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サロン・ド・メロ  作者: ロッシ
1/15

第一話 田舎から来た少女

それはそれは美しい動きだった。


 大きな水色の上着をテーブルに広げ、次々とステッチをほどくと、パターンを乗せてテイラーチョークで線を引く。

その線に沿って躊躇無くハサミを入れると、水色の上着は驚くほど真っ直ぐに切り裂かれ、上着だったそれはただの布切れに変わっていった。

その手際に一切の迷いは無い。

少女は切り分けた布を取り上げると、それを簡単な仮縫いで形を整えてから、女に袖を通させた。


「うん。ぴったりだべ。」


 今度は女の周りをぐるりと回ると袖口、襟元、そして胸元に指を這わせた。


「ここがいいべ。」


 言いながら仮縫いされた上着を剥ぎ取ると、再びテーブルの上に広げた。

それから残った布を手に取ると、何やら端を折ったり重ねたりしながら弄んでいたが、しばらくすると目を閉じたまま動かなくなった。

 女はその様子をしばらく眺めていたが、あまりにも長い静寂に飽きを覚えたのか、席を立つとカウンターに移動してコーヒーを淹れ始めた。



 少女が訪れて来たのは、その日の朝早くの事だった。

まだ朝靄の立ち込める、世界が眠りを貪っているような朝早くの事だった。

初めてこの街に足を踏み入れるその少女は、右も左も分からず、自分が目的の場所に辿り着くにはどの程度の時間が掛かり、いつ頃到着するのかすら皆目見当がついていなかった。

当然この店の店主もまだ寝ているだろう。

そうは思うが、何分、少女にはこの水の都に頼るべき場所もなかった。

その朝は、この島にしてはそれなりに冷え込んだ日だった。と言っても、元より温暖なこの島にしては、だ。

島の住人にとってみれば肌寒いくらいの、さして気にもならない程度の冷え込み。

しかし、熱帯に位置する密林の国からやってきた少女には相当に堪える寒さだった。

街が目覚めるまでの数時間をどこで暖を取るべきか、少女は途方に暮れた。

ただ暖を取るだけなら問題はなかった。

が、ひとつの問題が少女を襲った。

冷えからくる生理現象。流石にそれに抗うことは出来なかった。

しばらく我慢してはみたもののそれも長くは続かない。

少女は思いきって、古ぼけた木戸を叩いた。


ガンゴンドン!!


常識では考えられない程に力強く。

見方を変えればそれくらい迄に追い込まれてたとも言えるが、それにしてもあまりにも非常識なノックだった。


ガチャガチャガチャ!

ガチャ!

ガチャガチャ!

ドンドンドン!!

ガチャ!


