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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第三部
108/111

保管用 25

1925年12月30日

アメリカ合衆国 ワシントンD.C.

ペンシルバニア通り1600番地

ホワイトハウス 



    (一)


 日付変更線の彼方、凍てつく様な空気の中、ウエストウィングのオーバルオフィスには、東京駐箚大使館からもたらされた一報にクリスマス休暇を台無しにされた面々が集い始めていた。

 いずれの顔も、見るからに機嫌が悪い。

 呼び集められた面々の中には、新年を地元で迎えようと帰り支度をしていた者も多かった。遠く離れた満州では不可解な紛争が発生してはいたが、国内景気は依然として右肩上がりの絶好調であり、政府の財務状況も減税を繰りかえさなくてはならないほど良好であり、しかも次の選挙にはまだ大分、間がある。

 今年ほど憂いなく地元に帰れる年も珍しい程だ。

 多くの米国市民は、この時期、クリスマスを終えたばかりだというのに新年に備えてブラック・アイド・ビーやキャベツの下ごしらえに忙しくも楽しい日々を過ごしている。

 政府中枢の要人であったとしても、家族と過ごしたい気持ちに変わりはなく、心安らぐ家庭の味を楽しむ権利は等しくある筈なのだが、どうやら新年はホワイトハウスで迎えねばならなくなったようだ。


「大統領は……?」

 白髪と落ちくぼんだ目が印象的なケロッグ国務長官の問いに答えたのは、クーリッジ政権閣僚最長老のアンドリュー・メロン財務長官だった。

 二人は政権閣僚の中では、ずば抜けて年齢が上であり、政治家としての経験もそれ相応に積んでいる。彼らが仕えるクーリッジ、そしてその後継者と目されるフーヴァー達は彼らの息子の様な年齢に過ぎない。

「メインハウスに……おそらく今日も来られまい」

「そうか――」

 ケロッグ国務長官は微かに落胆した様子で応じる。


 二期目を迎え、万全の政治的安定を誇るクーリッジ政権であったが、最大の懸案事項は満州における武力紛争などではなく、クーリッジ大統領自身にあった。

 昨年、愛息ジョン・カルビンⅢ世を急な病により失って以来、ただでさえ寡黙だった大統領は一層、ふさぎ込みがちになり、最近では一言も声を発しない日すらあるという。

 そしてその傾向は、現実感に乏しかった失った直後よりも、日が過ぎ、時を経る度に深まっていっている。

 人並み外れて有能なクーリッジ及びそのスタッフ達であるから、その事が原因で政治的な混乱が起きる事もなく、大統領としての能力や職務に今のところ、支障はない。

 議会との対話は元々、苦手ではあったがラジオという便利な機器の普及により月一回定例となっている大統領が国民に直接語りかける放送さえ行っていれば、有権者の支持は盤石であったし、よからぬ風評が立つこともない。

 それでも、最高指導者が自室から全く出てこないという状態は、やはり異常であった。


 親愛なるカルの気持ちを何かしら転換させる事はないか――。


 そう頭を悩ませていた側近や閣僚陣であったが、サンタは願いを聞き入れず、プレゼントされたのは更なる厄介事だったのだ。




    (二)


「軍事協定締結か――諸君、これをどう見る?」

 メロン財務長官は話題を変える様に参集した閣僚陣に問いかける。

 集まった人数は多くはない。

 事実上、クーリッジ不在の今、本来であればドーズ副大統領がイニシアチブをとるべきだったが、そのドーズは現在、ノーベル平和賞授賞式への出席と講演、そしてドイツ復興の視察を兼ねて家族と共に欧州歴訪中であり、この場にはいない。

 出席者の中では最上位である国務長官のケロッグが進行しても良いのだが、外交問題だけに、むしろ説明役に回った方が適当だろうと老練なメロン――ケロッグ間で暗黙の了解が出来ているのだろう。

 第一、マクベーグ大使が金子に対して『うっかり』提案してしまった内容は、国務省の法理の精神を揺るがしかねない大問題であり、下手をすればケロッグの監督責任まで問われかねず、大統領のリーダーシップが不完全な今、それは避けたいのが出席者一同の共通した思惑だった。

