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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
12/15

第九話 太陽と月①

 ディアナは息を飲んだ。

壊れるんじゃないかと思うほどの緊張が体中を支配するのが分かる。

初めて味わう、恐怖を感じるほどの威圧感。

しかし、それでも背筋を伸ばした。


「こうして面と向かって会うのは初めてね。」


女の声が、広い空間に響き渡った。

凛とした低い声がディアナを襲った。


それでも、ディアナはその女から視線を逸らさなかった。


「はじめまして。ディアナ・メロ。」


目の前で厚い唇が動いた。

ディアナの目の前に立ったその女は、驚くほど背が高い、痩せこけた女だった。

唇から徐々に視線を上げ、小さな丸い鼻を通り、そしてディアナは見つめた。

長い睫毛に覆われた、黒く輝くその瞳を。


「はじめまして。スカーレットさん。」










「こりゃあー!!」


 そんな声が聞こえてきたのは、ディアナとルチルが旅人の酒場の外壁を掃除していた、とある日の午前のことだった。

ルチルは黒いタイトなタンクトップにゆとりのある太めのストレートデニムという動きやすそうな服装。

ディアナもタイトな白いカットソーの上に黒いサロペット。

ふたりとも作業用のシンプルな出で立ちだった。

ふたりが振り返ると、怒鳴り声をあげたのはひとりの初老の紳士。

城の兵士と思しき出で立ちをした若者ふたりを引き連れた、品の良いロマンスグレーの豊かな頭髪を持ち、それなりに品の良い身なりをした男だった。

キョトンとした表情で窓を拭くルチルに、更に畳み掛けるように紳士は続けた。


「一体今までどこをほっつき歩いとったんじゃ!」


「なんだ。大臣か。」


大臣。ルチルはそう言った。

どうやらこの紳士はこの国の大臣らしい。

となれば、当然敬うべき存在であるべきなのだが、ルチルは一瞥をくれただけで、再び窓拭きに意識を戻していった。


「なんだじゃないわ!話しを聞きなさい!」


激しく怒りを顕にする大臣の態度に、仕方ないと言った様子で、ルチルは手を止めた。


「ちゃんと出掛けるって言ってったでしょぉがぁ。」


「出掛けるって、アホか!こんな長期間だとは思わんじゃろーが!」


大臣の主張にも一理ある。

ルチルがディアナを伴ってこの水の都を旅立ってから、実に1年が過ぎていたのだ。


「別にいいでしょー。どーせ私独り暮らしなんだしぃ。」


「仕事ほっぽりだして何を言っとるか!」


確かにそうだ。

旅人の酒場とは、魔物退治に赴く勇者同士が命を落とさぬようパーティーを組ませる為に助力する、非常に重要な機関である。


「スーパーコンピーターは預けてったでしょぉ?」


「のぉ、ルチルや。確かにスーパーコンピーターは預かった。お主の不在の間は、城で代行はやった。だがのぉ、分かっとるのか?」


「なにをー?」


「お主以上にあれを使いこなせる者なんかおらんのじゃからな!!」


「どぅえっへっへぇー!」



 ディアナ達4人が水の都に到着したのは昨夜の夜遅くのことだった。

そこまでの長旅ではないとは言え、大荷物を携えた道程だ。

通常なら島の港町から水の都までは徒歩で2、3日程度の距離しかないが、裁縫道具やら素材やら多くを抱えた4人の足は牛並みに遅く、通常よりも更に1日ほど余計に掛かっての到着だった。

