・物語の始まりまで、後二年
国王の従兄弟にあたるリチャード・シュールベイルが領主を務める領地は、港があり国の流通の要とされている。
海に向かって賑やかな港町が広がり、その奥に堅牢な城がそびえている。そして城を挟んだ海の反対側には、広大で薄暗い森が広がっている。
「シャルル、なにを見ているの?」
グノーメに名前を呼ばれ、青藍の魔女ことシャルルは、青藍の魔女の通称にふさわしい鮮やかな青い瞳で、グノーメの姿を確認した。
「今日はなんだか森が騒がしいのね?」
オークの巨木が茂る森を抜け、見晴らしの良い丘に登ったシャルルは、地形に合わせて曲線を描く街道に視線を凝らした。
「昨夜、街道で人を襲ったジンを狩りに行くと言っていたから、その後片づけじゃないかしら」
朝の日差しが眩しいのか、形のいい眉を寄せ、額に手の平をかざすシャルに、かたわらのグノーメが答える。
「ジン?」
「ええ。三匹のジンが街道周辺で巣を張ろうとしていると、リチャード様が話していたわ」
「ふ~ん。青藍の瞳に守られたこの土地で巣を張ろうとするなんて、バカね」
「自分の力を、絶対的なものだと信じて疑わない不遜な態度。……貴女のその不遜さは、幼さゆえのものと受け取っておきましょう」
自分を嗜めるグノーメに、シャルルは唇を尖らせた。
「嘘はついていないわ」
「そうね。嘘ではないわね。ただ貴女が稚拙なだけ。……幼くて、世界の広さを知らないから、自分の力を疑うだけの知識が足りない」
四精霊の一つ、大地を司る精霊とされるノームの仲間を名乗るグノーメ。彼女は、日の光の下ではその姿を晒さないと決めているので、頭から黒いマントを被り、鳥の嘴とも歪な鉤鼻とも取れる装飾の付いた面を着けているので、その表情は読み取れない。
「本を沢山読んでいるから、それなりの知識はあるのに」
シャルルのせめてもの反論を、グノーメは「紙を積み重ねただけの知識に、世界の真実は詰まっていないわ」と、切り捨てた。
「…………」
返す言葉が思いつかず、双眸を細めて唇を尖らせるシャルルに、グノーメは「そうそう」と、話題を変える。
「そういえば、昨夜のジン狩りには、隣の領土のヘイスティン・ネイバル氏も加勢していたそうよ」
「えっ!」
ヘイスティン・ネイバルの名前に、シャルルが素早く反応する。
その態度に、グノーメが仮面の下で小さく笑った。
「リチャード様が、加勢を頼んだそうよ」
「リチャードなら、加勢なんて必要ないじゃない」
「ジンをヘイスティン様に分け与えるための口実でしょう。……それからリチャード『様』ね」
グノーメの小言に、シャルルは渋々と言った様子で「はいはい」と、頷く。
「リチャード……様は、ヘイスティンを気に入っているの? それとも、手懐けた後でその寝首を掻くつもりかしら? 優しそうに見せかけて、実はヘイスティンの領地を狙っている。そうね小説にするなら、題して『王族リチャードの陰謀』とか?」
「バカなことを……貴女は、無駄に本を読み過ぎよ」
呆れてため息を吐くグノーメは「それにヘイスティンが欲しいのは、貴女でしょう?」と、笑う。
「私が? ヘイスティンの領地を狙う? まさか。私は、領地なんて欲しくないわ」
「まあっ…………」
肩をすくめるシャルルに、グノーメは楽しげに笑う。
「なにが可笑しいの?」
「私の言葉の意味がわからないということは、貴女はまだ稚拙ということよ。そして稚拙ゆえの強さに守られた最強の存在よ」
「…………子供扱いされている」
「そう。じゃあ、適切な対応が出来ているってことね」
国王にその身の自由が保障されている青藍の魔女という肩書も、彼女の前ではなんの効力も持たない。
シャルルは、グノーメの態度に肩をすくめた。
そんな彼女に、グノーメは、優しく囁く。
「あと数年待ちなさい。そうすれば、私の言葉の意味がわかるわ。……誰かを本気で愛してこそ、人は初めて、己の弱さと強さの意味を学ぶのよ」
その言葉にシャルルは、その昔、命を救った竜騎士ことヘイスティン・ネイバルの姿を思い出した。
別の領地の領主など、本来なら、出会うはずもない存在。
そんな彼を、ある日、気紛れに遠出した森の奥で見つけ命を救った。
――ヘイスティンは、昔、自分の命を救った青藍の魔女のことを覚えているかな?
――そしてその側にいた小さな存在のことを……。
シャルルがその答えを知るには、後二年の時間が必要とする。