「協定を遡って締結していた事にする、か……」

 呆れかえったような口調で応じたのは若干46歳と閣僚最年少のウィリアム・ジャーディン農務長官だった。

 彼は優秀な農業技術者であると同時に野心に溢れた少壮の政治家でもある。

 彼にとって農務長官の椅子は更なる高みへと昇る踏み台に過ぎない。

「天に唾するとはこの事ですな。国民への背信に他ならない。この様な馬鹿な提案をしたマクベーグ大使を国務省は即刻、召還すべきだろう」

 彼の言う、それは一部の隙もない正論だった。

 だが、正論であるだけに、その場にいる誰もが十分に承知している事であり、あえて口に出すのも馬鹿馬鹿しい内容に過ぎない。

 他の閣僚陣の多くは内心、ジャーディンの政治センスの乏しさに失笑していた。

「旅順のフーヴァー民政局長官はなんと? そこまで陸軍は追い詰められているのかね?」

 ジャーディン農務長官の白けた発言を打ち消すようにジョン・サージャント司法長官がドワイト・デビス陸軍長官、そしてジョン・レオナルド・ハインズ陸軍参謀総長に問いかける。

「負けるのかという意味かね? だとしたら答えはノーだ。全く問題ない」

 デビス陸軍長官はテニスで鍛え上げた肉体を誇示する様に胸を張り、傍らのハインズ参謀総長も小さく頷く。

 しかし、ハインズの頷きはデビスのそれに比べると、やや力ないものに見えた。

「勝ち負けで言ったら、最初から負けなどある筈が無かろう。満州から叩きだされたところで、それが合衆国の負けとはならない。問題は勝つかどうかだ」

 サージャントは司法を担当する者らしく陸軍を代表する二人の温度差を見逃さずに突く。

「勝つでしょう。ただ、勝ち方にも色々あるとは考えますが――」

「どういう意味か?」

 語尾を濁したハインズの言い様をサージャントは聞き逃さない。

「いえ……日本の参戦があれば、勝利はより容易であるというだけです。日本の師団は既に国境に集結中との報告を受けておりますので、協定成立と同時に彼らは図們江を渡河するでしょう」

「煮え切らない言い方だな……私が聞きたいのは陸軍が日本の参戦を望んでいるかどうか、だ」

「より損害の少ない勝利を政府が望むのであれば日本の参戦は有効な一手であると考えます」

「政府がではない。陸軍はどうか? だ」

「我々は政府の決断に従います」

「どうも君とは会話にならないな――陸軍は勝利する、ということでいいんだね?」

 ハインズの答弁に苛立ったサージャントは確認する様に問う。

 その言い様には、法廷で証人の言質を得ようとする検事の様な雰囲気があるが、ハインズはのらりくらりとそれを容易に手渡そうとしない。

「勝利するのだとしたら、この日時を遡っての協定締結などという行為、見送るべきだろうな……」

 サージャント司法長官の言い回しは、法の番人としてあるまじき政治色の濃いモノであったが、意見自体は至極、真っ当なモノだ。

「陸軍がどうかは知らぬが、我が海軍は既にフィリピンから日本海にワイオミングとアーカンソーを向かわせている。アジア艦隊の他の二隻の戦艦、フロリダとユタもマニラ湾での整備補給作業が終了次第、出港する手筈になっている。そう遠くない時期にウラジオストックの沖合にアジア艦隊を展開させる事が出来るだろう」

