ベンツ飯
Swind先生のツイートにのっかったネタツイートからこさえた短編です。
グルメ作品ではなくコメディとして読んでください!
私は日本有数の大財閥、葦部グループの専属運転手をしている。
車は黒塗りのベンツ。もちろん私の所有物ではない。仕事でなければ触れることも叶わない高級車だ。
今日は御曹司である葦部李人氏を、三ツ星シェフのレストランまで会食にお連れするために車を回した。
せっかく豪華なレストランに来たのだから私もご相伴に預かりたいところだが、さすがに経費で落ちはしないだろう。富豪に雇われているから給料は良いと言っても、養わなければならない家族がいる。後先を考えない贅沢をできる身分ではないのだ。
ちょうど近くにあったハンバーガーのチェーン店で買った安上がりなセット。それが私の夕食だ。
食事を済ませ、あとは待機。店から出てきた李人氏を車内にお迎えする。
「出してください。次は――」
「老舗の高級料亭ですね。存じております」
食事のあとに食事、というスケジュールに最初は首をかしげたものだった。だが、富豪にとっては珍しくはないらしい。立場上、会わなければならない人物は多岐にわたり、ひとりひとりにあまり時間は割けない。その短い間でも「それなりの時間」を過ごしたと思って貰うには、食事を共にするのが最良なのだという。古臭いようだが、同じ釜の飯を云々というやつだ。
よく胃もたれしないものだなあ、と心配するのは私もいい年齢だからだろう。李人氏はまだ若い。それに、高価《たか》くて美味いものは、きっと別腹なのだ。そうに違いない。私は食べたことがないからわからないが。
それにしても。
バックミラーに視線を走らせる。さきほどからずっと、気になっていた。
レストランからご乗車いただいてから、李人氏が、
めちゃくちゃ車内の匂いを嗅いでいる。
*
李人氏は、次の高級料亭に到着して車を降りるまで、鼻をひくつかせていた。
駐車場で、私はひとり頭を抱えた。思い当たる節があったからだ。
私は夕食のハンバーガーを、このベンツの中で食べていた。
その辺の公園で食べようとテイクアウトしたが、突然の夕立ち。慌てて車内に駆け込んで、どうにもすぐには止みそうにないのでそのまま食べたのが間違いだった。
やっべえぞ。
これ、やっべえぞ!
もしこれがバレたら……
「なんですか、この貧乏くさいニオイは。このようなものを車内に持ち込む者は、葦部財閥のドライバーにふさわしくない。あなたは本日付で――クビです」
って、なるんだろうなあ。
長年尽くした会社から解雇通知を出され、早数週間。家族に隠したままハローワーク通いをしていたがなかなか仕事が見つからず、途方に暮れていたところ、かつて投資の件で関わりがあったことがある縁で斡旋してもらった仕事だった。そのようなふわっとした理由で雇って貰った身分だ、切るときだって気まぐれな理由で充分なのかもしれない。だとしても、今、こんなことで無職に戻るわけにはいかない。
私は腹を決めた。
すっとぼけよう。
「あの、桂藤さん」
ドキリとした。老舗料亭での会食のあと、次の高級握り寿司店への移動の最中に、李人氏の方から話しかけてきたのだ。
状況が状況でなければ、たかが運転手風情の名前を知っていてくれたのかと感激するところだが、あいにく今の私は、空気のような存在になりたい思いでいっぱいだった。
「すみません。さっきまで、車内でしていた匂いなんですが」
「えっ……匂いなんてしてましたかね?」
精一杯、なんでもない風を装う。李人氏が料亭で会食している間に、消臭剤を使い切る勢いで証拠隠滅を図ったのだ。唯一、真相を知っている私が「していない」と強く主張すればうやむやにできるはず。
「はい、していました」
あっダメだ、誤魔化せない。何でこんなに頑固なんだこの坊ちゃん。
困った私は、話題を逸らすことにした。
「それよりも、今日のお食事はいかがでしたか?」
ハンバーガーよりもはるかに高級で、はるかに味わい深い料理を思い出して貰う。それでハンバーガーの匂いなどどうでもいいことなのだと忘れていただくのだ。
「素晴らしい料理でした。一件目のレストランでは味もさることながら、食材についての知識を有する者であれば、より楽しみ方を広げることができる心憎いチョイスでした。食後に出していただいたワインも、銘柄と産地自体には特筆するようなものはありませんでしたが、醸造された年代によってその価値が跳ね上がるということを知っていたお陰で、用意してくれたシェフに恥をかかさずに済みました。二件目の料亭では――」
すごい。なにもりかいできない。
いや日本語なのはわかるが。そんなことを気にしながら食事なんかできるのか、富豪というものは。
「――それで、時に桂藤さん。先ほどの匂いについてなのですが」
ええええええええまだ気にしてるの!?
