2・竜騎士は青藍の魔女を望まない
――マリアの機嫌は、足音に聞け。
それは、今は亡き前領主である父の口癖だった。
城から城門へと伸びる石畳を、カツカツ踵を鳴らして歩く母マリアの足音に、ヘイスティンは、彼女の機嫌が相当に悪いことを確信していた。
――さて、今日はどのことで怒られるのやら。
ヘイスティンは、やれやれと、ため息を漏らして馬を降りた。
「ヘイスティンっ!」
名前を呼ぶ声にも、苛立ちが滲み出ている。
「これは母上。ご機嫌麗しく……」
ひな型どおりの挨拶をしようとするヘイスティンを、マリアが「麗しいわけないでしょっ!」と、一括する。
「姉のマーガレットから手紙が届きました」
「ああ、そのことか」
不機嫌の理由に察しを付けるヘイスティンを、マリアが睨む。
感情が抑えきれないのか、扇を握る指先が震えている。
「貴方、マーガレット姉様が持ってきてくださった縁談を、私のことわりなく勝手に断ったんですってっ! お前に、なんの権利があってそんなことをしたのっ!」
なんの権利があって……。と問われれば、自分の縁談だからだろう。
だが感情が高ぶっているマリアにそう言えば、怒りの炎に油を注いでしまうことになる。
ヘイスティンは、儀礼的な笑みを浮かべる。
「私には、もったいない縁談でしたので。……聞けば相手は、グロス卿の妹君で、まだ十五歳だとか。そんな若い身で、血の気が荒く、竜の呪いにかかっている男のもとに嫁がせるのは、気の毒でしょう」
マリアの目に、母親としての同情の色が滲む。
「なにをっ! 先方は、そのようなこと気にしていないと伝えたでしょう。幼い妹を嫁がせるからこそ、隣接しているこの領地がよいと思い、姉にこの縁談をもち掛けたのですよ。それに民衆の平和を脅かす竜を退治したのは、誇ることであり、恥じることではありません」
「しかし、私のこの顔では、相手が怯えてしまうでしょうから」
「ですからそれは……」
食い下がるマリアの声を遮るように、ヘイスティンの背後から「恐れながら」と、声が聞こえた。
ヘイスティンの家臣であるレイド・パーシーだ。
マリアの厳しい視線を受け、レイドは石畳に片肘を着き、頭を下げる。
「ヘイスティン様は、人里まで縄張りを広げようとしていた吸血蜘蛛を退治し戻られたところ。お疲れの御様子ですし、今この場で、そのような話をされずとも……」
話を中断させられたマリアが、忌々しげに炎をれんそうさせるレイドの赤い癖毛を睨んだ。
「……」
そんな視線に首をすくめながらもレイドは「恐れながら」を、繰り返す。
「それにヘイスティン様の鎧と体にこびり付いた血を、早急に流すべきかと。……マリア様の苦手な獣の血の匂いが、取れなくなると困ります」
探るようなレイドの声に、マリアが小さく息を飲んだ。
そして慌てた様子でヘイスティンの体に視線を走らせ、彼の朱色の鎧が血で汚れていることに気付き、眉を寄せた。
その表情を読み取り、ヘイスティンは「では」と、マリアに一例をして脇をすり抜けていく。
立ち上がるレイドも、その背中を追いかけた。