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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
2/15

第二話 秘められし世界

【スカーレット・デ・センデロス】


 世界で最も多くの顧客を抱え、世界で最も高級なオートクチュールを提供するメゾンの名前であり、

世界で最も華やかで、世界で最も先鋭的なデザインを創造するデザイナーの名前である。


 その顧客は世界各国の富豪達。

その中でも毎年のように彼女の生み出すファッションを享受できるのは、王族を始め、一握りの貴族や、豪商などのみという狭き世界だ。

その価格は様々で、高級プレタポルテ程度の価格から、屋敷ひとつを丸々建てられる程の価格まで幅が広い。

代わりに、誰かが身に付けたデザインと同じデザインを注文することは断じて許されず、その顧客のために生み出されたデザインは唯一無二。

いつ、誰と、どこで出会ったとしても、同じデザインを身に付けている等ということが無い、絶対的な保証がその価格には含まれている。


 広い、何もない、壁も床も天井もグレーの部屋の中央に、5体のトルソーが並べられていた。


ひとつは、大きく膨らんだスカートが美しい、オーソドックスなプリンセスラインの純白のドレスを纏っている。


ひとつは、深紅に染め抜かれたチューブトップの、同じくプリンセスラインのドレス。


ひとつは、非常に先鋭的なデザインだ。淡い黄色のエックスラインのドレスだが、肩口からフレアに広がった裾まで、虹が掛かったように色とりどりの太いレースが伸びている。


ひとつは、華やかなエンパイアラインの深緑のドレス。まるで森の妖精が纏うような、幻想的な輝きを放っている。


ひとつは、純白の中に黄金に輝く金糸が編み込まれた、マーメイドラインのドレス。膝下に特大の膨らみを持たせた、それはそれは美しいシルエットをしていた。



 とある貴族の息女が近く婚姻の儀を行う。

その際にお召しになるためのドレス。

彼女の生誕から、青春、燃え上がるような恋、そして訪れる幸福。それが天に召されるまで続くよう、このデザインには願いが込められていた。


 女は、マーメイドラインのドレスの胸元に、百合の花を模したコサージュを縫い付けると、丁寧に糸を切った。


「できたわ。」


2歩、後退りながら言った。

声を掛けられた女は、ゆっくりとドレスの周りを歩きながら、細部に目を光らせていく。

最上級の素材。

最上級の技術。

最上級のデザイン。

その全てが、このドレス達には詰まっていた。


「美しい。」


歩を止めると、女はお針子の女に視線を移した。


「やはりあなたは最高よ。」


「どうも。」


「見て、このライン。スーッとして、シャァーッとして、フワリとして。素晴らしいわ。」


「・・・・・・。」


「ねぇ、ヴィッキー。私は確かに世界一のデザイナーよ。それは自負してるわ。」


「・・・・・・ええ。」


「でもね、何故、私のメゾンが世界一と呼ばれるのか分かる?」


「・・・・・・。」


「それはね、私のデザインを、あなたが、こうやってクルクルとやってくれるからに他ならないわ。あなた以上に私の思い描いた形そのままに作り上げてくれる人なんて、他にはいないもの。」


「どうも。」


「ヴィッキー。愛してるわ。」


「どうも。」



 この会話に、いや、会話として成立すらしていないこのやり取りに、全てが詰まっていた。


スカーレット・デ・センデロス。

この語彙力の無い女は自他共に認める世界一のオートクチュールデザイナーだ。

その発想力、表現力、創造力。どれを取ってみても神をも凌ぐほどに特異な感性に満ち溢れている。

しかし、彼女が内包する感情の渦は、決して他者が理解することは叶わない。限りなく崇高であり、異質であり、時には狂っている。

誰もスカーレットの思い描くものを形にすることは出来ないし、スカーレット自身も伝えることは出来ない。

たったひとりを除いては。


ヴィクトリア・ハイセヘムス。

スカーレットの唯一無二の片腕。

スカーレットの無限の創造力を形に出来る女。スカーレットの生み出したデザイン画という名の感情の渦からその深遠の上澄みをすくい取り、スカーレットの思い描く通りにパターンを起こし、実体を作り上げることの出来る、スカーレットの半身のような女。

