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おねえちゃん

作者: 夜野 夏子

 僕の話は、そんなに怖くないかもしれません。僕自身怖いとは思ってなくて。でも、人に話すと気持ち悪がられる感じ。

 僕には、いわゆる「普通の人には見えない人」が見えてました。

 それがおねえちゃんです。


 おねえちゃんって言っても、別に早くに死んだ姉とか、僕が生まれる前に死産になった姉弟とかじゃなくて。たぶん血の繋がりはないと思います。僕は普通の顔なんですけど、おねえちゃんはちょっと美人でした。だから、初めて会ったときも警戒しなかったのかもしれません。


 おねえちゃんに最初に会ったのは、たしか4歳くらいだったかな。家から車で15分くらいのところにあるスーパーで迷っていたときのことです。スーパーっていうか、あの、大きくて色んな店が入ってるようなとこで……人も多くて、お母さんの手を離したらすぐに見失ってしまいました。

 ひとりぼっちで不安になりながら歩いて、見つからなくて泣きそうなときに僕の前にしゃがみ込んで笑いかけてくれたのがおねえちゃんでした。


 おねえちゃんは中学生くらいかな。セーラー服を着て、リボンは紺色でした。

 頭を撫でてくれて、手を繋いでくれて、あちこち歩きながらお母さんを一緒に探してくれたんです。結局お母さんは僕のことを忘れて帰っちゃったみたいで、おねえちゃんが家まで一緒に歩いてくれました。


 今思うと案内所に行かなかったし、なぜかおねえちゃんが自宅を知っていたし不自然だなって思いますけど、その頃は子供だったんで、ただ優しいおねえちゃんだなあって思いながら手を繋いでましたね。

 家に帰ったらお母さんが驚いて泣いて、お父さんも帰ってきてちょっとした騒ぎになって。それでいつの間にかおねえちゃんはいなくなってたんですね。心細いときに一緒にいてくれたので、もっと一緒にいたかったのにって僕も泣いた記憶があります。それが最初。


 それから幼稚園や学校の行き帰りでおねえちゃんを見かけるようになったんですけど、元気に過ごしているときにはあまり近付いてこなくて、手を振り合ったりするだけでした。でもお母さんと一緒にいる時にそういうことをすると怒られたので、こっそり手を振るようにしてましたね。


 またおねえちゃんが近くに来たのは、小学校2年生のときでした。家の2階で遊んでる時に、ふっと見上げたらおねえちゃんがいたんです。いつの間に来たんだろうって思ったんですけど、おねえちゃんはベランダを指差して早く出るようにと促しました。


 ベランダに出ると、何だか焚き火をしているような匂いがして、目がしみるような感じがしました。涙が出てくるので顔を擦っていると、おねえちゃんが更に僕を急かして手すりを超えるようにと教えたんです。そんなことしたことなかったので僕は嫌がったんですが、早く早くと急かされてクーラーの室外機に登って、ベランダの柵にまたがりました。


 そこで部屋を振り向くと、部屋から煙が溢れていて、ちらほらと炎が見えました。家が火事になってるんだとその時気付いて、急に怖くなって動けないまま泣いちゃったんです。

 隣の屋根が近かったんでおねえちゃんはそこに飛び移らせたかったみたいですけど動けなくて、しばらくするとおねえちゃんはそのまま行っちゃいました。おねえちゃんもいなくなって怖くて泣いていると、すぐに消防車が来て僕は助けられたんです。

 煙を吸い込んでいたんで病院には行きましたけど、僕は無事でした。その火事でお母さんが死んじゃったので、おねえちゃんは僕だけでも助けようとしたんだと思います。


 家が燃えちゃって、お父さんと僕はマンションに引っ越しました。マンションは新築で広い部屋で、お父さんは「お母さんからのプレゼントだ」と言ってました。お父さんは仕事ばかりしていてあまり喋ることが少なかったし、僕もお父さんも家事が全然駄目だったので最初は大変でしたけど、僕は時々家にも現れるようになったおねえちゃんに見守られながら一生懸命暮らしていました。


