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統合失調症の彼女の異世界  作者: 古川葵
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第八話

「……葛城、言い過ぎだ」


「言い過ぎ?私は本当のことを言っただけですよ」


 葛城はにこやかな表情のまま言った。


「異世界で生きていくなら、通信費や遊興費など必要経費はいくらでもあります。労働の重要性が高いことは言うまでもないのでは?」


「……」


 遠乃は言葉を失った。


 自分には、なにもない。


 自分なりに真面目にやってきたつもりだった。


 その結果、自分に何が残った?


 今までの人生を、全て無駄にしてしまったのではないか?


「……」


 まただ。遠乃は思った。統合失調症の、陽性症状。ここで薬を飲むわけにも行かない。


「……とにかく、これで新規転生者の教育ガイダンスは終了です。これが新規転生者支援預金の残りの一二九一一円になります」


 葛城が手渡した封筒を、遠乃は黙って受け取った。。


「……」


 遠乃は葛城と吉田に連れられて体育館を出た。


 最悪の気分だった。後悔と妄想と想像が、頭の中で駆け巡っていた。


 とにかく、一人になりたかった。それなのに、吉田と葛城は遠乃を正門前まで見送った。


「異世界統一軍総司令部はいつでも人員を募集しています」


 葛城が言う。


「もし職に困ったら、何をすればいいかわからなくなったら、統一軍司令部に志願兵として参加すれば教育と訓練が受けられます。一般兵士としても地位が確保できます」


「……」


 話半分に聞いていた。遠乃は黙って頷いた。


「それではいってらっしゃいませ、良き第二の人生を」


 二人が頭を下げたのを見て遠乃は歩き出した。とにかく、一人になりたかったが、第五区は一人になるには人が多すぎた。その上、制服はあまりに目立った。


 遠乃は走った。ここではないどこかに行きたかった。自分自身から逃げたかった。


 第五区と第六区の境界は、ちょうど郊外のになっており人もまばらだった。遠乃は適当な人気のない民家に侵入する。


 家の外観はなんの変哲もない地味な民家だ。ちょうど、都内の一軒家のような、個性のない角ばった外観だった。


 中に誰もいないのを確認してから、遠乃はダイニングのカーテンを閉めた。いつの間にか外は日が傾いていた。


 遠乃は戸締まりを確認したあと、指先に意識を集中させた。


 ――『出力』か。遠乃はひとりごちた。


 一人で生きていく。そんなことは自分の幻想に過ぎなかった。


 人が集まれば、社会が生まれる。その社会から排斥される存在が生まれるのも、自然なことだ。


 指先が、ドロりと溶けた。その液体は遠乃の意向に従って形作っていく。


 数十秒かけてその液体はさっき『入力』したばかりの運動用の服装を創造した。通気性が良く露出度の低い運動用のロングスパッツ。それに軽いショートパンツ。そして同様に運動用の濃紺のTシャツ。それに同じように黒の運動靴だ。


 こんな世界でお洒落するのは、適切でないことは現世の日本で平穏無事に暮らしてきた遠乃にもわかる。動きやすさを優先した服装だった。


 いまは窮屈な運動用スパッツはバッグにしまい、身軽な格好で靴を履いたまま家の中を散策し、間取りを把握しておく。


 前のように、また何者かに襲撃されるかもしれない。遠乃は過剰なほど警戒しているのを自分でも自覚した。それは性被害に遭いそうになったために雌ゆえの警戒心が、掘り起こされたようなものでもあった。


 ――『出力』。この世界で生きていくのに必要な召喚術。


 自分が、自分でなくなっていくような感覚がしていた。


 つい昨日まで、学校生活を送っていたはずだった。それなのに、今は自分の身の安全を守ることに行動原理が終止するような状況になってしまった。


「……」


 遠乃は、ふとエナメルバッグの中からタバコを取り出した。


――吸ってみるか。


 曰く、他ボコにはリラクゼーション効果があるという。遠乃は一本取り出してそれを咥え一〇〇円ライターで火をつけた。


 白煙の一筋が、先端から立ち上った。


――口の中が、ざらつく。


 軽くふかしてみて具合をみるつもりだった。が、あまり思ったような効果はない。気持ちいいというよりも、違和感が勝っていた。


 遠乃はタバコを吹かしながら、エナメルバッグから災害用の保存食を取り出した。『出力』することもできたが、単純に面倒くさかった。一日が濃すぎて、面倒なことを試したくなかった。


 タバコをフローリングの床に押し付けて火を消した。焦げ跡がついたが、葛城が言っていたような『恒常性』の力でこの跡も消えてしまうのだろう。


 居間のソファに座って、栄養ブロックを齧る。不味くも美味くもない。一緒に入っていた保存用の水ボトルを封を開け飲む。


 味気ない食事だ。今日の朝、自由を謳歌しようと意気込んでいたのが嘘のようだ。


 遠乃は『出力』した。吉田が選んでくれた武器を、念のために用意しておきたかった。


――SCAR-L自動小銃。合成樹脂のフレームに調節可能な銃床。5.56x45NATO弾――標準的なライフル弾を三〇発装填可能。小柄な体躯の遠乃でも扱いやすい。


――グロック一九自動拳銃。大部分が樹脂プラスチック製の拳銃。米国の警察官を中心に世界中で大ヒットした拳銃の、コンパクトモデル。


 どういうわけか、吉田に受け取った資料以上の、知らないはずの情報まで頭の中に入っていた。『入力』のうちに標準的な情報を焼き込めるようになっているのかもしれない。


 わからないことだらけだ――そもそも『出力』のメカニズムはどうなっているんだ?『悪意』とはなんだ?


――私は、ここでやっていけるのか?


 遠乃は武器とバッグを持ったまま二階の部屋のドアを開け放った。ここに住んでいた夫婦が使っていたのだろう、キングサイズのベッドが置かれていた。


 もう、外も暗い。遠乃は武器とエナメルバッグをベッドサイドのテーブルに置いた――万が一のときに、持ち出せるように。


 遠乃はベッドに潜り込んだ。隣の家が一階建てらしく、窓から街が見えた。


 街の殆どが、死んでいた。家の殆どは暗く、第五区中心部以外にはほとんど明かりはなかった。


 疲れていた。眠りたかった。


 ずっと眠っていたかった。なにも、考えたくなかった。明日のことも、この世界のことも。

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