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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
16/111

第16話 舞鶴理論

大正十三年一月十四日

(1924年1月14日)

東京・三宅坂 陸軍省



 軍事参議官・元帥陸軍大将・上原勇作は基本的に暇だった。

軍事に関する重要事項を決定する参議官会議がある場合か、部隊視察を行う予定でもない限り、ほぼ1日、参謀本部二階の参議官室で書物に目を通すか、陸軍将校の親睦団体・偕行社向けの論文著述以外に、これといってやる事はない。

 無論、これは軍事参議官という職務が暇という意味で、九州閥の領袖としての話ではない。閥族の頭領としての上原は、カミナリ親父的な性格も相まって、実に目下の者に対して口喧しくも、きめ細やかな態度で接してきた。閥に属する者達は、その几帳面過ぎる性格に辟易とすることも多かったが、総じて、この『面倒見の良い親父殿』を敬愛しているのだった。



 陸軍大臣に士官学校の同期生・秋山好古が就任したのは実に好都合だった。秋山が陸相に就任した日以降、上原は、ほぼ毎日、

「評議に伺う」

と称しては、陸相公室に顔を出していた。

秋山との会話は楽しい。

彼と話していると、長閥打倒云々……などという自分の半生を賭けた権力闘争など、実に詰まらぬものに思えてきて、その煩わしい権謀術数を束の間ながら忘れさせてくれるのだった。


 上原は不思議に思う。陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三顕職を歴任した経歴を持つ上原の経験では、陸軍大臣職というものは相当に多忙を極める職務のはずなのだ。

 しかし、秋山にその様子はない。


(まぁ、渡辺も気の毒にな……)


と、恐らくは仕事を押し付けられているであろう、次官の渡辺錠太郎少将の不幸を思うと自然と笑いが込み上げてくる。



 

 関東一円に雪が舞い降り、1寸ほどの積雪をみたその日、フランス・ルノー社から新たに到着したばかりのFTBS火力支援車と、鋤鍬板を装着したFT地雷処理車が陸軍省の駐車場に運び込まれた。所謂、『新兵器の展示会』である。上原は持ち前の“技術屋根性”を丸出しにして、ルノーから派遣された営業マンと技術者を質問攻めにして、彼らの自尊心を大いに満足させ、喜ばせたものであった。


 FTBSもFT地雷処理車も1917年にルノー社が開発、量産化した軽戦車ルノーFT17の派生型である。本来のFT17自体は、大正9年に陸軍が20輌程を輸入し「甲型戦車」という名称を付けて正式採用し、日本初の戦車部隊として千葉において部隊編成まで完了している。

 米国を始め、各国でライセンス生産された同戦車は、その使い勝手のよさ、バランスのとれた攻撃力・防御力・機動力、そして抜群に優れた基本構想と手堅い設計により「名戦車」の名を冠しているが、開発から既に年数が経過している事もあり、いくつもの派生型が生まれ始めている。

 実のところを言ってしまえば先の欧州大戦時に大量発注され、その後の大戦終結により製作途中で放棄され未納となった車体の余剰品がルノーの倉庫を占拠してしまっており、同社はこの「売れ残り在庫」の処分に相当に苦慮しているのだった。何とかして、この不良在庫を処分してしまいたい同社としては、目新しい技術的な工夫を加えて各国に売り込もうと、必死の営業努力を行っているのだった。


 その日、日本陸軍に対してプレゼンされた二種類の派生型の内、FTBSは「火力支援車」と呼ばれるタイプのもので、FT17の砲塔を取り外し、車体に直接、シュナイダー社製の18口径75ミリ榴弾砲を搭載したもので、後の世で言う「自走砲」の走り的な存在だ。ルノー社としてはFT17と同等の機動力を持ち、且つ、当時にしては重砲と呼べるスペックの75ミリ砲を搭載したこのタイプを、砲兵部隊に売り込む事によって、新たな顧客開発を行いたいという考えの様だった。

 もう1種の方、すなわち車体前面に鋤鍬を装備したFT地雷処理車は、文字通り欧州大戦における「戦車殺し」の代表格であった地雷に対する処理を念頭においたタイプのもので、戦場において地雷の処理を担当する工兵科の上原としては、この日、この車両の見学こそが目的であった。来訪したルノーの技術者によれば、この鋤鍬型の他にも先年、考案されたばかりの排土板、すなわちドーザーブレードを装着したタイプの物や、超壕用のクレイドル運搬車、塹壕掘削用のスクレーパーを牽引できる物も用意できる、と自慢げに語るのであった。


