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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
14/15

第十話 誰がためのドレス

「さぁ、いくべ。」


「ええ、いきましょう。」


 無数の人々がひしめきあう、城内で最も広いダンスホール。

水の都の王妃様が公務でお召しになるドレスを作るメゾンを決めるため、コンテストをファッションショー形式で行う。

今だかつてない、世界で初めての催し物だ。

オーディトリアム型に客席は作り込まれ、この稀代のショーを観に、国内外から詰めかけた観客達で埋め尽くされていた。

鏡の屈折を利用して日光を室内に取り込んだ、スポットライトとも言うべき照明が舞台を照らした。

ホールを貫くように、人間の目線よりも更に高い位置に真っ白いランウェイは敷かれ、その上を色とりどりのドレスを身に纏ったモデル達が体をしならせて闊歩していく。


このショーに参加するため世界各国から集まったメゾンは実に30にものぼる。

その全てが、世界中に名を馳せた、超有名ブランドだらけだった。

孤島の国の王族御用達のメゾン。

草原の国の老舗のメゾン。

山岳の国の富豪達がこぞって愛用するメゾン。

どの名を見ても、誰もが一度は見たことがある名ばかりだ。


そんなメゾンのデザイナー達に混じり、ディアナとヴィッキーはミサミサにドレスを着付けていた。




「別にひとりで平気ね?」


 いつもの仕事着。

黒いパンツスーツに身を包んだヴィッキーが、

ベッドにうつ伏せに寝たままのルチルに向かって優しい口調で話しかけた。


「うん、大丈夫。寝てるだけだし。」


昨日、大怪我を負ったばかりのルチルを残してコンテストのファッションショーに赴くことに、ディアナ達3人は引け目を感じることはなかった。

ないようにした。

ヴィッキーが言った言葉が全てだ。

ルチルはルチルの意思で子供を助けた。

その結果、ディアナ達の足を引っ張ったことをルチルは気に病んでいるかもしれない。

3人がルチルに気を使ってしまえば、余計にそれを加速させてしまう。

だからこそ、3人はごく自然にルチルを置いていくことを選んだ。

ルチルもそれを理解していたのだろう。

顔を背けたまま、肘から先の手を上げて振っただけだった。


「ここ、枕元に水と食事置いとくから。ちゃんと食べるんだべよ。」


同じく仕事着を纏ったディアナが、ルチルのベッドの枕元に備え付けられた小さな机にトレーを置いた。


「うん。ありがと。」


「ねぇねぇ、本当に平気なのかな?あんなえげつない怪我したのに、ひとりで留守番ってやばくない?って、痛っ!なにすんの!?」


気を使っていたのは3人ではなかった。

ヴィッキーに尻のほっぺをつねられたミサミサが悲鳴をあげた。


「あんたね!バカでしょ!すんげぇバカでしょ!」


小声でミサミサを叱りつけるも、こんな小さな部屋でルチルの地獄耳にそれが届かない理由はない。

そっぽを向いたままのルチルが、うらめしそうな声で呟いた。


「あー、もうね。なんかね。私のせいでドレスできなかったって聞こえてきたしぃー。あー、もうねー、私なんてねぇー、あー、あー、もうねぇー、ほんとにごめんなさい。」


「そりゃ嘘だべ!嘘って言うか、あの時はできそうになかったんだべが、そのあとちゃんとできたから。ちゃんとできあがってるから、気にしないで寝てるべ。」


「ほんと?ほんとにできた?」


「本当よ。それにさ、あんたは子供を助けたんでしょ?何を気にすることがあるのよ。逆よ。胸張りなさいよ。」


「無理。背中痛いから。」


「そーゆー物理的な話ししてるわけじゃないんだけど、まぁいいわ。」


「気にすることないってことだべ。だから安心して寝てるべよ。」


「うん。ごめん。」


「謝らないの!あたし達、行ってくるから。大人しくしてるのよ?いいわね。」


「うん。」


生成りの大きなカバーを被せたドレスを台車に乗せ、ディアナ達は酒場を出発した。

後に残された酒場は綺麗に片付けられていた。しかし、余った素材や使っていない素材などを収納しておく大きな木箱の奥には、切り刻まれ様々な形に加工されたものの、上手く使いこなせなかったトンボの複眼が、ひっそりと隠されていた。




