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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第三部
111/111

保管用 28

   (一)


 西暦一九二五年、和暦で言うところの大正一四年という年は、欧米諸国にとって「誤算で始まり、誤算で終わった年」として後世の識者より酷評される一年となった。


 馬占山軍閥を唆し、いまだ国交樹立を果していない米ソ両国の軍事衝突を演出、その仲介役を買って出る事で双方に対する発言力を確保しようとした賢者の風格漂う英国。

 その真の狙いは満州という地は北からの脅威に常にさらされているという事実を米国に再認識させることにより、中国大陸本土における譲歩と妥協を引き出す事を見越した一手にあった。

 しかしながら、謀略の肝・馬占山の身柄を日本に抑えられるという大失点を犯し、以来、それをネタにどんな譲歩を要求されるのかと戦々恐々、茫然自失の態であった。


 反旗を翻した馬占山軍閥討伐を目的として中ソ国境付近に進撃した中華連邦軍の動きを訝しんで布陣していた結果「訳の分からないまま」砲撃を受け、ただの報復と反撃のつもりが相手のあまりの脆弱さによって「訳の分からないまま」満州への偶発的かつ本格的な侵攻という軍事作戦を行うはめに陥ったソ連。

 安定しつつも不安定極まりない三頭体制の結果、互いに相手の失点を喜び、得点を喜べない三人の実力者たちの対立が結果として現場の独走を許してしまい、時の超大国・米国との間に火種を抱えてしまい、右往左往のあり様だ。


 否応なしに後ろ盾となっている中華連邦軍とソ連軍の激突に巻き込まれる形となり、更には虎の子の手駒「白系ロシア義勇軍」の過剰な戦意が赤軍への積極的軍事行動へと繋がり、遂には合衆国軍自らが渋々ながらも出張らざるを得なくなった米国。

 しかも、本来、西太平洋・東アジアにおける仮想敵国第一候補であった筈の日本との間で防共協定を詐術まがいの手法を用いてまで結ばざるを得なくなり、自国民すら欺く大スキャンダルを政治的に抱え込んでしまった共和党・クーリッジ政権。

 おまけにクーリッジ大統領自身が院政同然にひきこもり、政権を主導するのは自己生存本能にのみ特化した海軍長官デンビ。しかも、本来であれば暴走する彼を掣肘すべき閣僚の面々も、彼の紡ぎだす奇策に頼らざるを得ない心理下にある。もう誰もデンビを止める事は出来ない。

 

 英国主導の謀略に結局のところ、一枚も噛ませてもらえず、度重なる短命内閣の出現と瓦解により確たる政治方針も示せず、東アジアにおいては対英追随政策を取らざるを得なくなった仏国。

 更には欧州においては隣国・独国に対する背後からの牽制役として育て上げようとしていたポーランドがヨゼフ・ピウスツキ国家元帥による五月革命以降、宿敵であった筈の独国と軍事協定を結び、顧問団の招聘や兵器類・軍需物資の大量輸入まで行っている。おかげで壊滅させたはずの独国軍需産業は不死鳥の如く蘇り、その牽引によって経済情勢はゆっくりとではあったが好転、ロカルノ条約により明確な西欧回帰路線を示した、この厄介な隣国が再び大国へと成長するのは時間の問題に思える。

 

 そして日本。

 謀略の水先案内人・英国の手によって口封じされる筈だった下手人・馬占山の身柄を石光機関、即ち魔王・犬養木堂が掌中にし、謀略の一部始終を知り得ていることすら知らぬまま、米国と共産主義の激突という眼前に広がる格好の情勢のみに着目し、これを奇貨として「四ヵ国条約」を一気に東アジアにおける反共体制「四ヵ国同盟」へと主導し、国際政治の場における主導権を握ったつもりの東郷政権。

 ――――本来、東郷は国内の構造改革に大鉈を振るうことだけが役目の筈だった。

 彼を神輿として担いだ政治家たちにしてみれば、山県閥以下、反動勢力や既存の権益を保持する勢力に対抗するには自分達だけでは力不足であったが故に利用しただけの存在なのだ。

 だが、神輿は今、勝手に動き始めていた。

 外交的冒険主義に魅了されたかのような「四ヵ国同盟」などは、その最たるものだ。

 東アジア情勢の安定と主導権の確保という目的こそ明確ではあるものの、その実態は米国という無限の力を有する仮想敵国と、東アジアに植民地という名の勢力圏を有する英仏との疑似同盟に過ぎない。