スカーレットがその半生で唯一、愛を注ぐ女。

ヴィクトリア無くして、スカーレット・デ・センデロスはデザイナーとしてもメゾンとしても成立し得ない。


確かにメゾンの名こそ、デザイナーであるスカーレットの名を冠している。

しかし、このふたりが同じ時代に生を受け、互いに出会ったからこそ、この世界一のメゾンは誕生することが出来たのだ。



 そんなメゾンが居を構えるのは、古来より続く港街。

世界中のあらゆる物流が交わる世界最大の商業都市の一角。

各国の富裕層の別荘が立ち並ぶ、正真正銘のセレブリティが集う丘の中腹に位置していた。

光輝く太陽が差し込む通りには美しく整備された石畳。

植え込みの手入れは行き届き、立ち並ぶ全ての樹木が同じ形に整えられている。

路上にはゴミひとつ落ちておらず、木の葉1枚落ちた途端、どこからか現れる清掃人が拾って消えていく。

街を行き交う人影はほとんど無く、代わりに往来を行き来するのは窓を持たない高級そうな馬車ばかりだ。

大通りを挟んで立ち並ぶのは、セレブ御用達の高級店。

それは衣服に限らず、日用品、食料品、レストラン。全ての店が富裕層のための特別品ばかりを取り扱っている。

そしてその大通りから一歩奥に足を踏み入れれば、そこに広がるのは巨大邸宅の群れ。

群れと言っても、庶民の住宅街のように密集したものではない。

一軒一軒が広大な敷地を持ち、屋敷の住人同士が顔を合わせることはまず無いだろう。

この丘の斜面は全て、この巨大邸宅とその庭で埋め尽くされていた。



「たはぁー。ここが噂に聞くメンフィス区だべかぁー。」


 そんな閑静な、いや、おごそかな、と言うべきだろうか、現実離れした街を前にして、ディアナは声を上げた。


「なんかあれだねぇ。お金の匂いがプンプンするねぇー。」


大通りの入り口。

洒落た小さな字で【メンフィス】と書かれた看板を前にしたふたりは黄色い歓声を上げた。

と同時にふたりを門兵が睨み付けた。


「ってか、前にこの街に来た時はこの門の前まで来られなかったって、マジウケるんですけどぉー。」


門兵の視線などは意に介することもなく、ルチルは隣に佇む少女の肩に手を置いた。


「仕方ないべ。オラ、ヴィッキーと同じ街にいるってだけで緊張しちまって、この地区の半径200m以内に立ち入ることもままならなかったんだから。」


「どぅえっへっへぇ!何度聞いてもウケる!」


片手に持った、イチゴとバニラの二段重ねジェラートを舐め回しながら、ケラケラと笑っていた。


「んで、どーしても近付けないから、わざわざ海を渡って私を訪ねてきたって、ほんとマジウケる!200m進むより海渡るって、マジわけわかめ!」


「しゃーないべぇー。もう笑わんでくんろ。」


言葉とは裏腹に、全く抗議の意思は感じられない口調で喋りながら、ディアナもレモンとグレープのジェラートをついばむように舐め取っていた。


「ま、ここまで来られてたとしても結果は変わらなかったんだから、どっちでも良かったねぇ。」


 人でごった返す正門前の広場を少しだけ引き返す。ルチルは丘が一望できる位置にある噴水の縁に腰を下ろした。

そんなルチルを追いかけてディアナも人混みを縫うように歩いてくる。

閑静な丘の高級住宅街は、この港街の中でも有数の観光名所のひとつだ。

世界の要人達が集まる街を一目見ようと、庶民達もまた集まるのだ。

そんな無数の人々が入り乱れる人混みの中にあって、ディアナの存在感は際立っていた。


 白い無地のカットソーの上にはグレンチェックの前ボタンジャンパースカート。

足首までAラインが伸びる長い丈が清楚感を醸し出している。

いつも通りの太い三つ編みは変わらずだが、その上にはグレーのベレー帽を乗せていた。

自身の肌色とのバランスまで計算された、愛らしいコーディネートだった。


 そんなディアナのことを、すれ違う人々が立ち止まり振り返って見とれる。

その様を眺めるのがルチルは好きだった。

が、そんなルチル自身も人々の視線を集めていることには気が付いていない。


 ディアナに仕立てて貰った水色のダブルジャケットの前をはだけさせ、胸元がざっくりと開いた白いタイトなカットソーを覗かせている。

今日はスカートではなく黒いスキニーパンツを合わせ、足元もこの港街で新調したメンズライクな純白の編み上げブーツで固めていた。


 腰を下ろしてジェラートを舐めるルチルの前を通り過ぎる男達が、感嘆の声を上げたり口笛を吹いたり、思い思いの方法でその美しさを讃えていた。


「通行許可証かぁー。」


「関所でもないのに、そんなんあるなんて思いもよらなかったべ。」


「まぁねぇー。タイミングさえ合えば世界中の偉い人をよりどりみどりで暗殺出来るんだもん。そりゃー自由に出入りできないよぉ。」


ルチルの指差す先には、先刻までふたりが盛り上がっていたメンフィス地区の門。

大理石で造られた人の2倍はある高さの門を、2名の門兵が護っている。

そして門からは丘を囲うように、更に背の高い壁がグルリと張り巡らされているのだ。


「ほぇー。大人の世界は奥が深いんだっぺなぁー。」


ジェラートをあらかた舐め終えたルチルが、小さくなったコーンを口に放り込んだ。


「さて、直接メゾンに出向いてアポを取れないとなると、行くところはひとつだねぇ。」


言いながらルチルは立ち上がると尻の埃をはたいた後、おもむろにどこかへと歩き始めた。ディアナも手早くコーンを始末すると、小走りでその後を追った。


「行くって、どこだべ?」


迷い無く歩を進めるルチルに追い付くと、ディアナはその背中に向かって質問を投げ掛けた。


「ギルドだよぉー。商人ギルド。」


「そんなとこに何の用だべ?」


「そりゃー、決まってるよぉ。この街の物流は全てギルドを介さないといけないんだから、もちろんメゾンだって素材やお道具をギルドから調達してるでしょーからねぇー。直でアポが取れないなら、そっち側から攻めるしかないねぇ。」


