表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
106/111

保管用 23

 金子は一つ、大きく咳払いをする。ここからが本題、本当の肝なのだ。

 「はい。第二の改定案ですが……第一条改定による現状維持を担保する為、第二条に修正を加え、四国間における軍事同盟の締結を提唱致します」

 「……それは」

 両大使は思わず顔を見合わせた。

 四国条約第二条は締結国家間で問題が起きた場合には協議する事を約し、締結外国家からの侵略に対しては協議して対処するとされている。第一条の現状維持範囲の拡大だけならまだしも、第二条を改定して四国同盟にするというのは突飛すぎるのではないか? と思えたからだ。

 特にソ連南下の裏事情を知るエリオット伯にしてみれば、さすがに行き過ぎではないかと思える。下手をすれば、米ソ紛争に英国が巻き込まれる事になりかねない。

 「四国間に問題が発生したならば協議の場を設ける。これに異論はございますまい。今回、これを更に進化させ四国以外からの侵略的挑戦に対しては他の三国は自動参戦義務を負い、四国共同による対向措置をとる。軍事的制裁も辞さないと条文に謳い上げる――今更ですが、我ら三国、そして米国を加えた四国は列強の中でも上位です。世界経済の八割を握り、海軍力で世界第一から第四位まで、陸軍力でも五指の指に入るはず。条約を改定した時、この四国に太平洋・東アジアにおいて挑戦する国が存在するでしょうか?」

 金子は、黙り込む二人の大使に説く。

 「挑戦する者がいるとすれば、それはソ連、あの邪悪なる共産主義者どもだけでしょう。彼らを挑戦者にあえて指名する必要は無いが、我ら四国が同盟を結んだという事実だけで、彼らは自制を余儀なくされるのではありませんか?」




 (まるで、世界分割だ……)


 金子の話を聞きながらクローデルはそう感じた。

 太平洋・東アジアの話、しかもソ連を仮想敵とするなどと限定しているが、この地域における安全保障体制とはいえ、それを結ぶ以上、四国が他の地域で対立しても戦争状態になることはあり得なくなる。他の三国に比べて日本の取り分は極端に少ないが事実上、四国で世界を分割しようと言っている様なものだ。そして、日本の取り分が少ないという事実と、第一条の現状維持肯定と抱き合わせによる第二条改定の提案によって、日本の言い分は格段に説得力が増している。

 金子は「今後、日本は太平洋・東アジアでの領土拡大を狙わない」と宣言しているに等しいのだ。

 フランスは海軍力で他の三国に劣っており、その点に不安がある。欧州最大最強の陸軍国という自負はあるものの、本国から遠い上に、広大な海域を網羅する太平洋・東アジアをコントロールするには海軍国の協力は絶対的に必要だ。英国、米国は自前の海軍力を保有している。無論、至近の日本は言うに及ばない。しかし、フランスに単独で同地域・海域を管制する海軍力はなく、他の三国の協力は不可欠だ。中でも、この地域・海域において最大の海軍力、そして陸軍力を保有する日本が現状維持を保証し、しかも実力を持ってフランスの権益を擁護するというのは、この上なく魅力的な提案だ。

 もし、この席を自分が蹴って出たとして、他の三国間で同盟が結ばれたら――まるで世界分割の様な協定が締結されたとしたら――フランスは太平洋・東アジアにおける権益を将来的に一切合切、失う危険を負う事になる。

 そうであれば、フランスの方針は自明の理だ。

 既に欧州においてはロカルノ条約が締結され、集団安全保障体制が整っている。日本の提案はこのロカルノ条約の太平洋・東アジア版ともいえ、フランスの権益を守る最良の選択に他ならない。いや、むしろ金子の口から修正案が発せられた瞬間より、残された唯一の選択だと言って良いだろう。

 欧州におけるロカルノ条約、太平洋・東アジアにおける四国条約。この二つの条約締結により、フランス本国の安全と東アジア・太平洋での植民地支配は盤石となるのではないか……クローデル、そしてフランス政財界の見続けたい世界が、そこに見えた様な気がした。




 (大きく出たな、日本は――)


 エリオット伯は内心、友人である金子の構想力に感服していた。現状が100%満足な訳ではないが、少なくとも維持されるのであれば英国にとって申し分ない。

 口先で何と言おうが中華連邦の国家承認は英国外交上の汚点、大失態である事に変わりはないのだ。だが、金子は「現状維持」という美名によって、この英国の外交的な失策を絶妙にフォローしてくれている。

 国家承認により東北三省の領土を削られる事になる中華民国・北京政府は不満を漏らすであろうが、「英国は我意を捨て、あくまでも多国間協調の精神に基づき、協定に沿って承認したのだ」と強弁できる点は大きいし、英国の失態を嘲るであろう列国に対しても「大義についた英国」という側面を強調して面目を保てる。

