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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
4/15

第四話 月と太陽

 いつの頃からだろう。

あたしの心が、スカーレットの生み出す感情に違和感を感じ始めたのは。


13才。

初めてスカーレットに出会った。

まだまだ子供だったあたしにとって、スカーレットはとてもとても遥か遠くの世界に住む、大人の女性に見えた。

実際はまだスカーレットも20才そこそこで、駆け出しのデザイナー。

それでも、あたしにとってはまるで太陽の女神様みたいに尊い存在に見えた。


両親を亡くし、孤独だったあたしに手を差し伸べた。


きっかけはなんだったか覚えてはいない。


だけど、スカーレットはあたしに服を作ることを教えてくれた。

スカーレットの生み出す、とてつもなく深くて、恐ろしくて、それでいてあまりにも甘美なその世界を、あたしに創造する術を教えてくれた。

あたしは夢中になって作った。

スカーレットの隣で、スカーレットの世界を造り上げること。

あたしの誇りだった。

ふと気が付いた時には、スカーレットは世界一のデザイナーと、センデロスは世界一のメゾンと、そしてあたしは世界一のスカーレットの半身と呼ばれるようになっていた。

スカーレットが太陽であるなら、あたしは月だ。


それが、いつからだろう。


あたしの中に違和感が芽生えた。


スカーレットの世界は美しいままだったはず。


なのに、あたしは、もっとこうしたら、ここはああしたら、そう思い始めていた。


スカーレットの世界を、心のどこかが否定し始めていた。


それを強く自覚したのもいつなのか覚えてはいない。


でも、それに気が付いてから、あたしの手は、あたしの心は、錆びて、朽ち始めていった。


スカーレットは天才。


あたしはその境地から滑り落ちた。


あたしが、スカーレットの狂おしい世界に着いていけなくなっただけ。


悪いのはあたし。


あたしはスカーレットの求める、寵愛を受けるに値する存在ではなくなった。


あたしは、あたしを責めた。


そうやって、あたしはあたしの心を保っていた。






 ヴィッキーが目を覚ましたのは、ベンチの上だった。

朝靄のかかる公園のベンチの上。

目を開けた途端に、頭に激痛が走った。

一瞬で分かった。

二日酔いだ。

またやってしまった。


深酒の後はいつもあの夢を見る。

いや、あの夢を見るから、酒に頼るのか。

いつからか、ヴィッキーの酒量は自分でも驚くほどに増えた。

それと同時に自暴自棄とも思える行動も増えた。

メンフィスのメゾンを探る人間に近付き、酒をたかり、好きなだけ飲み、そして煙に巻く。

情報屋まがいのたかり屋などということを始めたのも、あの夢のせいだった。


朝になれば後悔が襲う。

またやってしまった。

今日も後悔が襲ってきた。

ただ、その朝がいつもと違うのは、

ヴィッキーが横たわっていたのは、女の膝の上だったこと。

ヴィッキーは勢いよく跳ね起きた。


「っつ!」


割れるほどに頭が痛い。

しかし、それを抑え込むと辺りを見回した。


朝靄のかかる公園のベンチ。

寄り添うように眠るふたりの女。

ディアナとルチルだった。


「あんた達・・・。」


掠れた声を絞り出した。


その声に反応してか、ルチルが薄目を開けたのが見てとれた。


「しーっ。」


ディアナを指差した後、唇に指を当てた。


「なんで?」


「なんでって、ヴィッキーがベンチなんかで寝るからでしょーが。」


「置いていけば良かったじゃない。」


「私は別にそれでもいいんだけどねぇ。ディアナがうるさいっしょ?こんなとこに置いてったら風邪引いてまうべ。ってさぁ。風邪よりももっと悪いこと考えつかないのがまだまだ子供だよねぇ。」