 この日、大いに自らの“好奇心”を満足させた上原は、平素ならば、秋山の職務を慮って夕刻まで待つ『秋山詣り』を、少し早める事とした。先日、秋山との談合により方針を決めた

『戦車科・航空科』

に関する素案を練っている武藤参謀次長を中心としたグループの研究報告が、徐々に上がってきており、これについて話しておきたいと考えたからだ。いずれにしろ、今日明日に結論の出るような話ではないが、基本構想はまとまってきたので、その話で伺った……という自分なりの

「暇つぶし」

の言い訳を胸に、陸相公室へと今日も向かうのだった。



 陸相公室入口を見渡せる廊下に続く角を曲がった瞬間、公室扉警衛の任に就く老従卒と目線が交錯する。上原は何故か、その隙なく敬礼する老従卒の目に

「あっ!」

という色が浮かんだような気がするのだった。



「参議官・上原、参る」

短く言うと、従卒の取り次ぎも待たずに、入室する。

いつもの事だ。

しかし、その日は様子が違っていた。

室内には二人の先客がいた。

その客達は入口に背を向けたソファに座っている為、誰かは分からなかったが、さすがに上原自身、これには

(しまった)

と思い、出直そうとする。

「失礼した。出直してまいる」

と辞去しようとすると、

「おお、上原、遠慮するな。呼ぼうと思ってたよ」

と、秋山が呼び止め、席を共にするように勧める。

(呼ぶ……?)

上原は、その言葉を怪訝に思い、又、来客に対する興味も覚えた事から、促されるままに秋山の隣の一人掛け用のソファに座ろうと、来客の座るソファの横に回り込んだ。その瞬間、先客が誰であったかに気が付き、静かな驚きを覚えるのであった。



「東郷……さん……首相」

先客は、内閣総理大臣・東郷平八郎と海相・財部彪であった。二人とも海軍服を着ておらず、普通の背広姿であった為、うっかりしたのだ。東郷は、軽く頭を下げると、相も変わらず、その胸まで届く真っ白な髭を揺らしながらニコニコと笑顔を浮かべ、上原に着席を促す。

「珍しいですな、東郷閣下に海相閣下がお揃いで陸軍省においでとは」

おざなりの挨拶を交わした後、話題に詰まりそうになる前に尋ねてみる。

「初めてですよ、ここに来たのは、上原元帥。しかし、よくもまぁ、先の震災で被害も受けずに、ここは残りましたな」

その後、しばらくは当たり障りのない雑談に花が咲く。同じ薩摩藩士出身、これまで互いに接点らしい接点がなかったものの、共通の話題ならいくらでもあるのだ。


 本日は何用で? と不躾に思いつつも、会話の流れから自然とその質問が上原の口から飛び出した。

「ちと、お願いがありましてな」


(やはり、予算の削減か……)

上原は内心、失望した。渡辺次官の考案した徴兵制停止という荒療治による陸軍予算再編案が結局、閣議で了承されなかったのだろう。欧州大戦後の反動不況による歳入減が国家財政に重石となって表れた時、海軍側は大正11年のワシントン条約締結をテコとして、言わば外的要因ながら予算の削減を行う事に成功した。

 翻って、陸軍側は自らが主導したシベリア出兵による歳出増という拭いがたい失点がある。この時期の財政的な危機を乗り越えられたのは、一重に海軍がその軍拡計画の大幅な見直しを行ったからだ。結果、この時以降、海軍は陸軍に対して

「あんた達の尻拭いで俺達は我慢させられたんだ」

と言わんばかりの態度を示すようになり、これが、今日現在まで続く「陸海反目」の要因の一つともなっている。



 しかし……。

上原に言わせれば、ワシントン条約は日本にかせられた「足枷」なのだ。無論、それは海軍側の主張する「足枷」とは意を異にする。日本と英米では、その経済力において隔絶たる差が存在しており、その差を無視したかのような対英米6割という異常なまでの高い比率設定自体が帝国財政に困窮をもたらす最大の要因となっているのだ。

「6割持っても良い、と言われたから、6割目一杯まで持つ」

という考え方自体が浅はかであり、致命的な間違いなのだ。仏国よりも貧しく、仏国よりも植民地を持たざる日本が、仏国に数倍する海軍力を何故、保有する事を許されたのか?