 それに、英国には孤立に対する言い知れぬ不安がある。

 英国、そしてエリオット伯の目線では、日米は満鉄売却、そして東郷訪米、更には親米派として知られる金子の存在により蜜月な関係にあるように思える。

 フランスは英国と協調して米国に対抗している情勢にあるとはいえ、彼の国は政局が安定しておらず、いつ方針を変更するか分かったものではない。挙国一致体制で盤石な政治基盤を有する東郷の日本、二期目に入った事により冒険的な政策をとれる共和党・クーリッジ政権率いる米国とは、政権の安定という意味では桁違いだ。下手をすれば日米側にフランスが付く可能性も捨てきれないだろう。それは英国の孤立を意味する。

 何より、英外務省内の日英同盟推進派の一人であったエリオット伯にしてみれば、この四国同盟の提案は日英同盟を破棄した現状において最良の選択に思えた。

 確保しておくだけのつもりだった手駒に過ぎなかった小国・日本という存在が未曽有の急成長を遂げた結果、英国はロシアとの往年の『グレート・ゲーム』を乗り切る事が出来たという歴史的事実。米国主導の四国条約により、歯噛みをしながら手放さざるを得なかった、その日本が再び英国の下に戻ってくる。英国外務省の総力を挙げてホワイトホールの紳士達を説き伏せるには十分な動機だ。


 最強最良の番犬が戻ってくる――。


 米国主導のワシントン体制により『永遠の二番手』の地位に甘んじざるを得なくなりかけていた英国に最良の時代が再び訪れる予感がした。





 (疑心暗鬼になるだろうな……)


 提案した金子は能面の様な笑みを顔面に張りつかせたまま二人の友人を観察していた。親しい友人を試す様な行為に、少なからず罪悪感を覚えつつも、職務上の事と割り切ろうと努力する。

 想像力が豊かな二人だけに

 「もし、自国を除いた三国間でその様な条約が締結された場合――」

 という状況を考えざるを得ない事だろう。自国だけが仲間外れの状態になった場合の恐怖、それは約束された未来の大損失。

 だが、それは日本も同じなのだ。

 日本を除外し、英米仏三か国で同様な同盟条約が結ばれる可能性も捨てきれない。その様なものが締結されたならば、それは日本の未来に絶望しかもたらさない。だからこそ、金子は「新たな同盟締結を」という話を持ち出すのではなく「既存の四国条約の改定」を提案したのだ。四国条約の改定の線で話が進む限り、日本一国だけが交渉の舞台から外される心配はいらず、しかも、日本側からの提案という形で席につけば交渉の主導権を握れる。


 新条約締結か、条約改定か――。


 日本の命運は、実のところ、ここにある。先程「進化させ」と表現したが、いずれかの国が「創造すべきだ」と考えた途端、日本は凋落の道を歩み始める。その単純すぎる事実を他国に悟られてはならない。だからこそ、笑みを浮かべた金子の心中は、煉獄の縁を渡るかのような焦慮に駆られているのだ。


 (東アジア・太平洋に日本が存在している以上、四国条約改定案で交渉が始まってしまえば、交渉の場から日本を除外する事は出来ないだろう。我々は、ワシントンの馬鹿げた会議の時の様に対日包囲網を受け入れ、無手丸腰になる愚を二度と犯す気はない)


 「ワシントン体制の破壊」をかねてより企んでいた金子が、この四国条約改定によって日本の孤立を解消するという案を考え出したのは欧州でこの年10月に締結された『ロカルノ条約』以降の話だ。

 孤立していたドイツを国際社会に復帰させる為に結ばれた地域安全保障体制に手を加え、その太平洋・東アジア版を作り上げる――しかし、現実には米国の外交基礎方針となっている「日本封じ込め」を修正しない限り、将来的には英米仏三国による協商体制に移行していく可能性の方が高い。

 当時の米国はワシントン会議において、その旗幟を鮮明にしているのだ。

 それを見抜けず、お人好しにも国際協調などという美名に騙され、受け入れたのは日本外交痛恨の失敗としか思えない。日清日露の様な国家存亡の危機の時代に外交の現場で鍔迫り合いを演じた金子にしてみれば、彼の後輩達が何故、こうも易々と騙されたのか理解できない程だ。欧州大戦の戦勝国でありながら、気が付けば戦勝国仲間から次第に孤立させられていく現状を何と考えるか。


 「英国大使閣下、フランス大使閣下、御異議がなければ、本国政府に我が国の提案を伝達願えませんか? この後、米国大使との会談予定が入っておりますので、そろそろ……」

 わざとらしく、金子は腕時計を見る。しかも、腕時計を見た上に壁時計にまで視線を移す。何度も時刻を確認し、話しは終わったから早く帰れ、とばかりに。


 (何と米国とは既に話が進んでいるのか!?)