実に1年間ほったらかしにされていた旅人酒場。

元よりかなり古びた店だが、主不在の間にそのみすぼらしさは更に加速していた。

流石に疲労困憊だった4人だったので、その日は店のフロアに毛布を敷いただけの簡易的な寝床で泥のように眠った。

その次の朝。

それが今だった。


「とにかくじゃ、皆がお主の帰りを待っておったんじゃぞ。まずはこのスーパーコンピーターを店に戻すからの。」


「気付くの早くね?」


兵士達がなにやら大きな台車を押していたのは見えてはいたが、まさか帰ってきた翌朝に見付かるとは思わなかった。


「毎日毎日監視しとったからの。お主がいつ帰ってくるのか。」


「キモ!」


「そんだけお主の仕事は重要なんじゃろーが!分かっとんのか!」


大臣は兵士に指示を出すと、台車を店内に入れ始めた。


「ちょっと待ってってぇー。帰ってきたけどぉー、まだやることあんのぉー。まだ酒場始めらんないからぁー。」


「黙らっしゃい!1年も待ったんじゃ!つべこべ言わせんぞい!」


大臣の態度にはとりつくしまもない。

流石のルチルもこれには閉口したが、そんなことには目もくれず、兵士はヴィッキーとミサミサが清掃している店内に踏み入ると、さっさとスーパーコンピーターを置いて帰っていった。