 商人ギルドはこの街の中枢だ。

そして、この街の中枢であることは、世界の中枢であることを意味する。

ルチルに連れられディアナが辿り着いたのは、街の中心に位置する巨大な建物だった。

故郷である密林の国の王様が住まう城よりも更に大きなその建物に、ディアナは圧倒された。


「すんげぇ大きいなぁ。」


「大したことないよ。ちょっと散らかってるけどどーぞー。」


玄関を入るとまずは大きなロビー。

正面には巨大な絵が飾られていた。神がこの街を作った時のことを描いたものらしい。

凄まじく大きなその絵は遥か高い天井まで伸びており、そのロビーが3階に位置する部分まで吹き抜けで構成されていることに気付かされる。

 ルチルはロビーの右端にある受付に向かって近付いていくと、上着の内ポケットから何かのカードみたいな小さな紙を取り出した。

受付の女はそれを確認すると、ロビー左手側の階段を指し示した。

3階建てのこの建物の両脇には、同じく3階建ての大きな市場が伸びており、その各階層に同系統の業者同士が集まり拠点を構えている。

 商人の名を冠しているが、商人ギルドとは名ばかりでしかなく、実態は各職人ギルドなど手工業ギルドとの複合組織だ。

この街の職業と名のつく金銭に関わる全ては、この組織に加盟しており、このギルドの厳密な監視のもとで活動が行われる。

一部の富裕層のみが富を独占するのではなく、厳正な仕組みが、この街に住まう民の生活の全てを保証しているのだ。

世界で唯一、この街にしか存在しない稀有な組織である。

商人ギルドの成り立ちは古く、それはこの街が誕生した経緯にも密接に関わり合う。

今からおよそ500年前のできご・・・・


「こっちだよぉー。」


ルチルがディアナに手招きをしながら言った。

大きな市場へと続く扉の前。

そこには【食品ギルド】の看板が掛けられていた。


「え?ここ?」


「うん。」


看板を目にしたディアナは立ち止まると、その看板を2度見した。


「仕立て屋ギルドでねぇんだべか?」


「え?だって私、仕立て屋ギルドの通行証持ってないもーん。酒場やってるからこっちの通行証は持ってるけど。」


「だからって、ここ来てなんか意味あるんだべか?」


「あるよぉー。あるある。」


大きな扉を潜り抜けると、そこに広がっていたのは活気に溢れた光景。

まさに市場そのものだった。

通路を挟み居並ぶのは、うず高く積まれた果物や野菜を販売する青果店。

新鮮な海の幸を扱う鮮魚店。

はたまた、大きな肉塊を吊るして様々な部位に切り分けている精肉店。

もちろん加工食品を扱う店や、酒やお茶、コーヒーなどを扱う店まで、様々だ。


 ルチルはそんな賑わう市場の通路を、人混みを縫うようにしてグングンと歩いていく。

ディアナもそれに置いていかれないように一生懸命に歩いていった。

ルチルが歩みを止めたのは、とある酒屋の前だった。

市場の中程に位置するはずなのに、その周囲だけはどんよりとした雰囲気に包まれ、まるで切り取られたかのように活気が失われていた。


「こぉんにぃちはぁー。」


いつも通りの間延びした声を発しながら、その店の奥に入っていった。


「おや。珍しいね。」


店の奥に座っていたのは、恰幅のよい老婆だった。


「ご無沙汰ぁー。」


「ふぁふぁ。こりゃ本当に珍しいわい。」


手を振るルチルの姿を捉えた老婆が笑みを溢した。


「いつ会っても変わらないと思っとったが、今日は一段とべっぴんじゃないかい?」


「え?そぉ?」


老婆はそっと自分の茶色いローブの肩口を引っ張って見せた。


「あぁ、お洋服ね。いいでしょー、これぇー。可愛いでしょー。」


「身なりにはとんと無頓着かと思ってたわい。」


「でへへ。ちゃんと毎日選んで貰ってるかんねぇー。」


笑いながらディアナの肩に手を回した。

ディアナは照れながら老婆に挨拶をしていた。


「で、どうしたんだい?」


「そーそー。ちょっとお願いがありましてぇー。あのさぁ、仕立て屋ギルドの市場に入りたいんだよねぇ。ちょっと手引きしてよぉ。

あと、おねーさんの取引先の中で、高いやつ卸してるお店いくつかおせーて。」


「それだけかい?」


「いつものやつ1ダース、お店に送っといてぇー。あ、でも、私しばらく戻らないから、戻るとき教えに来るねぇ。」


「あいよ。」


老婆は机の下から帳簿を取り出すと、旅人の酒場のページに注文を書き込むと同時に、小さなカードを手渡してきた。


「あんがと。」


ルチルはそれを受け取ると、さっそく自分の名前を書き込んでいた。


「話しは通しとくよ。それと、店だったね?