真鍮製のノブを回し、戸を叩き続けること数分。

軋んだ音と共に、ドアが勢いよく開いた。


「うるっせぇー!!こんな朝っぱらから、ガンガンガンガン!ご近所さんと私に迷惑でしょぉがー!どこのどなた様ですかこの野郎ぉー!!」


顔を覗かせた女が怒鳴り散らした。


「ひゃぁー!ちょっとお手洗い貸して欲しいだべぇー!!」


怒り心頭の女には目もくれず、少女は扉の隙間から室内へと滑り込んで行った。


「うわ!不法侵入!」


女が声を上げた頃には時既に遅し。

少女の姿はカウンター脇にある扉の中へと消えて行った後だった。




「ふぅー、助かったべぇー。まさか17にもなって人としての尊厳を失う危機を迎えるとは思ってもみなかったべ。」


 ハンカチで手を拭きながらドアから出てきた少女の顔は、憑き物が取れたかのように晴れ晴れとしていた。

が、それも一時の幸福でしかなかった。


「くるぁ。」


唸るような声を漏らした女が、仁王立ちで少女が出てくるのを待っていたのだ。


「あ。この度は危ないところを助けて下さって本当にありがとうごぜぇました。」


言いながら少女は女の手を取り上げると、しっかりと両手で握り締めて頭を深く下げた。


「濡れてるし!ちゃんと拭けし!」


女は握られたままの手を引っ張ると、店内に5つある丸テーブルのうち手近にあるひとつの椅子に無理やり少女を座らせた。


「なに?あんたなに?どこのどなた?なんでこんな朝早くからトイレ借りてんの?てかなんで勝手にトイレ借りてんの?」


少女の鼻先に指を突きつけると早口で捲し立てた。


「あのぉー、ここ、旅人の酒場で合ってますでしょーか?」


「いや、おかしい。質問してるのは私だったはずなのに、いつの間にか質問されてる。おかしい。なんでこうなった?」


「ちょっと、オラの質問に答えて欲しいんだべ。人の質問には快く答えるのが良い人だと学校で習ったべ。ちょっとそこに座るべ。」


「え?あ、ああ、すいません。」


少女に促され、女は向かい合わせになるように椅子に腰を下ろした。


「ここは旅人の酒場で間違いないだべか?それとも違うんだべか?」


「いえ、旅人の酒場です。」


「やっぱり。それで、あなたはここのご主人さんだべか?それとも従業員さんだべか?」


「はい、私が旅人の酒場の主人です。」


「やっぱり!オラの目に狂いはなかったべぇー。」


言いながら、少女は両手を高く振り上げた。


「そしたら、オラ、お腹減ったっぺよ。何か美味しいものこしらえて欲しいだべ。」


喜んだと思えば今度は腹を指差しながら、腹の虫を鳴らしてみせた。

なんとも器用な少女だ。

が、これは失策。

女の方もそこまでバカではなかった。


「ちょっと待てぇーっい!なんなの急に!叩き起こして、トイレ入って、説教したら今度はご飯!?」


「お金ならちっとはありますだべさ。」


「まだ営業してねぇからぁー!着替えるから外で待っとけぇー!」


 女は少女の首根っこを引っ張り上げると、店内を引きずるようにして出入り口まで連行し、まるで置物を置くかのような格好で扉の外にポンと放り出した。

よくよく見れば、女はあからさまな寝巻き姿で、黒い髪の毛もボサボサのまま。

完璧なまでに、さっきまで寝ていました風の装い。

まぁこれで怒るなと言う方が無理があるだろう。

扉は再び少女の行く手を固く阻み、おまけに中からは鍵の閉まる音。

少女は扉に背を預けると、まだ冷たい石畳に腰を下ろして空を見上げた。

密集する民家と民家の隙間からは、額縁で切り取られたような小さな朝焼けが少女を見下ろしていた。


「お腹減ったべぇー。」




 それからしばらくした頃、少女の背後の扉がゆっくりと開いた。


「ふがっ!?」


いつの間にか寝入っていた少女は支えを失い、勢い良く背後に転がった。


「寝る!?この短時間に!まだ30分も経ってないし!」


足元に寝そべる少女を見下ろしなが、女はこめかみを押さえた。



 少女は、女に出されたスクランブルエッグとトーストをミルクで流し込むようにして腹に納めていった。

一体どれ程の間、食事をしていなかったのだろうか?

心配になる程の食べっぷりだった。

 女はそんな少女の姿を改めてまじまじと観察していた。

茶褐色の肌。

伸ばした黒髪を左側でゆったりとした太めの三つ編みにして肩の前に垂らしている。前髪は額の高い位置で切り揃えられ、まるで人形の様だ。

ふっくらとした頬に形成された丸めの輪郭の中には、愛らしい小さな唇と、高くはないちょこんとした丸い鼻が陣取っている。

大きくて丸い目は茶色い瞳がその大半を占めており、まぁ美人かと言われればそれほどまでではないが、全体的に丸で構成された愛嬌のある顔立ちをしていた。

タートルネック気味のスタンドカラーの白いカットソーを纏い、同じく白いふわふわしたレースの膝下丈スカート。

その上にはベージュの柔らかそうな素材で仕立てられた、シングル襟のロングジャケットを羽織っている。

全体的に柔らかな装いだが、スカートから覗く肉付きの良い足先を包み込むヒールの低い黒革のオックスフォードによって、その印象は間延びせずにしっかりと引き締められていた。