「ちゃんと今日から店を開けるんじゃぞ?いいな?」


今一度、扉から店内を振り返って念を押し、大臣も店を後にした。

店内に残されたのは、呆然と立ち尽くす4人の女達と大きな黒い板の付いた機械だけだった。


「なんか、嵐みたいだったわね。」


作業着用のシンプルな黒いブラウスとタイトなスキニーデニムに身を包んだヴィッキーが口を開いた。


「参ったなぁ。お店を臨時のアトリエに使おうと思ってたのにぃ。」


ルチルがしきりに頭を掻いていた。

この女にしては珍しく、かなり困っている様子が伺えた。


「このお店って、ここ以外にお部屋ないの?」


作業用もなにもない。いつも通りに原色、黄緑色の半袖カットソーの上にキングサイズのオーバーオールを着込んだミサミサが、ルチルに問い掛けた。


「広いのは無いよぉ。お店と、奥に私の寝室があるだけだもん。」


「お店って混むの?」


「んー、今の時期ならそんなでもないけどぉ、だからって営業しながら作業できるほど暇でもないかなぁ。」


「そうなんだ。」


「なら、どっかに部屋でも借りる?」


ミサミサの後に続いてヴィッキーが口を開いた。


「うーん。無駄な資金は使いたくないなぁ。」


「仕方ないわよ。あんたに迷惑かけらんないし。」


「んー。んー。んー。んー?んー!」


顎に指を当て、しきりに何かを考えるルチル。

他の3人は静かにそれを見守った。

こういう時のルチルは放っておくに限る。

今のルチルの頭の中は常人の何倍もの速度で回転しているのだ。

待つこと数秒。


「よっしゃ。決めた!」


ルチルが指を鳴らした。


「酒場をお城に移転しよぉーっう。そんでもって、ミサミサはコンテスト以外は暇でしょ?」


「え?そうね。暇ね。」


「そんなことないよ!私もお手伝いあるよ!」


「いや、暇だべ?」


「酒場の仕事はミサミサにやってもらおぉーう。」


「え!?無理でしょ!?私、そんな変な機械扱えないから!」


「大丈夫ぅー。よっぽどな頭じゃなければ普通に使えるからぁー。」


「無理だよ!見てよこの頭!こんな変な色した頭の人なんてよっぽどに決まってるでしょ!」


「自分で言っちゃうあたり、相当に嫌なのね。」


「嫌だよ!さっき言われてたじゃん!大切な仕事だって!私そんな責任無理!」


「大袈裟なんだよぉー。データ打ち込むだけだから責任とかそんなん大丈夫だってぇー。ちゃんと教えるしぃ。」


「本当に?本当に大丈夫?」


「うん。勇者が死にやすいか生き残りやすいか変わるくらいだからぁ。」


「そんなん絶対に無理ぃー!!!!」


「よっし、決まりぃー。ちょっと大臣呼び戻してくるわー。」


全力で抗議の絶叫をあげるミサミサを尻目に、ルチルはいつものように疾風の如き速さで店を後に、

数分後には大臣を引き連れて戻ってきた。

ものすごいほくほくとした表情を浮かべる大臣を引き連れて戻ってきた。


「なんじゃなんじゃ。始めからそういう提案してくれたらこっちもちゃんと考えんでもないのにのぉ。」


若い兵士に指示をして、再び台車にスーパーコンピーターを戻す。


「ほんじゃあ、明日からだぞよー。場所は城の離れじゃからのー。遅刻するでないぞー。」


そしてほくほくとした表情のまま、大臣は去っていった。

その後ろ姿を見送ると、扉が閉まるのを確認してからヴィッキーがルチルへと向き直った。


「なに?どんな交渉したの?」


「んー?しばらくお城で運営させてもらえたら、ヴィッキーのお尻触っていいよぉって。」


「自分のデカ尻揉ませときなさいよ。」


「おねーさんはババァなのでもうそーゆーのお疲れなのでぇす。」


「あたしより年下のくせによく言うわ。んで、本当はなにを言ったのよ?」


「んっとねぇ、前にディアナには言ったんだけど、この酒場って公的機関なんよ。運営費は国持ちで、私も少しはお手当て貰ってるんだよねぇ。んだから、お城で運営する間は費用もこっち持ちで、手当ても要らないって伝えたんだよぉー。」


「マジ?ってか自費って、それでやってどうやって酒場やるのよ?まぁ、あんたのためならうちの資金使ってもあたしは構わないけど。」


「オラもだべ。ルチル、使って下さいだべ。」


「酒場なんてぇ、勇者達が待ち時間に暇潰しするために飲み食いさせてるだけで、本当はあってもなくてもいいんだよねぇ。場所さえ確保できれば後はその辺で待たせとけばいいんだから、皆のお金には手はつけませんよぉー。」


「いいの?勇者って、あたしら庶民のために戦ってくれてる人達でしょ?」


「んー。中にはそーゆー人もいるけどぉ、大概はただの金持ちの道楽だったり、成り上がりの金儲け目当てだよぉ。大体が自分のことしか考えてないし、真面目に世界救おうなんてほんの一握りだからさぁ。」


「そんなもんなの?」


「なんかショックだべ。」


「そりゃーね、私だって本気でやってる人なら真剣に協力するけどぉ、ほとんどお目にかかったことないからなぁ。」


「分かったわ。じゃあルチルの案に従うわ。」


「はいだべ。」


「はいっ。つーわけで、ミサミサは毎朝9時から夕方の17時までお城で斡旋業者になって下さいねぇー。定休は週末でぇーす。」


「結局その方向で話し進んでるのね!?」


毎度毎度、スムーズにはいかないものである。

しかしこれでサロン・ド・メロの面々は居場所を確保できた。

ようやく戦いは始まるのだ。


 店の掃除はあらかた終了し、4人は軽く食事を摂ってから着替えを済ませた。

今日やることはただひとつ。



ウエストにサッシュベルトを巻いた、ノースリーブのワンピース型。裾に切れ目が入っており、同色のレースが見え隠れする丈は膝上10cm。

暗いピンク色で、いつも通りにとても柔らかな印象を持たせつつも大人びたイメージを感じさせる。

ディアナだ。


 濃紺のエンパイアラインのミニドレス。

チューブトップの胸元はそのメリハリのある体型を遺憾無く強調している。それでいてドレス自体に装飾はほとんどなくシンプルで、それを纏う本人の持ち味を一番に活かす。そして有り余るフェロモンを一番に活かす。

