第二十九章 四の背景
「あぁ…疲れた……」
あれから利道は、何とか追っ手を振り切り一息ついていた。辛うじて無傷だったが、あそこまで追い詰められたのは本当に久し振りであり、また召喚された自分と同等の実力を持った者で溢れ返っている世界というは初めての経験だ。
今は亡き魔王は地形を変えるほどの大規模な魔法を行使していたが、さっき戦った騎士もそれに負けず劣らずな強力な魔法を使っていた。しかも、あれだけ大きな魔法を使ったにも関わらず、全く疲れているように見えなかったところを考えるに、まだまだ余裕で戦い続ける事が出来たろう…
そして、そんな怪物染みた騎士と互角の戦いを繰り広げていた機兵もまた、充分に化物染みていると言える。個々の火力に関しては魔法使いたちの方が上のようだが、身体能力の高さとそれを利用した戦い方は彼らの方が上みたいだった。圧倒的な魔力の奔流に決して怯まず、掻い潜りながら僅かな隙を決して見逃さず、確実に反撃をするという、彼らの堅実な戦い方には思わず舌を巻いた程だ。
「絶対に僕が召喚される必要、無かったろコレ。魔王が暴れるより、彼らが本気で戦争した方がよっぽど世界の危機だよ…」
たかだか二十人前後の人員による戦闘で、大戦争状態になるなのだ。夜羽が教えてくれた話によれば、魔王は殺した人間を屍兵として操り、自分の配下にして軍勢を作って世界を破滅させるスピードを上げるそうだが、アレはそれ以前の問題だ。彼らのような猛者たちが万単位で衝突したら、世界には屍どころか大陸さえ残らないのではなかろうか…
「……待てよ? もしかして僕がこの世界に喚ばれた理由って、この戦争を止めることなのか…?」
もしもそうだとしたら、それはそれで納得できる。あの騎士が自身の持つ力の全てを注ぎ込んで発動させた魔法の威力は想像したくないし、明らかに利道の世界より進んだ科学技術を持っている帝国が保有する兵器は、数も質も洒落にならない筈だ。ましてや王国と帝国は、互いに大陸の三分の一に匹敵する領土を有している為、国力に関しても同じである。
何かの間違いで世界戦争が起きた日には、確実にこの世界は終末を迎えるだろう…
「…でも、戦争中と言う割には……」
利道は徐に近くにあった木に登り、魔力で視覚と聴力を強化して辺りを見回した。確かこの辺は大陸の中央のそのまた中央であり、二大勢力の陣営に丁度挟まれた場所に位置している。故に、森の中に悠然と聳える、両国の要塞や補給施設を幾つも見つけることが出来た。そして、まばらだが王国と帝国の兵士達が小競り合いをしている現場も目に入ったのだが…
「これだけ互いの戦力が密集しているのに、戦いの規模が小さいな…」
確かにチラホラと戦場になっている場所はあるが、どれも小隊か中隊規模による戦いだ。先程のように地形が変わる程の物騒なものだが、利道が危惧している程のモノでは無い。何より、この近辺にある全ての要塞や施設からは、常に周囲に対する警戒は怠たらずピリピリした空気は出ているものの、敵陣に向かって出撃する雰囲気は全くもって感じられない。
攻める気は無いが、敵が攻めてくるかもしれないから緊張状態が解けない。これではまるで…
「冷戦みたいだ…」
「冷戦“みたい”って言うか、実際そうなんだよな…」
唐突に自分の独り言に口を挟んできた、もう一つの声。その声は軽薄で掴み所のなさそうな、随分と聞き覚えのあるものだった。声のした方へゆっくりと視線を向けると、隣の木に自分と同じようにして登り、幹に背を預けながら枝の上に立つ金髪青コートの空賊が居た。
「……さっきから誰かに見られていると思ったら、君だったのか…」
「おや、バレてた? どうりで隙が無い訳だ…」