一言で言えば、とてもお洒落な身なりだった。



「あー、美味しいべぇー。ほっぺが落ちるべぇー。昨日の夜から何も食べてなかったから、お腹ペコペコで死んでしまうかと思ったんだべ。」


「普通ぅー!すっげぇ普通ぅー!一般的な食事の間隔ぅー!」


 食事を摂り終えた辺りで、少女は自分がなめ回されるように観察されていることに気が付いた。


「あのー、オラの格好、何か変だか?」


「え?いや、別に。てか、あんた誰?」


「あ、ご挨拶が遅れました。オラ、ディアナです。ディアナ・メロ。密林の国から来ましただ。」


「ふぅーん。で、何しに来たの?」


「そうだ!ご飯なんて食べてる場合じゃなかったべ!

あのぉー、ここに来れば、どんな人も思いのままに仲間にしてくれるって聞いたんだべが、それは本当だべか?」


「あんだけがっついて食べてから言う台詞とは思えないねぇ。

なに?あんた、勇者なの?」


「いえ。オラ、村人です。」


「じゃあ仲間とか無理。ここ、勇者同士のマッチングをする為の場所だから。」


「えー?!それは困るべぇ。オラ、どーしても仲間にしたい人がいるんだべ。どうにかして会わせて欲しいんだべ。」


「んじゃ勇者になんなさい。てか、その人は勇者なんでしょ?勇者同士ならマッチングしてあげられないこともないし。」


「うんにゃ。町人だぁ。」


「話聞いてたかなぁ?」


「お願いだべ!オラ、どーしてもその人の力が必要なんだべ!このとーり!!」


言いながら、ディアナは真っ直ぐに腕を伸ばしてテーブルの上に上半身をへばりつかせた。


「よし。バカにしてんなぁ?」


「しとらん!断じてしとらんべ!」


「とにかく。あんたも尋ね人も勇者じゃないなら、私はお役に立てないからぁ。帰って。金払ってから。」


女が言い切るか切らないかのほんの一瞬で、女の膝にすがるようにしがみついていた。


「そんな釣れないこと言わないで、なんとかして下さいませぇー!」


「無理なもんは無理!データベースに入ってない人は無理ぃ!」


「そんなぁー!!」


ディアナは今にも泣き出しそうな声を出しながら、女の顔を見上げた。


 そこで初めて気が付いた。

女はとびきりの美女だった。

絹の様に艶のある、やや癖毛の黒髪を肩上まで伸ばして、前髪は中分けにしている。

白い透き通るような肌はキメ細かく、触らずともその滑らかさが分かるほどだ。

やや平面的な造形だが、睫毛の長い大きくてやや垂れた目には黒く煌めく瞳が納められている。

鼻筋も通り形が良く、小さめの小鼻と併せてとても均整が取れている。

薄めの唇にはうっすらと紅が乗り、細く華奢な顎と共に輪郭全体のバランスを美しく整えていた。

しかし、


「おねーさん、とってもダサいべ。」


しがみついたその膝に視線を落としながら言い放った。


「っな!?」


突然の一言に、女は発するべき言葉を失ったようだった。

だがそれは、寝巻きから着替えてきたはずにも関わらず、それとさして変わらない様相に対してのディアナの率直な感想だった。

 光沢のある淡い水色の生地をベースに、襟や袖に見たこともない文様が施された、かなりオーバーサイズの上着。スタンドカラーを最上部までボタンで留めている。

その下から見える足。

抱えた感じからして、かなり形の良い長い足をしているはずなのだが、それを包み込むのは赤と緑の大きなチェック柄のゆるゆるズボン。パンツやボトムスという言葉を使うことすらおこがましい程にダサい。

更に足元を彩るのは何故かそこだけ気合いの入ったヒールの高い、焦げ茶色のヌバック製ブーティー。

どこをどう取ってみても、色彩もボリュームバランスも全てがちぐはぐ。

女自身の素材の良さが無ければ、完全無欠にセンスの無いヘタれコーディネートだったのだ。


 ディアナの言葉を受け、女は自身の体と少女の体を交互に見比べた。

体型は女の圧勝だろう。

ディアナはお世辞にもスタイルが良いとは言えない。いわゆる中肉中背。

太ってもいないが痩せてもいない。顔の大きさも人並みだし、背だって女より頭半分くらいは低い平均そのものだ。

しかし、その完成されたゆるふわコーデは彼女の魅力を何倍にも引き立てている。

パッと見ただけで、誰しもが彼女を可愛いと言うだろう。

それに比べて自分はどうなのか?


