対はさせぬ。だが、それ以上は約束できんぞ」
そう言うと、上原は手練の技を用いて、刃を握りしめる秋山の指を斬り落とすことなく軍刀をその掌の内から抜き取り、鞘に収めるのだった。
本文中の高橋是清による東郷平八郎への経済に関する説明は、高橋是清著「随想録」より引用、抜粋し意訳しました。
2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加