それなら、メンフィスのバーに2店舗と、ビルヒルに1店舗あるよ。」


「ビルヒルかぁ。なんてお店?」


「デパイってとこさ。」


「あんがと。」


羽ペンを机に戻すと、ルチルがディアナに振り返った。


「んじゃ、仕立て屋ギルド、行きますかぁ。」


棚に並べられた色とりどりの酒瓶を眺めていたディアナは、その余りの成り行きの早さに面食らいながらも、店から出て行くルチルの後を追った。

去り際、老婆に会釈は忘れずに。

老婆もディアナに手を振っていた。



「ねぇねぇ、ルチル。あんなお婆さんにタメ口ってどーなんだべ?オラ、あんまし感心しないべ。」


再び人混みをすり抜けるルチルに追い付くと、ディアナはそんな言葉を口にした。


「えー?年下にタメ口使っちゃダメ?」


ルチルの返答は想像を絶して斜め上を行っていた。


「年下って、その冗談は笑えないべ。」


「冗談じゃないし。なんなら、あの子が赤ちゃんの時からの付き合いだし。」


「は?じゃあ聞くけど、ルチルはいくつなんだべさ?100才だべか?」


「723才。」


「だから、笑えないべ!23ならオラと6つしか変わらないべ!」


「私だってディアナにタメ口で良いって言ったでしょー?あの子も私にタメ口で良いって言ったの。それでいい?」


「むー。」


そんな会話を交わしているうちに、いつの間にかふたりは食品ギルドを後にして逆側の棟へと移動していた。


 仕立て屋ギルドは正面から見て右の棟の3階だ。

左側の棟は主に食に関わるギルドが。

右側の棟は主に衣と住に関わるギルドの市場が置かれている。 

【仕立て屋ギルド】の看板の掛けられた扉を通り抜けると、そこは食品とはまた違った雰囲気の市場が広がっていた。

ここでは衣服に関わる様々な業者が軒を連ねている。

生地を扱う店。革を扱う店。ボタンやファスナーを扱う店。そして、裁縫道具を扱う店。


「す、すごいべ。お宝の山だべ。」


市場に入るや否や、ディアナが溜め息を漏らした。

その茶色い瞳がきら星の如く輝くのをルチルは見逃さなかった。


「もうここに出入りは自由だから、落ち着いたらゆっくり見に来たらいいよ。今はヴィッキーの情報を仕入れるのが先ねぇ。」


「はぁ・・・そうだべな。」


そう答えたものの、ディアナは完全に上の空で近くの店の生地に見入っていた。


「ひとりで来れば良かったかもねぇー。」


ルチルは頭を掻いた。



 ルチルが目星をつけたのは裁縫道具を扱う業者だった。

中でも高級な道具を扱う業者。

ディアナから聞く限り、ヴィッキーという人物は世界一の縫製職人とのことだ。

ならば必然的に良い道具を使うであろう。

ルチルは人生で様々な人間と出会ってきた。

その中にはもちろん、職人という人種も含まれる。

職人とは非常に特殊な感覚を持っており、己の扱う道具を道具とは思っていない者がその大半を占める。

自らの能力を体現するための道具は自らの体の一部であり、そしてその質にも大きな拘りを持つ。

その趣向もかなり特殊であり、長い期間使ってきた手に馴染むモノしか認めない者もいれば、最高の職人が作り上げた最高のモノしか認めない者もいる。

ヴィッキーという職人がどのような趣向を持つのかは知る由もない。

が、しかし、裁縫という仕事がハサミ等の刃物を使う以上は、メンテナンスが必要になるはずなのだ。

ルチルが高級な道具屋を選んだのは、そこがそれ相応の高度なメンテナンスを行うと踏んだからだ。



 道具屋が立ち並ぶ一角を、ディアナを引きずりながら歩いた。

先程は置いて来るべきかと思ったものの、ルチルに道具の良し悪しは分からない。

結局はディアナに見せるしかないのだ。

小さなブースの軒先に展示されているハサミや針などを睨み付けながら、ディアナは次から次へと店を見て回った。

一通り見終えた後、振り返ったディアナはこう言った。


「全部とても綺麗だったっぺ。」


「やっぱりひとりで来れば良かったかもねぇー。」


ルチルは頭を押さえた。


 と、そんなルチルの脇をひとりの女がすり抜けて行った。

ルチルと同じくらい背の高い、スラッとした細身の女だった。

その女を見たディアナが小さく声を上げた。


「あっ!センデロスの去年のデザインだべ!」


女の纏っていたロングジャケットを指差した。


「あの肩周りのタックの取り方と、裾のプリーツは間違いないべ!」


「へぇ。あれもオートクチュールってやつ?」


「うんにゃ。センデロスは一応プレタポルテも少しは展開してるんだべ。ものすごく高いし数も少ないから、実物を見ることは滅多にできないべが。」


「なるほどねぇ。ちょっと様子見ますかぁ。」


ふたりは女の後を追うようにして歩き始めた。


 女は道具屋のひとつに入ると、ギヤマンのケースに収められた針を念入りに見定め始めた。

見える範囲の値札を見る限り、かなり高級な道具を扱う店なようだ。

その店から少し離れた、女が見える位置。斜め向かいの店の前から様子を伺った。

客の出入りは激しく、女がケースにへばりついている間に何人もの女が入っては出て行く。


「なぁんか長いねぇ。そんな見るもん?」


