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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
10/15

第八話 月の恋①

「いつもありがとうございます。」


 カウンターの上、大量の秋冬物を1着1着丁寧に畳みながら、ヴィッキーが言った。


「いえ、こちらこそ、とても助かっています。」


そんなヴィッキーの手元に視線を送りながら、その若い男は言った。

年頃は20代中盤くらい。

茶色い癖毛をオールバックに固め、そこそこの長身を仕立ての良い黒いスーツで包んでいる。

顔立ちは、まぁ普通だろう。濃い眉、眠たげな小さな目、小鼻の目立つ低い鼻。唇の脇には笑うとえくぼができる。

決して整った造りではないが、どことなく愛嬌のある、そんな男だった。


「使用人全員分の服を用意するのに、こちらのお値打ち価格は本当に助かるんです。」


「お役に立ててなによりです。」


ヴィッキーは下を向いたまま、一心不乱に服を畳むだけだった。



 【創世記】の舞台衣裳を手掛けたメゾン。そして、女優のメリッサ・エトオ御用達のメゾンとして、サロン・ド・メロの名は一気に街中に轟くこととなった。

それと同時に客足も爆発的に増え、既にディアナ達3人では運営しきれない程に店は繁盛していた。

また、それだけ繁盛すればおのずと商品も足りなくなるわけで、3人は現行の増産、新作の製作に追われることにもなった。

この頃にはサロン・ド・メロは人を雇うようになり、店の運営はルチルを中心に数名の従業員で行うようになっていた。


「あの、頭目。」


「はいなんでしょー?バイトAさん。」


「いや、アシュリーです。バイトAってやめてくれませんか?」


「アシュリーのA。」


「なんならバイトAの方が発音的に長くないですか?てかアシュリーって結構言いやすい名前だと思いますけど?」


「アシュリー・・・バイトA・・・アシュリー・・・バイトA・・・。」


「そんな考えるとこじゃないですから。」


「よし、バイトシュリー。」


「長いから!もっと長くなったから!しかも大して面白くもないですし!」


ルチルと、バイトシュリーは店の隅の方に固まりヴィッキー達を眺めながら、なにやらヒソヒソと小声で言葉を交わしていた。


「あの方はどなたですか?いっぱい買われるんですね。」


「あの人はねぇー、うちのオートクチュールの上顧客さんのお家の執事さんで、クローゼさんっていうんでぇす。定期的にあーやっていっぱい買ってくれるんだよぉ。」


「そうなんですね。」


背後の扉が開いた。


「ふぁー。やっと次のデザイン描き終わったべぇー。」


ディアナだった。


「を、ディアナシュリー。」


「ふぁ?」


「あ、頭目のことは放っといて下さい、ディアナさん。おはようございます。」


「今は昼間だべ?」


「お仕事の時はおはようございます。って言うんが普通だって何回教えたら分かんのぉー。」


「だっておかしいべぇ。」


ベージュのハイネックのニットワンピースの下には珍しくスキニーデニムを合わせ、黒いフラットパンプスを履いていた。

この数ヵ月で色々な経験を積んできたディアナも、少しずつ大人の階段を上がっている。

そんな雰囲気のする出で立ちだった。