も、もうダメだ。李人氏は何がなんでも追及してくる。ハンドルを握る手が震える。家族の顔が浮かんでは消える。さきほど空想した悪魔のような李人氏がフラッシュバックする。
もはや、これまでか。
私はウインカーを点けて、ベンツを路肩に寄せた。
「どうしました、桂藤さん」
「も……申し訳ありません……!」
「えっ?」
「これはすべて、私の不徳の成すところで……」
「いや、あの、それより」
「かくなる上は……本日の業務が終了して直ちに、辞表を……!」
「そんな、桂藤さん!辞められては困ります!」
私ははっと顔を上げた。
「辞める前に、あの匂いの正体を教えてください!」
「困るってそういうことかぁぁぁぁい!」
思わずツッコミを入れてしまった。時代が時代なら物理的に打ち首ものである。
「正体を!」
「ハンバーガーです!」
「“ハンバーガー”!?」
「私はぁ!ハンバーガーをぉ!このぉ!ベンツの中でぇ!食べましたッ!!」
「なんと羨ましい!!」
「は!?」
「私にも食べさせてください!!」
*
近道を通れば予定時間には間に合うのを確認し、ドライブスルーに寄った。
窓口の店員は、黒塗りのベンツをじろじろと眺めて、困惑した表情を浮かべる。
「あの……買占めとかでしょうか……」
「あっ、いえ……普通に注文します」
注文を終え、少しの間だけ待つよう言い渡された。
また気まずい時間が訪れた。一度テンションをバカみたいに上げてしまっただけに、かえって冷静になって今後の身を案じる私である。結局、耐え切れなくなって口火を切ったのは、私の方だった。
「しかし、御曹司ともあろう方がこんなもの食べなくても――」
「“こんなもの”」
「そんなことを思いながら、食べているのですか」
「……申し訳ありません。失言でした」
「いえ……私の方こそ、食べたこともないものに意見を言うなど」
取り乱して恥ずかしい姿を見せたと思っているのは、李人氏も同じらしかった。御曹司という立場に似つかわしくないほど、縮こまってしまっている。やがて、おずおずと手を挙げた。
「あの。私も、失言よろしいですか?」
「断りを入れるようなことでもないかと」
律儀な御曹司。
「いつも頂いている、料理についてです」
あの、上等な店で提供される、高級な料理の数々か。
「……失礼極まりないので、言うつもりはありませんでしたが……」
「味がしないんです」
「味が、しない?」
そんな馬鹿な、という思いから、つい復唱してしまった。調味料をケチっていて薄味の家庭料理ならともかく、名高い高級店で出される料理に、そのような感想が附されるとは。
というかさっき、味もさることながら、とか言及していたのでは。
「いや、違うかな……わからないんです。緊張してしまって」
「緊張ですか」
およそ、そんなことが彼の口から出るとは、今まで想像もできなかった言葉であった。御曹司とは、金持ちというものは、高級料理を日常的に召し上がられていると思っていた。だからこそ、店での会食などの「本番」にも、臆することなく臨むことができるのだとばかり。
「ええ、確かに、幼少期の頃から、自宅でもお店で出されるようなものをシミュレートされた食事をしていました」
葦部財閥は、創始者――李人氏の祖父が一代で築き上げたものだ。まさかそんなことになるとは思っていなかった彼の息子――李人氏の父は、ある程度成長してから上流階級のマナーを一から覚えるのにそれは苦労したらしい。その意向で、李人氏には御曹司としての英才教育を施していたのだとか。
そのとき覚えた味と、目にした料理の具合から判断して、李人氏は「味がしない」という本番でもその料理の味を的確に想像して言い当てることができるのだという。要するに、間違っていないでまかせというわけだ。
「いつも決まった時間に。テーブルマナー、食材への知識、味わいを表す語彙、それらを学ぶために。すべては、葦部財閥の生まれついての御曹司として、相応しい食事の作法を身に付けるために」
私はどうも、その口ぶりに違和感を覚えた。
まるで、本意ではないかのような。まるで、楽しみではないかのような。
そうか。
彼にとって、「食事」とは、「仕事」だったのだ。
与えられるものを、ただ淡々とこなしていくだけのものなのだ。
「つまり、食べたいときに、食べたいものを、食べたことがないと?」
私は、言葉が出ずに戸惑っている李人氏に、助け舟を出した。
「そもそも、食べたいものというものがよくわかりません。ですが……」
膝の上に乗せる、茶色い袋に視線を落とす。話し込んでいるうちに、注文の品は届けられた。今は、次の会食が行われる寿司屋に向かう途中である。
「匂いを嗅いだとき……」
「腹が、減りましたか」
「はい、お恥ずかしながら」
気づけば顔が綻んでいた。そして、子どもを諭すように、我が子に語りかけるように、次の言葉を紡いだ。
「それが、“食べたい”ということです」
「“食べたい”……」
復唱されるようなこと言ったかなあと苦笑する。