ヴィッキーだ。


 漆黒のシルクで作られたホルターネックのカクテルドレス。スカートの丈は長く、ボリュームも押さえられており、その背の高さとスタイルの良さを最大の魅力に変えている。

肩から手首まで薄い花柄のレースが袖を形作っており、彼女にしては珍しく、その様相はセクシーと言えた。

ルチルだ。


 そして、ラベンダー色のチューブトップのマーメイドラインドレス。

彼女の細く美しい肢体をより美しく、よりエレガントに演出している。

もちろん髪の毛はブロンドのウィッグで隠しおり、その様はどこかの女神かと見まごうほどの神々しさを放っていた。

ミサミサだ。



観劇の際の衣装ではあるが、いくら服飾に携わっているとは言え、ここまで手の込んだ高級なドレスをそう何着も持てるわけではない。

これが彼女らの最上級の正装で間違いはなかった。

4人は旅人の酒場を後にし、薄暗いスラムの路地を歩いた。

水の都。

かつて栄華を極め、世界の中心とまで言われたのも今や昔。

街の外れには広大なスラムが横たわり、中心に鎮座まします城に向かって流れる、街の象徴とも言うべき運河達はただの溝川と化している。

都心部こそまだ活気はあるが、それですらサロン・ド・メロがある港街に比べれば取るに足らない寂しいものだ。


「水の都って初めて来たけど、思っていたのとなんか違うわね。」


城へと続く大通りを歩きながら、周囲の街並みを眺めるヴィッキーが口を開いた。


「オラも初めて来た時は驚いたべ。」


前を歩くディアナもそれに同調した。


「昔はねぇ、この川も綺麗だったんだけどねぇ。」


「確か、勇者育成に国費をだいぶ割いてるからよね?噂には聞くわ。」


「そぉそぉ。そんなんしたってねぇ、さっきも言ったけど、ほとんどは無駄なんだよねぇ。」


先頭を歩くルチルが振り返りもせずに呟いた。

顔は見えない。

だけど、どことなく、寂しげな声だったのは勘違いではなかったと思う。

と、そんな時だった。

4人の背後から、数名の人が走る音が聞こえてきた。

ディアナが振り返ったと同時だった。


「ひゃあ!」


叫び声をあげた。

足音の主は子供達。

数名の子供が追い抜かし様に、ディアナのスカートをめくり上げたのだ。

咄嗟に裾を押さえるも、ディアナの下着は公衆の前にあらわになった。


「こら!」


子供達に向かってミサミサが声を荒げた。


「わーい!ピンク色ー!」


口々に囃し立てながら、子供達は通りの人混みの中を縫うように走り去った。

そんな様子を、ヴィッキーは笑いながら見つめていた。


「子供達は元気ね。」


「スラムの子達だねぇ。」


ルチルも笑顔でその子供達を見送った。


「笑い事じゃないんだべ。」


顔を真っ赤に染めたディアナが、抗議の声を上げていた。


「あら?」


その子供達のうちのひとりにヴィッキーは目を止めた。


「なんかこっち見てるわね。」


他の子供達と違い、立ち止まってこちらを見ていたのだ。

伸び放題の茶色い髪を垂らし、みすぼらしい支度をした10歳くらいの少年だった。


「謝りにくるのかな?」


ミサミサが言った。

しかし、ヴィッキー達の視線に気付いたのか、その少年はくるりと踵を返すと、仲間達と同じように人混みの中に消えていった。


「なんか変な子だったわね。」


「不思議な目をしてたべなぁ。」


よほどその少年が印象に残ったのだろうか。

ヴィッキーもディアナも足を止めていた。

そんな3人を尻目に、ルチルは無言で歩き始めた。




「なんじゃお主ら。やらなきゃならんことってのは王妃様のご衣装の公募じゃったんか。」


 城に到着して早々に、ディアナ達は門兵にコンテストの受付を申し出た。

そして通されたのは来賓用の応接間だった。

その部屋の中にいたのが大臣だったのだ。


「なんだ。大臣か。」


ルチルがつまらなそうな声を発した。


「本日2度目じゃからな。バカにするのも大概にせぇよ。この時点で落としてもいいんじゃぞ?」


「はいはい。さーせんでしたぁー。ごめんちゃーい。」


「とても反省してるとは思えんのぉ。もういいからさっさと概要読んでサインして帰れ。」


ルチルの不可思議な態度は今に始まったことではないが、まさか自国の重臣に向かってまでのこの態度。

流石の仲間達ですら少し引いていた。

大きなテーブルの上座に腰掛ける大臣の両脇に回り込むと、ルチルとヴィッキーは分厚い概要に目を通し始める。

こういう仕事はこのふたりに任せるのがこの4人の暗黙の了解だ。

ミサミサは書類には全く興味を示すことなく、応接間の豪奢な調度を見回していた。

それはディアナも同じ。


(一体いつまで掛かるんだべかなぁ。)


しばらくは窓の外を眺めていた。

が、相も変わらず、大した時間も経ってはいないのだが、ディアナの精神は既に飽きを感じていた。


(よっし。ちょっと探検だべ。)


ディアナは誰に断るでもなく、ふらりと部屋の外へと抜け出していった。


 応接間は1階のロビーの脇に位置している。

ディアナが部屋の外に出ると、目の前には大きな階段があった。

そして左手には玄関ホール。

先ほどディアナ達が入ってきた場所だ。

そこに興味はない。

ディアナの目を惹いたのは、右手に見える小さな扉だった。

ちょうど階段の裏手に位置する、陰に隠れた扉。

ディアナの足は真っ直ぐにそちらに向かって歩み出していた。


 小さな扉の前に立ったディアナの心は昂っていた。

何故だかは自分でも分からなかった。

ただ、途方もなく、とてつもなく、ディアナの心は昂っていた。

この先には何があるんだろう?