一方のルチルは相変わらずディアナにコーディネートを選んで貰っているままだ。

なにも変わらない。

今日もお気に入りの水色のジャケットに、黒いスキニーパンツを合わせ、足元も白い編み上げブーツ。

いつも通りだった。


「あ、クローゼさん、今来てたんだべ?」


「そそ。」


「相変わらずヴィッキーはクローゼさんにはぶっきらぼうだべなぁ。」


カウンターで手早く服を畳むヴィッキーを眺めながら言った。


「あの、ハイセヘムスさん。」


無言で手を動かし続けるヴィッキーの態度に痺れを切らしたのか、クローゼが口を開いた。


「はい?」


クローゼの方を見もせずにヴィッキーは答えた。


「あの、今夜お時間ありますか?もし宜しければ・・・」


「いえ。今夜は仕事がありますので。」


「そうですか。」


「・・・・・。」


「では、明日の夜は・・・・」


「すいません。次のコレクションの準備で忙しくて。」


「そうですか。そうですよね。」


そんな会話が聞こえてきた。

アシュリーがルチルとディアナの方へと顔を向けた。


「なんか、ヴィッキーさん、あのお客様のこと嫌いなんですか?」


「どぅへへ。」


その言葉に、思わずルチルが笑い声をあげた。


「しっ!」


が、すぐにディアナにたしなめられた。


「うーん。逆だと思うけどねぇ。」


口を押さえながら、ルチルが小声で囁いた。


「え?でも、なんかお誘いも全部断ってるし。」


「んー。バカだからじゃないのぉー?」


「それは言い過ぎだべ。ちょっとバカなだけだべ。」


ルチルが吹き出した。


「でも、好きなようには見えませんよ?」


「まぁ、見た目だけだよねぇー。」


「んだべな。ヴィッキーが店に来るのなんて、今は月に何回かだべ?」


「はい。私が入ってから店では何回かしか会ったことないです。」


「その何回かは大体クローゼさんが来る日だからねぇ。」


「んだべな。しかもあの格好。」


ディアナがヴィッキーの服装を視線で示した。

いつもはこれでもかと言う程にフェロモンを振り撒く長い髪はまとめられ、珍しく被ったキャスケットの中に納められていた。

化粧もかなり抑えめで、あまり見ない丸い伊達眼鏡まで掛けている。

下半身こそ、普段通りの白いスキニーパンツを履いてはいるものの、上半身はゆとりのあるグレーのニット。ご自慢の凹凸のあるボディラインは鳴りを潜めている。

アクセサリーもかなり大人しいシルバーのリングピアスのみで、トレードマークの大きなネックレスもしていなかった。


「服装、ですか?そう言えばなんだかいつもよりも地味ですね。ヴィッキーさんって、男だったら無条件で声をかけたくなるようなセクシーなコーデが多いですもんね?」


「全身から滲み出るエロスが売りだからねぇ。」


「ってことは、それってやっぱり、あのお客様にそういう目で見られたくないってことじゃないんですか?」


「そうなんだけど、意図は逆なんだべなぁ。」


「え?どういうことですか?」


「あいつ天の邪鬼だからねぇー。気になってるからこそ、女として、よりもひとりの人として見てもらいたいと思ってるんじゃないかなぁ。ヴィクトリアとして。」


ちょうどその時だった。

全ての服の梱包を終えると、ヴィクトリアがカウンターの上に紙のショッパーを並べ始めた。