 遠くから見ても栄えるよう、しっかりとした濃い化粧を施したミサミサの細く美しい肢体に、森のドレスはぴったりと吸い付いていった。

オーソドックスなプリンセスラインをベースに、スカートはミサミサの上半身の数倍にも大きく膨らんでいる。

その膨らみを形作るのは幾重にも重ねられた淡い緑色のチュール。様々な明度、系統の緑色、そして時折混ざる赤や黄色。草花を模した小さなレースのコサージュが散りばめられたそのドレスは、まるでミサミサを森の奥の切り株に腰掛ける妖精のように見せた。

胸元には透明なレースで作られたギャザーが幾重にも重ねられ、木漏れ日から射し込む光が煌めいているようだった。


森に朝露は降りなかった。





「いいべ。これで完璧だべ。」


「ええ。今あたし達にできる精一杯よ。」


前室を出ると、3人は舞台袖へと向かった。

サロン・ド・メロのドレスが披露させる時間だ。


「後はミサミサ、お願いしますだ。」


「任せて。世界クラスの女優の実力、見せてやるんだから。」


ミサミサはにっこりと微笑むと、ランウェイに向かって一歩を踏み出した。

激しい光がミサミサを照らし出した。

その瞬間、森のドレスは透き通り、眩い輝きを放った。


 管弦楽団により、音楽が奏でられた。

ディアナの選んだ曲は【創世記】のエンディングテーマ。

ト短調、4分の4拍子。

壮大で激しい。聴く者の心をざわめかせる。

それでいてどこかもの悲しい、哀愁の漂う曲だ。

美しい森の朝に不釣り合いな、とても寂しげに聴こえる曲。

なぜこの曲なのか?