「んー、どーなんだべ。針の一本一本まで拘ったことなんてないから分からないだべが、オラなんかには分からない微妙な違いがあるんだべかなぁ?」


「ふぅーん。てことは、すごい職人さんとかかな?」


「分からないけど、そーかもしんないべ。」


「ちょっとどいてくれない?」


夢中になって女の様子を伺うふたりの背後から声がした。

ふたりが前に立っていた店から出てくる人がいたのだ。

と同時に、背の高い女はいくつかの針を購入すると店を出て行った。


「あっ、すみませんだべ。」


ディアナが道を開ける。

それがきっかけになった。


「よし。あの人のことを聞こう。」


ルチルは言うと、女が去ったあとの道具屋に向かって行った。


 店に入るや否や、ルチルは売り子の女に話し掛けた。


「あのぉー、私達、親方の遣いでお道具を探しに来たんですけど。」


「ええ、はい。どのような物をお探しですか?」


「んっと、スカーレット・デ・センデロスの職人さんが使う様な、質の良いものがいいんですけど。あっ、まるまる新調したいんで、一式。」


「まぁ。センデロスの様な?それはそれは。」


「ただ、私達まだ駆け出しで、どんなものを使ってるのか分からなくて。さっきの人、センデロスの人ですかぁ?あの人と同じ様な物を使えばいいんでしょーかぁー?」


「ふふ。先程の方はセンデロスの方ではありませんよ。ある貴族お抱えのお針子さんです。」


「えっ!?そーなの!?ジャケットを着てたからてっきり!」


「センデロスのプレタポルテを買える方はそうそういらっしゃいませんからね。そうお思いになるのも無理はありません。」


「そうなんですねぇー。センデロスの方はこちらにはいらっしゃるんですかぁ?」


「それは、申し上げられません。」


「守秘義務ってやつですねぇー。分かります。でも、貴族のお針子さんは教えちゃって良かったんですかぁー?」


「いえ、守秘義務と言うよりも、存じ上げないので申し上げられません、が正しい表現ですね。」


「存じ上げない?」


「ええ、センデロスだけでなく、メンフィスのメゾンに所属する全てのスタッフは、デザイナー以外は秘匿とされていますので。」


「え?そぉなの?」


「ええ。もしかしたら、私共のお客様にそういったメゾンの方もいらっしゃるのかもしれませんが、誰もそれを知り得ないのです。」


売り子の女はニッコリと微笑んだ。



 ルチルは顎に指を当てると考えを巡らせた。

メンフィスのメゾンだけがオートクチュールを請け負えるブランド。

その顧客は各国の要人が主。

そしてメゾンのスタッフは採寸や仮縫いで要人と直接関わる。

それを利用しようと、お針子達に近付こうとする輩は必ずいるはず。

ならばいっそ、知られない方が都合が良い。

故に、全てのスタッフは秘匿ということか。


「ね、ディアナ。」


「なんだべ?」


「なんでヴィッキーって名前がセンデロスのお針子の名前だって知ってたの?」


「オラ、センデロスのカタログを見るのが大好きで、毎年コレクションのカタログを本屋で立ち読みしてるんだべ。4年前の春夏コレクションのカタログにスカーレットのインタビューコメントが載っていて、そこに書いてあったんだ。

【私の服が芸術と呼ばれるのは恐れ多いことです。ただ、もしそう呼んで頂けるのであれば、それはヴィッキーの技術のことを芸術と呼んで頂きたいわ。】って。」


なるほど。

ルチルは内心で笑顔を浮かべていた。

これは中々に骨が折れる仕事かも。


ディアナに欲しい道具を選ばせてから支払いを済ませると、ふたりは仕立て屋ギルドを後にした。

これだけ探し回って得られたのは、秘匿という事実だけ。

なんなら実在するかも分からない。

失ったのは高額な道具の代金。


自覚の無いままに、この不可解な世界に引き込まれているのを感じ始めていた。





「うふ、うふふ。うふ。」


 中流階級の住人が集まる地区、ビルヒル。

その商店街の一角に居を構えるのがデパイという名のバーだ。

アンティークの調度品で統一された小洒落た内装と、バーのわりには明るく開けた雰囲気が気軽に立ち寄れると、女性客に人気の秘訣だった。

5人掛けのカウンターに、小さな丸テーブルが5つ。

ルチルの店とさほど変わらない広さの店内には、まだ宵の口とあって客の姿はまばらだった。


 そのテーブルのひとつに腰を落ち着けるとすぐに、ディアナは新調したての針を針山に並べながら絶え間なく笑みを浮かべていた。

ニヤニヤと。


「あーあー。なぁんかやる気出てきちゃうよねぇー。一見さんはお断りかぁー。」


ルチルはウィスキーのショットグラスを左手に、右手は椅子の背もたれからだらしなく垂らしながら、更には椅子の足を傾けるとグラグラと揺らしながらディアナの笑みを眺めていた。


「それなりに想像はしてたけど、あそこまでガード固いとはなぁー。」


「まぁ、知らないなら仕方ないべ。」


「知らないわけないでしょー。隠してんのぉー。」


「え?」


「カウンターの中の鍵付きの棚に帳簿見えたんだよねぇ。あれ、ブランド毎に分けられてたけど、名前の無い帳簿がいくつか混ざってたんだよねぇー。あれがきっとメンフィスのメゾンの帳簿のはずなんだよねぇー。」


