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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
13/15

第九話 太陽と月②

 ディアナがルチルの寝室に籠ってから実に2日が経った。


言ってしまえば、ディアナは天才の部類には入らないのかもしれない。

確かに、何かを閃いた時には思いもよらないデザインを起こす。

が、それはほんの氷山の一角に過ぎない。

ディアナのスケッチブックに描かれたデザインは、どれも凡庸だ。

では何故、ヴィッキーはディアナに惹かれたのか。

コンテストの締め切りまでは、残り1週間を切っていた。


「ねぇねぇ、あのスカーレットってさぁ、」


 ルチルがヴィッキーに話し掛けた。


客のいない店内にはふたりだけしかいない。

カウンターの椅子に腰掛けるヴィッキーの顔を、ルチルが覗き込む。

互いの顔は噛み合っていない。

長いカウンターの上に寝そべり、ヴィッキーの顔の前に頬杖をついて、ルチルはヴィッキーを凝視していたからだ。

ちなみにちゃんと靴だけは脱いでいた。


「あんた、どんな格好して話し掛けてんのよ。」


直角にずれたルチルの顔に向かってヴィッキーは答えた。


「暇なんだもぉん。」


「ならマッチングの仕事してきなさいよね。」


「ミサミサが行ってくれてっからいいんだなぁ、こりが。」


「暇ならあんたもちゃんと行きなさいよ。」


「ねぇねぇ、あのスカーレットってさぁ、」


「なによ?」


「ヴィッキーが作るから世界一のデザイナーになれたんでしょぉ?」


ヴィッキーがため息をついた。


「その話しね。」


背もたれに体重をかけ直し、ヴィッキーは腕を垂らした。


「あの人はそう言うし、世間もそんな見方はしてるわ。」


「ヴィッキーがいなくてさ、ドレスなんて作れるのぉ?どんなに良いデザインしても、それを綺麗に作ってくれる人がいなければ意味ないじゃんさぁ。」


「あたしが誰に裁縫を学んだか分かる?」


「を、なぞなぞかな?」


「スカーレットよ。」


ヴィッキーは立ち上がると、カウンターの中に移動し、棚からソーダ水のボトルを手に取った。


「これ、開けてもいい?」


「どーぞー。」


グラスをふたつ取り出すと、順にボトルの中身を注いでいく。


「あの人はね、本当は、あたしなんか逆立ちしても勝てないくらい、裁縫も上手いのよ。」


ルチルの鼻先にグラスを置くと、再び椅子に腰を下ろし、自分のグラスに口を付けた。


「じゃあなんで自分で作らないで、ヴィッキーに作らせてたのぉ?」


「始めのうちは、本当に大切なお客さんの服は自分で仕立ててたわ。段々とあたしが上手くなるにつれ、次第にあたしに任せてくれる数が増えていったけど。」


「けど?」


「けど、それでも、自分で仕立てるものもやっぱりあった。」


「ふぅーん。」


「あの人はね、天才なの。」


「天才ねぇ。」


「あたしがどんなに上手くなっても、それでも、あの人の頭の中身を完全に再現することは、やっぱりできないのよ。だから、きっとダメだろうって思った時は、自分で仕立ててたんだと思う。」


「それってさ、やっぱ寂しいのかもね。誰とも共有できないってことじゃん。」


ルチルは、寝そべったままグラスを手に取ると、器用にソーダ水を口に流し込んだ。

ヴィッキーは口を開け、ルチルを見つめていた。


「でへへ。上手いでしょ?」


「そうね。そうかもね。」


ルチルだからこそ分かるのかもしれない。

スカーレットの気持ちが。

きっと、スカーレットは、理解者が欲しかった。

だからヴィッキーを選んだ。

最も汲み取る力を持つヴィッキーを。

でも、やはり、ヴィッキーはスカーレットではない。

それはスカーレットにも分かっていたはず。

ヴィッキーを自分にしようとしても、なりはしない。

そして次第に離れていく。

なら、スカーレットがこの先やることとは?