「もっと悪いことを考えついて残ってたあんたもあんただと思うけどね。」


「ちょっと意味が分からないですねぇ。」


「寒いわね。」


乾燥地帯のこの街の朝は冷える。


「ここ、あたしの家の近くだわ。来なさいよ。風邪引くから。」



 そこはどう見ても納屋だった。

母屋の脇に建てられた大きな納屋。

農家だったら農機具や農作物をしまっておいたりする、あの納屋だ。

ここは都会のど真ん中。

流石に農機具は置かれていない。

使われていないボロい納屋だった。

母屋の主が使っていない納屋を、住居としてヴィッキーに貸しているのだと言う。


ヴィッキーが大きな引き戸の取っ手に手をかけた瞬間、言った。


「鍵が空いてる?」


その言葉を聞いて、ディアナの体に力が入った。

と同時に、ルチルの腕がディアナの体を引っ張った。

顔を見上げるもその表情には何の変化も見てとれないが、ごく自然に自分の背後にディアナを隠したように思えた。


「開けるわよ。」


ヴィッキーが引き戸を引いた。


 天井の高い、ロフト付きの納屋。

通常の民家と違い広い一間は散らかり放題。

至るところにゴミが散乱しているのが目立っているが、それよりも目に付くのは、部屋中に並べられた無数のトルソー。

その全てが何かしらの服を着ており、どれも作りかけなのが見てとれた。

そして壁に打ち付けられた棚には様々な裁縫道具がところ狭しと並べられていた。


 部屋の真ん中にテーブルとソファセットが置かれていた。

ソファの上からイビキが聞こえてきた。

酒瓶や、食い散らかした残飯にまみれて眠っていたのは、男だった。


「誰!?」


ヴィッキーは部屋の中を早足で横切ると、ソファに寝ていた男にクッションを投げつけた。


「あ?ああ?あぁ、君か。おかえり。」


ディアナもルチルも、部屋の入り口から見守っていた。


「なんなの!?なんで勝手に人んちで寝てんの!?」


怒鳴り付けた。


「え?何を言ってるんだい?」


ヴィッキーのあまりの剣幕に驚くように、男はソファの上に体を起こした。

しかしその素振りはごくごく自然で、驚きの表情はすぐに消え失せた。


「ひゃあ。」


ディアナがルチルの背後に隠れた。

無理もない。

男は裸だったのだから。


「勝手に、って、君が、ずっとうちにいていいって言ってくれたんじゃないか。」


ぼりぼりと体を掻きむしりながら、寝ぼけたままの声を出すその男は、凄まじく端正な顔立ちをした若い美男子だった。


「あんたなんか知らない!とりあえず出てって!」


「いやだなぁ。覚えてないのかい?確かに君、ずいぶん酔ってたからなぁ。

こうしたら思い出してくれるかい?君が寒いって言うからあたため・・・」


言いながら男が立ち上がった瞬間だった。


「いだっ!」


男は悲鳴を上げた。

ディアナ達の場所からではゴミに隠れて見えなかったが、推測するにヴィッキーがブーツのヒールで男の足を思い切り踏みつけたのだろう。

反射的にかがみ込んだ男の下腹部を、迎え撃つように膝で蹴り上げた。


声を上げることも叶わず、男の目から光が失われたのが分かる。

そのままぐったりとソファに倒れ伏した。

ヴィッキーは何も言わずに全裸の男の足首を片手で掴むと、ディアナ達が立ち尽くす入り口へ向かってズルズルと引き摺って歩いてくる。

ルチルは仕方なくディアナの目を覆った。


「ったく。何なのよ。」


ブツブツ言いながら男を納屋の外に放り出すと、続いて男の物と思われる衣服や荷物、ついでに食べ散らかしたゴミをその体の上に投げ付けた。


「悪かったわね。目障りな物見せて。」


ピシャリと引き戸を閉めると、ヴィッキーは格別な笑顔を満面に浮かべ、ふたりに声を掛けた。


「うっわぁー。かっわいそぉー。アレ、もう使い物にならないんじゃなぁいのぉー?」


「使えないくらいで丁度いいわ、あんなの。どーせアレのことしか頭の中にないくそ野郎よ。出来ないくらいの方がまともな生活送れんでしょ。」


 まるで何事も無かったかのように、ヴィッキーはふたりをソファセットの元へと誘った。

