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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
104/111

保管用 21

 「――しかし、介入を行うとなりますと貴国との間で相応の下準備が必要となります」

 金子は、少しだけ物憂げな表情を見せる。老練な外交官の見せるその表情が演技である事を当然ながらマクベーグは理解している。

 「我が国との間で……それは、如何なるものでしょうか? 外相閣下」

 日本が対価として何かしらの権益を要求するのは百も承知な事だが、マクベーグは当然の様にすっ呆ける。こちらから親切に条件を提示する様な素人ではない。

 「まず、第一に我が国は脅威が去った後には速やかに撤兵したいと考えています」

 それはマクベーグにとって意外な言葉だった。日本は兵を出し、その兵を居座らせる事で東満州の一定地域を勢力圏に置きたい、とでも言いだすのだと考えていたからだ。

 「それは……結構です。合衆国としても大変、ありがたい申し出であると考えます」

 「左様か。次に我が国としては、満鉄沿線に限られている貴国の関与を可及的速やかに満州全域に拡大する事を希望します。中華連邦とやらに満州地域の安定を確保する能力が無いことは今回の件で明白となりました。今後、この様な事を未然に防ぐ意味で貴国には積極的な関与をお願いしたい」

 

 (え?)


 マクベーグは素直に驚いた。日本は合衆国による満州支配を容認すると言うのか? 支持すると言うのか?

 「私の一存では何とも申せませんが、貴国の要望はワシントンに伝えます。私の考えでは、ワシントンも貴国に謝意を示すものと考えます」

 「民国或いは連邦の主権問題等、難しい問題はあるでしょうが、我が国の立場として国境の外が騒がしいのは何かと面倒ですから、是非、その方向でお願いしたい。この様な動乱がたびたび起こるのであれば、同地における正常な経済活動が期待できませんので――」

  

 (あぁ、日本は純粋に満州を市場として見ているのか……まぁ、軍事介入を是とする以上、その位は当然の分け前だろうな)


 マクベーグは頭の中で日本の真意をそう推量した。だが、同時に疑問に思う。

 軍事介入するが終結後は直ぐに撤兵する、合衆国の満州権益拡大を容認し、支持する……これのどこに日本の益があるというのだ? 見返りが合衆国の支配する事になる満州市場への参入程度で本当に良いのか?


 「それと――これが一番、重要な事ですが、我が国としては軍事介入する理由がありません」

 「……はい?」

 マクベーグは思わず間の抜けた声をあげてしまった事を数瞬の後、恥じた。恥じると同時に困惑した。 

 会談の冒頭、軍事介入の用意があると申し出たのは日本側ではないか。それが、今更、理由がないだと? これではここまでの会話は根底から成立していないではないか――。

 「紛争地域に貴国民が多数、存在しているという明白な介入理由があるのではありませんか?」

 相手の発言に対する不信を露わにマクベーグは問いかける。

 「無論、本邦国民の生命財産に危険が及んでいる事に深い憂慮はしております」

 金子はそこで発言を切り、そのまま沈黙した。

 長い、長い沈黙だった。

 そしてその沈黙により、先に動揺を隠しきれなくなったのは問うたマクベーグの方だった。

 「ええ、そうでしょうとも。今現在、こうしている間にも貴国民の生命財産が侵される可能性があるのです。十分な理由と成り得ましょう」

 身を乗り出すように、そう畳み掛ける。その巨大で醜悪な三角形の鼻の頭には嫌な皮脂が滲み出ていた。

 「そうですな」

 「そうですとも」

 

 (何かがおかしいぞ)


 マクベーグは、眉間に皺を寄せ、沈黙しがちな金子を見つめながら、心の中で戸惑いを覚えた。


 (この会話は、何かがおかしい……)


 鍋の底から沸騰寸前に沸き立つ小さな気泡の様な疑念が、老練な外交官を自負する老人の体内のどこかで警鐘を鳴らす。


 「簡単な協定でも結べれば良いのですが……そう、実に簡単な」

 金子は、まるでたった今、思いついたようにそう告げる。それが見え透いた演技である事はマクベーグにも分かる。

 「どの様な協定ですか?」

 自然な問い掛けが口をついて出てしまう。それは、こちらに切れるカードがない事を相手に知らしめる軽率な行為であり、外交官としては失態と言っても良いレベルではあったが、金子の真意が皆目、分からぬ以上、致し方ない。それに依然として自身の中から沸き立つ疑念の正体が見えてこない。

 「先の欧州大戦の折の事ですが――」

 金子は、何かを思い出すように天井を見上げると語り出す。

 「我が国と中華民国政府との間で、ある協定が結ばれました」

 「……はい」

 「この協定自体、民国政府からの要請で、我が国はあくまでもこれを受けるという形でした」

 「……」

 「お聞きになった事があるかもしれませんが『日支共同防敵軍事協定』というものです。民国政府の要請から協定調印まで四か月間という極短期でまとめられました。まぁ、ごくごく簡単で、ざっくりした内容の協定でして」