その背後にある、英米の深謀に何故、海軍の連中は気がつかないのであろうか?

東郷が、陸軍の予算について削減を言い出してきたら、上原は常日頃、考えている自論で徹底的に海軍の不明を叩いてやろう、と考えた。


「はて? 首相閣下が自ら陸軍省にまでお出でになるほどの頼み事とは、いったい何でしょうな」

上原は、従卒の入れてくれた茶をすすると、東郷にとぼけてみせる。

 東郷は問いに答えよう口を開こうとするが途中で、思い直したのか横に座る財部彪海軍大臣の方を向くと

「サイフ、上原元帥にご説明差し上げてくれ」

と言う。

「『タカラベ』に存じます……」

軽い溜息と共に財部は、自らの苗字に関する東郷の間違いを指摘するが、実のところ何度、訂正しても直らないので半ば既に諦めている様子だった。或いは、海軍財政を含めた軍政畑を中心にその経験を積んできた財部大臣に対して、軍令畑しか歩んでこなかった東郷なりの諧謔なのかもしれない……と上原は内心、ニヤリとしつつ考える。


 財部の説明はこうだった。東郷内閣は高橋蔵相、若槻農商相を中心に立案した経済政策において

『金本位制』

への復帰を最重要政策として位置づけている。言うまでもなく、金本位制への復帰は震災により大打撃を与えられた日本経済に、追い打ちを掛け、超絶的な打撃を与えうる難事だ。

 欧州大戦以前まで、世界各国は金本位制により貿易の決済を行ってきた。日本においては1円=金0.75gという設定を明治末に決めている。金本位制というのは、たとえば1円札を持って日本銀行に行けば0.75gの金と兌換してくれる、と言う意味だ。これに対して、米国は1ドル=約1.5gの金と等価と設定していた。

 つまり、金を介して『1ドル=金1.5g=2円』『100円=50ドル』という兌換レートが確定している。これと同様に各国はそれぞれの貨幣、すなわちポンドやフラン、マルクに対してそれぞれの兌換レートの設定を行っており、故に貿易の決済はその兌換レートを基礎として行われていたのだ。

 しかし、欧州大戦の勃発を契機として各国は次々と金本位制を離脱する。理由は実に簡単であり、欧州の参戦国が一様に戦略物資調達による過度の輸入超過に陥ってしまったからだ。金本位制下の輸入超過というのは当然、その国の中央銀行が保有する金が貿易収支の悪化に伴い、国外へと流出してしまう。

 同時に中央銀行の保有する金の量により紙幣の発行額が決まる、というのが金本位制の前提であり、この前提によりインフレを未然に防げる、という利点がある。

 しかし、莫大な戦費の調達にはインフレを起こさない程度に抑えられるのならば、紙幣の発行を増やすのが最も簡単で有効な手段であるのも確かなのだが、自国の金の保有量に制約される金本位制下では、その一種、奇術的な戦費調達方法もままならない。

 故に各国は、金本位制を離脱した。

これにより貨幣と金の兌換は不可能となり、各国間の貿易はそれぞれの国の力関係による変動相場制へと移行したのだが、戦争終結後、世界の金の半分を手に入れ、自身の経済力に絶大な自信を持った米国を皮切りに金本位制への復帰が始まっていた。日本はその国力の相対的な低さから変動相場制においては円安基調に振れており、震災後の現在は、その傾向がさらに強まっている。

 しかし、その相場の恩恵(円安)によって輸出競争力は増し、保護関税を伴わずとも、それと同等の効果を発揮して国内産業の育成に成功したのだが、金本位制への復帰は一気にこの利点を失う事となるのだ。

 当時の経済学によれば、金本位制こそが理想の経済体制であり、変動相場制など経済と政治を混同した邪道である、と考えられていた。

その上、日本だけが変動相場を利して、輸出超過の恩恵にいつまでも預り続けていては、これを不満とする各国より要らぬ圧力を受ける元ともなり、同時に長期的に見れば不安定な変動相場を当てにしない海外投資家は日本への投資を控えていたし、相場の利によってのみ伸長した国内産業はぬるま湯につかったまま体質改善が進まず、いずれ国際競争力が落ちていくのは明らかだったのだ。