(最後に残るのは自分。か。)




 扉が開いた。

木戸が擦れる音に、ヴィッキー達は勢いよくそちらに向き直った。


「見て欲しいべ。」


いくぶんかほっそりとした様に見えるディアナが立っていた。

手に、スケッチブックをぶら下げて。


「来て。」


ヴィッキーは立ち上がると、ディアナの肩を支えながらカウンターの椅子に座らせた。

力なく腰を下ろしたディアナに水の入ったグラスを手渡した後、ヴィッキーもその隣に腰を落ち着けた。

カウンターの上から滑り降りたルチルも、ディアナを挟んで逆側の椅子に腰を落とした。


「じゃあ、見せてもらうわ。」


ヴィッキーがスケッチブックのページをめくった。


 それは薄緑色のドレスだった。

オーソドックスなプリンセスラインをベースに、スカートはこれでもかと大きく膨らんでいる。

その膨らみを形作るのは幾重にも重ねられたチュール。

様々な形の草花が散りばめられ、まるで森の切り株に腰掛けているかのように見える。

胸元にもレースのような透ける素材が巻かれており、そのレースには無数の光が煌めいていた。

森に射す朝の木漏れ日。

きっとディアナが見たあの森は、彼女の目にはこう見えていたんだろう。

そんな、森のドレスだった。


「いいわ、とても。殺意が湧くほど。」


ヴィッキーがデザイン画のドレスを撫でながら言った。


「今のオラにはこれが精一杯でしたべ。」


その声にも力がなかった。


「いいわ。いいわよ。これがいいのよ。」


ヴィッキーはスケッチブックから目を離すことなく、愛おしそうに、ただただドレスを撫でていた。


「これがいいの。これが。」


ディアナの気持ちは分かる。

決して満足していないのだろう。

確かに、このドレスに特別な何かを感じることはない。

しかし、ヴィッキーの気持ちは言葉通りだった。

今のディアナが悩みながら描いたこのドレスこそが、今のディアナそのものなのだから。

自分がやることは、そんなディアナの世界を形にすることだけ。

何故、ヴィッキーがディアナに惹かれたのか。

それは初めて会った時の感情そのもの。

今まで出会った誰よりも、ディアナの気持ちを理解できたから。

それだけだった。


「さぁ、作りましょう。あんたとあたしの世界を。あんたもあたしも、スカーレットの月。でも、ふたつの月がひとつになった時、太陽を超える輝きを放てるかもしれないんだから。」