 中国情勢という泥沼からいち早く抜け出す事に成功したが故に、初志貫徹すれば国内改革、経済再生に注力できる筈だった日本。

 日本の誤算の始まり。それは明くる一九二六年(大正一五年)、国難となって襲い掛かってきた。




(二)


 満州東部・吉林省における一大軍事紛争を最終的に収めたのは日本による軍事介入だった。

 非正規軍を原点とする赤軍は、大日本帝国の正規軍によって不意打ち気味の不正規な一撃を喰らい、総崩れとなった。

 自国国境付近という利を生かして兵站を完全確保し、航空偵察により十分過ぎるほどの情報を集め、邦人保護という最高の大義名分を与えられた第一九師団には情けも、容赦もなかった。

 日本陸軍本来の軍事ドクトリンは軽快な機動による敵軍の包囲殲滅にある。この軽快な機動を確保する為に分解駄載可能な山砲という小口径火砲を主力とせざるを得ず、総合的な火力の低下、否、不足ともいえるレベルすら甘んじて受け入れてきたのだ。

 その火力不足に関しては、師団飛行隊による直協支援という新時代的な代替手段を得た事により、一応の成果をみたが、それも現段階では未知数で不完全な手法に過ぎない。有体に言えば陸上部隊と航空部隊の密接協力による連携の為に必要な技術が足りていないのだ。


 その肝心な技術とは『無線通信』という、当時で言えば革新的な手法だ。

 ラヂオの普及すらままならない時期。

 震災によって有線通信設備が壊滅した経験をもとに、その対抗手段として政府は無線通信手段の普及に努めており、それには逓信省跡地への誘致に成功した『世界アマチュア無線協会』も、強力な後押しとはなっているが、いずれにしても志道半ばと云ったところだ。

 しかし、民需主導で進められた技術革新ほどに裾野の広がるものはない。対して、軍需主導では所詮、それは特殊技術、限定用途を目的とした技術の域を出ず、国民の知恵の結集には程遠い。結果として、民間需要からの軍需転用という手法を取り入れる国に比べて技術の先進化の面において後れを取る。

 国際電気通信連合の下部団体に過ぎないとはいえ、その最先端を行く無線部門誘致に成功した日本は、国際規格、技術の面において世界中から様々な情報・技術を無制限に吸収できる立場にある。無線技術を持つ企業は軒並み日本へ進出してきていたし、研究者、技術者も次々と来日してきている。彼らから得られる全てが日本の素地を作ろうとしている。

つまりは、こと『無線通信』という面において、日本は大きなアドバンテージを得ていた、という事だけは間違いない。


 第一九師団は、瞬く間に図們江を渡河し、刹那の間には赤軍を半包囲した。

 騎兵出身、秋山門下の森岡師団長の真骨頂といっても良い教本の様な機動戦だった。そもそも図們市街には赤軍と白系ロシア義勇軍、中華連邦軍の敗残兵しかいない。敵と、敵ではないが味方でもない連中相手に、何を遠慮する必要があるのか。

 師団本拠地・羅南から取り寄せた砲弾を惜しみなく撃ちまくり、敵と味方でない者達の頭上に降らせる。しかも主敵は連続的な勝利に浮かれ、油断しきって塹壕、掩体壕すら設けていない赤軍相手に対してだ。

 越境三日後、第一九師団が包囲の輪を縮め、殲滅掃討戦に移行した時、図們市街地の瓦礫の中で生き残っていたのは塹壕を設けて市街地で邀撃戦を行おうとしていた白軍の将兵のみだったという。



「日本陸軍、越境す――――」

この事実は、世界を駆け巡り、文字通り席巻した。

 同時に日米両国政府は主要国大使を外務省に招き、状況の説明を行っている。

 米国の言い分はこうだった。

「合衆国政府と日本政府は相互陸軍省部協定に従い、共同軍事行動を行った」

 対する日本政府の言い分は一言一句、米国の主張と同じであり、同じであるからこそ、聞く者の耳に耐えない程、胡散臭く聞こえた。

 だが、同時に日本政府が発表した「邦人保護」という大義名分を前にしては非難の声を上げる訳にもいかず、状況に対し、事後承諾的に理解を示す程度の事しか出来ないのが実情だった。