テーブルの上の食べ残しを腕で引き寄せるとくずかごに放り込む。

男が裸で寝ていたソファから毛布を引っぺがすと、近場の床に無造作に置かれていたシーツみたいな布をその上に敷くと、ふたりに座るよう促した。

そのまま部屋の隅に設置されたお勝手に移動して、棚に並べられた瓶のうちのひとつとグラスを3つ、指で挟むと、ソファの前に佇むふたりの元へと戻ってきた。


「どうしたのよ?掛けなさいよ。」


「いや、だって、裸の人が寝てたところだべ。」


「だからシーツ掛けてあげたんでしょ。」


「そ、そうだけど・・・・。」


ディアナが困惑するのも無理はない。

ルチルですら、座ることを無言で拒否する意思表示をしているくらいなのだから。


「ってか、ルチル。さっきあんな煽ったくせにそんな顔するとは思わなかったわね。」


「・・・・・。」


「なに?男なんて珍しくもないでしょ?あんたなら、その気になりゃ男なんて両手の指じゃ足りないくらい経験あるでしょうに。」


「・・・・・。」


無言のまま、ルチルはソファに腰を下ろした。

ディアナもそれに続いた。出来るだけ浅く、ソファに直接体が触れないように心掛けているのが手に取るように分かった。


「さて。」


ヴィッキーがふたりの前に置いたグラスに瓶から飲み物を注ぎ始めた。


「安心なさい。水よ。多分。」


ヴィッキーが勢いよく水を飲み干した。


「で、これからどうするつもり?」


「え?」


ディアナが間の抜けた声で答えた。


「え?じゃないわ。今後のことよ。ブランド立ち上げるんでしょ?それなりに準備が必要でしょうよ。」


「えっと、えっと、オラ・・・・。」


「何も考えてないの?」


「す、すみませんだべ。」


「ったく、しょうがないわね。」


「それよりも先に、まずはヴィッキーでしょ?」


2杯目の水を注ぎながらルチルに視線を移した。


「どういうことよ?」


「メゾンって、よく知らないけど、そんな簡単に辞められるの?」


「あぁ、そのこと。」


先程と同じように勢いよくグラスの中身を飲み干した。


「今日、話してくるわ。」


「この街で仕事できるの?」


「・・・・・・なんとかするわ。」


「そっち次第だと思うけどねぇ?」


「・・・・・・分かってるわよ。

んで、まぁ工房はうちを使えばいいわ。あんた達、今は宿取ってるんでしょ?ここに住みなさいよ。」


その言葉に、ディアナがそわそわしたのが分かった。


「あんた達がいるなら、もう男なんか連れ込まないわよ。」


「本当だべか?」


「うるさいわね。そんなことで嘘つかないわよ。元々好きでやってたわけでもなし。」


その言葉に、ディアナは目をまん丸くしてルチルの顔に視線を向けた。

ルチルはどこを見るでもなく、片手で毛先を弄るだけだった。


「え?つーか、あんた、マジ?カマトトぶってるわけじゃなくて?」


「うるさいなぁ。私のことはどーでもいいの!」


「ウケるわね。あんたならどんな男だって選り取りみどりでしょうに。あたしがあんたならそりゃーもう遊ぶわよ。」


「うっさいって言ってるでしょ!」


「ぶはは!!あんた、最高ね!!」


ヴィッキーが笑い声を上げた。


「って、まぁそんなわけないわよね。」


ルチルの視線に気付き、ヴィッキーは真顔に戻った。


「なによ、その顔。そんな怒るとこ?」


怒っていたわけじゃない。

それはヴィッキーにも見れば分かる。

感情をすくい取ることで身を立てた女だ。

どちらかと言えば、この世の誰よりもその点に関しては優れている。

それはとても、とてもとても、寂しげな視線だった。


「誰かと一緒にいられる時間って、奇跡みたいなものだよ。自分を大切にして。」


「年寄りみたいなこと言うわね。」


ルチルは何も言わなかった。

ただ、寂しげな目でヴィッキーを見つめるだけだった。


「分かったわよ。何だかよく知らないけど、あんた、見た目より色々と背負ってんのね。」


3杯目の水を飲み干した。


そんなふたりを見て、

(やべぇべ。大人の世界過ぎて鼻血が出そうだべ。)