 (この提案、米国が乗るのであれば、絶対に降りられないぞ)


 二人の大使は金子に頷きを返し、本国政府への伝達を約束すると辞去していく。今は、一刻も早く本国に伝え、判断を仰ぐべきだ。グズグズしている間に他の三国間で話が進み、自国だけがバスに乗り遅れることになれば一大事となる。



 慌ただしく去って行った二人の友人を見送った金子は大きく息を吐く。さすがに七〇を超えた老体であり、気迫を要する交渉事には凄まじい疲れを覚える。

 本音はともかく、表面上は道理をわきまえたスマートな英国、フランスを相手にするのと違い、腕っ節に自信のある米国を相手にするのは全く別なアプローチが必要となる。まずは二国間同盟を提案し、日本はあくまでも米国の味方であることを示してから、四国同盟に抱き込む手順を踏まねば、

 「我が国を孤立させる気ならば、三国まとめて相手してやる」

 と血気にはやりかねない。加えて米国の政権を担っている共和党の孤立主義も覆さなくてはならない。連盟規約に「連盟理事国は連盟加盟国が侵略を受けた場合、解決義務を負う」という一文があるというだけで土壇場になって国際連盟に参加せず、ヴェルサイユ条約にも批准しなかったような国なのだ。


 金子は、その点については既に手を打ってある。

 過去に築き上げた対米人脈を総動員して、ルーズベルト、タフト政権時代に知遇を得た共和党長老達に工作を行っていた。

 米国政権中枢における数少ない来日経験者にして、連邦最高裁首席裁判官として合衆国三権の長の地位にあり、今だ現役でもあるウィリアム・タフト元大統領をはじめ、ノーベル平和賞の受賞経験を持ち、共和党大統領候補の一人でもあったエリフ・ルート元国務長官、ルーズベルトの右腕と言われ、日露戦争の折の日本の戦時国債引き受けに尽力したレスリー・ショウ元財務長官といった人物たちに対してだ。無論、現在の駐日大使チャールズ・マクベーグの実父フランクリンに対しては言わずもがなの事である。

 現役の者、一線を退いた者、工作対象は様々だが、共和党モンロー主義の理論的指導者であり、共和党最高実力者であったヘンリー・ガボット・ロッヂが昨年末に急逝した今となっては、国際的な経済活動を重視する協調派が力を蓄えており、共和党内でも頑迷な孤立主義者は少数派に転じている。そこを突けば良い。

 少々、違法非道な手段を使い、危険をおかしてでも「日本は味方だ」と示さない限り、孤立主義に慣れた彼らが自動参戦義務のある同盟など容認する事はあり得ない。英仏は自らの実力、立場に完全な自信を持ち合わせていないが、米国は例え頭部からダラダラと血を流そうが、手足の一本や二本欠けようが、そんなことは気にしない。タフである事が何よりの勲章というお国柄だ。

 政権随一の親米派を自他ともに認める金子だけに、米国の愛すべき粗暴さ、思慮の足りなさには童子の様な微笑ましささえ覚えるが、四国条約の四国同盟への改定は、米国が主導したワシントン体制の明らかな欠陥を指摘する事に他ならないのも事実だ。自らが『唯一無二の盟主』になる為に構築し、日本を封じ込める目的を持った体制が『列強四国による攻守同盟』へと数年を経ずして変革するという事は、当事者たちにその意識はなくとも数十年後には、ワシントン体制は『外交上の完全なる失敗例』と認識されるはずだ。

 対支那権益において先行する日英仏の首根っこを掴まえ、言う事をきかせた気分に浸っていた米国だったが、四国条約が四国同盟に切り替われば、その単独覇権は事実上、終わる。同盟が締結されれば、誰が、何をするにも、この先、四国の協議を経ねばならなくなるだろう。


 「今、この時期において修正案による締結はさほど難しくはない。問題はそれを維持する事だ……」


 金子は冷めた緑茶を口に含み、喉を湿らす。

 日本の孤立を回避し、他を圧倒する列強間同盟を維持し、より強固なものにするのに必要なのは、ただ一つ、四国共通の敵。しかも、並みの敵ではこの四大国に対抗しようなどと考えもしないだろう。


 「コミュニストだけでは少々、荷が重いかも知れんな……皮肉なものだ」


 曇天の下、雪が舞い落ちはじめた大正十四年師走晦日の夕べ、大作を書き上げた金子堅太郎は次回作の構想を練り始める。その構想が実るのは何年の後か、今の金子には想像がつかなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