「ぜ、ぜんぜん気付かなかったべ。」


「あの帳簿の中身さえ見られれば一発なんだけどなぁー。いっそのこと、さっきの業者に就職するぅー?あの棚に近付くのに何年か修行しないとだけど。」


ウィスキーを口に含むと、笑いながら言った。


「オラ、そんなつもりないべ!オラ、そんな時間ないべ!」


「分かってるってぇー。そしたら忍び込む?」


「なんで悪いこと言うべか!」


「冗談だってぇー。」


「真顔だっぺ!」


「どぅへへ。ディアナは可愛いなぁー。」


グラスをテーブルに置いた時だった。


「ここ、いいかしら?」


ふたりのテーブルに椅子を着ける女がいた。


「他、空いてるよぉー。」


ルチルは女には目もくれず、にべもなく断った。


「別にいいじゃない。ナンパってわけでも無し。」


しかし、女はルチルの言葉など気に留める様子もなく、極めて自然にテーブルを囲み始めたのだ。


「え?なに?」


これには流石に、女に視線を移さざるを得ない。

ルチルは勢いよく椅子を元に戻した。


「あんた達、昼間、センデロスについて嗅ぎ回ってたわよね?情報提供、してあげるって言ってんのよ。」


「へぇ。」


ルチルが目を細めた。


「本当だべか?」


「ええ。その代わり、奢ってよ。」


随分と小柄な女だった。

背丈は、ディアナの目線くらいだろうか。

ルチルと比べれば顎辺り程しかないだろう。

そのわりにはがっちりとした骨格をしているが、それ以上に目を引くのは凹凸のはっきりした体型だ。

ワンレングスの茶色い細い髪を背中まで長く伸ばし、毛先をフワッと巻いている。

それとは対照的に、透き通るような真っ白い肌。

彫りが深いわけではないがはっきりとした印象で、顔立ちはまぁ整っていると言える。

涙袋の目立つ半月型の大きな目とぶ厚い唇が特徴的だ。

ゆったりとしたベージュのオフショルダーのニットに、張り付くようなスキニーデニム。

両耳と胸元を飾る大きなゴールドのリングが視線を集める。

足元にはゆうに10cmを超えるであろう、ピンヒールの赤いパンプスを合わせていた。


「ふぅーん。どんな情報を提供してくれるのかなぁー?」


「まずは1杯が先よ。」


女が注文したのはビールだった。

1杯が普段の夕食1回分の値がついているような。


「ふぁー。」


思わずメニューに手を伸ばすと、自分のフルーツジュースと女のビールの値段を見比べた。


「いいんだか?ルチル。」


「まぁこのくらいで済むならいいんじゃん?」


「誰もこれで終わりとは言ってないわよ。」


「ふぁ!?」


ディアナは開いた口が塞がらなかった。



 旨そうに喉を鳴らす女を見つめながら、ルチルは内心でほくそ笑んでいた。

この中流地区のバーが高級酒を仕入れる理由はあまり多くない。

情報屋の存在。

ルチルの予想通りだった。


「あんたら、何者?なんでセンデロスについて調べてんのよ?」


「なんであんたから質問してんのさぁ。」