「さっきの、“こんなもの”ですが……あれは、照れ隠しみたいなもんです」
私はいつの間にか、李人氏にかける言葉選びを迷わないようになっていた。
「坊ちゃんが食べているものに比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまう。あなたはそんなにいいものを食べているのに自分ときたら、と萎縮してしまう」
テレビで紹介されるグルメを「美味そうだなあ」と眺めながら、ブラウン管(もはや死語か)越しの料理とは値段のケタがひとつもふたつも落ちる、まったく別のものを頬張る。
「まあそれでも……食べたい、と思って食べているのに、違いはないんですがね」
片やうちの飯はこれかあ、とぼやくのは決して不満の噴出ではない。定番のジョークというやつだ。
あらだったらこのお店に連れて行ってくれるのかしらと妻が反応し、行きたーいと子どもたちが煽り、待て待て俺が悪かったよ母ちゃんの料理が一番だよ、と詫びを入れる。レトルトですけどね、とオチをつける。茶の間にどっと笑いが降りる。
どこの家にでもある、本当に「こんなもの」と思っていたら味わえない、楽しい食事風景だ。
「食べたいと思うものを食べて、幸せなんですが、幸せっていうのは素直に口に出すのはどうにも気恥ずかしいものなんです。だから、“こんなもの”っていう言葉に、その気持ちを忍ばせるんですよ」
だから、私たち庶民は「こんなもの」と言い易い軽食を、好んで食べるのかもしれない。
「坊ちゃん。“こんなもの”ですが、ぜひご賞味ください」
バックミラーで、李人氏が笑ったのがわかった。何だか映画のワンシーンみたいだなと楽しくなった私は、車を揺らして間食の邪魔をしないよう、安全運転で近道をとばした。
*
聞けば、李人氏は車の中で飲食すること自体が初めてとのことだった。そりゃあ高級車にパンくずなんか零すわけにはいかないよなあ、と思い、それをさっき自分がやったことを思い出してきちんと掃除してからお返ししようと決意した私である。
紙袋からハンバーガーを取り出し、包み紙を開き、車内に「あの匂い」が広がる。李人氏は両目を閉じて深呼吸し、「これです、この匂いです」と感慨深げだ。「実に、お腹が空く」
冷めないうちに食べた方がいい、との私のアドバイスを聞き入れ、李人氏は(あ、もう少し大口を開けた方がいいですよと更なるアドバイスを経てから)念願のハンバーガーにかぶりついた。
「それで、いかがですか、お味は」
「いや、べつに……」
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> いや、べつに…… <
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「べつに!?」
「あっ、申し訳ありません。つい」
「いや……えっ、どういうことですか。食べたかったんじゃ」
「なにも、思い浮かばないんです」
それはどういう意味だろうか。私は困惑したが、李人氏は言葉選びにもっと困っているようだった。
「自分でも変なんです。味を表現する語彙力は、それこそこれまでの食事で鍛えられているはずなのに。なんだろう、何と言いますか……考えるのを、やめさせるような……」
「ま、まあそうですね。そういったものは、急いでかき込むように食べるもので、味わうものでは……」
「ハムハム!ハフッ!」
「なにイッキ食い始めてるんですか!?」
李人は口いっぱいに頬張ったモノを嚥下してから「考えるのをやめて心に従いました」とキメ顔で言った。いや、まあ確かにそうして食べる人も大勢いますけど、誉められた食べ方ではないですからね。
しかし、感想が出てこない、か。
それはきっと、舌が肥えた李人氏にとって、大量生産品の軽食には誉めるべきところが見つからなかったということだろう。少々残念ではあるが、これで李人氏も、このような気まぐれを起こすことはないはずだと胸を撫で下ろす。
「ところで、桂藤さんの袋。私の袋より大きくありませんか」
映画のエンドロールの後で、死んだはずの怪獣が目を見開くシーンを思い出した。
「ああ……はい。セットで買いましたんで。今日の夜食です」
「ずるい!」
「ずる……っ、ずるかないですよ。これから高級握り寿司食べる人が何言ってんです!」
「引き返してください。私もセットが欲しい!」
「もう無理ですよ時間的に!予定詰まってんでしょ!」
「何も考えずに食べられるものなんて初めてなんです!もっと食べたい!」
「ハマっちゃってる!?」
それから私が運転するベンツは、李人氏が皆に隠れて軽食を召し上がる唯一の場所となった。
便所飯ならぬベンツ飯だな、と思いついたが、雲泥の差すぎて口に出すのも憚られる。
いつか、食事中に相応しい、李人氏に笑って貰えるジョークを言ってみたいと思う私である。
グルメ作品を執筆されている方々に深くお詫び申し上げます。(土下座)