 金本位制への復帰は、間違いなく日本の産業界に大打撃を与える。欧州大戦による未曽有の特需景気は、国内に根も幹もしっかりとしていないような泡沫企業を多く産み出した。この様な泡沫企業に対して、当然ながら一流の金融機関……財閥系大銀行は融資など行わない。何故ならば特需が終われば、このような地力を備えていない企業が潰れてしまうのは目に見えているからだ。一流銀行から融資を断られた泡沫企業の群れは必然として二流、三流の中小銀行に融資先を求め、これに対し、二流、三流銀行側も目先の利益につられて多額の融資を行った。しかし、欧州大戦の終了と共に各財閥の冷徹な読み通りに、これら泡沫企業では倒産が相次ぐ事となった。

 これに慌てたのは融資を請け負った二、三流銀行群である。彼らは融資先を倒産させない為に、更なる追加融資を注ぎ込むことにしたのだが、結果は己の被害を拡大させるのみであり、巷では多額の不良債権を抱えて死に体と化した銀行、企業が有象無象と隠れている状態なのだ。


 加えて、震災による経済的な打撃である。時の山本内閣は

「支払い猶予令」

いわゆるモラトリアムを発動し、これに対処したが結局のところ、単なる延命治療に過ぎず、根本的な治療には程遠い。

 そして、このタイミングでの金本位制への復帰は、これら泡沫企業と銀行群を、それこそ根こそぎ薙ぎ倒し、壊滅させ、日本に深刻な経済危機をもたらすのは確実である。


……と、ここまで財部が話して一同を見回す。


 既に何度も、この話を聞いているのだろう、東郷と秋山は半分、眠っている。数字に強い理系の上原は、何とかついてきているが、何故、財部がその様な話をするのか? が理解できていない様子だった。

ともかく、説明相手の上原がついてきているのを確認した財部は、説明を続ける。


 東郷内閣は、金本位制へ復帰する。しかし、その事前準備として念入りに金融界の再編を行う。今や国内に200行を超える銀行のうち、比較的経営がまともな銀行は財閥系の三井、三菱、住友、安田、第一の5行に吸収合併させる。

 同時に、政府が半額出資して地方銀行、すなわち帝国第一から第五までの5つの銀行を新たに設立し、財閥系5行で吸収を嫌う不良銀行をこれらの政府系銀行で吸収し、まとめ上げる。

 新設する政府系5行には、主に国債地方債による堅実な預金運営を基盤とさせ、大銀行が相手をしないような中小零細業者や個人に対する融資を担当させる。

 反対に財閥系5行には、莫大な預金が集約されるであろう事から、その豊富な資金力を元手に、積極的に生産設備増強を図る企業や、基盤産業の企業に対しての融資を任せる。


 これらの金融界の再編作業が終了した後、金本位制への復帰を宣言する。つまり、このままでいけば確実に起こりうる金融恐慌を未然に防ごう、というのが骨子であり、膿を出し切る為に、これまでのような潰さない為の融資を行わず、泡沫企業や飽満経営の改まらない企業は、厳しく「切り捨てる」こともやむを得ない、と考えている。しかし、泡沫企業の倒産という不安要因を上回る、積極投資政策が実れば、致命的な不況には陥らない、という判断が基礎になっている。


 財部海相の話が相変わらず、経済の話から、陸軍の話に内容が移らないのに上原は相当、焦れはじめていたが、何とか我慢した。既に東郷は軽い寝息を立て始めているし、秋山に至っては大きく船を漕ぎ始めている中、財部は説明を続けた。


「海軍は北海道の室蘭、青森の大湊、朝鮮日本海側の元山、黄海側の仁川、それに台湾の高雄、この五つの都市に新たに鎮守府を置きます」


「どういう意味だね? 財部海相」


 ここまできて、上原の声は堪忍の緒が切れかかり始めており、もはや限界寸前だった。

鎮守府を置くとはどういう事だ?

海軍はワシントン条約の締結による予算削減の為に、舞鶴鎮守府を一段下の要港部に格下げしたばかりではないか。

それなのにまた莫大な経費のかかる鎮守府を5ヵ所も新たに設置するだと?

いったい、なんのつもりだ?


