第20コーラス目「混沌!」その7
「じゃあ、今日から今年のNコンの課題曲を練習し始めます。正直、今から開始は遅いんだけど、仕方ないわよね」
雅が教室を出た後、現は手元のスマホから曲を流した。曲は「Gifts」。作詞作曲はSuperfly。3月10日にNHKで発表された音源を現が持っていたものを栗木がアレンジを加えたものだった。
初めは低めのアルトとソプラノのコーラスからスローで始まるが、徐々にテンポを増していく曲調。いかにも流行歌を歌う歌手が作ったと思わせる転調や言い回しが多く、なにより、各パートの掛け合いクロスが多く、過去の課題曲より難易度は高いとの評判だった。一部では、アンジェラアキの「手紙」以来の傑作ではないかとの声もあるくらいだった。
「あ、これ...」
真湖が呟いた。新栄中学を訪問した際に校舎から聞こえてきた曲だった。まさに、2軍の彼らもこの曲を練習していたのだった。もちろん、彼らが見学した際には別の曲を歌っていたのだが。
「そうだね」
乃愛琉が、そっと相槌を打った。
曲が終わり、現がスマホをしまっても、部員からは声が出なかった。3年生はすでに何度も聞いていたが、1,2年生の大半は、完全に初聞に近かった。特に1年生に至っては、これが課題曲と言われても、何かコメントをするにはまだ何も知らなさすぎた。
「かげんの...」
沈黙を破るように、櫻が歌い始めた。スマホの音源ではよく聞き取れない部分があったにも関わらず、ほぼ正確に、そこにはないはずの楽譜の音符をなぞるように正確にメロディイラインを歌い始めたのだ。たった一回しか聞いていない曲を丸々覚えているのだ。まるで、録音機のように。抑揚や、感情を込めるところは弱いが、確かにさっき聞いたあの課題曲に間違いなかった。
それに釣られるように、原曲を知っている3年生が続く。真湖たちも、拾えそうなところはなんとか着いていこうとする。メロディラインに引っ張られて、ハモりも合わず、掛け合いも不釣り合いな、合唱とはかけ離れた、呟きの塊のような曲ではあったが、最後まで全員で歌いきった。
「いい...曲」
歌い終わると、櫻がそう呟いた。
「そうだね!いい歌だね!」
真っ先に真湖が答えた。
「いいじゃん」
「いいねー」
最初に聞いた曲のイメージは皆一同に「難しい」だった。だからこそ、誰も何かを言おうとしなかったのだ。ところが、櫻が歌い出し、皆で、それをなぞった結果、たった一回なぞっただけにも関わらず、その印象は、「難しい」から「良い曲に」変わったのだ。一気に全員の緊張がほぐれたようだと、現は思った。改めて、吉祥寺櫻は天才だと認識した。何かを奪われてしまった彼女に、神様は一つだけ特別なプレゼントを置いていったのだろう。
「さあ、じゃあ、早速練習始めるわよ。時間ないんだからね。各パート、それぞれ集まって、音合わせから!」
現はそう言って、各パートにリーダーを決めて、楽譜を配り、練習開始の合図を送った。
こうして、混沌としていまだ前の見えない西光中合唱部は、ようやくNコンへの本当の第一歩を踏み出したのだった。