「はいだべ。」


ディアナの目から涙が溢れた。

悔しい。

悔しくて仕方がない。

だけど、それでも、ふたりは輝くのだ。


「この胸元の光なんだけど、これはどんな素材をイメージしてるの?やっぱり宝石?」


ヴィッキーが指差した。


「そうだべ。キラキラと光が透き通るような、朝露みたいな宝石がいいかなと思うんだべ。」


「なるほどね。この数の宝石を付けるのは工夫が必要ね。コストもそうだし、何よりも重みが出るわ。絵みたいに自然に浮かせるには何か手を考えないと。」


スケッチブックを除き込むふたりを眺めながら、ルチルが口を開いた。


「それさぁ、光ってればいいのぉ?宝石みたいに。」


ディアナが顔を上げた。


「そうだべ。何か知ってるだべか?」


「んー。いや、いいや。」


ルチルはそう言って頭の後ろで手を組むと、グラグラと椅子の足を揺らし始めた。


「なによ。言いかけたなら最後まで言いなさいよ。」


ディアナの奥から身を乗り出したヴィッキーが強い口調で言った。


「いい。またダサいって怒られるもん。」


「あんたね、そんなこと根に持ってんの?」


そっぽを向いたルチルに、更に強い口調で畳み掛けるヴィッキー。


「根に持ってない。またどーせ下らないことだもーん。」


この言葉は本心だ。

どうやらこの女でも自信を失うことはあるらしい。

それはふたりにも即座に伝わった。


「・・・・別に、本気で言ってたわけじゃ・・・・いや、本気ね。悪かったわ。」


「オラもごめんなさい。ルチルが何かを言っちゃダメってわけではないんだべ。」


「んー。別にいいよ。怒ったりはしてない。だけど私のアイディアなんて役に立つかなぁ?」


「立つでしょ。あんたがいなければあたし達、ここまで来られなかったのよ?」


「そうだべ!ルチルはすごいべ!」


「どぅへへ。そんなおだてられたらなぁー。んじゃ言っちゃおうかなぁー。また笑われるかもしんないけどぉー。」


「言って。笑わないから。」


「絶対に!」


ルチルが椅子を元に戻した。


「んっとね、この島の森のね、東の端の方に、花畑がある渓谷があるんだよねぇ。そこに棲んでるトンボの魔物がいてね。」


指を回して見せた。

トンボを捕る時のように。


「そのトンボの複眼がね、虹色にキラキラと光る、とってもとっても綺麗なレンズなんだよねぇ。しかもすんごく薄いからすんごい軽いの。しかもすんごく弾力性があるから丈夫なんだけど、柔らかくて加工はし易い。」


「トンボの?」


「そう。きっと、お洋服に付けたら宝石よりもずっと綺麗なんじゃないかなぁ?」


ルチルは天井の隅だけを見つめて話していた。

やはりまだ自信はないんだろう。


「って、ダメだよねぇー。どぅへへ。今のなしなし!」


バン!

バン!


木のカウンターを叩く音がふたつ。

同時に部屋中に響き渡った。


「ルチル!」


見ると、ディアナもヴィッキーも、椅子を蹴飛ばすほどの勢いでその場に立ち上がっていた。


「最高じゃない。」


「それだべ。それしかないべ。」


ふたりに顔を向けると、その4つの瞳はどれもキラキラと輝いていた。

キラキラとルチルを見つめていた。


「それ、すぐ手に入るの?」


「んー。渓谷まではこの街から歩いて2日くらいかなぁ?だから往復で4日。あ、でも、すぐにトンボを狩れるかどーか分からないよぉ?私、一般人なのでぇ。」


「確かに。」


ヴィッキーは唇を噛み締めていた。


「でもでもぉ、やるだけはやってみよぉか?」


「いいの?」


「魔物なんだべ?」


「女は度胸。これ、世界の常識ぃ?」


ルチルが笑って見せた。

その顔は、今まで見せたどの表情よりも、殺意格好いい笑顔だった。




「ちょっと!なんで私も!?」


夕方、城から戻ったミサミサは声を荒げた。


「だって、荷物持ちとか必要じゃんさ。それに、ひとりだともし死んじゃったらトンボの目、持って帰る人いなくなっちゃうでしょー?」


「死ぬの!?私死ぬの!?」


無理もない。 

ほとんど強制的に斡旋業に従事させられたと思ったら、今度は魔物狩りに行かされるのだ。


「死なないよぉー。死ぬとしたら私だからぁー。」


ルチルはケラケラと笑っていた。


「目の前で死なれるのも嫌なんですけど!」


「ウソウソ。死なないからぁ。割りと大人しい魔物だし、羽ばたいてる羽根に触れると切り刻まれるけど、触れなければ基本は危なくないからぁ。」


「すんげー危ないこと言ってんですけどぉー!切り刻まれるってすんげー死ぬんですけどぉー!」


「どぅへへ!マジウケる!ヴィッキーよりツッコみ上手いんじゃないのぉ?」


爆笑するルチルに呆れたように、当のヴィッキーは頭を押さえていた。


「あんたねぇ、そんな危ないところなら、あたし達だって『はいそうですか』なんて行かせらんないわ。やっぱその案は中止よ。」


「そうだべ。ルチルが危ないなんて、オラ、オラ・・・・・。」


「そうだよ!今すぐにルチルを止めて!お願いだから!」


ルチルが頭を掻いた。


「ちっと冗談が過ぎましたかねぇー。大丈夫。本当にそんな危険じゃないんよぉ。トンボの魔物は黒い色が見えないんだよねぇ。んだから、黒いローブで隠れていけば気付かれずに近寄れる。そんでもって首にロープを巻き付けて、後は驚かせて飛び立たせるだけ。そしたら勝手に、」