 勝利するのだとしても、それは陸軍だけの功績ではないぞ――そう言いたげな口調でエドウィン・デンビ海軍長官が立ち上がる。


 クーリッジお気に入りの道化師・デンビ海軍長官の存在は、クーリッジの隠遁という事態に際して、より重要な存在へと昇華していた。

 他の閣僚陣はメインハウスから一向に出てこようとしない大統領の指示や意向を、この男を介して幾度も聞かされている。

 彼は閣僚陣の中でメインハウスに唯一人、直接乗り込める存在だからだ。

 ただそれはクーリッジがそれを許しているというのではなく、デンビの面の皮が人より厚いという理由に過ぎないのだが、同輩の目線からは、そうは見えていない。

「デンビだけがメインハウスへの出入りを許されている――」

 周囲は、そう思い込んでいた。

 共和党の先輩政治家としてクーリッジの後見役を務めるメロンやケロッグでさえ、その様な地位は与えられていない。

 そういう意味で、今のデンビは政務に興味を失った古の王侯に代わり、政務を司る宮中伯の様な存在であるとも言えた。

 もっとも、宮中伯であれば、今少し、品とか、格といったものをわきまえていたであろうが……。


「協定を結ぶかどうかは別にして、内容的にはどうなんだね?」

 メロンはデンビを無視するかのようにケロッグに問う。

「日本が示唆しているのは、単純な行政協定ですので合衆国の陸軍省と日本の陸軍省、それに互いの海軍省同士で署名すれば良いだけの話です。議会の承認という面倒な手続きは必要ありません――まぁ、だからこそ怪しげな日付の問題も関係者に箝口令をしけばクリアできるのだが……内容的には軍事協力に関するものだけに、それぞれの省同士で話し合ってくれ。手続き上のサポートは出来るが、省部協定である以上、国務省としては前面には出られない」

 道義的には問題はあるが法的には何とかなる、とケロッグは説明し、デンビとデビスに視線を移した。

「陸軍省の見解としては、中華民国と日本が以前、締結していた条文だということですので、大筋では問題ないと考えています」

 視線を受けたデビスは、既に協定内容を吟味していたらしく明快に答えると、内容の説明を行う。


 ――日本の提案してきたのは、満州地域内における日本軍の行動を米国が了承するという点と、その移動時の交通手段や医療施設に関して米国の施設使用認めるという点、互いに補給に際しては便宜を図るという点、そして情報、作戦などの共有の為に相互に連絡将校を置くという点、そして対ソ単独交渉の禁止の五点。

 一点目から四点目までは、いずれも日本が越境する以上、最低限必要な措置であって命令指揮系統の一本化という本来、最大の懸案問題に関しては知らぬふりを決め込んだ内容だ。

 天皇の統帥権を絶対とする日本軍は他国の軍を指揮下におく事はあっても、逆はあり得ない。

 要請で動く事はあったとしても、命令は受けない日本軍が他国と連合軍を組織することは不可能であり、その事に関しては敢えて触れていない。

 触れれば、政府同士は妥協できても、日本軍自体が指一本、動かさないだろう。

 五点目の対ソ単独交渉の禁止も相手を味方であると信ずる為には必要な条件だ。

 各々が勝手に停戦交渉など始めてしまい、軍を退かれでもしたら突然、腹背を赤軍に襲われる可能性すらある。

 そこまで、日米両国は互いを信じてはいない。

 停戦交渉を行うのであれば、日米双方が同時に席につくのでなければ軍事協力は不可能だ。


「指揮命令系統の件は我々としても触れたくない。そんなことで日本と揉めるぐらいならば、彼らが遠巻きに見ているだけにしてくれた方が、遥かに気が楽だ。それ以外の問題……そう、問題があるとすれば、この補給の問題だろうか。糧食や医薬品の提供は彼らの希望以上にだって行えるが、弾薬となると……合衆国と日本では小銃の口径さえ違う。一部の火砲に関して言えば両国共にフランスからライセンスしたものだから互換は可能だが」

 提案内容の該当ページを見ながらデビスは続ける。

「つまり、仮に協定締結したとしても、日本に対し提供できる物資が少ない。逆に言えば、日本から提供される物資も多くはない、という事になる。まぁ、補給など無くとも我が陸軍が困る事はないが」

「海軍は?」

 デビスの説明を聞き終えたメロンは、デンビに視線を移す。

「補給問題に関して言えば、正直、海軍は分が悪いですな。日本海は事実上、日本の内海です。戦艦に補給船を随伴させるにしても、ワイオミングもアーカンソーも重油専焼缶への改装を先送りしていたので、今でも石炭燃焼缶のままとなっている。液体と違い固形物の洋上補給は手間がかかる上に、搖動する洋上では消費した弾薬の積み替えなど危険すぎて行えません。補給するには旅順まで一旦、艦隊を下げなくてはならなくなる。弾薬を撃ち尽くす度に後方に下がっていては軍事圧力としては非常に弱くなると言わざるを得ない」