「別にいいじゃない、会話くらい。昼間も思ったんだけど、あんたら随分な格好してるわよね。同業?」


「あっ!」


そこでディアナが声を上げた。


「どこかで見たと思ってたべが、おねーさん、昼間、ギルドで会った人だか!?」


「ん?会ったっけぇ?」


「ほら、お道具屋さんの前だべ。オラ達がお店の前を塞いでしまってた時。」


「あぁ、え?えぇー?んー、あぁ、あぁー?」


「あの、背の高いスラッとした女の人を見てた時だべ。この人と違って、スラッとした女の人を。」


「あぁ!あの時かぁー。ちっさくて覚えて無かったわぁー。」


「覚えてねーのに小さいのは理由にならないからな。更に言えばスラッとした人の対比にあたしを使うの禁止な。」


「わぉ。ジャックナイフぅー。」


「で、あんた達、同業なんでしょ?なんの目的でセンデロスに近付こうとしてんの?」


「んー、同業っちゃ同業だけど、違うっちゃ違うしぃー。」


「なによ。歯切れ悪いわね。」


「だって、あんたが何者でなんの目的で私達に声を掛けてるのか分かんないのに、こっちの話ばっかりペラペラ話せないっしょー。」


「まぁ、そりゃーそうかもね。」


「あんたこそどこのどなた様ですかぁー?」


「あたしはー、そうね。職人よ。」


「どこの?」


「教えない。」


「センデロスのことであれば教える?」


「そうね。」


「センデロスの職人に、ヴィッキーって人がいる?」


「いる。」


「どんな人?」


「女。」


「どこに行けば会える?」


「教えない。」


「てことは、あんたは会う方法を知ってる?」


「どうだか?さて、酒が足りないわね。」


女はバーテンに手を振った。

今度は小さなカクテルが運ばれてきた。


「ねぇ、逆に聞きたいんだけど、なんでセンデロスのことじゃなくて、職人について調べてんの?雇って貰いたいとかなら、普通はデザイナーを調べない?」


「んー、そりゃこっちにもこっちの事情があるからねぇ。」


「あんた達、と言うか、あんたね。」


女がディアナに顔を向けた。


「あんたの服、なに?」


「え?」


ディアナは自分の体に目を落とした。


「これは、オラが自分で作ったやつだっぺ。」


「ふーん。自分でねぇー。」


言いながら女はディアナの手を取るとその袖周りを摘まみ、一瞥だけで手を離した。


「あんた、なに?そんな腕でセンデロスのメゾンが雇うと思ってんの?」


「いや、オラ、別に雇って貰いたくてきたわけじゃねぇだよ。」


「じゃあ何が目的なのよ?」


「オラ、オラ。オラ、自分のブランドを作りてぇだよ。んで、ヴィッキーに、オラのブランドで服を作って貰いてぇんだべ。」


「は?あんた今、すごいこと言ったわね。オートクチュールを作るメゾンはね、それこそ権威が必要なのよ。世界の富豪と渡り合えるほどのね。なんなら、今メンフィスにあるメゾンなんてほぼほぼ、元はどっかの貴族や豪族が始めたもんよ。あんたみたいな一般人が入り込める世界じゃないわ。」