 「どの様な内容の?」

 「当時、我が国も民国政府も共にドイツ、オーストリア両国を敵国として参戦しておりましたので、まぁ、その軍事作戦や戦備、補給、情報交換に関して互いに融通し協力する、という内容です」

 「まぁ、貴国と民国は同じ連合軍側でしたから、相撃たない為には当然、結んでおかなくてはならないでしょうね。理解できます」

 ドイツ、オーストリアを共通の敵としつつも当時の日支間に同盟関係がある訳ではないし、協定が無い状態で、例えドイツ軍への攻撃目的の為であったとしても中国領内に日本が兵を進めれば、同じ連合国側にもかかわらず日支両国は軍事衝突する可能性もある。協定締結は当然の事だったろう。

 「これが、その云わば時限協定でして……ヴェルサイユ条約の締結をもって自動的に終了した訳です」

 「あぁ、なるほど。よく分かります」

 ようやく話が見えてきた、と内心、思いつつマクベーグは相槌を打つ。

 「つまり、貴国が軍事介入するには我が国と同様の協定を結ぶ必要がある……という訳ですな? しかも、目的と協定終結時期を明確にした時限協定で有れば締結も難しくはない、と」

 「その通りです。協定さえあれば、我が国は貴国の部隊を友軍と認識できますし、何より、協定に従って介入を行った、決して自己の欲求を満足させる為ではない――と世界に対しても申し開きがたつ訳です」

 マクベーグは金子の言葉に納得した。

 確かにそうだ。

 日本軍が突然、越境した時、前線に立つ合衆国軍、白系ロシア軍、中華連邦軍が日本軍を『新手の敵』と認識しないとも限らない。無論、政治的に「敵ではない、味方だ」と指示しておいても、法的には根拠がなく、しかも殺気だった戦場の事だ、何が起きるか分からない。明確で明文化された軍事協定の締結は至極当然だった。

 「しかし、今から両国政府間で交渉し、締結していたのでは間に合わないと思われますが……」

 既に戦闘は始まっている。どんなに急いで交渉したとしても、協定が成立する時にはどんな結果になろうとも全てが終わっているだろう。

 「そうですね」

 金子はソファの肘掛けに肘を置くと、拳を頬にあて、マクベーグを見つめる。

 時間が静かに流れる。

 あくびをかみ殺したのか、目が少し潤んでいるようだ。

 「……あの、外相閣下?」

 マクベーグは居心地の悪さを感じた。少年時代、教師に正解を答えるまで昼飯に待ったをかけられた時と同じ気分だ。


 (この老人は何がしかの答えを持っている……だが、それがいったい何なのか?)


 (糞っ! こんな所で日本人に試されるとは――!)


 合衆国政界の名門を自負する百戦錬磨の外交官は自身の脳内に熱い血流を流し込み、必死にそれを回転させた。老人がヒントを出している以上、正解がある筈なのだ。正解を得られねば日本軍は越境しない。



 長い沈黙の後、マクベーグはやや、上目づかいで金子に問いかけた。

 「四国条約――ですね?」

 ワシントン体制を担保する三条約――四国条約、九カ国条約、海軍軍縮条約――の内、海軍軍縮条約は依然として厳正に運用されているが、中国における機会均等の精神を謳った九カ国条約は最終的にフランスが批准を拒否した事により、事実上、形骸化している。その最大の理由は、日本という大きなピースが権益争いから抜けた為だ。

誰かが優先権、占有権を主張したのであれば、関係する他国は提携して、それを阻止すべく条文を盾に動けるが、条約では誰かが一歩退いてしまった時の事までは想定していなかったのだ。

 結果、抜けたピースを埋める為に各国は暗躍し、少しでも自国の取り分を増やそうと激突し、均衡は崩れ、九カ国条約の機会均等精神は空文化している。

 九カ国条約が空証文となった今となっては四国条約に関しても、それに近い状態と見なされてはいるが、現実には条約に違反した行為は行われておらず、その意味で条約は実質的な効力を完全には失ったとは言い難い。

 「ふん」

 鼻を鳴らすと金子は満足気に微笑んだ。


 四国条約はその第一条にて、太平洋方面における島嶼領土・属地・権益に関して四国間で問題が発生した場合の軍事的解決を否定し、協議の場を設け外交的に解決を図るべしとされ、第二条では締結国以外の国からの侵略的行為に対しては『最も有効なる対抗手段』を用いる事を四国協議にて話し合うか、或いは各国と個別に協議し、了解を求めるべし――という事になっている。条約の精神そのものは軍事的な解決を回避し、外交交渉による事態打開を求める……という事だ。

 ソ連による満州侵攻という事態に際して、国交のある英国が仲介を申し出たのは、正にこの条文に沿ったものであり、米ソ直接衝突の前に外交的に解決しようというものだ。

 しかし、既に満ソ国境では米ソ直接戦闘が発生しており、外交交渉による解決という段階は過ぎている。米国は結局、自身の軍事力による解決を『最も有効なる対抗手段』と認識し、行動に移した訳だが、これに関して他の三国と協議などしていないし、勿論、その了解も得ていない。つまりは、ここに明白な条約違反が発生している。