「協定を結べば、日本は本土か半島の港湾を提供するだろう? それに我が艦隊が後方に下がったら代わりに日本海軍が艦隊を押し出す筈だ。ウラジオストクの沖合に常時、戦艦群が浮かんでいる事になるのではないか」

 ケロッグの問いにデンビは答える。

「だから、それは協定を結んだら――のお話でしょう? 私は協定を結んでいない前提の見解を言ったまで。ちなみにユタもフロリダも石炭燃焼缶ですから、条件に変わりはありませんよ」

 海軍本来の整備計画であれば四隻の戦艦はいずれも重油専焼缶への改装を済ませているか改装途上にあるはずであったが、減税志向の強いクーリッジの意向を受けたデンビの剛腕により海軍予算は大幅に削減されつつあり、この四隻の近代化改装も先送りされていた。

 その事が今は裏目に出ていたが、だからといってそれを理由にデンビの先見を疑っては気の毒というものだ。

「では、海軍は協定締結に前向きという事かね?」

 メロンが確認する様に問う。

「協定があれば海軍は期待以上に動いてみせますが、協定が無ければ無いなりにしか動けない。それだけです」

 肩をすくめ、デンビは答える。

「分かった……陸軍はどうかね?」

 デビスに代わり、陸軍の制服を纏ったハインズ総長が応じる。

 海軍作戦部長が帰省中の為、この場には出席していなかったことから、彼はこの場にいる唯一の非閣僚であり、非共和党員だった。

「繰り返しになりますが、日本軍の介入があれば、より損害が少なくて済むというのが陸軍の見解です。問題は先程申し上げた通り、陸軍は補給面で日本の要望に応えられない、という点にあるかと思います。その事を日本側がどう受け取るか……これは我々、軍人が判断する範囲を超える物と考えます」

 灰色の口髭をこすりながらハインズは説明する。

 彼は第四師団長として欧州大戦の指揮を執ったこともあるが、基本的には軍政、それも実務肌の人物だ。

 現在の地位は長年、前任の参謀総長ジョン・パーシング合衆国大元帥に仕えた事による抜擢であり、彼よりも豊かな経験を持つ将官は多い。

 そういう意味で、陸軍内における立場や発言力は地位に比べてさほど、強くない。

「銃弾や砲弾が融通できないというなら、いっそのこと火器ごと提供してしまえばいいではないか。どうせ、陸軍省の倉庫にあまっているのだろう?」

 ハインズの説明に対して口を挟んだのはデンビだった。

 デンビの立場として陸軍だけに功績をあげさせたくはなく、海軍があげる為には日本の協力が必要――という事になる。

「簡単に言われるな、デンビ長官。例えば小銃だが、日本人は小さいから0.25インチ口径の小銃を使用しているのだ。我が陸軍のスプリングフィールドM1903は0.3インチ口径、小柄な彼らには明らかに過大な装備だ。第一、今更、日本に提供しても間に合う訳がないではないか」

「うちの12歳の姪っ娘ですら鹿撃ちに軍払い下げのスプリングフィールドを使っている。日本人がいくら小さくとも使えない訳はなかろう」

「そういう事を言っているのでは……いや、そんな事はどうでもいい! とにかくメインランドの基地から大急ぎで船便にのせても間に合わない。これだけは確かだ。既に戦闘は始まっているのだ」

 危うく相手のペースにはまりそうになったデビスは、デンビとの会話を打ち切る様に吠える。

 まともにデンビと議論しても馬鹿を見るだけだという事を既に学んでいる。

「間に合わなくても別に構わんだろう。日本軍だって自前の兵器弾薬の備蓄ぐらいある筈だ。補給の問題は相互提供が前提だし、今回の紛争に間に合わなかったとしても、我々には火器弾薬を提供する意志と用意がある事を明確に示すだけ十分なはずだ。受けるかどうかは相手側の問題に過ぎない」