ミサミサが腰をくねらせ、ドレスを揺さぶり、森の木々が風でざわめく様を表現しながら歩く。


それはこの曲が、途中で曲調が変化するからだ。


一歩一歩、ランウェイを進んでいく。

観客からため息が聞こえてくる。

それはミサミサに対して、そしてミサミサの纏うそのドレスに対して漏らした感嘆のため息に間違いない。


音楽が途切れた。


ミサミサがランウェイの先端に辿り着いた。

足を止める。

そして、ポーズを決めた。

腰に右手を当て、右腰をあげる。

顎をあげ、瞼を半分だけ閉じて。

まるで憂うような表情を見せた。

時が止まったように、ミサミサはそのポーズのまま、ランウェイの上で微動だにしなかった。

真っ白いスポットライトに照らされたまま、静寂が流れた。


ミサミサが動いた。


今度は背中を観客に向け、振り返り、膝に手を当てて腰を曲げ、はつらつとし笑顔を浮かべた。


同時に静寂も打ち破られた。

ホ短調、序奏付きソナタ形式。

緊迫した半音階の序奏が一気に盛り上がり、同じ主題ではあるが全く異なる印象の力強く明るい交響曲がミサミサを包み込んだ。


ミサミサは手を広げると、観客席にキスを投げた。

その瞬間、観客達が一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手がホールを埋め尽くした。

四方八方にキスを投げ、手を振るミサミサ。

全ての観客に最高のドレスが見えるように、何度も体を回転させる。


「す、すごいべ。」


舞台袖から見守っていたディアナは思わず息を飲んだ。


「確かに。流石に舞台慣れしてると振る舞いが違うわね。でも、あんたの曲のチョイスも大したものよ。」


「うんにゃ。この曲はミサミサが推してくれたんだべ。」


「そうだったの。すごいわ。やっぱり女優なのね、あいつ。」


観客達に手を振りながら、ランウェイをミサミサが歩いてくる。

袖に戻る前にもう一度ポーズを決めると、惜しむような拍手に送られて、ミサミサはディアナ達の元へと帰ってきた。


「すんごぉーい、楽しかったぁー!!」


袖に入ってくるや否や、ディアナとヴィッキーの首を力一杯に抱き締めると、ミサミサは絶叫した。


「お疲れ様だべ!」


「あんたのウォーキング、最高だったわ!」


「ウォーキングだけじゃないでしょ!ポージングも最高だったでしょ!」


「最高だべ!最高だったべ!」


「最高よ!ほんと、全てが最高!」


この日一番の観客の反応だった。

それまで、どのブランドのどのドレスも、ここまで観客を感動はさせなかった。

観客の全てが立ち上がり、未だに拍手が鳴り止まない。

会場の盛り上がりは今、最高潮を迎えていた。


3人が舞台袖で歓喜の声をあげている時だった。

音楽が止み、照明が落ちた。

会場は真っ暗闇に包まれた。


観客達からどよめきの声変わり起こった。



次の瞬間だった。



ランウェイの付け根。

ディアナ達のいる舞台袖の目の前を、スポットライトが照らし出した。


そこに立っていたのは、ひとりのモデルだった。


痩せた背の高い、褐色の肌のモデル。

銀髪の大きなアフロヘアー。

スカーレット・デ・センデロス。

その人だった。


ディアナもヴィッキーもミサミサも、声をあげることすら叶わなかった。

あまりの意外なできごとに、3人は抱き合ったまま言葉を失って立ち尽くした。


スカーレットが身に纏ったいたのは、シンプルそのものの青いマーメイドラインのドレスだった。

まるで穏やかな清流を湛える大きな河のような、光が煌めく青いドレスだった。


スカーレットが一歩、踏み出した。


ドレスは一変して表情を変えた。


青い清流のドレスは、燃え上がる炎を纏ったかの如き、深紅のドレスに色を変えたのだ。


ディアナの全身が鳥肌立った。

それはヴィッキーも同じだった。


そしてまた一歩踏み出した瞬間には、深紅のドレスは深い深い緑を湛える森の如きドレスに変貌を遂げた。


それだけではない。


歩くごとに、


真っ白い百合が咲き乱れる花畑。

星明かりで怪しく光る紫の宵闇。

銀杏の落ち葉で埋まる秋の散歩道。


次から次へと様々な情景が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。


音も何もない。

観客すら、一言も発することが出来なかった。

完全なる無音の中、スカーレットの足音だけが場内を支配していた。

ランウェイの先端に到達したスカーレットは立ち止まってもポーズを取ることはなく、観客達に一瞥だけをくれると、踵を返すと元来た道を颯爽と戻るだけだった。