そう言って空賊…ヴァン・リーガロッドは、ケラケラと笑いながら利道の方の木へと飛び移ってきた。細い枝を揺らす事無く、軽い身のこなしで此方に近づいてくる彼の表情は終始笑顔である。その明らかに胡散臭い笑みを浮かべた男を前に、利道は夜羽に手を置いた。その行動を見て、空賊は少しだけ表情を曇らせた…
「おっと、穏やかじゃないな。俺はただ、お前を愉快な空賊ライフへと誘いに来ただけ…」
「断ると言った筈だよ。そもそも僕はセールスだろうが新聞だろうが、しつこい勧誘は嫌いなんだ…」
この世界の現在に関する情報が不足しているのは確かであり、自分のこれからの生活を保障してくれるというのは、まさに渡りに船であろう。しかし、それを差し引いてもこの男を信用する気にはなれなかった。空賊への勧誘を諦めてくれなかった事もあるが、どうもこの目の前の空賊は自分と相容れない存在のように思えて仕方が無いのだ。特に根拠も無く、ハッキリとした理由は自分でも分からないのだが、相手に対してこんな風に感じたのは初めてである。
その事を知ってか知らずか、ヴァンはヤレヤレと言わんばかりにため息をひとつ吐き、少々面倒くさそうにしながら口を開いた…
「仕方ねぇな…とにかく、現在のベルフィーアがどんな世界なのか教えてやる。そうすりゃ、ちっとは気が変わるだろう……」
「……」
「おいおい無言で睨み付けんな、マジで怖ぇよ…」
「……何を企んでいる…?」
「別に何も企んじゃいねぇよ。単に俺は、お前を勧誘したいだけ。このベルフィーアの現状を聞いて、それでも俺の世話になるのは嫌だって言うのなら、俺はお前の勧誘を諦めるよ…」
その言葉を聞いて、利道は少し考え込んだ。正直言って余り信用は出来ない気もするが、せめて話を聞く位なら問題は無いだろう。最終的に彼が約束を破り、力づくで自分を従えようとするのなら、全身全霊で抵抗、もしくは逃亡してしまえば良い。そう思った利道は結局、彼の提案を受け入れる事にした…
「分かった、話しを聞かせて貰う……いや、聞かせて下さい…」
「……アストより律儀な奴だな。ま、取り敢えず最初はさっきの冷戦うんぬんの話でも…」
―――この十分後、利道は自分の選択を後悔する事になる…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいまヴァーディア、魚は焼け……おや、前言撤回するのかな…?」
「え!? あ、その、コレは…」
不意に声を掛けられたヴァーディアは驚き、焚き火で串焼き中の魚に伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。『絶対に二人が戻るまで待つ』と言っていたにも関わらず、食欲に負けそうになった彼女のその様子を見て、利道は思わず苦笑いを浮かべた。
日がすっかり沈み、時刻は夕飯時。昔話も野暮用もまだまだ長くなりそうなので、利道は夜食の調達をする事にした。自分一人なら一食抜いてそのままのつもりだったが、勝手についてきたとは言え、女の子二人にまでそれに付き合わせる気にはならなかった。何より、目の前で二人に『ク~』っと可愛らしい腹の虫の音を聞かされたとあっては、躊躇う理由など無かった。
取り敢えず川で魚を三匹捕まえたが、それだけでは少々物足りない。なので自主志願したヴァーディアに魚と火の番を任せ、森に詳しいミレイナと一緒に利道は、食べられる野草なり木苺なりを求めてその場を一端離れたのである。そして追加分の食糧を手に戻ってきたら、さっきの光景を目にしたわけで…
「その…そう、アレです!! 片面を焼き過ぎて焦げないように、魚の向きを変えようかと…」
「めっちゃ垂れてたわよ、涎が…」
「よ、涎じゃありません!! 涙です、煙が目に入って涙が…」
「あなたが座ってる場所、風上だけど…?」