頭から首に手を動かすと、水平にした掌を軽く首の前で引いて見せた。


「本当に!?本当にそんな簡単なの!?」


「この島にはそこまで危険な魔物はいないよぉ。たまに出くわすとやばいのはゴブリンくらいかなぁ。」


「危ないのいるんじゃん!」


「それだって、出くわす確率なんてほんと、ミジンコくらい小さいってぇ。大丈夫よぉー。」


「本当に!?本当だよね!?」


「しつこいなぁ。そんなうるさいと、ツケてる洋服代今すぐに請求すっからねぇ。」


ミサミサが勢いよくヴィッキーに向き直った。


「一番危ないのこの人なんですけどぉー!」


こうして、ルチルとミサミサはトンボの魔物を狩りに。

ディアナとヴィッキーは、その間にドレスを作成することとなった。



 一方その頃、城では。


「ミサミサちゃんや。仕事が一段落したらおやつにせんかいのぉ?」


絶世の美女であるミサミサにまんまと魅了されていた大臣が、焼きたてのクッキーとティーセットを手に、離れの部屋を訪れていた。


「むむ?もう帰ってしまったんかいのぉ?」


部屋に足を踏み入れるも、既に愛しいミサミサの姿はない。

落胆した様子で、ミサミサが1日中腰掛けていた椅子へと近付いた。


「残念じゃのぉ。まぁええわ。明日も来るんじゃから、明日また誘えばええ。」


独り言を呟きながら巡らせた視線が、スーパーコンピーターの黒い板に起こった異変を捉えた。


【しばらくミサミサはお休みしまぁっす。誰か代わりにやっといてねぇ。】


それは、微妙に下手くそな字が書き込まれた大きな貼り紙と、スーパーコンピーターの前に置かれた数枚の銀貨だった。


「結局サボってんじゃろが!あの尻デカ女がぁー!!!」


城にまで届かんばかりの絶叫が響き渡った。





 黒いローブに身を包んだルチルとミサミサが水の都を後にした。

残されたディアナとヴィッキーは、パターン作りに取りかかった。


「いい?今まであんたはあたしのパターンに何も言わなかったわよね?」


テーブルに広げられた大きなハトロン紙を前に立つと、ヴィッキーが口を開いた。


「はいだべ。ヴィッキーのパターンは完璧だから、オラ、言うことないべ。」


ディアナがヴィッキーを見た。


「それを終わりにしましょう。」


「え?」


「本当の気持ちを言うのよ。お互いに。」


「本当の気持ち?」


「そう。今あたし達が超えるべき壁よ。」


「オラ達の超えるべき・・・壁。」


「そう。あたし達が互いに最高を出して、最高にぶつかり合うからこそ生まれるものが、きっとあるはず。そこに辿り着きましょう。あたし達なら、やれるわ。」


「はいだべ!」



ヴィッキーがハトロン紙に線を引いた。

コンテストのモデルはミサミサだ。

事前に採寸しておいたミサミサに合わせ、森のドレスのパーツを起こしていく。


「ここは、少し違うと思うんだべ。もう少し絞りたいべ。」


「なるほどね。このくらいのイメージ?」


「それだといき過ぎだべ。」


「マジ?そっか。あんたのイメージだとこうなのね。」


「はいだべ!それが欲しいべ!」


「うーん、あたしはここはこっちの長さの方が綺麗だと思うんだけど。」


「んー、いや、それも面白いんだべが、ちょっと違うんだべなぁ。かと言って、確かに今の長さも少し違うし。」


「ならこんな感じは?」


「わぁ!すごい良いべ!これがいい!これがいいべ!」


確かに今まで、ふたりがここまで話し合うことはなかった。

知らず知らずのうち、ふたりには主従関係にも似た意識が芽生えていたのは否定できない。

それは年齢から来るものでもあるし、互いの能力から来るものでもあるし。

スカーレットとヴィクトリアの関係がそうであったように、ふたりにもそんな関係が生まれていた。

それを乗り越える。

今のふたりは乗り越えようと、懸命に互いを晒け出し合おうと、必死だった。

しかし、ふたりの気持ちは、たったそれだけでもひとつになりつつある。

この狭い部屋で、ふたりはひとつになろうとしていた。


細く背の高いトルソーが、淡い緑の森を纏い始めた。

何度も何度も、少しずつ形を変えて。

ヴィッキーの想いを受けては形を変え。

ディアナの想いを受けては形を変え。

森は次第に深く、

より深く繁り、

光が射し込み、

夜が来て、

また朝が来た。


太陽が昇った。


ふたつの月はいつの間にか形を変え、


大きな大きな太陽になり、


そして、


昇った。


ドレスが太陽の光を浴びて煌めく。


後は朝露が滴るのを待つばかり。



5日目の朝を迎えた。





ドンドンドン!!