ディアナは妙な興奮を覚えていた。





「部屋の掃除しとくから、ちゃんと話してくるんだよぉ。」


「言っとくけど、生活スペース以外に触ったらぶっ飛ばすかんね。」


 軽く風呂に入り、ロフトで着替えを済ませてからヴィッキーは部屋に下りてきた。

黒いピンヒールのパンプス。

白いスキニーパンツ。

パンツインしたブルーのデニムシャツのボタンを外し、胸元を強調するように着崩している。

その胸元にはピアスと揃いの、鳥の羽根をあしらった大きなペンダント。

そのネイティブな雰囲気が、色気を大幅に中和させることに一役買っていたのは間違いない。

ディアナですら惚れ惚れするほどの絶妙なコーディネートだった。


「掃除してもらう分際で生意気だぞぉー。」


「あんたね、あたしの方が年上なの忘れんじゃないわよ。」


笑いながらヴィッキーは部屋を後にした。


「ねぇ、ルチル。恐くないんだべか?オラ、ヴィッキー、恐いべ。」


「んー?大丈夫だよぉー。ちょっと口が悪いくらいで、あの子、誰よりも真っ直ぐなんじゃん?」


ルチルも笑いながら、トルソーの一体の肩に手を置いた。


「ぶっ飛ばすって言ったわよね?」


入り口から顔だけ差し込むようにして、ヴィッキーがこちらを睨み付けていた。






 いつも通り、メンフィス区の正門を通り、いつも通りに大通りを通り、いつも通りに丘の中腹に位置する建物の前に立った。

いつも通り。

毎朝の出勤だ。

しかし、その日のヴィッキーは、自分でも驚くほどに汗をかいていた。

喉だってからからだ。

理由は分かっている。

この女は自分の感情を理解している。

そこから目を背けはしても、理解はしている。

認めたいか、認めたくないか。

ほんの小さな差。

13才。

多感な年頃だ。

普通の人間なら思春期を迎え、反抗期だって経験するだろう。

ヴィッキーは、その年頃を、スカーレットと過ごした。

母であり、姉であり、そして上司としてのスカーレット。

最も多感な時期を、崇拝するその人と過ごしてきたヴィッキー。

28年間の人生で、今日、初めて、反抗する。



「おはようございます。」


窓ひとつない石造りの壁に嵌め込まれた、重厚な木の扉。

それを引き開けると、見慣れた空間が広がっていた。

毛足の長い絨毯の上には王族の応接間のようなきらびやかな調度品が並んでいる。

その全てが、暗い赤で統一されていた。

無論、王族の応接間と言い表してなんの間違いもない。

何故ならそこは、そういった目的で存在する場所なのだから。

広い広いその部屋の片隅に佇む女が、ヴィッキーに挨拶をしてきた。


「おはよう。」


ヴィッキーは女に挨拶を返した。


「スカーレットは?」


「クイーンはオフィスです。」


応接間を横切ると、奥の扉を開けた。

真っ直ぐな廊下。

しかし、応接間と違い、そこから先は全てがグレーで統一された全くの異世界だった。

廊下の両脇にはいくつもの部屋。

その部屋を忙しなく女達が往き来している。


「おはようございます。」


「おはよう。」


「おはようございます。」


「おはよう。」


その全てが、ヴィッキーに挨拶をしては通りすぎ、その全てにヴィッキーは挨拶を返す。

全員がスカーレットのアシスタントのスタッフであり、ヴィッキーの部下。

すれ違う度に、緊張が伝わってきた。

廊下の突き当たり。

一際大きな木の扉。

その前に立つと、ヴィッキーは大きく息を吸った。

あらゆる想像が脳裏をよぎる。

しかし、そのどれも、どれが正しいのかヴィッキーには分からなかった。

初めて逆らう。

初めて逆らわれる。

自身の恩人がどんな反応を示すのか。

ヴィッキーには予想すら出来なかった。


 木戸を軽く4度。

これがヴィッキーが入室する時の合図だった。

中からは何も聞こえてこない。

いつものことだ。

ヴィッキーはノブを捻った。

応接間とほぼ同じほどの広い部屋。

しかし、中には何もない。

部屋の中央。

女はこちらに背を向けて椅子に腰掛け、イーゼルに立て掛けた画板の上の小さな紙の前に静かに座っているだけだった。


「あなたが寝坊なんて珍しいわね。」


女は振り返らずに言った。


褐色の肌。

銀色に光り輝く、ボリュームのあるアフロヘアー。

細く長い肢体にチューブトップの赤いタイトなドレスを纏うその女こそ、


スカーレット・デ・センデロス。





「すみません。」


ヴィッキーは一歩だけ部屋に足を踏み入れると、そこで立ち止まった。


「見て。」


やはり振り返らず、スカーレットが言った。