 この越境介入はクリスマス休暇を台無しにされた米国政府首脳陣はともかくとして、米国民全般には好意的に受け止められた。

 多くの本国大衆にとって、満州など地の果て、地球の裏側の様な場所だ。

 かの地において孤立無援の状態で共産主義者の脅威にさらされた合衆国同胞を救いだすべく果断に行動した日本という国――――。

 過剰なまでに英雄の存在を好む国民性故に、生きた軍神・東郷の訪米を契機として既に両国間には友好協力的な気運が起こる兆しは見えていたが、この介入作戦によって両国民レベルの相互信頼関係が増すのは自然な流れともいうべきものであり、同時に決定打ともなっていった。



  (三)


 欧州指折りの陸軍大国へと進化し続けるポーランドの大陸軍が東部国境へと集結を開始したのは一九二六年春三月の事だった。

 目的はハッキリしている。

 それというのも、ポーランド指導部を率いるヨゼフ・ピウスツキ国家元帥自らが明言しているからだ。


「ウクライナ解放の日までポーランドの真なる独立はあり得ない――――」


 暴論に等しい。

 全くもって良識ある人間の発する言葉ではなかったし、言われたソ連指導部にしてみれば、言語道断に等しく、言われる筋合いの無い暴言だ。

 しかし、言う必要のない無意味な言葉であるが故に、それがピウスツキの本心としか聞こえなかった。

 それが不気味だった。

 事実、ポーランド領・西ウクライナに樹立された亡命ウクライナ政権軍の一部もポーランド軍と共に東部国境へと集結しつつあり、ソ連指導部に西部国境方面における警戒心を抱かせるに十分な状況だった。

 転じて、東を見れば英国の仲介により極東情勢は一応の鎮静化を見せているが、日米両国ともに国境周辺から兵を退く気配はなく、その軍事的な圧力は依然として続いている。

 現地の米国軍にソ連領内に侵攻する力が無いのは確かではあったが、問題は過去、長期間にわたってシベリアを占領下においた前科のある日本の方だ。今や日本は米英仏三国を巻き込んでソ連と対峙する立場を明確に取っている。

 そして直接的には日ソ両国は陸続きの国境をほとんど有していないが故に陸軍大国であるソ連の威嚇も威光も島国・日本相手には通じない。日本の保有する強大な海軍力を前にしては、ソ連の陸軍力など弱者の強がり以下の存在に過ぎない。その証拠に、間宮海峡という大河の幅ほども無い海峡を挟んだ向こう側、目と鼻の先にある北樺太の保障占領すら日本は解除する気が無い。

 こちらからは手出しが出来ず、あちらからは何時でも、何処にでもちょっかいが出せる。

 なんという嫌な状況だ――――ソ連指導に分してみれば、極東情勢、取り分け対日情勢は間違いなくそんな状況下にある。

 しかも、見たところ、現ポーランド指導部と日本政府の関係はかつてないほどの蜜月。

 いったい、何故? どういう訳か?

 東郷とピウスツキという故国の英雄を指導者を要している二カ国の動きに対し、様々な疑問は残るが、自国の東と西に陣取る両国の、この蜜月ぶりは挟まれた国にとって愉快ではないし、焦燥を募らせるに十分な情勢と映っている。

 この時期、極東に満足な海軍力の無いソ連指導部にとって日本という存在は本心から苛立ちの募る相手になっていた。

 

 


 霧の深いダーダルネス海峡を北上して行、く船団があった。

 ローザンヌ条約により海峡は全ての国の如何なる艦船に対しても自由航行を保証することが規定されており、そうである以上、この政治的、軍事的要衝を名目上、支配下に置く現・トルコ政府に阻む権利は無い。阻もうとすれば自らの外交的勝利である筈のローザンヌ条約を自らの手によって破棄する事に等しい。それは出来ない。

 しかもトルコは先の欧州大戦の敗戦国だった。

 戦勝国が「通りますよ」と言ってきたのであれば「どうぞ」以外の言葉は発し様がない。それが「兄弟同盟」の締結国を危機に陥れる事になると知っていたとしても……。


「なあ、あれは――――」


 海峡で漁網の手入れをしていた初老のトルコ人漁民が傍らで同じ作業をしている同僚に呟く。二人はかつてトルコ海軍の水兵であった。


「ああ……そうだな」


 それっきり二人は黙り込んだ。

 大艦の航跡が小さな漁船を大きく上下に揺らす。巨大な船が眼前を通り過ぎていく。

 幾隻も、幾隻も――――。


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