ドンドンドン!!


酒場の扉を叩く音に、ディアナは目を覚ました。


「ふぁ?」


目を開けると、ヴィッキーが髪をワシャワシャと掻きながら起き上がるのが見えた。


「なんなのよ?今何時よ?」


ディアナもゆっくりと体を持ち上げながら、壁に掛かった時計に視線をやった。


「9時だべ。」


ドンドンドン!!

ドンドンドン!!


扉はしつこく怒鳴り散らすまま。


「ふぁー。誰かしらね?」


ヴィッキーはフラフラとした足取りで扉へ向かって歩を進めると、口を開いた。


「どなたですか?」


「私!ミサミサ!開けて!開けて!」


扉を叩いていたのはミサミサだったようだ。

予定よりも遅い帰還ではあったが、コンテストまでは残り1日残っている。

 

「早く!早く開けて!」


どうやらかなり焦っているらしく、声が枯れるほど大きな声で催促する。


「なによ?トイレ?」


ヴィッキーが扉に手を掛けようとした時だった。


「ルチルが、ルチルが怪我したの!!」



バン!



その言葉を聞いた瞬間、ヴィッキーは勢いよく扉を開け放った。


「怪我!?」


目の前に立っていたのは、激しく狼狽えたミサミサの姿だった。

そして立っていたのはミサミサのみ。

ルチルの姿はなかった。


「ルチルは!?何があったの!?」


「魔物に、魔物に!」


「ま、魔物!?どこにいるの!?」


「分からない!助けを呼んでって言われてすぐ来ちゃったから!」


「バカ!どこで別れたの!?」


「街の少し外!」


「行くわよ!」


ヴィッキーを先頭に、3人は弾けるように部屋を飛び出した。

朝の人混みをすり抜けながら大通りを駆け抜ける。

何度も何度も人とぶつかりそうになりながら、それでも全力で駆けた。

中心部から離れるにつれ人影はまばらになっていき、それに合わせるように3人の足は更に勢いを増していった。

体が悲鳴をあげ始めた頃、ようやく街の正門とも言うべき木製のゲートの下まで辿り着いた。


「どこ!?どこで別れたの!?」


ヴィッキーが辺りを見回しながら怒鳴り声をあげた。


「ええと、ええと、あ!あっち!あっちの道の少し先!」


慌てふためきながらも、ゲートから伸びる街道から少し離れた方向をミサミサが指差した。

その方向に視線を向けようとした時、ディアナがふと、足元の異変に気が付いた。


「ヴィッキー!血が!血が付いてるべ!」


ディアナが指差した石畳には、大きな血の痕が点々と残っていたのだ。


「ルチル?」


血痕は、3人が来た方向とは逆方向。

酒場とは反対側にあるスラムへと続いていた。

ヴィッキーの、そしてディアナの体中を戦慄が貫いた。


「嘘でしょ?まさか、どっか行ったの?」


「こんな血が出たままどっか行ったら死んじまうべ!」


「え、でも、動けるなら死なないんじゃ?」


「バカね!ミサミサは!こんな血が出てたら普通は動けるはずないんだから!」


「とにかくこの痕を辿るべ!きっとルチルが待ってるんだべ!」


その血痕を頼りに、3人は再び駆け出した。


薄暗い、バラック小屋の隙間で細く複雑に交差する路地を、血の痕を追った。

旅人の酒場のあるスラムよりも更に寂れた地区だ。

何度か道を曲がるも、その間に人と出会うことさえない。

誰かがルチルを見付けて助けてくれたなどということもなさそうだ。

しばらく走り、住宅街の中の少し大きな石造りの建物の前を通過した時だった。


「待って!」


ディアナが声をあげた。


「どうしたの!?」


先頭を走っていたヴィッキーはその声に引き留められ、足を止めると後ろを振り返った。

そこには、震えながら何かを指差すディアナの姿があった。

その指し示す方向。

大きな建物とバラック小屋の間。

他よりも更に輪をかけて薄暗い路地に、3人は黒い塊がうずくまっているのを見付けたのだ。

   