 デンビは逃げようとするデビスに食い下がる。

 陸軍が協定締結を渋れば、海軍の作戦行動は事実上、不可能となってしまう。

 それは避けたい。

 デンビの興味は、ただその一点だけだった。


 この時、デンビの発言に衝撃を受けていたのは、口喧嘩をしているデビスではなく、場違いな男ハインズ参謀総長の方だった。

 デンビの発言は、現場で命を賭ける将兵の心情を一顧だにしていない。

 合衆国陸軍でも、日本陸軍であっても、自らが常日頃から手入れをし、磨き上げた銃火器だからこそ、命を預けられ、愛着も沸くのであって、その性能自体は二の次だ。

 その事を全く無視している。

 政治家というものが、如何に自分達軍人を『逆らわない駒』としか見ていないか――。

 これでは極寒の満州の最前線、血と雪と泥にまみれて「祖国の為」と信じ戦っている陸軍将兵があまりに憐れではないか。

 そしてそれに付き合わされ、規格の違う触った事も無い火器弾薬を後で供給するから参戦しろと言われそうな日本陸軍の兵士達を心底、気の毒に思った。


 (こんな提案したら日本人は呆れかえるだろうな……)


 ハインズはデンビの発言を聞きながら、そう感じた。

 同時に思った。

 洋上から恫喝するだけの海軍と違い、直接的に赤軍と対峙し、命を危険に晒しているのは陸軍将兵の方であり、日本の介入を必要としている度合いでは、陸軍の方が海軍よりも遥かに大きい。

 それに何より、この時期の陸軍は大きな問題を抱えていた。

 それは欧州大戦終結により、未使用のまま山積みとなっている大量の兵器弾薬の在庫問題だ。

 歩兵部隊の主力火器だったスプリングフィールド小銃だけでも生産数は百万丁に達している。

 大戦終結後、市場に大量放出し、州兵にも供給した上、中華連邦陸軍や白系ロシア義勇軍の建軍時にも大盤振る舞いしたが倉庫には油紙に包まれた小銃と弾薬が、まだ半分は残っている。

 そして官僚組織の常として、在庫がある限り、新たな予算はつかず、兵器の更新は捗らない。

 しかも、毎年、一定数を民間に対して払い下げる事が許可されている小銃類ならまだしもで、払い下げが禁止されている中口径以上の火砲類ではもっと深刻な在庫問題が起きており、当時の参謀総長が「倉庫番」という有り難くないニックネームを奉られる原因にもなっている。


 (在庫が掃ける……)


 軍人としての立場から見れば、デンビの提案はあまりにも身勝手な話しに思えるが、軍事官僚の立場で見れば、その提案は実に魅力的だ。

 相手は呆気にとられるだろうが、交渉するのは陸軍省の連中であって自分ではないし、提案を受けた日本軍が「馬鹿にするな」と臍を曲げたとしても、責任をとるのはハインズのボスであるデビスの方だ。

 日頃から人事権を武器に損な役回りをハインズに押し付けてくるデビスには、いい加減ウンザリしている。

 ハインズはデンビの提案にはあいた口がふさがらない想いだったが、同じぐらい肩を持ちたくなったのも事実だった。

 合衆国欧州派遣軍総司令官を務めた彼の前任者はあまりにも偉大であり、後任の彼は、例え有能であっても何かと前任者と比較され、軽んじられる運命にある。

 それだけならまだしも、肥大化した戦時編制の合衆国陸軍を平時編制に戻すという軍再編過程で、彼は多くの同輩部下の信望を失っていた。

 海軍のデンビ長官も同様に多くの海軍制服組から誹謗中傷を受けていたが、ハインズはデンビほどには面の皮が厚くはなく、謂れのない批難に心を痛める事も多い。

 海軍はクーリッジの信任を得たいデンビが必要以上に前面に出てくれたおかげで、作戦部長を務めるエドワード・エバール大将以下、制服組の団結が維持されているが、陸軍は前任の陸軍総長と陸軍長官、それに現職の陸軍長官がいずれも「良い顔」をしたがるタイプであったばかりに、損な役回りは全てハインズにまわってきていた。


 (在庫が掃ければ、予算が獲得できる……そうすれば俺だって……)


 予算の獲れる将官は将兵の受けが良いし、事ある毎に嫌味を言ってくる軍長老達も自分の事を見直してくれるのではないか――。

 小粒感漂うハインズ総長は心の奥底にそんな想いを秘め、二人の長官の口論を見守っていた。




    (三)