常識的に考えれば、一国の王宮を勝手に歩き回るなどあり得ることではない。

そして普通の王宮にそんな昂るような【何が】などあるはずもない。

しかし、ディアナにはそんなことを抑制しようなどという感性は備わってはいない。

今、ここで気が付いた。

ディアナの感性、ディアナの世界が湧き上がる泉の正体。

それは、好奇心。


ゆっくりと扉のノブを捻った。




「ふあぁー。」


開け放たれた扉から広がる光景を目にした瞬間、思わず口から漏れ出たのは、感嘆と、驚愕が入り交じった、複雑な感情だった。


それは国王の城の庭とは思えない程に荒れ果てていた。


否、手入れをしていないと言うべきか。


うっそうと下草が生い茂り、背の高い木々が視界を遮った。


扉を通り抜け、数段の低い階段を降りると、そこはもう森の中だった。




(す、すげぇ。なんだべ?ここは。)


足元のリンドウの花が、小さく揺れる。

その場に立ち尽くし、ディアナは森の中に目を凝らした。

道らしきものはなんとなく見える。

そこだけ下草が踏み分けられ、畦道のようになっている。

そしてその道の先には、何か、何かが見える。

なんだろう?

分からない。

森の奥で光が反射しているように見える。

その光の更に奥。

そこから先には、何もない?

うっそうと繁る木々が見えない。

しかし、その先には・・・。


ディアナが一歩、踏み出そうとした。


「行っては駄目よ。」


思ってもみない突然の声に、ディアナの心臓は跳ね上がった。


「行ってはいけない。」


再び、声がディアナを引き止めた。


ディアナの足は素直にその言葉に従った。

聞き覚えのあるこの声の忠告に従ったわけではない。

従ったわけではなく、ディアナが選んだのだ。

声の主は分かっている。

ディアナは、ゆっくりと、背後に振り返った。


そこに立っていたのは、想像通りの女だった。


ボリュームのある銀色のアフロヘアー。

褐色の肌は、真っ赤に輝くタイトなマーメイドラインのドレスに包まれている。

数段高い位置に立つだけにその姿は更に大きさを増し、細く背の高いその体は、まるで樹木のような印象さえ受けた。

そう。

感情を持ち合わせていない、植物のような印象を。


ディアナは息を飲んだ。

壊れるんじゃないかと思うほどの緊張が体中を支配するのが分かる。

初めて味わう、恐怖を感じるほどの威圧感。

しかし、それでも背筋を伸ばした。


「こうして面と向かって会うのは初めてね。」


女の声が開けた空間にも関わらず、響き渡った。

凛とした低い声がディアナを襲った。


それでも、ディアナはその女から視線を逸らさなかった。


「はじめまして。ディアナ・メロ。」


目の前で厚い唇が動いた。

ディアナの目の前に立ったその女は、驚くほど背が高い、痩せこけた女だった。

唇から徐々に視線を上げ、小さな丸い鼻を通り、そしてディアナは見つめた。

長い睫毛に覆われた、黒く輝くその瞳を。


「はじめまして。スカーレットさん。」


 スカーレットは微笑みを浮かべると、ゆっくりとした足取りで低い階段を降り始めた。

ディアナの肩のすぐ側を、体温が伝わらんらんばかりのすぐ側を、スカーレットは通り過ぎた。


「あなたはここは初めてなのかしら?」


振り返りもせず、品のある優雅な声でディアナに問いかけた。


「はいだべ。」


はっきりとした声で答えた。

その声を聞いた途端、背を向けるスカーレットから息が漏れる音が聞こえてきた。


「いつも思うわ。何度来ても、ここは狂気に溢れてるわね。」


王宮の中庭に広がるのは、うっそうと繁る原生の森。

確かにその通りである。

何故、こんなものがここにあるのか。

理由はあるのか?

