変化3
カーテンの向こう側、外はもう夜中だ。
日本と違って、虫の鳴く声や自動車の走る音が全く聞こえない。実に静かな夜だ。
虫の鳴く音は、大半の外国人にとっては雑音でしかないらしい。それを和の人々は風流だと捉えるのだから、たいしたものだと思う。
静寂が支配する暗い部屋の中で、灯里は目を閉じていた。数時間前まで意識を失っていた彼女にとっては、時間帯は真夜中であっても、眠くはないのだった。
耳を澄ましても、人の気配は一切無い。
けれど、王宮のどこかでは誰かしらが起きているのだろう。もしかしたら、宰相級の人物たちはまだお仕事中なのかもしれない。
けれども、この時間帯に、客室がずらりと並ぶこの廊下に姿を現す者はいない。それは当然だ。そもそも客人に何の用事もないのだし、あったとしても今は真夜中だから、よほど緊急でない限りは明日の朝早くに回そうとするはずだ。
暇だから寝ようと思うのだけれど、あいにく長時間の睡眠をとってしまった上に、一週間ほど非常に不規則な生活をしていたせいで、まったくもって眠たくならない。
かといって目が冴えて仕方がない程でもないから、ベッドから出ようという気にもならない。
結局ベッドの中で体勢を変えつつ眠気が現れるのを待つことにした灯里は、目が覚めた時の事を思い出していた。
まず、海が初めに気が付いた。
大丈夫かと問われたので大丈夫だと答えていたら、その直後に蛍のタックルが襲ってきた。
鳩尾にクリーンヒットしたので相当痛かったのだが、気力で耐えた。ここでまた意識を飛ばしてしまっては更に酷いことになるというのが、ありありと想像できたからだ。とはいえ、鳩尾は人間の急所の内の一つなので、けっこうなダメージは食らったのだが。
蛍に涙目で「心配したんだから!」と怒られ、兄からはやんわりと有無を言わせぬ感じの口調で諭され、姉からは忠告と共に「何かあったら頼りなさい」との言葉を戴き、最後に海から「ちゃんと良くなるまでは絶対に無理はするなよ」と念を押された。
思ったより心配をかけていたようで、反省した。
そうこうしていたら、エレナがお見舞いに来てくれた。こちらからは体調について訊ねられた後、兄弟達に少し席を外してもらって、少し話をした。
プレゼント大作戦(?)を事前に伝えなかったことと、双方に対する説明を怠ったことを謝罪された。けど、
「いや、あれは私も悪かったし…」私がキレたきっかけである下町言葉の件は、私の思い違いだった。だからあれは逆ギレなるものじゃないか、と反省を込めて述べたら、「だからってあんな言い方すること無いじゃないの」というエレナの言を皮切りにして、何故かレオナール様の悪口になっていった。
代わりに怒ってくれているのは分かったが、もし盗み聞きされたら外交問題に発展するかも知れないという考えに至った私は、それをやんわりと諫めたのだった。
たしか───
「レオナール様は悪くないよ。普通に考えたら、私がシスリアだと──前世の記憶があって転生をした、なんて言っても、頭のおかしい人だと思われるのが普通の反応なのに……それを、彼が悪いと責めた私が悪い。
彼は人の上に立つ方なんだから、冷静に物事を判断しないといけないんだし…そう考えると、あの対応は適切だったと思うけど、」
「そんな事関係ないわ! 私たちだって、灯里の中身がシスリアだと気が付いたのよ? なんで、シスリアが死んだときにあんなに悲しんでいたくせに、いざって時に受け入れられないのよ…! バカなの!?」
「いや、あれが正常な反応だって。君らが特殊なだけで…」
「頭の柔らかさくらい備えておきなさいよ、まったく! それに、シスリアをこんなに追い詰めるだなんて……! いえ、これは私たちにも非があるのだけど…っ」
「いや、だからね、プレゼント大作戦の事なら良いって。一応の和解はしたし、そんなに気に病まなくていいよ? ほら、結果的にとりあえず最悪な状況にはならなかったんだし」
「……たしかに結果も大切だけど、そこに至るまでの過程だって大事よ」
「うーん…。ぶっちゃけ過程はどうでも良いんだよね。シスリアと彼がああいう関係になったのは結果で、過程はけっこう複雑だし。…だって、本当は彼の兄の側室候補だったんだよ?」
───以上のような会話をしたと記憶してる。
会話が噛み合っているようで噛み合っていないけど。
それと、後から、公務を終えたらしいエルヴァも顔を出してくれた。
彼にも謝られたけど、気にしてないのだと再度説明をしたらあっさりと引き下がってくれた。こういうところは男女の違い…というより、個々の性格の違いなんだろう。
そして。落ち着いてから、エルヴァに「隣国にできるだけ早く着く配達方法はないかな? あぁ、魔法便は却下。自分で伝えたいし」要望を伝えると、「それなら馬でも走らせて手紙を届けさせようか?」との返答が返ってきた。
「そこまで大層なことしなくて良いから! たかが便箋一、二枚のためだけに隣国の王宮にまで走らせなくて良いから!」 ……たまに王族はおかしいと思うんだけど、今がまさにそれだ。もしもしエルヴァさん、それは権力の無駄遣いですよー?
思わず頭を抱えたら、その隣からいい案がもたらされたのだった。──曰く、「それだけなら、鳥に運んでもらえば良いじゃないの。夜でも飛べるような鳥だっているし、速いやつを選べば往復に一日もかからないと思うわ」と。
便箋はエレナからもらった。
封筒も戴いた──その封筒は、貴族間でよく使われるタイプのやつだった。かく言う私も、シスリアの時に何度か使ったことがある。
不届き者には天罰が下る。それを具現化するように、勝手に見ようとする者の身体には高圧の電流が流れるという仕掛けがある。要は、スタンガンを連想してしてくれればいい。
その魔法の威力や、封筒のデザイン等によって価格が異なるので、専門店で見て回る場合は、選びがいがあって楽しい。
前世の知識から推測するに、この封筒はお洒落な花柄模様が付けられているから、それなりに高いはずだ。
宛先はオズウェルにして、手紙の内容はルースラッド国の言語で記した。
前世の記憶あり+精神的に大人になるのが早かった私でも、英語という他国の言語に苦労させられているのだから、いくら頭の良いオズウェルであろうとも母国語ではない言語を読むのに苦労するはずだ、との考えだったのだが……。
灯里は知らなかった。
オズウェルが、ルースラッド国を肇とする友好国及び同盟国の言語はおろか、一切貿易すらしない国の言語でさえ、理解し流暢に使いこなす事が出来るという真実を。




