恋文は花と散り。
文花ちゃん名前だけ出して全然だせてなかったから。
私、江川先輩のことが、好きです。
頭の中で、何度も何度も反すうした言葉。口に出せたことは一度もない、本人の前だと、なおさら。
憧れでも、尊敬でもなくて、これは恋なんだ。知ってしまった気持ちに、歯止めなんて効くわけがない。
もっと、一緒にいたいな。その願いは、簡単には叶わない。学年だって違うし、江川先輩は部活に入っていないみたいだから。それなら、せめて。髪も先輩と同じように下ろして、眼鏡も同じ桜色のものにして、……そしたら、ちょっとは近づけるかな、あったかくて優しくて、時に大胆なあの姿に。
そんなときに、担任の先生が生徒会に入ることを勧めてくれた。生徒会に立候補する人が少なかったみたいで、真面目だし、引っ込み思案なのを直してほしいからって言ってたけれど、別の意味で私にはちょうどよかった。早速、私は、今までの江川先輩がいた副会長に立候補して、無事に当選することができた。 先輩も生徒会長になっていて、私は、純粋に嬉しかった。憧れの人と一緒にお仕事をすることができたから。いつも真面目でしっかりしてるとこしか見てなかったせいか、ふんわりとした雰囲気も、ちょっとおっとりしてるのも意外で、なんだか、そんなのにすらドキドキしてしまいそうになる。
初めて生徒会の仕事をするようになって、私に仕事を教えてくれたのは江川先輩だった。ちょこっと厳しいとこもあるけれど、それでも、優しくて。後ろから声が来て、変な気分になりそうで。
「文花ちゃん、顔赤いけど、熱でもあるの?」
「そ、そんなことないですよ!」
まさか、先輩のせいだなんて、言えるわけがない。心配してくれてるのは分かってるのに、つい声がとげとげしてしまう。不意に、おでこに手を当てられて、もっと熱が上がりそうになる。
「うーん、……でも、ちょっとだけ熱いかな?」
「そ、そんなこと、ないです、全然平気ですから……っ」
「真面目なのはいいけど、無理しちゃだめよ?」
「は、はい……」
ただの憧れで、こんなことになんて、なるわけがない。気づいてしまった気持ちはあまりにも残酷で、切なくて、苦くて、それなのに甘い。
もっと近くにいたい、放課後、一緒になれる時間は増えたはずなのに、まだ足りないって心の奥が叫ぶ。知りたいの、先輩のこと、もっと。
それなのに、偶然耳にしてしまった噂が、言えないまま膨らむ心に水を差す。江川先輩が、用務員の倉田先生と恋仲だっていう話、……知りたくなかった、こんな形で、好きな人のこと、聞きたくなかった。
胸の奥が、粉々に砕けそうなくらい痛い。このままじゃ、なんにも手が付けられなくなりそう。……本当なのかな、江川先輩自体、浮ついたような話が出ないくらい真面目な人だし、倉田先生もいつ見ても表情が変わらないくらいクールで、恋なんて無縁そうな人なのに。
そんなわけないと反発してしまう私と、あくまで噂だからって冷静になろうとする私。胸に満ちた恋心の前は、理窟も何もかも壊されてしまいそうになる。本当のこと、知りたくなってしまう。
放課後、生徒会の仕事が終わってから聞こう。そう決めて、それでも先走って教室を飛び出してしまいそうになる。
「みんな、今日はお疲れ様」
その声にはじかれたように、生徒会室を出ていくみんな。でも、自分は帰ろうとしない江川先輩のことが、どうしても気になってしまう。
「あの、……先輩は帰らないんですか?」
「あ、私は会長室掃除してから帰るから、先行っていいよ」
「わかりました、お先、失礼します」
週に一回は、こんな風に、先にみんなを置いて残っている。どうしてだろう、こっそり、生徒会室の前に残って、先輩が出てくるのを待つ。今、二人きりなんだから、そのときに訊けばよかったのに。なんで、そのことすら、言えないんだろう。
掃除機の大きな音がしばらくの間聞こえて、それから上機嫌そうに生徒会室を後にする。胸の奥で罪悪感が渦巻いて、それでも、先輩が何をしようとしてるのか、知りたくてしょうがなくなる。
飛び出そうになる心臓を飲み込みながら、江川先輩の後を追いかける。階段の曲がり角で伺うと、その姿は、ある扉の前で止まる。その場所は、……確か、用務員室。何にも目的が無く行く場所にしてはあまりにも不自然だし、扉が開いた途端、先輩の顔が花を咲かせたように明るくなったのが、遠くからでもわかる。
……ああ、そうなんだ。あの噂は、やっぱり本当で。私、バカみたい。勝手に舞い上がって、落ち込んで。
目の奥が熱くなって、そこから溢れる涙が、止まらない、止められない。思わずへたりこんで、いくら拭っても収まらない涙を手で拭って。
「……文花ちゃん、どうしたの?そんなとこで」
心配げに声を掛けたのは、江川先輩その人で、……私が泣いてるのは、先輩のせいなのに。……そんなに、優しくしないでください、そのまま、怒ってしまいそうだから、こんなに心配してくれてるのに、先輩は、何も悪くないのに。
収まりかけた涙が、また溢れ出て。抱き寄せようと伸ばされた手を振り切って、昇降口に走る。
「文花ちゃん!?」
「もう、何でもないですから!」
もう、この恋は叶わない。そのことだけが、頭の中でぐるぐる巡る。
言えないまま、行き場をなくした気持ちは空っぽになって、それでも消えてくれない。すっぱり忘れられたら、泣かなくたって、先輩から逃げなくたってよかったのに。
ルームメイトがまだ帰ってない薄暗い部屋で、ただうずくまる。まるで、世界に一人残されたみたいに。
下ろしてた髪も、桜色の眼鏡も、もうどうだってよくなる。どこか私の知らない場所に、江川先輩は行っているんだから。
「昨日はどうしたの?あんなに泣いてたけど」
「その、……ごめんなさい、言えないことだけど、嫌なこと思い出して、取り乱してて」
「そうなんだ……、ごめんね、おせっかいだったね」
放課後の生徒会室で、私と先輩のふたりきり。不意に言われた質問に、また泣きそうになるのを、ぐっとこらえる。笑顔をつくろうとして、……笑い方まで、忘れちゃったみたいだ。
「いえ、いいんです、……もう、吹っ切れましたから」
本当は嘘。空っぽになっても、まだ私の中に居着いた先輩への気持ちは、離れてくれない。
「それならいいんだ、……そういえば、眼鏡変えたんだね、髪型も」
「はい、……憧れの人がいたんですけど、もうやめたんです」
また、目の奥が熱くなる。無理してほっぺを上げようとして、それでも零れそうな涙は収まらない。
「そっか、……頑張ったんだね」
下ろしてた髪も二つ結びにして、掛けてた眼鏡も前の青いものに戻した。ぽんぽんと、頭を撫でてくれる江川先輩への恋心が、また膨らまないように。
こんなのになってしまって申し訳なさしかない。