あったとして、何故こうする必要があるのか。

何も分からない。

分かるのは、それが正気の沙汰ではないということだけ。

スカーレットの言う通り、この森は狂っているように見えた。


「そうでしょうか?オラには、この森からは、とても暖かさを感じますだべ。」


ディアナ以外には。


スカーレットが振り返った。


「暖かさ?」


「はいだべ。この森は誰かを守っている。だから、ここにある。オラにはそう感じます。」


「・・・そう。」


自らに首筋に掌を這わせると、かしげるような仕草でディアナの顔を見つめていた。

鋭くはない。

それどころか、まるで大きな金槌がディアナを押し潰さんと襲いかかるかのような、そんな視線でディアナを見つめていた。


「やはり、あなたでは、ヴィクトリアの世界は広がらない。あなたにヴィクトリアは勿体ない。」


「スカーレットさん。」


あまりにも凶暴なその視線に怯むことは、ディアナはなかった。

むしろ逆だ。

その視線がディアナを輝かせた。

太陽の光を受け、夜空に輝く月のように。


「オラにヴィッキーは勿体ない。それはその通りですだ。オラには、ヴィッキーの腕に見合うだけの力はありません。」


「なら、手を引きなさい。あの子を使いこなせるのは私だけよ。」


「だけど・・・・。」


「・・・・だけど?」


「ヴィッキーはオラなんかいなくたって、いや、オラだけでねぇ、誰かがいるからヴィッキーなわけではねぇ。使うとか使われるとか、そんなん違う。ヴィッキーはヴィッキーです。」


「ならば余計に手を引きなさい。あなたがヴィッキーの足枷になるのよ。」


「オラも・・・・。」


そこまで言うと、ディアナは呼吸を止めた。

何かを飲み込むように。

しかし、視線だけはスカーレットを捉えていた。


「言いなさい。」


スカーレットの視線がディアナに襲いかかる。

ふたりの光が、互いの間で大きな輝きを放つのを、


ヴィッキーはしっかりと見ていた。


「オラも・・・・。」


ディアナの背に、そっと手を当てた。

優しく、撫でるように。

その温もりがディアナの背中を、強く後押しした。


「オラも、オラです。」


「そうよ。あたし達は、誰かのお陰でここにいるわけじゃない。」


ヴィッキーはディアナの隣に並ぶと、スカーレットに視線を向けた。

まっすぐと。

今だかつて、こんなまっすぐにスカーレットを見据えたことなどなかった。

しかし、今、初めて、ヴィッキーはスカーレットを直視した。

それは、スカーレットの放つ大きな光を受けるだけのヴィッキーではなく、自らが大きな光を放ち始めたから。

だからこそ、直視することができた。


「スカーレット。」


ヴィッキーがその名を呼んだ。


「なにかしら?」


「あなたには本当に感謝している。だから、あたしは、あたしの全てを、あなたにぶつける。」


スカーレットの顔から笑みが消えた。


「いいわ。来なさい。」


スカーレットの足が動いた。

ゆっくりと歩みを進めると、ディアナとヴィッキーの間を割るように通り過ぎ、低い階段を登っていった。

階段を登りきり小さな扉を潜ったところで、壁に背中を預けて腕組みをするルチルの姿を見付け、ふと歩みを止めた。


「もう一度聞くわ。あなた・・・。」


首を捻るルチルと視線が絡んだ。


「なんなのかしら?」


その声には憎悪すら感じられた。

しかし、ルチルはうっすらと笑みを浮かべるだけで、すぐに視線を外してしまった。


「何度聞いても同じだよぉ。私はねぇ、なんでもないし、誰でもない。」


「ふん。」


ルチルの言葉をスカーレットが鼻で笑った。


「どこの誰かも知らないあなたが本当の悪夢だなんて、夢にも思わないわね。」


赤いドレスの裾をたなびかせ、スカーレットは階段の脇をすり抜けると、玄関ホールへと消えていった。


ルチルの隣には、いつの間にかディアナとヴィッキーが並んで立っていた。

ルチルは小さな扉をゆっくりと閉めた。




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