「これ、ダメ?」


「0点だべ。あ、靴だけは60点。」


思わず女はテーブルに突っ伏した。


「おねーさん、クローゼット見せるだよ。オラが組み合わせを選んでやるべさ。」


言うや否や、ディアナはカウンターの奥にあるであろう、女の部屋を目指して歩き始めた。


「ちょっと!また勝手に!」


そんな抗議の声には耳を貸さず、ディアナは部屋の扉を開け放った。

部屋の中はシンプルそのものだった。

片隅に置かれたシングルベッドの枕元には小さな机。その脇には大きな本棚が置かれ、難しそうな本がところ狭しと並べられている。

他にはオーク材と思われる重厚なクローゼットと、その隣に置かれたあまり大きくない姿見が置いてあるくらい。

それ以外にはほとんど何もない、殺風景な景観だった。

ディアナはベッドと逆側に置かれたクローゼットの前に歩を進めると、その扉を勢い良く開けた。


「え?これだけ?」


思わずそんな言葉を発する程に中身の無い、見た目だけ豪華なただの木の箱でしかなかった。

中に掛けられていたのは、ハンガーに吊るされたスカートやパンツが数枚。

同じくブラウスやらカットソーが数枚。

その全てが何かしらの柄物だ。

足元の引き出しを開けるものの、そこには幾ばくかの下着が詰められているだけ。

他には何も入っていなかったのだ。


「なんで全部、柄なんだべ。」


ディアナは頭が痛くなるのを感じていた。

この世に生を受けてから17年間生きてきたが、ここまでセンスの欠片もないクローゼットを見るのは初めてだったのだ。


「無地なのは今着てる変な上着だけだべなぁ。」


「変って言うな!」


女はディアナの肩を引っ張りながら、急いでクローゼットの戸を閉めた。


「このスカートだけはそこそこ可愛いべ。」


振り返ると、ディアナの手にぶら下がっていたのは、女が一番気に入らない、買ってから一度も着たことのない青くて小さな花柄が散りばめられたフレアスカートだった。


「だ、か、ら!勝手に触るなぁー!」


女がスカートを取り上げようと手を伸ばした瞬間、ディアナはくるりと背を向けると、足早に店へと戻って行った。


「こら!」


ディアナを追って店に戻ると、少女は何やら自らの大きな革のボストンバッグの中を物色し始めているところだった。


「んー、これならいけるべぇ。」


そう言って鞄から取り出したのは燕脂色のレギンスだった。


「おねーさん、スタイルがいいだから、もっとラインを見せるべきだべ。とりあえずその変なパンツを脱いで、このレギンスを履くべ。このスカートはー、んー、も少し短くするべさねぇー。膝上10cmくらいが良いだべかねぇ。これ、リメイクしてもいいべか?