 まだ小学生で、洗濯や掃除は適当でも何とかなったんですけど、料理は流石に大変でしたね。

 相変わらずお父さんは忙しくて、平日も休日も日中は僕ひとりだけのことがほとんどでしたし、栄養バランスやレシピなんて全然わからなくて。当時はおねえちゃんが大人に見えてましたけど、制服からして中学生とか高校生だったからか、おねえちゃんも頼りになるってわけでもありませんでした。ひとりぼっちじゃないっていうのは心強かったですけど、おねえちゃんは手伝ってくれるわけでもなかったんで、毎日学校から帰ったら冷蔵庫の中を眺めて料理をしていたりしました。


 それが楽になったのは、火事から一年くらい経った頃だったと思います。

 夜、お父さんが帰ってくると、知らない女の人と一緒でした。お父さんの仕事で知り合った人で、名前は確か……ゆきさんとか、みゆきさんとかそんなんだったかな。髪が長くて香水の匂いがする人で、「おねえちゃんって呼んでね」と言われて困惑したのを覚えてます。僕にとっておねえちゃんはもういたのでどうしようか迷っていると、お父さんに嫌がっていると思われて怒られちゃったんですよね。だから、おねえちゃんじゃなくておねえさんと呼んで当時は僕なりに区別をつけていました。


 それからはその人が家に来ることが多くなって、買い物をしてきて夕食を作ってくれたんです。それから段々泊まることが多くなって、小学校を卒業する頃にはお父さんが「お母さんって呼びなさい」と言って、やっぱりその時も困って怒られました。僕にとってのお母さんは火事の中で死んじゃったお母さんのことだったし、そのおねえさんはお父さんが家にいるときといないときとで少し様子が違ってて。今思うと、お父さんのことが好きだったから、好きな相手にはよく思われたいと思ってたのかもしれませんね。


 おねえちゃんは最初の頃、家に人がいるとあまり出てこなかったんですけど、段々と人がいても同じ部屋にいなかったら来てくれるようになって、それから同じ部屋にお父さんやおねえさんがいても姿を見せるようになっていました。

 その頃には僕はおねえちゃんが普通の人間じゃないことがわかっていて、クラスメイトに話して気味悪がられたりもしたので誰かがいるときにはなるべく反応しないようにして、自分の部屋に行ったときにおねえちゃんと話すようにしていました。それでも、独り言なんてやめなさいと言われたりしましたけど。


 いつのまにか、おねえちゃんは家だけでなく学校の校舎にも入ってくるようになっていました。あとから気付いたんですけど、おねえちゃんは僕が落ち込んでいるときに出てくることが多かったんです。お父さんやおねえさんに怒られたときや、友達にからかわれたとき、転んで怪我をしたときとか。そういう時にいつの間にか近くに来て、おねえちゃんは励ますように笑顔を向けてくれました。


 だから、事故に遭ったときもおねえちゃんがいてくれたんです。

 ある日の夜、お父さんとおねえさんと3人で旅行に行くからと車に乗って出掛けたときのことでした。いきなり思いついたみたいで僕は眠くて、でも2人が仲良さそうにしているので水をささないようにと大人しくついて行きました。途中でお父さんがコンビニに寄ってジュースを買ってきてくれて、これでも飲んでいなさいと渡してくれたんですけど、半分も飲まない内にやっぱり眠くなっちゃって後部座席で横になって寝ました。


 随分深く眠ってたんでどれくらい経ったのかわからないんですけど、いきなり目が覚めたと思ったらおねえちゃんが顔を覗き込んでいて、起こされたんだなって思った瞬間、世界がひっくり返ったみたいに跳ねて何もわからなくなりました。事故に遭ったんだと気付く間もなくただただ衝撃に耐えて、けれどおねえちゃんの気配がすぐ近くにいたのでそんなに恐くはありませんでした。

 衝撃がなくなっても体が動かなくて、ずっとおねえちゃんがいて励ましてくれていなかったらきっと辛かったと思います。


 夜が明けて救助されてから知ったのは、お父さんが運転していた車が山道でスリップして、そのまま急な坂を転がっていったのだそうです。後部座席で寝転がっていた僕は最初の衝撃でうまく足元に転がったみたいなんですけど、お父さんとおねえさんは座っていたので衝撃で頭をぶつけてしまっていて、救助が来たときには息はなかったのだと教えてもらいました。