ミレイナの指摘により、彼女の言い訳はそれ以上続かなかった。言葉を詰まらせたヴァーディアは無言で焚き火から少し離れ、そのまま利道達に背を向けた状態で座り込み、イジけてしまった。
余談だが、利道が城の地下牢に引き篭もっていた頃、たまに彼女が運んできてくれた食事に、明らかに齧った跡のある物や空っぽの食器が紛れ込んでいた時があったのだが……もしや…
「ところでトシミチ、そろそろ話の続きをしてよ」
「うん? あぁ良いよ、夜食の用意も出来たし……ほらヴァーディア、イジケてないで戻ってきな…」
「……はい…」
何が居るか分からないので、周囲に魔法の加護と結界は展開してあるが、やはり近くに居た方が安全であることに代わりない。当の彼女も、彼自身に手招きされながら呼ばれたとあって、割と素直に従った。
そして焚き火を三人で囲み、良く火の通った魚の串焼きを手に取って一口齧ったところで、徐に利道が話の続きを始めた。
「まず『冷戦』って言葉、この世界にもある?」
「ありますよ。ていうか人間達が王国として一つに纏まる前は、暫くその状態が続いていました」
国家間の武力によらない激しい対立状態…それが冷戦。利道の世界や、ヴァーディアとミレイナが生きるこの世界においても、平和と戦乱の狭間とも言える、この冷たい戦争は存在していたようだ。
利道は冷戦時代の世代では無いが、それがどんなものかは知識として知っていたし、その上ベルフィーアを訪ねた際にその身を持って経験する事になった。
「因みに、今は?」
「微妙なところです。今のところ、獣人やエルフの国々が冥軍に便乗して攻めてくるなんて事はありませんが、助けてもくれません。良くも悪くも不干渉、と言った感じですね…」
「そりゃ、あたし達だって仲が良いとは言えない国の為に、個々の助け合いならともかく、国を挙げての救援は躊躇うわよ…」
王国の人間…特に王都の住人達は亜人達を見下し、差別する傾向がある。そんな彼らに対する亜人達も、似たような態度を取っていた。しかしながら、ヴァーディアやミレイナ達の様子を見るに、その風潮が世界の隅々に蔓延っている訳でも無いそうだ。
利道とミレイナの様に互いに困ってたら手を貸すし、国境付近の兵士達は種族に関係なく、すれ違う度に挨拶を交わす。そもそも、王国の領内で暮らす亜人も、亜人の国で暮らす人間も、この世界では決して少なくない。これらの事を踏まえると、少なくとも昔のゼルデットよりは大分マシと言えるだろう。
ただ問題なのは、ミレイナ達のような気質を持つ人物が、各国の中枢とも言える場所や土地に少ないというのが現実であり、それが今の状況を作った原因にもなっているのだろう…
「それで、ベルフィーアの場合はどうだったんですか?」
「さっきも言った通り長い間、王国と帝国は戦争を続けていた。そして開戦から五百年経ったある日、二つの大国は決戦のつもりで、互いに殆どの戦力を投入したんだけど…」
五百年も拮抗し続け、互いに進化し続けてきた両国。二度目の魔王襲来の時代と比べたら、その技術力は遥かに進歩していた。王国は魔王に匹敵する騎士達を育て上げ、帝国は魔法無しで魔王の破壊力を再現できる術を生み出す事に成功していた。そんな馬鹿げた力と力が万単位でぶつかり合って、ただで済む訳が無かったのである。
街一つ簡単に吹き飛ばす何千、何万という大規模攻撃魔法が放たれ、それに匹敵する威力と数の砲弾やミサイルが発射された。王国軍が巨大な召喚獣を解き放てば、帝国軍は巨大な機動兵器を出撃させ敵を殲滅した。要塞型ゴーレムは道を阻む有象無象を片っ端から蹂躙し、空飛ぶ大艦隊は進路上にあったモノを全て薙ぎ払った。
空と大地を破壊と絶望で埋め尽くした戦いは両陣営共に、戦闘開始から暫く戦況が拮抗した事もあり、決着は当分つかないと誰もが思った。ところが予想に反して、後に『終末予行』と称されるこの戦いは、たったの一日で終了してしまったのである…