あと、トップスはどれも使い物にならないけど、今着てるやつをいじれば結構やれるかもしんないから、ちょっとそれも貸してくれないべか?」


女の手を取って無理やりレギンスを握らせた後、今度はスカートをあてがって足の長さを確かめている。

女はいよいよこの少女に付き合うのが面倒になってきていた。

ここまで話の通じない人間と話すこともそうそうあることではない。

ここは大人しくこの少女が気が済むまで勝手にさせておくのが得策なのかもしれない。

大きくため息をつくと、力ない声で返事をした。


「もうどーでもいい。好きにしてぇ。」


「任せるべ!」


その言葉に、少女の茶色い瞳が一気に輝きを増した。


「じゃあこれも借りるべよー。あと、採寸もするべ。ピッタリの大きさに作り直してやるだからな。」


女の肩から上着を剥ぎ取りながら、声を弾ませていた。



 水色の上着と花柄のロングスカートをテーブルの上に広げたあと、ディアナはボストンバッグとは別に持っていた、取っ手付きの木の箱を持ち上げると、服の隣に丁寧に置いた。

まるでピクニックに行く時に持つ、弁当を入れる篭のような四角い大きな箱だった。

取っ手の下に付けられた両開きの蓋を開けると、中には色とりどりの糸が巻かれた筒がところ狭しと並べられていた。

箱は二重になっており、糸が並んだ上段を外すと、下段には裁断用のハサミや糸切りハサミ、三角形のチョークやらたくさんの針が刺さった針山が納められている。

女がその箱を物珍しげに眺めていると、ディアナが口を開いた。


「今気が付いたけど、なんで上着の下も柄物のシャツを着てるんだべ。てか、どんだけ柄が好きなんだべか。」


女は裁縫道具から自分のブラウスに視線を移した。

ついこの間、安売りの衣装屋で衝動買いした赤いペイズリー柄のブラウスだった。


「これを着るべ。」


手渡されたのは、なにやらテロテロした伸縮性のある素材で出来た、小さな黒いカットソーだった。


「え?こんな小さいの着れないんですけどぉ。」


「伸びるから平気だべ。さ、まずは簡単なスカートの丈詰めからだべ。おねーさんはその間にとりあえずその変なシャツを脱いでそれを着とくんだべさ。」


苦虫を噛み潰したような表情を見せる女を余所に、ディアナはスカートにハサミを入れ始めた。


 女がお気に入りの安物のペイズリーのブラウスを脱ぎ、カットソーに頭を通していると、なんとも心地よい音が聞こえてきた。

サァー。

見ると、ディアナがスカートの生地にハサミを入れる音だった。

驚く程大胆にハサミを走らせると、生地は抗うことなく、真っ直ぐに切り裂かれていく。

女も若干なら裁縫の心得はあった。

がしかし、ここまで綺麗に布を裁断することが出来るなどとは今まで知らなかった。

その手際の美しさに、思わず見とれてしまった。


 ものの数分でスカートは元の丈の半分の長さに変身を遂げた。

ディアナはハサミを置くと、ウエストを絞りながらまち針を刺していく。


「そうだった、採寸がまだだったべ。」


裁縫箱からメジャーを取り出すと、女の前にしゃがみ込み、腰のくびれに腕を回し始めた。


「えーっと、62、60くらいだべかねぇ。細い体して、羨ましいべぇ。んっと、下は95だべかね?おっ、正解。

ついでにバストも測っとくべ。手を上げておいてくんろ。上は、89と。」


口に咥えていた羽ペンをメジャーから持ち変えると、その数値をメモしていく。

それから肩幅や腕の長さ、二の腕回り、背中の長さを計測すると、同じようにメモに取ってから再び仕事に戻っていった。

計測した女の体型に合わせてウエストを決めると、遂に針と糸のお出ましだ。