ヴィッキーは無言で部屋の中央へと進んだ。

スカーレットの背後に辿り着くと、その紙に目を落とした。


 感情の渦がヴィッキーを襲った。

今日も荒れ狂っている。

全てを憎悪するように、しかし包み込むように。

優しさと、狂おしさが溢れかえったそのデザイン画を見た瞬間、ヴィッキーの頭はスカーレットの感情をすんなりと受け入れる。

今までなら。

しかし、今日は、いや、いつの頃からなのかは分からない。

感情に押し潰されそうなあたし。

ヴィッキーはそれをひしひしと感じていた。


「素晴らしいです。」


枯れたような声を絞り出した。


スカーレットが振り返った。


真っ黒に輝く瞳。

長い睫毛。

薄い眉。

小さな丸い団子鼻。

厚い唇。

細く尖った輪郭、顎。


その全てが、ヴィッキーを責めていた。



「っ!?」


スカーレットはイーゼルから画板を取り上げると、思い切りヴィッキーを殴りつけた。


「っつ!!」


横っ面を画板の角が叩きつける。

思わずヴィッキーはよろめいた。

こめかみに受けた衝撃は脳を揺らした。

そのまま膝をついた。


スカーレットは無言で立ち上がった。


背の高い、ルチルよりも更に頭ひとつ分は背の高い、まるで樹木のようの印象を受けるその女が、膝をつく小柄な女の前に立った。


膝を落し、その白い顔に両手を伸ばした。


優しく頬を撫でる。


それから、


くちづけをした。



ヴィッキーの厚い唇に噛みつくように。

愛おしそうにゆっくりと吸い、舌を絡ませる。


何度も何度も愛を注ぎ、愛を吸い、唇を交わしたまま、

スカーレットはヴィッキーの細い両手首を掴むと、ゆっくりと頭の上へと持ち上げ、そして優しく押し倒した。


朦朧とする意識。

ヴィッキーは抗えなかった。


赤いドレスは小さな女に覆い被さり、それでも尚、愛し続ける。

小さな歯の1本1本まで確かめるように。

いつも通りに。

それはなんの儀式なのだろう。

それはスカーレット自身にも分からないのかもしれない。

気が済むまでヴィッキーを愛すと、

スカーレットの厚い唇はヴィッキーの唇を離れ、鼻筋に舌を這わせた。

ゆっくりと、柔らかな感触を感じながら、徐々に登ってゆく。

眉間を通りすぎ、まぶたを通りすぎ、やがて画板の角で傷付けられたその部分に到達した。


ヴィッキーの体が小さく跳ねた。


構わず、スカーレットの舌が傷口を這う。


しばらく傷口を愛した後、スカーレットはヴィッキーの耳元で囁いた。


「誰?」


「・・・・・ディアナ。・・・・ディアナ・・・・メロ。」


ヴィッキーは絞り出すように答えた。


「そう。新人なのね。」


スカーレットの吐息が漏れた。


「ヴィクトリア・ハイセヘムスが見初めた才能。きっと、さぞや素敵な才能なんでしょうね。」


ヴィッキーは目を閉じたまま動けなかった。


「あなたが私を見初めてくれたからこそ、私はここまで来られたのよ。」


「・・・・・・。」


「いつからなのかしら。私が、あなたに応えられなくなったのは。

私は怖かった。

それでも、あなたに応えられないまま、私はこの日が来るのを待つことしかできなかった。

それが私の犯した罪ね。」


「・・・・・・。」


「見せて、私に。

あなたの見初めたその才能が、いえ、その才能を得たあなたが、どんな世界を生み出すのか。」


「・・・・・・。」


「あなたには何もしてあげられなかったわね。

欲しい物は好きに持っていきなさい。好きな場所で好きな事をなさい。

出納係に会うといいわ。あなたへのせめてもの償いよ。小切手に好きな額を書きなさい。」


「・・・・・・。」


「私はここでは待たない。

あなたが再び私の元へ辿り着く頃、私の世界は果てしなく広がっているのよ。」


「・・・・・・。」


「ありがとう。私の可愛い、ヴィクトリア。」




スカーレットはゆっくり、ヴィッキーの体の上から起き上がると、静かに部屋を後にした。

初めて見せた、母としての顔だったのかもしれない。

扉の閉まる音がした。



「・・・・っう。」



ヴィッキーの口から空気が漏れた。



「っう。・・・・・っう。・・・・っ。」



それは次第に嗚咽へと変わり、



「っうぅ、っう・・・・

あぁ・・・・あああああぁぁぁぁぁぁぁ。

あああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



声を上げて泣いた。







つづく。


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