通常、サロン・ド・メロでは、お客様は店の入り口までお見送りするのが決まりとなっている。

しかし、ヴィッキーはカウンターの上にショッパーを並べたのだ。

それはすなわち、自分で勝手に持って帰れ、という意思表示にすら受け取れる行為だった。


「うわ。いいんですか?頭目。」


「うーん。やっぱバカかもぉ。」


クローゼがいくつも並ぶショッパーを一生懸命に腕に通し始めた。

しかしそれを手伝おうとする素振りもなく、ヴィッキーは口だけを開いた。


「いつもありがとうございます。」


「いえ、こちらこそありがとうございます。次はまた来月くらいに伺いますので。」


「はい。またお願い致します。」


無機質な声でそう答えたヴィッキー。

クローゼは、腕いっぱいにぶら下げたショッパーを重そうに運びながらヴィッキーに会釈をすると、店の入り口へと近付いていった。

すかさずディアナが入り口の戸を開いた。


「あ、すみません。メロさん。」


「いえいえ。いつもたくさんのお買い物、ありがとうございますだべ。」


「とんでもない。月に一度程度では大した貢献にもなりませんよ。本当はもっと頻繁に来られたらいいんですが。」


「そんな。こんなにたくさんのお買い物をして下さる方なんて他にはいらっしゃいませんべさ。」


「僕の服もここで購入できたら、もっと貢献できるんですが。致し方ないですね。」


クローゼがそんな台詞を発したとほぼ同時だった。


「はいはいはいはーい!それ、めっちゃいいアイディア!」


勢い良く手を挙げながら、ルチルが踊り出してきた。


「それ、採用しようよ。ねぇ?ディアナ。」


「ふぁ?」


いつも通りに空気が抜けきった返事を返したディアナに向かって、ルチルが満面の笑みを浮かべて見せた。

この顔をする時は、基本的には悪いことを考えている時だ。


「違ぇーからぁー。いやぁー、そろそろメンズも始めようかと思ってたところなんですよねぇー。」


「ふぁ?え?ふぁ?ふあー、ああー!そう!そうだったべぇー!そう言えばそんな話をし始めてたところだったんだべ!」


どうやらルチルが何を考えたのか、ようやく理解できたようだ。


「え?メンズも作るんですか?」


クローゼの表情が華やいだのが見て取れる。むしろ、手に取るように分かる。

あまりにも分かりやすく、その顔全体に大きな花が咲き乱れた。


「そーそー!やっとお店も軌道に乗ってきたんでぇ、段々と事業拡大?しようと思ってたんですよねぇー。」


「そうですだ、そうですだ。なので、クローゼさんに折り入ってお願いがありますべ。」


「僕に、ですか?」


「オラ達のメンズラインのお客様、第一号になって頂けませんですか?」


「僕が!?僕でいいんですか!?」


「是非ともお願いしたいですだ!」


「もちろんです。喜んで。」


ディアナとルチルは互いに目を合わせると、クローゼからは見えない位置で拳をぶつけ合った。


「そしたらぁー、折角の第一号ですしぃー、最初はオートクチュールでいきませんかぁ?」


「そうだべ!それがいいべ!」


「え!?オートクチュール!?いや、それは流石に・・・・。」


「あぁー、お代は別に要りませんよぉー。」


「いえいえいえ!だってオートクチュールと言えば、ミーナお嬢様のドレスの見積もりに立ち会いましたが、その、我々庶民には手が出るような金額ではありませんし、それをお代は要らないなんて。」