「デンビ長官、日本は今でも仮想敵の一つなのだぞ。その日本に弾薬だけでなく、兵器までも供給するのを是とするのかね?」

 デビスは冷ややかに問いかける。彼の立場として、デンビの言う兵器供給を行うという提案自体に否やはない。

 それで日本軍が味方するというのなら安い買い物であり、提案に飛び付きたいぐらいだ。

 しかし、自分の口から兵器供給にGOサインを出したくはなく、あくまでもデンビの口から言質をとりたい。

「ハインズ総長、すまないが席を外してくれ――」

「はい?」

 思わずオウム返しに問い返したハインズにデンビは再び言った。

「出ていけ――と言っている」

 普段の砕けた口調で軽妙さを持ち味とするデンビの表情が一変している事にハインズはその時、気が付いた。




 困惑した表情を浮かべながらもハインズ総長は一礼すると、オーバルオフィスを後にする。

 彼の退室を冷ややかな面持ちで確認したデンビは、おもむろにデビスの前に歩を進めると、スポーツマンとして名を成した筋肉質のデビスの背広の胸元をいきなり掴み捩じりあげる。

 肥満体のデンビと鍛え上げたデビスとでは真っ向勝負の喧嘩になれば勝敗は明らかだが、この時、デンビの気迫はデビスの肉体を圧倒していた。

 他の閣僚達は、あまりに唐突な成り行きに唖然として、怒気を発したデンビを制止する事も出来ず、それは胸ぐらを掴まれたデビス当人ですらそうであった。

「良く聞け、ドワイト・フィーリー・デビス。君はいったいいつの時代に生きているのだ?」

 顔を朱に染めたデンビが、やや小柄なデビスを吊り上げる様にしながら吠える。

 その手は怒りの為か、小刻みに震えてさえいた。

「日本が仮想敵だと? 我々は仮想敵の目と鼻の先に、仮想敵から権益を買ったとでも言うのか? そして莫大な金を、その仮想敵に払ったのか? 10億ドルだぞ。埃をかぶっている小銃や大砲など貰わなくとも、日本はその気になれば10億ドルで新品をいくらでも買い揃えられるんだ。だが、彼らはそれをしていない。彼らは金本位制再建に資金を投じ、道路を作り、電気をひき、工業団地を造成する事に金を使っている。それなのに今更、日本を仮想敵に仕立てて兵器を供給するのを渋るとは呆れた話ではないか。日本は血を代価として手にした権益を売却する事で、合衆国の仮想敵である事を自らやめたのだ――誰かを敵視したいのならば別な誰かを敵視すればいい。だがそれは日本じゃない」

 そこまで言うと、デンビは少し冷静さを取り戻したのかデビスの胸から手を放し、彼の乱れた背広の襟を直してやる。

 依然として充血したデンビの視線は、顔面を蒼白にしたデビスのそれと交錯しているが、その目は既にデビスを見ていない。

 彼は参集した閣僚一同に対して語っている。

「断じて、断じて日本であってはならないのだ。誰が彼らに10億ドルを払ったのか、君は忘れたのか? 我が共和党が10億ドル払った相手が実は仮想敵だったなどという笑い話、有権者たちが聞いたらどう思う?」


 最後の最後に放たれた言葉を耳にした瞬間、その場にいた閣僚の多くは怯み、そして言いようのない後ろめたさを感じざるをえなかった。

 彼らはいずれも紛れも無く共和党員であり、共和党員であるからこそ、今日の地位を得ている。

 神聖なる大統領執務室においてデンビ海軍長官が今、語っているのは合衆国政府を担う閣僚としての言葉ではない。

 あくまでも共和党員としての言葉であり、だからこそ、非共和党員であるハインズの退室を求めたのだ。

 決して政治的に微妙な問題を話し合う為に非閣僚である彼を追い出した訳ではない。


 (共和党が政権にある限り、日本を敵視する事は許されない――――)


 誰もがデンビの言葉の正しさと、自身の胸の内に生じた微かなやましさを認めざるを得なかった。

 『ティーポット・ドーム汚職事件』により、歴史と名誉ある共和党の顔に泥を塗り、その輝かしい栄光に傷をつけたエドウィン・デンビという人物により、彼ら共和党員は自分達が既に『共犯者』であるという事実を再確認させられていた。

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