リズムを刻むように生地を上下に動かし、真っ直ぐに固定した針に生地を溜めて、しばらくすると針を引き抜き糸を通す。

その動きを見ているだけで、女は自分の気分が少しずつ晴れていくのが自覚できた。


「あんた、上手だねぇ。」


「オラなんてまだまだだべ。」


ウエストを一周すると、糸を留め、余りを八重歯で噛み切った。


「はい!完成!」


ディアナは花柄のフレアスカートを女にかざして見せた。

先程までの少し野暮ったいロングスカートは華やかなミニスカートに生まれ変わり、ディアナの手の中で輝きを放っているかの様だった。


「ついでに裾にレースのフリルも付けてみたんだけんど、どーだべか?」


「え?う、うん。めっちゃ可愛い。」


手渡されたスカートを纏う為、女は一度自室へと戻ると、ゆるゆるのパンツを脱ぎ捨ててからレギンスに足を捩じ込み始めた。

体にピッタリと張り付くような感覚。

たくし上げるようにレギンスを履き終えると、新品のように輝くスカートのホックを留めた。

まるで自分の為にこしらえられた特注品の様に、スカートは女の体にピッタリと吸い付いた。

それもそのはず。

女の体に合わせて作り変えられたのだから。

部屋から出てきた女の姿を見ると、ディアナは満足そうな笑みを浮かべた。


「うん、思った通り。よく似合うべ。キツいとこはないべか?」


「うん。すごいピッタリ。」


「えがった。したらば、上着の方も作っちゃうだよ。」


次に少女がバッグから取り出したのは、大きな紙のようだった。


「急ぎだからパターンは使い回しで堪忍してくんろ。ちゃんとサイズの調整だけはするかんな。」


その紙を隣のテーブルいっぱいに広げると、別の切り分けてある紙を上に重ね、メジャーで長さを測る。

先程取った女の体の数値を確認しながら、定規と羽ペンで線を引き始めた。


「何してんのぉ?」


「おねーさんのサイズに合わせたパターンを作ってるだよ。これがねぇと綺麗な形に出来ねぇんだべさ。」


「・・・・へぇ。」


 もはやここまでくると女の理解を完全に超えた世界だ。

ディアナが何をどうしたいのか予測も付かない。

女はとりあえず椅子に腰掛けた。

実はこの時点で、店の開店時刻はとうに過ぎていたのだが、それすら気にもならないくらい、女にとっての非日常的な空間に引き込まれていた。


 大きな水色の上着をテーブルに広げ、次々とステッチをほどくと、パターンを乗せてテイラーチョークで線を引く。

その線に沿って躊躇無くハサミを入れると、水色の上着は驚くほど真っ直ぐに切り裂かれ、上着だったそれはただの布切れに変わっていった。

その手際に一切の迷いは無い。

ディアナは切り分けた布を取り上げると、それを簡単な仮縫いで形を整えてから、女に袖を通させた。


「うん。ぴったりだべ。」


 今度は女の周りをぐるりと回ると袖口、襟元、そして胸元に指を這わせた。


「ここがいいべ。」


 言いながら仮縫いされた上着を剥ぎ取ると、再びテーブルの上に広げた。

それから残った布を手に取って、何やら端を折ったり重ねたりしながら弄んでいたが、しばらくすると目を閉じたまま動かなくなった。

 女はその様子をしばらく眺めていたが、あまりにも長い静寂に飽きを覚えたのか、席を立つとカウンターに移動してコーヒーを淹れ始めた。

しばらく目を閉じていたディアナがおもむろに手を動かし始めた。

端切れとなった水色の生地を手に取ると、縦目に沿うように破ったのだ。

長い短冊を作るように、次々に手で引きちぎり、それをテーブルに並べていく。

残っていた布をあらかた破り終えると、今度はそれを放射状に並べて中心をまち針で留めた。

一体何をしているんだろう?