「じゃ、少しだけ頂きますよぉー。」


「うんうん。お気持ちで頂ければ結構ですだ。」


「いや、それでも悪いですよ。」


「いいんです!オープンからずっとお世話になっているクローゼさんの為ですべ!」


「そーそー。是非とも作らせて欲しいんですよぉー。ねー!?ヴィッキー!」


ここだ。

ここしかない。

そんなタイミングだった。

カウンターの中で、上の空でディアナ達の会話を聞いていた、いや聞いていたのかも怪しい表情で立ち尽くすヴィッキーに、ルチルが声をかけた。


「・・・・・・。」


返事がない。

しかし目は開いている。

若干、焦点が合ってない気もするが、どうやら意識はありそうだ。


「はいはいはーい。」


そんなヴィッキーの様子を見兼ね、ルチルはカウンターに回り込むと、入り口までヴィッキーの肩を押した。


「つーわけで、いいだべ?」


呆けたままクローゼの前に立つヴィッキーの顔をディアナが覗き込んだ。


「・・・・・うん。」


「はい決まりぃー!んじゃクローゼさん、採寸したいんでぇ、長い時間取れる日を教えて下さいねぇー♪」


クローゼの足取りは驚くほどに軽かった。

大量のショッパーなど気にする様子もなく、まるで羽が生えたかのように軽やかに店を後にした。

そして残されたヴィッキーは、


「え?」


ただただ呆然とするだけだった。





 そして迎えた週の中日の午後。

晴れが多いこの街にしては本当に珍しく、どんよりとした雲が空を覆っていた。

執事という仕事柄、決まった休みの取れないクローゼの数少ない休日に、採寸を行うアポイントメントを取っていた。

約束の時間は午後14時。

その日のヴィッキーは朝からソワソワしっぱなしだった。


「あ。あたし、今夜の夕食当番だったわ。ちょっと食材買いに行って来るから。」


「いやいや、帰りに買えばいいからぁー。今出たら帰ってこないでしょーがぁ。今行く必要ねぇからぁー。」


「そう言えばまだサンプルが仕上がってないのあったんだった。」


「いやいや、それ、昨日やってたべ?ちゃんと終わってたべ?」


「あー、なんかお腹痛いかも。ちょっと出掛けられないかも。」


「よーっし。特性の痛み止め煎じてあげるから気にすんなぁー。そーゆーの大体気持ちからだから気にすんなぁー。」


「あっ!今日ひょっとしてお店忙しいんじゃない!?お店出た方がいいんじゃない!?」


「今日は3人も出勤してるから平気だべ。ってか、今日は見越して厚めに組んであるから平気だべ。」


事あるごとにグズグズ言うヴィッキーを何度も何度もなだめすかしつつ、ディアナとルチルは納屋を後にした。

街を行く間も延々と駄々をこねるヴィッキーを引きずるように歩き、黒のパンツスーツに身を固めた3人は、遂にクローゼの住むビルヒルで一番大きな集合住宅。

その前に設置された小さな広場に立ったのだった。


「いや、ちょっと、私、どっか痛い。無理。」


「うるっさいなぁー。ここまで来たら腹を括る!女でしょーがぁ!」


「むり無理無理無理無理無理むり!!」


「そーだべ!女は度胸!これ世界の常識だべ!」


「無理むりむりむりむりむり無理!!」


この期に及んで未だに煮え切らないヴィッキーを、ふたりは無理やり押さえ込むと、集合住宅の入り口へと足を踏み入れた。


 流石は富豪の第一執事である。

クローゼの部屋は、この4階建の集合住宅の最上階。ペントハウスと言うべき高層に位置していた。

厚い木材に金属の縁取りがされた重厚な扉に備え付けられたノッカーで戸を叩くと、すぐに中からクローゼが顔を出した。

ふむ。いかにもクローゼらしいと言うべきか。

いつもとは違って癖毛を固めてはいないが、綺麗に櫛が通されて清潔感が漂っている。

身なりも清潔そのもの。

白いボタンダウンのワイシャツの上にグレーのセーターを着込み、その下にはベージュのストレートパンツ。

どこからどう見ても好青年だ。


「お待ちしておりました。どうぞ、お上がり下さい。」


「遅れてしまってすみませんですべ。」


「いえいえ、僕も先程まで家の用事でたて込んでいたところですので。」


そう言って通された部屋は、男の独り暮らしとは思えない程に綺麗に整理され、清掃も行き届いていた。

細く短い廊下を抜け、リビングに足を踏み入れると、特に変わったところはない一般的な調度品が並べられている。

が、部屋には埃ひとつ見当たらない。

よほど入念に掃除したのだろう。

一目見ただけで察せられた。


「どうぞ、お掛け下さい。今お茶をお入れしますから。」


壁際に付けられたテーブルの椅子を引いてから、クローゼは併設するキッチンへと移動すると、戸棚から茶箱を取り出してから、ゆっくりと、しかし無駄のない動きでポットに茶葉を移し替えていた。

その優雅な手付きに見惚れながら、ディアナとルチルは対角線上に腰を落ち着けた。


「早く座るのぉー。」


そして、立ち尽くすヴィッキーの裾を引っ張って自分の隣に座らせた。

程なくして、ティーセットをテーブルに用意し終えたクローゼはディアナの隣に腰を下ろした。


「えっと、では早速ですが、」


頂いたお茶に口を付け、それからディアナはキャンバス地のトートバッグからスケッチブックを取り出すと、テーブルの上に開いた。


「前々から色んな雰囲気のメンズのお洋服はデザインしてるんだべが、せっかくのオートクチュールですんで、クローゼさんのご希望をお伺いして、そっから新規でデザインを起こしたいと思いますだ。」