ランウェイを歩き終え、スカーレットは再度、観客に振り返って一礼をすると、ディアナ達とは反対側の袖へと消えていった。

ほんのわずかの時間だった。

なんのパフォーマンスもすることもなく、ただ歩き、そして圧倒的な爪痕を刻み付けた。

その姿が見えなくなってからも、誰ひとりとして、動くことすらできなかった。

観客達だけではなく、


ディアナも、


ヴィッキーも。


誰も動くことすらできなかった。





 酒場の丸テーブルを囲むように腰をおろしたディアナ達3人は、まるで脱け殻のように、ただただ座っているだけだった。

コンテストは終わった。

結果発表などはない。

国王様と王妃様のお眼鏡に叶ったメゾンに秘密裏に注文が入る。

それだけだ。

3人は無言でドレスを台車に乗せ、何も言葉を交わすこともなく、城を後にした。

そして酒場に帰り着くと着替えもせず、時間が過ぎるのも忘れて、本当にただ座っていることしかできなかった。


一体何が悪かったのだろうか。


何も悪くはない。


何かが悪かったわけではない。


ディアナ達はやれることをやった。


ただ、彼女らが挑んだ存在が、


スカーレット・デ・センデロスという存在が、


超えるにはあまりにも高過ぎる壁だった。


それだけだ。



何も悪くない。



オラ達が挑むのが、早すぎただけ。



いや、オラ達には挑む資格すらなかった。



ただそれだけなんだべ。



オラ達の実力では、



あたし達の実力では、



あの人に、追い付くことは、追い越すことは、



絶対に、



できない。




ヴィッキーの目頭が、焼けるほどに熱くなった。




コンコン。


扉を叩く音がした。

3人とも、誰も動こうとはしなかった。

誰が叩いてるのか知らないが、今は誰とも会いたくはない。

それは皆同じ気持ちだった。


コンコン。


あまり時間を空けずに再び音がした。


「誰だろ?」


ミサミサが席を立った。

確かに、3人の中で最も敗北感が少ないのは彼女であろう。

彼女に背負っているものは特にない。

強いて言えば、この敗北が彼女の負債になるということくらいか。

センデロスに負けた時点で劇団の損失を被らされる。

それが座長であるジャクリーヌがミサミサに突き付けた条件だった。


「どなたですか?」


ミサミサが扉に向かって呟いた。


「お開けなさい。」


その声を聞いた途端、ディアナとヴィッキーが椅子を蹴って立ち上がった。


「この声・・・・。」

「うそ、でしょ?」


立ったは良いものの、ふたりとも固まったように動くことはできない。

互いに顔を見合わせているだけだ。


「早くお開けなさい。」


スカーレットの語気が強くなった。


「は、はいぃ!」


焦ったミサミサが扉を開け放った。


目の前に立っていたのは、予想通りにスカーレットだった。

しかし、予想と違うのは、


「ル、ルチル!?」


ぐったりと項垂れたルチルの体を支えているという点だった。


「なに!?なんでルチルが!?」


「話しは後よ。早くこの頭の悪い娘をベッドに連れていきなさい。」


3人は急いでスカーレットの元へと駆け寄ると、ルチルの体を受け取って寝室へと運んで行った。

ルチルを手放したスカーレットは酒場に入り、ゆっくりと扉を閉めた。


 確かに酒場に戻ってすぐに放心状態に陥った3人は、ルチルに声を掛けることも忘れていた。

とは言え、まさかルチルが自室にいないなどとは夢にも思わないのだから仕方がない。

完全に気を失っていたルチルをベッドに寝かせて酒場の店内へ戻ると、そこにはいつもの赤いドレスを纏ったスカーレットが足を組んで椅子に腰掛けていた。


「あの、これは・・・・?」


いの一番にミサミサが口を開いた。

これにはディアナもヴィッキーも非常に助けられた。

今のふたりに、スカーレットと言葉を交わすだけの気力は備わっていないのだから。


「私の方が聞きたいくらいよ。」





 ショーを終え、無数のスタッフを伴いながらスカーレットが控え室に戻ると、大きな化粧用の鏡の前にルチルが座っていた。

寝巻きを着ているように見えるルチルが。


「誰も部屋に入れないでちょうだい。」


スカーレットは側近のスタッフにそう命じると、ひとり、ルチルの元へと近付いていった。


「お邪魔してまぁっす。」


ヘラヘラとした表情を浮かべているが、その顔色に血の気はなく、珠のように大きな汗の粒を額中に浮かべていた。


「あなた、病気?」


「ぜんぜん。健康。」


「すごい汗よ?」


「ねぇ、スカーレットさんさぁ。」


虹色のドレスを纏ったままのスカーレットの体を指差しながら、ルチルが笑みを浮かべた。