女はコーヒーをカップに注ぎながら、その手の動きを凝視し続けていた。

放射状に広がる布の反対側を中央に集めると、ようやく形が見えてきた。


「わぁ、お花だ。」


「おねーさん、お花好きだべ?花柄の服が多かったべな。これを襟に付けるべ。」


元の上着の襟から切り離した文様の布を丸くカットすると、それを中心に仮り留めし、出来上がった花をジャケットの左襟に乗せて見せた。


「か、可愛い。」


「気に入ったべか?したらば、仕上げちゃうべよ。」


それからは一心不乱に針を動かしていった。

ディアナが針を刺す度に、水色の布地を青い糸が繋ぎ止めていく。

完全に時が経つのを忘れる程に、女はその動きに魅入られていた。


 どのくらいの時間が経ったのだろうか。


「できた!」


ディアナが声を上げた頃には、窓の外は既に暗闇に支配されていた。


「さぁ、着るべよ。」


少女に促され、女は上着に袖を通してみた。

ダブルのジャケットではあるが、蘭の花ビラの様な形をしたとても大きな襟が、胸元に彩りを添えている。

そしてその襟に添えられたのは、掌くらいの大きさの愛らしい青い薔薇の花。

少しだけ先が広がった袖は手首に少し掛かるくらいで、先端には元の上着の意匠である文様が残されたままだ。

丈もウエストの一番細い部分にピッタリ掛かる程のちょうど良い長さ。

何より、腕回りも肩幅もバスト周りも、女の体の一部ではないかと思うくらいにピッタリと吸い付くような着心地だった。


「見るっぺ。」


ディアナが女の部屋から姿見を運んできた。


「うわぁ。」


感嘆の声を漏らしたきり、女は言葉を発することが出来なかった。

そこにかつてのダサい女の面影は無かった。

美しいボディラインが強調されたシルエット。

カラーバランスも見事としか言いようがない。

それを着こなす当人の素材の良さと相まって、そこに映し出されていたのは、完全無欠の美女の姿だった。


「す、すごぉーい。」


「これでちっとは見られるようになったべかなぁ。」


「すごいよ!何!?なんでこんなんになるの!?どんな魔法!?」


「魔法って、精霊術とかそんなんはオラ、使えねぇべよ。ただリメイクしただけだべ。」



「わぁー、すごいなぁ。すごいすごい。綺麗なお洋服ぅー。ねぇ、私、似合ってる?」


「すんげぇ綺麗だっぺ。羨ましいくらいだべ。オラもおねーさんくらいスタイル良かったら、そんなお洋服も似合うんだべなぁ。」


「ううん。ディアナもすごい可愛いよ。それに、すごい!天才!?」


「うんにゃあ。オラなんて本当にまだまだだべ。ヴィッキーならもっともっと綺麗に作れるべ。」


「ヴィッキー?」


「そう。オラの会いたい、憧れの人。」


「ふぅーん。それが仲間にしたいって人なの?」


「そうだべ。オラ、ヴィッキーにオラのデザインした服を作ってもらいたいんだべ。だから、おねーさんなら会わせてくれると思ってここに来たんだべさ。」


そこまで話した時、ディアナの腹の虫が大きく鳴くのが聞こえてきた。


「でへへ。お腹空いたねぇ。もう夜だもんねぇ。」


「たはは。お恥ずかしいべ。」


「待ってて。今、お夕飯作るから。」


そう言いながら、女はカウンター内の厨房へと移動して行った。


「そんなそんな!オラ、朝ご飯のお代もまだお支払していないのに。そこまでのお金は持ってないだべよ。」


「いいよ。お代なんて。」


「それは悪いべ。」


「んじゃこーしよー。お洋服のお礼。あと、ヴィッキーだっけ?その人、私が絶対に会わせてあげるよぉ。」


「本当だべか!?」


「うん。私、仕事に関しては嘘つかないからさぁ。」


「おねーさん!ありがとうごぜぇますだ!!」


貯蔵庫から取り出した野菜を切り分けながら、女がニッコリと微笑んだ。


「おねーさんじゃないよ。私の名前は、ルチル。」


「ルチルさん!」


「さんも要らない。ルチルでいいよぉ。」


「そんな、歳上の人に失礼だべ。」


「始めはそんなん言うようには見えなかったけどねぇ!」


「たはは。面目ないべ。」


「私ねぇ、あんたのこと気に入っちゃった。」


手早く野菜を炒めた後、ふたつの皿に分けると、肉を焼き始めた。

それからその肉を片方の皿の野菜の上に盛り付けてから、テーブルへと運んできた。


「わぁ、こんなご馳走、いいんだべか?」


「そんな大したもんじゃないからぁ。」


「ありがとうごぜぇます。ルチルさ・・」


そこまで言って、ディアナはルチルの視線に気が付いた。

ルチルは優しげな眼差しをディアナに向け、静かに首を横に振っていた。

この人は信じられる。

ディアナの直感がそう告げていた。


「ありがとうだべ。ルチル。」


「どーいたしまして。ディアナ。」


 ふたりはフォークを指に挟みながら手を合わせると、温かい食事を頬張り始めた。





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