「希望、ですか?いえ、生憎とそういったお洒落というものには疎くて。」


「お洒落だけでなくともいいんです。例えば、動きやすい、とか、なんでもいいんですだ。」


「そうですね。動きやすいのはありがたいです。でも、お恥ずかしいことですが、それくらいしか思い浮かびません。」


「まぁさ、デザインの細かいところはぁー、ディアナと、後はヴィッキーが一緒に考えてくれますからぁー。気にせずに思いついたこと言って下さいなぁー。」


言いながら、テーブルの下ではルチルの指がヴィッキーの腿を突っついているのをクローゼは知らない。


「え?あたし?」


「そうだべ。」


「宜しくお願いします。」


クローゼが深々と頭を下げた。


「は、はい。」


「んじゃ、まずは全体の雰囲気からいくべさ。よくよく考えてみれば、メンズのデザインはレディースに比べるとかなり幅は少ないんだべ。」


「そ、そうね。基本はパンツスーツスタイルかしら?」


「だべな。クローゼさんのタイプからして、あんましアバンギャルドなデザインは合わなそうだし、あっても着ないですべ?」


「そうですね。あまり派手なものは・・・。」


「だったら、やっぱり、シックで格好いいものに、少しアクセントを加えるのがベストだべ?」


「そう、そうね。ベーシックなのが一番良いと思うわ。だけど、マテリアルだけは最上級の良いものを使って、質とディテールで差を出すのがいいかもしれないわね。」


思いの外、ヴィッキーはスムーズに話し始めた。

やはり仕事が絡めば素直になれる。

思惑通りだった。

それを確認すると、ディアナにもルチルにも、若干の安堵が生まれていた。


「じゃあ、やっぱり色は黒がいいべな。」


「そうですね。黒でしたら、多少は変わってても気兼ねなく着られそうです。」


クローゼも楽しそうだ。


「クローゼさん、背が高いくてスタイル良いからぁ、ショート丈のジャケットとかいいんじゃなぁい?」


「あんた話し聞いていたの?奇抜なのはダメって言ってるでしょ。」


「え!?奇抜!?だって、ほらぁ。」


ルチルが自分のジャケットの裾を摘まんで見せた。

ルチルのジャケットは、そのスタイルを存分に活かすために短い丈が採用されていたからだ。


「レディースとメンズじゃ違うのよ。メンズの長身を活かすならロングね。普通なら腿か、膝上くらいがいいけど、せっかくだからふくらはぎくらいまで長くてもいいわね。」


「襟元もあんまし普通の形じゃ面白くないべ。」


「よっし。じゃあー、大きな襟にしよぉーう。」


「いや、それじゃオーバーコートと変わんないじゃないの。あくまでもジャケットよ。」


「え!?」


「そうだべなぁ。細い襟がいいんだべが、んー、こんなんどうだべか?」


ディアナがスケッチブックに色鉛筆を走らせた。

細い襟の切り返しの部分を境に、右側が赤と紫

に、左側が紫と青。

色違いに重ね合わさるような絵を描いた。


「あらやだ。殺意格好いいじゃないの。」


「本当ですね。僕もこの色は好きです。」


「んでね、この右の襟の裏側には青と紫の布を貼っておいて、右を中に伸ばすと、青と紫の帯が見えるようになるんだべ。寒い時とかはそうするんだべ。」


「やばいわね。それ、いいわね。」


「そうですね。」


「んじゃーさ、んじゃーさ!この同じ色をポッケにも付けたらいいじゃん!?左右で青と赤とさ!」


「それじゃ子供っぽすぎるわ。」


「えぇー!?」


「ルチル。悪いんだべが、黙っててくんろ。」


「っ!?やだやだやだ!私だって真面目に考えてんのにぃー!」


「ルチル。真面目に考えようと、ルチルがセンス無いことに変わりはないんだべ。」


「何その冷ややかな視線!!」


「皆さんは本当に仲が良いですね。」


「この状況のどこを見てそんな感想が生まれんだぁー!!」



 それから話し合うこと、小一時間。

ルチルを除いた3人の意見交換により、ついにクローゼのための初めてのメンズオートクチュールの全容が浮かび上がってきた。

襟元にアクセントを置いた黒いロングジャケット。

それに合わせるインナーは黒いスタンドカラーのカットシャツ。

そしてくるぶしが見える9分丈の、アクティブな印象を与える黒いパンツに決まった。


そしてここまでには、既にヴィッキーもフランクな態度を取り戻し、いつも通りのヴィッキーと言える状態であった。


(よっし、んじゃ、あれ、行きますかぁー?)


その様子を見たルチルがディアナに目配せをした。


(はいだべ!)


ここからが本番だった。


「それじゃ、採寸しますだべ。」


トートバッグから取り出したメジャーを乗せたスケッチブックを、ヴィッキーの前に滑らせながら言った。


「え?」


明らかにヴィッキーの声に戸惑いが生まれた。


「いや、あたしよりディアナ、やってよ。」


「何言ってるべ。採寸はパタンナーのお仕事だべ?」


「そ、そうだけど。」


そうだ。

目的はこれ。

ふたりの距離が、物理的な距離が最も近くなる作業行程のひとつ。

クローゼにオートクチュールを作るというアイディア自体が、この行為を行うために提案されたと言って過言ではない。


(どぅえっへっへぇー。)