「それ、どうやって作ったの?」


そう。

スカーレットのドレスは、トンボの魔物の複眼を天蚕のシルクと縫い合わせて1枚の布ようにして仕立てあげられたものだった。

だから、光を浴び、ドレスが形を変える毎に、様々な色に変化して見える。


「聞いてどうしたいのかしら?」


部屋の中央まで進み、鏡を背にして椅子に腰掛けるルチルの見下ろすようにスカーレットは静かに答えた。


「私のせいでさ、あのふたりはちゃんとその素材と向き合う時間が、取れなかったん、だよね。もう、少し、時間が、あれば、良かったんだけど。」


「それは残念ね。」


「だから、さ、ふたりに、さ、教えて欲しいの、その、素材の・・・加工の・・・仕方・・・・。」


ルチルの体が半分だけ椅子からずり落ちた。

スカーレットには鏡越しに見えていた。

ルチルの寝巻きの背中が、どす黒い血で染まっていたのが。

スカーレットは無言でルチルに近寄ると、その体を持ち上げて椅子に座らせてやった。


「私が・・・悪いんだ・・・ほん・・と。・・・だから、お願いします・・・ふたりを・・・・たすけてあげて・・・ください・・・。」


ルチルの体から力が抜けた。

息はしている。

気を失っただけらしい。

スカーレットはルチルを支えた姿勢のまま、その肩越しに笑みを浮かべた。


「あなたに頭を下げられるのは悪い気はしないわね。」





 椅子に腰掛けたスカーレットが、立ち尽くすディアナとヴィッキーを見上げた。


「あなた達のドレスは見事だったわ。」


しかし、ふたりは何も答えられなかった。


「よくあそこまで仕上げたわね。」


やはりふたりは無言のままだった。

それを気にせず、スカーレットが続けた。


「もし最後のピースが欠けてなかったのなら、あのドレスは完璧だったわ。私ではあのドレスは生み出せない。」


「あの、」


そこで初めてヴィッキーが口を開いた。


「そんな、同情みたいなこと言うの、やめて下さい。」


「ヴィッキー。」


スカーレットの口調は優しかった。


「私もひとりになってみて気が付いたわ。私がどれほどあなたに頼っていたのか。そしてそれがどれほどあなたを苦しめていたのか。」


口調だけではない。

その視線は、母親のそれそのものと言えた。


「ヴィッキー。あなたには本当に酷いことをしたわ。ごめんなさい。」


その言葉を聞いた瞬間、ヴィッキーの心の堤防は決壊した。

許すことはできない。

今さら謝られても、許すことはできない。

それでも、

心のどこかで許そうとする自分がいる。

この母親に愛を感じている自分がいる。

辛かった。

自分が何者なのかも分からなくなった。

それでも、

この人は、あたしの、母なのだ。

大切な。


「今さらそんなこと言わないで下さい!」


ヴィッキーは声を荒げた。


「今さら、今さら・・・そんなこと・・・。」


スカーレットは無言でヴィッキーを見つめるだけだった。


「スカーレットさん。」


わなわなと震えるヴィッキーの代わりに、今度はディアナが口を開けた。


「なにかしら?」


「オラのドレスは、本当に良かったですか?」


「ええ。本心よ。」


「どんなところが?」


「あなたが真剣に、着る人のことを考えて作ったところよ。」


「それは・・・。」


「分かる?今日、あの場で、王妃様のこと、この国のことを想って作られたドレスは何着あったと思う?」


「他には、なかったべ。」


「そうね。そしてそれが分かるあなたは、もう立派な物作りであり、立派なデザイナー。そして、立派な私のライバルよ。」


「ライバル?だべか?」


「ええ。確かに技術的なものは未熟かもしれない。でも、あなたの世界は既に私の世界に匹敵する。それをライバルと言わずしてなんと言うべきかしら。」


ヴィッキーが涙を拭った。


「あたしも!」


スカーレットがヴィッキーを見据えた。


「あなたのライバルになりたい!」


そして、にっこりと微笑んだ。


「望むところよ。」





 建国記念の日。

国民の前に現れた王妃様のドレスは、光り輝くマーメイドラインのドレスだった。

歩く度にその表情を変える、それはそれは美しいドレスだった。


スカーレットがドレスを作り終え、遂に港街へと帰る日が訪れた。

それは同時に、共にそのドレスを仕立てあげたディアナとヴィッキーも港街に帰る日でもあった。


「本当にオラ達と一緒に来てくれないんだか?」


カウンターの椅子に腰掛けるルチルに、ディアナが問い掛けた。

既に背中の怪我は完治しており、元通りの元気な姿を取り戻していた。


「うん。いい加減に酒場の仕事しないと、また大臣に怒られちゃうからさぁー。」