「オラ、オートクチュールをやりてぇなんて思ってねぇべ。」


「は?」


「オラ、プレタポルテを作りてぇんだ。しかも、お高いプレタポルテじゃねぇ。普通の人達みんながお洒落できるように、ちょっとお金を節約したら買えるくらいの、そんな皆のためのプレタポルテを作りてぇんだ。」


「てことは、なに?安物のプレタポルテ作らせるために、ヴィクトリアを雇いたいっての?あんた、バカなんじゃない!?と言うよりも、舐めんじゃないわよ!!」


そう言うと、女はグラスを乱暴にテーブルに置いた。

ディアナの体が大きく跳ね上がるのが分かった。


「話しにならないわね。ご馳走さま。あたしは帰るわ。」


腰を上げる女に、ルチルが声を掛けた。


「ねぇ、待ちなって。」


ルチルの声色が変わった。

その目が黒く深く輝いた。


「なによ?」


「舐めてんのはあんたも一緒。あんた、この子の何を知ってんの?」


「は?」


「オートクチュールだか何だか知らないけどさぁ、金持ちの道楽がそんな偉いの?この子はね、誰もがお洒落できる世界を作りたいって思ってんの。誰もがよ?老若男女、そんなん関係なく。そんなこと考えてる奴が他にいる?少なくとも私は知らないねぇ。」


「はっ!バカね。そんなの夢物語以外のなんでもないわ。」


「あんたがメンフィスのメゾンの関係者だってのは分かった。だし、あんたに頼ればセンデロスに辿り着けそうなのも分かった。

だけどさ、もういいや。

あんたみたいなクズがいるような世界なら、こっちから願い下げだねぇ。」


「言ってくれんじゃないのよ。」


ルチルと女の交わる視線が激しい火花を散らした。

そんなふたりを前に、ディアナは狼狽えるしかなかった。


「なら、証明してあげるわ。この子の夢が、どんだけ荒唐無稽な絵空事なのかってことをね。

まず、あんたが着てるそのジャケット。それ、センデロスの一昨年の初秋のやつよね?少しアレンジは加えられてるけど。

それからこっちのお嬢ちゃんの着てるジャンスカ。これは3年前のホリディシーズン。」


ふたりの服を指差しながら女が捲し立てる。


「あんた、ブランド立ち上げたいんなら、デザイン画くらい持ってんでしょ?見せなさい。」


その言葉に促され、ディアナは荷物の中から一冊の厚いノートを取り出した。

そこには、最初のページから最後のページまで、びっしりとデザイン画が描き込まれていた。

ディアナから受け取ったノートに女が目を落とし始める。

ページをゆっくりとめくったかと思うと、途中からはパラパラと目を通しただけで、ディアナに押し戻すようにして手渡した。


「やっぱりね。どれもこれも、スカーレットの影響を受けすぎ。他人のデザインを盗んで、それで世界を作りたいって?やっぱり結論は変わらないわ。舐めんじゃないわよ。」


これには流石のルチルも反論はできなかった。

実際、ルチルはデザインの良し悪しや機微は理解できないし、そのレベルの話しをされてしまったらお手上げだ。

ここで何を言うべきか。

答えを出しあぐねていた。


女が席を立った。


「ただ・・・・・。」


呟いて、足を止めた。


「その服のパターン、どこで手に入れたの?」


女が再びルチルのジャケットを指し示した。


「それは、本で見て・・・・。」


ディアナの目にはいっぱいの涙。

溢さないよう、必死に声を絞り出しているのが分かった。


「パターンは載ってないでしょ。」


「本のデザイン画を見て・・・・。」


「あんたが起こしたの?」


「・・・はい、・・・だべ。」



(完璧じゃない。あたしがあの時、もっとこうしたかったところ、完璧に修正されている。もしあの時、スカーレットのデザイン画がああじゃなかったら、あたしはこうしたかった。)



「・・・・・・それが、どうしたべか?」


「もう1回見せなさい。」


女はディアナの手からノートを取り上げた。


始めの数ページ。


女はゆっくりと目を通した。


(ここまではスカーレットの影響は無い。)


それを確認したかったのだ。


「いいわ。もう一度チャンスをあげる。明日の夜、同じ時間にここに来なさい。あんた自身のデザイン画、これと同じノートいっぱいに表現して持って来るのよ。それが最後のチャンスよ。」



今度は優しくディアナにノートを手渡すと、女は実に綺麗な歩き方で店を出ていった。

颯爽と。

そんな形容詞がピッタリの後ろ姿だった。



ディアナがノートを抱き締めながら、声を漏らした。


「オラ・・・・オラ・・・・・頑張るべ。」


「うん。ディアナなら、やれるよ。」





つづく。

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