「この5つの鎮守府に関して政府予算は1円も使いません」

「な、なに?」

と、呻き声をあげた上原であったが、この時、気がついた。

財部の長い話の意図を……。

「つまり、民間に投資させるのだな? 財閥系の五銀行に……」

財部はニヤリと笑い、力強く頷く。


 鎮守府、とは海軍の一組織に過ぎない。つまり、軍隊という、なんら生産性のない官僚組織の一部門である。しかし、これは軍令という視点から見た場合なのだ。

 鎮守府の管理下には、船舶の建造、修理を行う船渠は元より、各種の艤装用品を製造する巨大な工場群が隣接する。加えて、艦隊の補給整備に備えて膨大な倉庫群や港湾設備を充実させねばならず、同時に将兵の宿泊施設や病院、極端にいえば飲食店や理髪店まで含めた巨大な複合施設が必要となるのだ。

1隻の艦船の建造には数千人の職工が従事する。

鎮守府には、その様な艦船の建造が可能な船渠がいくつも存在するのだ。

数千人の職工とその家族、つまり数万単位の人間がその地域で暮らす事になる。

すなわち『軍港』と呼ばれる軍事都市の出現である。

呉を見るがよい。

広島市という大都市が近隣に控えていたとはいえ、田舎町に過ぎなかった呉に鎮守府が置かれた事により巨額の経済効果がもたらされ、今や山陽地方で最も繁栄している都市の一つとなっている。


「しかし……」

例えば、海軍の外郭団体的な組織、つまり陳腐な名前だが仮に

『鎮守府建設公社』

的な存在を作りあげ、財閥系五行に融資を行わせる。


 そこまではよい。海軍という後ろ盾を持つ安全な投資先である以上、莫大な資本注入が行われるだろう。だが、融資は返済を生む。結局のところ、その返済金を政府が負担するのでは何の意味もないではないか?


 財部は、この上原の追求に対して

「ここが、うちの内閣の凄いところなんですがね……」

と自慢げに話し始めた。


鎮守府には船渠が付随する。これは大原則だ。艦の修理や建造が行えないような鎮守府などに存在価値はない。

しかも、海軍は現在、ワシントン条約により新造艦の建艦を控えている。

船渠ばかりがいくら充実していても、艦船を建造しなければ、そんなものは空の器であり、そこには何も生まれない。

しかし、艦船を建造したらどうだろうか?


 しかも、日本海軍向けの軍艦ではなく、民間用の船舶、或いは海外の造船能力の低い国への輸出用の軍艦でもよい。むしろ、民間造船会社へ船渠ごと貸し出す、という形でも良い。いずれにしろ当然、そこには利益が生まれ、その利益を融資の償還金に充てる、というのだ。


「ぐぅ」

上原は思わず呻き声をあげる。何とも、巧みなカラクリだ。地方経済の発展まで勘案した、実に巧妙な政策である。しかも完成した暁には、海軍は巨大な兵站基地を一挙に倍増させる事になり、しかも維持費は別として、その開発経費は民間資金の導入だ。恐らくは「国債」を買うような気軽さで、この安全な投資先に資金が流入してくるだろう。

それに、何より地域の選択が良い。

室蘭、大湊はいずれも明治期よりの日本経済の発展から取り残された北海道と東北だ。元山、仁川への鎮守府設置は朝鮮半島に工業化の波を送り込むだろうし、台湾の高雄も同様だろう。最終的には巨大重量物である貨物の搬入搬出用クレーンやデリックが、これらの港には整備され、港湾としての機能も数段、高まる。港湾機能の強化は、そのままその後の都市及び地域の発展に有形無形の恩恵を与えるだろう。



「高橋蔵相の発案か、若槻農商務相の発案か知らぬが、何とも凄い事を考え出してくれたな、いやはや大したもんだ」

上原の賛意に、財部は腹の底から可笑しそうに笑い声を立てる。

「でしょう? 凄い事、考えつくものですよね。しかし、これは高橋さんや若槻さんが考え出した事じゃないんですよ」

「ほう…意外だな。じゃあ、後藤君だね? そんな途方もない事、思いつくのは……」

財部は鼻を鳴らすと、首を横に振る。

「考え出したのはですね、先ほど話に出ました舞鶴鎮守府の初代長官閣下ですよ。その方が今の舞鶴の基礎を作り上げたのです」

「初代の舞鶴鎮守府長官? はて…誰だったかな? すまんな、海軍の人事には疎いんだが……」

「東郷平八郎閣下ですよ」

そう言うと財部は快心の笑みをこぼし、隣で腕組みをしたまま眠る東郷に対して、限りない尊敬のまなざしを浴びせるのだった。


本当は1話で書き切るつもりだったんですが、作者の悪い癖で異様に長くなってしまい、2話に分割せざるを得なくなってしまいました。


長々とつまらない経済論にお付き合いいただいた方に感謝申し上げます。


2009年12月19日 サブタイトルに話数を追加

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