策士ルチルここにあり。

恋のキューピッドすらもお手の物だ。


「ほいじゃあ、ええっと、お隣のお部屋が寝室ですかぁー?そっちのお部屋で採寸しましょーかぁー。」


「ですだべな。」


「ここでいいじゃない。」


「ダメダメぇ。正確に採寸するなら下着にならないといけないしぃー。私達が見てたらクローゼさんも恥ずかしいでしょー。」


「ですだべな。」


「ですだべな。って、あたし達は仕事で来てるんだから、クローゼさんだって恥ずかしいことないでしょ?ねぇ?」


「ええと、下着になるんですか?」


「ですよねぇー?いくら洋服のためとは言え、女3人に囲まれてたら恥ずかしいですよねぇー?」


「それは・・・そうですね。」


「ですだべな。」


「あんたさっきからそればっかじゃないの!クローゼさん、平気ですよ。あくまで仕事なんですから。」


「は、はい。そうですよね。」


「ダメダメぇー。やっぱり恥ずかしそうだから、お隣の部屋で!はい、決定ぃー。」


「ですだべな。」


「いや、平気よ!恥ずかしくなんてないわ!」


「そこはヴィッキーが決めるとこじゃないからなぁー。」


「ですだべな。」


「お客様の気持ちを察するのもプロのお仕事でしょぉー?」


「ですだべな。」


「そ、それは、そうだけど。」


「ですだべな。」


「その、ですだべな。は意味が分からないわ!!」


「もーいーからぁー。はい、さっさと採寸しよぉー。はい、始めぇー。」


ようやく話がまとまった。

ここに辿り着くまでの時程にはヴィッキーの抵抗は少なく、比較的スムーズと言えた。

それにしても気難しい女だ。

まずはクローゼを寝室に促し、そしてメジャーを首に下げたヴィッキーもその後に続いた。

続いたと言うよりは、『続かせた』だが。

足を踏ん張るヴィッキーをふたりが無理やり部屋に押し込んだ。

という構図に見えなくも、ない。

むしろそっちが正しいかもしれない。

まぁ形はどうあれ、とりあえずの計画は順調と言えた。


「はい!じゃ、ごゆっくりぃー!」


ルチルは扉を閉めると、ディアナに視線を送った。

ディアナが小声で囁いた。


「やったべな。」

「んじゃ、予定通りしばらくしたら私達はずらかるかんねぇー。」

「帰る用意しとかねば。」

「どぅへへ。流石に寝室にふたりきりじゃ、ヴィッキーも素直になるでしょー。」

「ひゃあー。大人の世界だべぇー。」


中に聞こえないよう声を潜めそんな会話を交わし、扉から離れようとした瞬間だった。


大きく扉が開け放たれた。


「ぐえっ!」


そのあまりの勢いに避けることもままならず、木戸は思い切りルチルの鼻っ面を捉えた。

よろめくルチル。

しかしそんなことには構わず、扉の中から飛び出してきたのは、


「ヴィッキー!?」


ディアナは思わずその名を呼んだ。

扉でルチルを突き飛ばしたヴィッキーは、ふたりには目もくれずに玄関へと走っていくと、そのままクローゼの部屋を飛び出した。


「え!?」


ディアナが寝室を覗き込んだ。

そこには驚いた表情で立ち尽くすクローゼの姿があるだけだった。

無論、服は着ている。

扉を閉めてからほんの数秒間。

ルチルとディアナが短い会話を交わしただけの時間しか経っていないのだ。

クローゼが何かをしたとは考えにくい。


「ディアナ、残って。採寸進めて。あいつブッ飛ばす!」


大きく仰け反ったがバランスを保ちなんとか踏ん張ったルチルが、鼻を押さえながらディアナの二の腕に手を置いた。


「分かったべ!」


その返事を聞くや否や、ルチルも部屋を飛び出した。


通路に出て周囲を見回すもヴィッキーの姿は見当たらない。

しかし、階段ホールの方からヒールが床を叩く音が聞こえてくる。

ルチルは螺旋階段の下を覗き込んだ。

いた。

走って階段を下りるヴィッキー。


「ヴィッキー!」


その名を呼んでも、彼女は止まらなかった。


(なんなの!)