「まぁ、仕方ないわね。ルチルには元々ルチルの生活があったんだから、無理強いはできないわ。」


荷物を纏め、あとは旅立つのみという時のことだ。

ディアナは半ベソをかきながら、ルチルの手を握って離さなかった。


「ヴィッキーは寂しくないんだべか!?オラ、ルチルとお別れなんて嫌だべ!」


「ディアナ。ワガママ言わないの。」


旅支度を整えたヴィッキーがディアナの背を撫でた。


「ヴィッキーは薄情だべ!ルチルのお陰でオラ達、スカーレットさんとも仲良しになれたのに!ヴィッキーは、ヴィッキーは冷たいべ!」


「寂しくないわけないでしょ!寂しくて仕方ないわよ!だけどさ!だけどさ!あんたも大人なら、ルチルの気持ちも考えてやんなさいよ!」


「ルチルの気持ちってなんだべ!?ルチルだって寂しいに決まってるべ!ね!?ルチル!?」


ディアナがルチルの肩を掴んだ。


「うるっせぇなぁー。早く帰れよぉー。」


ルチルは笑いながら言い放った。


 港へも、街の入り口へすら見送りはしない。

酒場の扉を出たら、ここでさよならだ。

ルチルは手を振ると、扉を閉めた。

ディアナもヴィッキーも手を振ったまま、扉が閉まるのを見送った。

いつかまた会う約束はした。

だけど、しんみりしたさよならはしない。

すっぱりと、ここでさよならをすると、ふたりは水の都を後にしたのだった。


「んで、ミサミサは本当に残るのぉー?」


「残るよ!だってあっちに帰ったら座長に借金背負わされるもん!」


「ふーん。ま、いいけどぉー。」





 港街に到着したのはそれから半月後のことだ。

旅立ちの時と変わらず、たくさんの人々がディアナ達を出迎えた。

ボールゲームを楽しんだ老人達。

出稼ぎの男達。

ままごと遊びをした子供とその母親達。

仕立て屋ギルドの馴染みの売り子。

食品ギルドの酒屋の老婆。

狩人ギルドの受付。

デパイのバーテン。

ジャクリーヌと劇団員達。

アシュリーを始め、サロン・ド・メロの仲間達。

そして、

スカーレット・デ・センデロスのスタッフ達。


ディアナとヴィッキー、そしてスカーレット達を出迎えた。

皆が温かく、まるで家族のように彼女達を取り囲んで笑顔を浮かべていた。


「ディアナさん!ヴィッキーさん!私、皆さんがいない間に頑張ってましたよ!すんげぇ頑張ってお店守ってましたよ!」


アシュリーが泣きながら言った。


「事前に手紙は貰ったけどメリッサの奴、本当に高飛びしたのね?」


ジャクリーヌが眼鏡を指で直しながら、冷たく言い放った。


「聞きましたよ?ヴィッキーさん、またクイーンと一緒にドレスを作ったんですよね?」


センデロスのヴィッキーの後輩が、実に嬉しそうな笑顔で言った。

皆、本当に楽しそうに話しをしていた。


しかし、ヴィッキーだけは落ち着かなかった。

人一倍背の低い女だけに、どんなに背伸びをしても周囲は見渡せない。

それでも何度も何度も辺りを覗き込むようにして、何かを気にしていた。


「ヴィッキー。」


そんなヴィッキーを気遣うように、ディアナがその傍らに寄り添った。


「見付からないだべか?」


「・・・・・・。」


無言で頷くだけだった。


「きっとお仕事だべ。クローゼさん、忙しいから。」


「・・・・そうね。」


「今度、クローゼさんがお休みの日に会いに行くべ。」


「・・・・そうね。」


ヴィッキーが沈んだ声で呟いた。

その時だった。


「ヴィクトリア。」


スカーレットがその肩を掴んだ。


「っわ!びっくりした!」


あまりに唐突に、そしてとてつもなく強い力で掴まれ、ヴィッキーの心臓は口から飛び出るほどに跳ね上がった。


「あそこを見なさい。」


スカーレットが指し示した先。

人々の影に隠れるように、こちらを見守っている。


「あ・・・・。」


その先に立っていたのは、


「クローゼさん。」


ディアナがヴィッキーの背を押した。

スカーレットもヴィッキーの背を押した。


「クローゼさん!」


ヴィッキーが大きな声でその名を呼んだ。

そして、勢いよく走り出した。


クローゼが手を広げるのが見えた。


ヴィッキーは勢いを緩めることなく、その大きくて厚い胸板に飛び込んだ。


「おかえりなさい。」


ヴィッキーの体を抱きかかると、クローゼが優しい声で囁いた。


「ただいま戻りました。」


その額に、自分の額を擦り付けながら、ヴィッキーもクローゼに囁いた。



そしてふたりは、くちづけを交わしたのでした。



つづく。

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