顔以外は真っ黒なローブで覆われているからよくは分からない。

しかしその体の下には、真っ赤な血溜まりができているのが目に飛び込んできた。


「ルチル!」


ヴィッキーが滑り込むようにして、倒れ伏すルチルに駆け寄った。


「ルチル!」


ディアナも勢いよくしゃがみ込むと、ルチルの背に手を触れた。


「あっ!」


触った瞬間分かった。

真っ黒いローブの背中はズタズタに切り裂かれ、おびただしい量の血で濡れていたのだ。


「とにかく酒場に連れていくのよ。ミサミサ、医者を呼んできて。ディアナは私と一緒に。」


「はいだべ!」

「え!?医者!?医者ってどこに!?」


「城に行けば誰かしらいるでしょうが!!早くしなさい!!」


ルチルの体をふたりに預けると、まるで矢のようにミサミサは駆けていった。

ふたり掛かりで酒場までルチルを運びながら、ディアナはその頭からローブのフードを捲り上げた。


「だいぶ顔色が白いわね。」


ルチルの唇が痙攣しているのが見てとれた。


「ルチル、死なないで!」


ディアナの声が届いているのだろう。

目を瞑ったままのルチルが軽く微笑んだように見えた。





「ゴブリンに出会ったの。

でも、それは私達じゃなくて、子供が襲われてて。私はびっくりして、それで、怖くて、動けなくて。

そしたらね、ルチルが走り出したの。

ゴブリンが子供をトゲトゲのこん棒で殴ろうとした時、ルチルが子供を庇って覆い被さって、それで背中を殴られたの。

でもね、ルチル、殴られたのに立ち上がって、ゴブリンに向かって飛び掛かったの。

飛び掛かって、足でゴブリンの頭を挟んで、そのまま逆立ちするみたいにひっくり返って、そしたらゴブリンがビューンって飛びあがって、ルチルが足でゴブリンの頭を飛び出していた岩に叩きつけて。

それでゴブリンはやっつけられたんだけど、ルチルは背中に怪我しちゃって、子供は泣いてるし、私もどうしたらいいか分からなくて。

ルチルに『誰か呼んできて』って言われて、それで私、ヴィッキー達を呼びに・・・。」


 幸いにも、ルチルは一命をとりとめた。

背中の皮膚はズタズタに裂かれ、出血も酷かったが、重要な臓器や血管、背骨にダメージはなく、致命傷には至らなかった。


「傷痕は残ってしまうでしょうが、安静にしていれば治ります。」


そう言い残して医者が帰った後、ミサミサがゆっくりとルチルに起きた出来事を話した。


「そう。子供を。」


ベッドにうつ伏せに横たわるルチルの枕元に腰掛けたヴィッキーが、眠るルチルの髪を撫でた。


「ルチルらしいべ。」


その隣に同じく腰かけたディアナもルチルの顔を覗き込んだ。


「本当にごめんなさい。私、なにもできなくて。」


寝室の扉の脇に立ち尽くすミサミサの声が震えていた。


「なに言ってんのよ。あんたが呼びに来てくれたから、こうやってルチルは無事だったんじゃない。」


「そうだべ。ミサミサだって無事で良かったべ。」


「無事って、ルチル、めっちゃ怪我してるけど。背中一面ズタボロだけど。」


「そんなツッコミできるんならあんたも心配ないわ。ま、ルチルが自分の意思でしたことだし、あたし達がとやかく言うことじゃないわ。ルチルは生きてる。あんたも無事。それでいいわ。」


ヴィッキーが背筋を伸ばした。


「そうだ。」


思い出したように呟くと、ミサミサが壁に掛けた自分のバッグの中をまさぐり始めた。


「これ。」


取り出されたのは、虹色に輝く、薄いレンズのようなものだった。


ディアナは立ち上がると、ミサミサに近付き、それを受け取った。


「ルチルとミサミサが命懸けで採ってきてくれた素材だべ。」


「最高のドレス。仕上げるわよ。」


コンテストは、明日だった。


つづく。



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