 お母さんだけでなくお父さんもいなくなっちゃってすごく悲しかったですけど、おねえちゃんがずっと側にいてくれたので少しずつ立ち直ることが出来ました。


 おねえちゃんが僕を守ってくれてるんだって気付き始めたのは、この頃からだったのかもしれません。

 両親がいなくなった僕を引き取った伯父一家が、マンションに引っ越してきて僕の部屋を奪って僕を苛めるようになったときも、おねえちゃんがいたから酷いことにはなりませんでした。伯父さんが海外に行くからと言って引っ越して次にやって来た叔母さん達も、僕を殺そうとして手が滑って自分を刺して死んじゃったんです。その時、おねえちゃんが僕の前に立って、まるで盾になって守るようにしてくれていました。


 だから、高校生になってから一人暮らしをするようになったときも、学校で変な奴だと虐められかけたときも僕は辛くありませんでした。僕の他には誰も見えないけれど、おねえちゃんがずっとついていてくれたからです。卒業式に誰も親が来ないとからかわれても平気でした。おねえちゃんが、セーラー服姿でずっと僕を見つめていてくれたからです。


 高校を卒業した僕は、就職することになっていました。大学に行くよりも、暮らしていくために働かないといけないと思ったからです。みんなが受験勉強をしている中で、僕は就職活動をして内定をもらいました。地元の小さな会社ですけど、高卒で就職するにしてはいいところだと思いました。おねえちゃんが守ってくれていたので、いいところに入れたのかもしれません。


 入社式の前日、スーツを確かめていた僕の前におねえちゃんが立ちました。そして手をにぎるようにと、僕に右手を差し出しました。

 また何かあるのかなと思って少し不安になったけれど、おねえちゃんがしっかりと握ってくれているので僕は落ち着くことが出来ました。おねえちゃんがいれば安心だし、守ってもらえると思ったら気持ちも落ち着いてくるんです。


 おねえちゃんは、繋いでいない方の手で僕の目を覆いました。もう18になって恐らくおねえちゃんの年齢を追い越した僕にとっては少し小さい手でしたが、僕は素直に目を瞑りました。するとそのまま、おねえちゃんは僕の手を引いて歩き出しました。


 歩き始めたときは目を瞑ったままなのが少し怖かったんですけど、おねえちゃんが速すぎず遅すぎない速度で手を引いてくれたし、目を開けそうになるとぎゅっと力を込めて握ってくれたのでそのたびに僕は安心して歩き出すことが出来ました。

 目を瞑っていると、平衡感覚だけでなく、方向感覚もわからなくなって、今歩いているのがどこなのかという自信も段々なくなっていくんですよね。ここがどこなのか、おねえちゃんはどこに案内する気なのかわからなくて時々先を行くおねえちゃんに声を掛けたんですけど、そのたびにおねえちゃんは手を握り返すだけで、僕は諦めて大人しく付いていくことにしたんです。


 おねえちゃんと手を繋ぐのは久しぶりでした。

 子供の頃から比べると僕は随分と大きくなっていたんですけど、相変わらずおねえちゃんの手は優しくて、自分よりも大きいように感じるくらいあたたかかったです。しっかりと力を込めて握ってくれているので、不安に思うことはありませんでした。


 おねえちゃんがいるから大丈夫。

 途中で不安からか胸がすごく痛くなったり、足の裏がチクチクしている気がしたり、周囲がとても熱く感じたりしたんですけど、おねえちゃんの手を握って心を落ち着かせました。


 おねえちゃんがいるから大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、おねえちゃんの手に導かれるまま歩いて、歩いて――


 ――そうして、気付いたらここにいたんです。


 なんだか真っ暗だし、色んな人がいるけど、誰も知らない人達みたいで……

 あの、だから、僕よくわかってなくて。


 ここって、どこなんですか?


 僕のおねえちゃん、どこに行ったか知りませんか?






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― 新着の感想 ―
[気になる点] お姉ちゃんせめて到着地点でもそばに居てろ…(震え [一言] 完全一人称語りの固定された視野で読み進む怖さでした
[良い点] こわっ! この終わり方こわいよぅ。 [気になる点] おねえちゃんのことを詮索して、 感想で聞いたりするのは無粋ってもんっですね。 [一言] 素敵な物語をどうもありがとう。
[一言] 最初は、スーパーで子どもを置き去り忘れてしまうお母さんに酷いわ~、とツッコミながら読んでたのですが、あまりに僕の環境が悲惨な中でのおねえちゃんは守護霊だと解釈していて、ホラーかな?と思いなが…
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