 無論、米国は

 『満州は太平洋ではないから、条約の適用外だ』

 と、抗弁する事も可能だが、その態度が日英仏の不興を買う行為には違いはなく、同時に『属地』の解釈には大陸租界も含む以上、強くは反駁出来ない。


 「……貴国と事前に協議していた事にする、でしょうか?」

 恐る恐る――といった様子でマクベーグが問う。金子は微笑んだまま答えない。その穏やかな微笑みが正解に近づいた事を示してはいるが、同時に完璧な正解ではない事を物語っている。

 老外交官は、ここに至り、覚悟した。

 それは国際社会に対する裏切りであり、国民に対する背信行為だったが、目の前で頬杖をついている老人を満足させるには、もうひと押しがどうしても必要だった。

 「協議の結果、合衆国と貴国は協定を既に結んでいた……?」

 マクベーグの答えを聞き終えると、それまで彫像のように動かなかった金子はゆったりと長身を起こすと、机の上の書箱から製本された書類を取り出す。

 「既に協定案は作成しておきました」

 日本語と英語で書かれた文書が机の上を滑り、マクベーグの手元で停止する。

 「大筋は日支共同防敵軍事協定と同文であり、極々、一般的な物となっておりますので問題は無いでしょう。何か仔細について異議がある場合は協議には応じますが……」

 唖然とするマクベーグに老教師は冷淡な口調で最後にこう告げた。

 「貴国の為には急がれた方が宜しいでしょうな。我が国は別にどちらでも構いませんが」

 書類をひったくる様に手に取りながら合衆国大使は慌ただしく席を立つ。

 「直ちにワシントンに報告し、裁可を得るよう努力いたします」




 大使館へと向かう車の中、マクベーグは先程、胸の中で沸き起こった疑念の解答を得ていた。

 「嵌められたか……」

 「は?」

 独り言に反応した運転手をバックミラー越しに睨み付け、黙らせる。

 

 最初に軍事介入を申し出たのは日本の方だった。

 その筈だった。

 それが日本には介入する理由が無いなどと言いだし、いつの間にか交渉の流れは合衆国が介入を懇請し、日本はやむなく応諾したかの様に話がすり替えられていた。その上、ありもしない協議をでっち上げてくれとこちら側から言い出す羽目になり、最終的には日本側が作成した協定案を呑まされようとしている。

 もし、呑まなければ日本からの軍事支援は得られない。それどころか

 『合衆国に四国条約違反の疑義あり』

 と、日本人は声高に言いだすだろう。

 そう、いつもの様に法を盾に……。

 例え日本の軍事支援が得られなくとも、合衆国が赤軍に遅れをとるとは思えないが、今後予想される莫大な軍事負担は全て合衆国が負う事になる。それも、合衆国が日本の提案を蹴ったからであり、満州でこの先、どんな惨劇が起きようとも日本は素知らぬ顔で合衆国と奉天政府の統治能力不足と条約軽視の姿勢を非難し続ける権利を得るのだ。

 しかも、日英仏という新たな協商体制を結成した上で……。

 「つまり、この企みに加担せねば日本は英仏につく、という訳だ――」


 (英国と対立している現状、更に自らの手で日本をあちら側に追いやる訳にはいくまい。少々、手に余る事になってしまう)


 (条約条文では有効手段をとる為には、締結国の了解を得るか、或いは事前に協議した上で、となっていた筈――。)


 (英仏とは協議していないが、少なくとも日本と協議していた事にすれば全面的な条約違反という批判は免れるし、金子は上手く口裏を合わせてくれるだろう……中華連邦の一件が失敗に帰したおかげで既に我が国は外交上、大きな失点がある。この上、『合衆国は条約を守らない国家だ』などという不名誉な商札を付けられるのは、さすがにまずい)


 (九カ国条約は形骸化している。この上、四国条約までも合衆国が無視したとなると、我が国が主導したワシントン体制は崩壊だ。この先、英仏日は大手を振るって勢力拡大に動き出す事が出来る。骸同前になっていたとはいえ条約は最後のブレーキだ)


 金子が求める『日米防敵軍事協定』はあくまでも目的と相手、それに期限が明確な時限協定だ。軍事介入する以上、協定締結は至極妥当な話しであり、日英同盟の様な包括的国家間軍事同盟とは異なっている。四国条約で個別の軍事同盟が禁じられている訳ではないが、条約適用内の案件として対外的には主張できる。


 (考えるもおぞましいわ……)


 クリスマス休暇の真っただ中、間抜け面でサンタを待っているだろうホワイトハウスの面々の顔を思い浮かべる。彼らに、とんだプレゼントを届ける役目となったマクベーグは陰鬱な気分に浸り始めていた。


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