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統合失調症の彼女の異世界  作者: 古川葵
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第三話

 ここは地獄か。


 遠乃はふらふらと家を出た。結果はわかっていたが、更にその隣の家に移った。


 今度は変わって、古風な――悪く言えば古臭い日本家屋だった。すりガラスの引き戸を開け、板張りの廊下を進む。


 昔ながらの裸電球が、ぶら下がっていた。祖父の家でしか見たことのない代物だ。結果はわかっていた。わかっていても、確認せずにはいられなかった。


 一九八八年十月。


 タイムスリップ、とは違うのだろう。


 とにかく、落ち着こうと、遠乃は目が覚めたときの一軒家に戻った。足取りは重かった。


 ダイニングのソファに座った。起きてから一時間も経っていないのに、どっと疲れがあった。


 ここは、どこなのだろう?日本ではあるらしいが、人の姿は全く見えないうえに、時代背景はバラバラだ。


 とにかく、情報が欲しかった。試しにテレビを付けてみるが、砂嵐しか映らない。この家は一九九九年で止まっているなら、地デジ対応より前だ。


 古い東芝のノートパソコンを見つけて、起動してみる。はるか昔に感じるWindowsXPの起動画面が、遠乃の不安を加速させた。


 予想どおり、インターネットもつながらない。家探ししてラジオを見つけたが、どの局も周波数を合わせても期待したような結果はなかった。


「……」


 このままずっと一人なのではないか、という不安がよぎった。この、ツギハギの世界で、永遠にひとりぼっち。


 自殺するか?――そんな考えが浮かんで、消えた。一度死んだはずなのだ。自分は。もう一度死のうものなら、これより苦しい世界に行くのではないかと考えると、そんなことは決してできなかった。


――死ぬことは解決にならないよ。


 カウンセラーの言葉が、頭の中で反響する。そのとおりだった。解決でも、解放でもなかった。


 鞄をあさり、精神科の薬を取り出してペットボトルの緑茶で飲み下した。とにかく、冷静にならなければいけない。


 この世界で、生きていかなければいけない。遠乃は天井をぼんやり見つめた。


――自分は、こうなることを望んでいたのではないか?


 この世界には、自分しかいないかもしれない。それがそんなに問題か?


 誰かと比較して、落ち込むこともない。


 勉強を強制されることもない。


 社会不適合者と責め立てられることもない。


 結婚して家庭を持って――常識に縛り上げられることもない。


「……悪くないかも、しれないな」


 遠乃はゆっくりと立ち上がった。キッチンに向かい、湯が出るのを確認する。


 脱衣所に向かい、制服を脱ぎ捨てた。下着も脱ぎ、風呂場へ。


 一九九九年の設備でも、熱いシャワーは出た。


 父親に風呂を覗かれる心配も、母親に嫌味を言われる心配もない。


 開放感。安心感。孤独ゆえの、安らぎ。


 たっぷり時間をかけてシャワーを浴びた遠乃は棚に入っていたタオルを勝手に使って、体を拭った。


 いくら人がいないとはいえ、他人の服は使う気にならなかった。制服を身に着け、キッチンに向かう。


 冷蔵庫を漁ると、ドアポケットに冷えた麦茶が入っていた。棚からコップを取り出して飲んで見る。やはり腐っているような酸味はない。ほのかな苦味が、喉に染み渡る。


 髪をタオルで拭きながら、二階へ上がった。受験生の部屋に入る。


 勉強机の脇にかかっていた、学校指定の大きなエナメルバッグを手に取る。スタイリッシュな書体で「南高等学校」のロゴが入っているが、気にしないことにする。中に入っていた参考書の類を全部出して肩紐の長さを調節する。


 この先、いろいろなものが必要になるだろう。遠乃は家を片っぱしから漁り、必要になりそうなものをぶら下げたエナメルバッグに放り込んでいった。


 十徳ナイフ。缶切り。リップクリーム。化粧水。栄養クリーム、生理用品。タオル。薄手のジャケット。予備の服。ポリ袋。水筒。玄関においてあった災害用の持ち出しバッグに入っていた非常食や携帯トイレの類はほとんどそのままエナメルバッグに移した。


 階下に降りて、外を見た。日が昇っていた。幸い、起きたのは朝方だったらしい。夜まではまだ時間がある。エナメルバッグをソファに放る。


 冷蔵庫の中からキャベツとピーマン、エリンギにトレーに入ったまま冷凍されていた豚肉を取り出す。


 豚肉を流水解凍しながら、フライパンを火にかける。十分に熱したところで、チューブのニンニクと生姜、さらに豆板醤と甜麺醤をくわえる。


 料理は独学だ。クックパッドで学んだ程度の知識しかないが、少なくとも食うには困らせない程度の料理は作れる。


 調味料が馴染んだのを見て豚肉を入れ、ついでキャベツ・ピーマン・エリンギを放り込む。母親が起きてこないか怯えずに料理が作れることが、どれだけ楽だろうか。


 最後にオイスターソースで味を整え、簡略化ホイコーローの出来上がりだ。適当な皿に盛り付け、机に運んだ。


 パントリーに入っていたレトルトのご飯を電子レンジで温める。味噌汁もインスタントのものでいい。


 体内時間では、昼ごはんだ。四人がけの机に座った遠乃は手を合わせて、ホイコーローを頬張った。


 誰にも脅かされることがない食事は、こんなに美味しく感じるものだろうか。思えば現世で食べた食事は親に怯えながら食べているか、冷えた菓子パンばかりだった。


 孤独も、悪くない。この世界で生きていくのも、悪くないかもしれない。

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