心中で毒づきながら、ルチルは1歩飛ばしで階段を下りた。

1階に辿り着き、ホールを見渡す。

朝から雲行きが怪しかった。

滅多に無い、大粒の雨が石畳を濡らしているのが分かった。

階段ホールのすぐ外。

小さな広場にヴィッキーの姿を見付けた。


激しい雨に打たれ、地面に跪くヴィッキーの姿を。



「ヴィッキー!?」


降りしきる雨の中、ルチルはヴィッキーに駆け寄った。


「ヴィッキー!どうしたの!?」


顔を押さえ、まるで祈るかの如くひれ伏すヴィッキーの脇に回り込むと、両肩を抱えるようにしてその顔を覗き込んだ。


「だめ。やっぱりだめ。だめよ。」


呟きが漏れ聞こえてきた。


「どした?何がだめなの?」


雨じゃない。

それはすぐに分かった。

必死で押さえる顔の隙間から、水滴が流れ出ていた。


「やっぱり、だめなのよ。あたしじゃだめなのよ!!」


「ヴィッキー?」


「あたしにはそんな資格ない。あたしは、あたしは・・・・。」


「・・・・ヴィッキー。」


「あたしなんかには、ないのよ!!」


悲痛な叫びがルチルの頭を貫いた。


「そんなことない。そんなことないよ。クローゼさんは本気でヴィッキーのこと好きだよ?ヴィッキーもクローゼさんのこと、好きでしょ?」


「そうよ。あたし、好き。本当に好き。初めてかもしれない。こんなに男の人を好きになったの、初めて。」


「だったら・・・・。」


「怖いの!怖いのよ!」


「怖くなんかないよ。ヴィッキーは素敵だよ。」


「違う!あたしはそんな人間じゃない!きっと、あの人が、あたしのこと知ったら、きっと、軽蔑するわ。」


「そんなことない!」


「そんなことあるのよ!

あたしは汚れている。汚れてるの。あたしの心はスカーレットしか知らない。ずっとずっと、スカーレットしか知らない。どんなに拭おうとしても、落ちないの。」


「・・・知ってる。」


ヴィッキーの瞳がルチルを捉えた。


「なんで?」


「ヴィッキーと会ってすぐ、分かった。」


「どうしても、どうしても、拭えない。あたしは、あたしが女だって証明が欲しくて、だから、何度も何度も確かめようとした。だけど、だけど、どうしてもだめ。汚れたあたしの体は、あたしの言うことを聞いてくれない。怖いの。こんな汚れたあたしが、誰かに愛してもらえるはずなんてない。あたしは、人に愛してもらう資格なんてない。こんな汚れたあたしじゃ、人を愛する資格なんてないのよ!!」


「そんなことない。そんなことないよ。」


ルチルは覆い被さるよう、その小さな背中を抱き締めた。


「あたしだって思いたいよ。思いたいけど、でも、今日、分かった。やっぱり、あたしは、あの人に相応しい人間じゃない。」


「そんなことない。そんなことない。そんなことないよ!」


「笑っちゃうわ。部屋にふたりきりになった途端ね、体中の血が凍ったみたいになっちゃったの。気が付いたら飛び出してた。スカーレットが笑うの。頭の中で、笑うの。」


「・・・ヴィッキー。」


「ルチル。あんたとディアナには心から感謝してる。だけど、あたしはこんな人間なの。だからもう、諦めて。」


「ヴィッキー。あんたの気持ちは分かった。もう無理させない。だけどね、私はあんたを諦めたりはしない。絶対に。」


強く抱き締めた。


「あんた、バカね。」


ヴィッキーの手がルチルの手を握った。



 降りしきる雨の中、ヴィッキーを支える様にして、ルチルは集合場所を後にした。

そんなふたりの背中を、窓辺からクローゼが見つめていた。


「ディアナさん。今日は、あなたもお帰りになった方がいいです。」


そんなクローゼの脇から、ディアナもふたりの姿を見つめていた。


「・・・・はいだべ。」


リビングのテーブルに置いてあるバッグに道具をしまうと、ディアナは重い足取りで玄関へと向かった。


「クローゼさん。」


ふと足を止めると、ディアナを送るために、後ろについていたクローゼに向き直った。


「ヴィッキーのこと、嫌いにならないで下さい。」


「はい。今日、彼女のこと、もっと知りたくなりましたから。」


クローゼに借りた雨傘を持ち、ディアナは急ぎ足で集合住宅を後にした。


ずぶ濡れになったふたりに追いつくと、ディアナはふたりの頭の上に傘を掲げた。

高く、力強く。


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