「一進一退、互角の攻防が繰り広げられ、互いに攻め切れず戦場はある意味の泥沼化。けれど、当事者達はまだまだ疲弊しきって無くて、理性と分別が残っていたのが救いだったのかもね。ソーサレイドの大和連邦とかと違って、当時は『信念』じゃなくて『利益』で戦っていたというのもあるけど…」
戦いは夜通し続き、帝国も王国もまだ戦意は喪失していなかった。当然ながら戦死者及び負傷者は続出したのは確かだが、ベルフィーアの進んだ医療技術がその数を限界まで減らした事により、互いに戦力の疲弊は全体的に見れば少なかった。
にも関わらず、この激しい戦いは呆気なく終了してしまった。戦闘が丸一日続き、翌朝の太陽が戦場を照らした途端、戦場に居た殆どの兵士たちは顔色を変え、動きを止めて口々にこう呟いたのだ…
―――『……ここは何処だ…』、と…
キルミアナ帝国とマルディウス王国の目的は、ベルフィーアの統一。その覇権を巡って二つの国は争い続けた。故に彼らが欲したのは戦闘による勝利そのものでは無く、勝利によって得られる仇敵の領土と、その布石となる大陸中央部の領有権。
悠然と聳える大自然、交易によって利益をもたらす亜人の国々、古代の民が残した遺跡の数々、広大な土地に眠る莫大な資源…その全てが凝縮された、大陸の半分を占める広さを誇っていたその土地の為に、その土地を手に入れる事によって祖国に大きな繁栄を齎すその為に、彼らは戦った。
そんな俗物的で、ある意味打算的な彼らだからこそ、戦いを中止せざるを得なかった…
―――たった一日の戦闘で、中央部の9割…大陸全体のほぼ半分を、何も無いただの更地に変えてしまったのだから…
「欲しかったモノを自分達で吹き飛ばしちゃった帝国と王国は、相手と停戦協定を結ぶ事すらせず、即座に軍を退かせた。国に引っ込んだ後は、そのまま残った戦力を防衛に回して相手の出方を窺い続けたらしい…」
自分たちが何をやらかしたのか自覚した両軍の将達は、自然と撤退命令を出していた。惨状を聞いた国の上層部たちも大して文句は言わず、結果を深刻に受け止めた。その顛末は、王国も帝国も大して変わらなかった。
しかし互いに互いがどんな判断をするか分からなかった帝国と王国は、相手の動向に神経質にならざるを得なかった。無論、両国とも自身が所有するあらゆる技術を使い、壊滅した中央部の復興を宣言した。それまで互いに戦闘行為の類は一切禁止する…と言った内容の休戦協定も結ばれ、暫くは仮初の平和が続いた。しかし、これだけの事態を引き起こしておきながら、両国ともベルフィーア統一の野望は微塵も諦めていなかったのである。
「戦闘行為の禁止が『中央部が復興するまで』って言った辺りなんか、特にその証拠だろ? けれど流石に、また大規模な戦いを引き起こしたら同じような…ううん、年月が経って技術が進歩した分、もっと酷い結果になるのは理解していたみたいだ……」
中央部の再生が完了し、協定による戦闘行為の禁止期間も終わりを告げた。すぐにでも世界統一の野望を果たしたい帝国と王国だったが、かつての経験がそれを躊躇わせた。しかし、相手が自分達と同じ事を考えているのか分からない以上、軍の再建と増強をやめる事は出来なかったのだ。
そして『終末予行』と呼ばれたあの戦いから5百年という年月が経っても、帝国と王国の関係は自分達の力の大きさを自覚した点を除いて、ついに殆ど変わる事が無かった…
―――その結果出来上がったのは、何かの切っ掛けがあれば大爆発を起こしかねない、不安定で歪な空気に包まれた、冷戦の様な時代だったのである…
俺たちの世界って異世界勇者から見たら、どんな風に映るんでしょうね…




