第十九章 三の切掛
十日振りの更新になってしまいました…
分からない、もう何も分からない
何が正しくて、何が間違っているのか
僕はいったい何の為に喚ばれた?何の為に力を与えられた?何の為に命を懸ける?
僕が背負うモノはこの世界の全て
故に選択を誤ることは許されない、
やり直しは許されない
誰かに尋ねることも許されない
助けを求めることも許されない
だからこそ全てを躊躇い、何も出来ない自分が居る
それでも僕の中に、全てを投げ出すという選択肢は存在しない
どんなにゆっくりであろうとも、歩みを止めることは無い
例え、その先に何が待っていようとも
―――ずっと、そう思っていた…
◇◆◇◆◇◆◇
利道は初めてゼルデットに刃を向けた時の様に、ぼんやりとした思考のままベッドの上で天井を見上げていた。その表情はこれ以上に無い程の無表情である…
「……ほんと、どうすれば良いんだろうな…」
ロータスからの対話を終えた利道は彼の最後の問いに答えることは出来ず、逆にロータスも同じ疑問を持っていた利道に答えを返すことは出来なかった。答えを求めて世界を彷徨った二人はその現実に落胆したものの、目指すべきものは互いに同じと云うことでこれから暫く行動を共にすることになりそうだ。
しかし、その事が決まった時にはすっかり夜になっており、出発するには少し遅すぎた。その為、今晩はキリエの家に泊まらせて貰うことになったのだ。そして今、自分は貸してもらった部屋でさっきからずっと考え事をしてるというわけである…
「……。」
―――自分を救世主として喚んだのはゼルデット
―――ゼルデットがデモニアに対する行いは、自分が最も嫌悪するもの
―――けれど結果だけ考えれば、ゼルデットは自分の造り出した大陸を取り返そうとしているだけ
ニズラシアの時も、ソーサレイドの時も全てはもっと単純だった。だけど今回は、今までと少し事情が違う。少し小賢しくなった自身の頭が、全てを躊躇わせる。
―――そもそも何を救えば、世界を救うことになるのだ…?
―――守るべきは国なのか?
―――正しさか?
―――歴史か?
―――それとも人そのものか…?
かつて訪れた一つ目の世界では、初めて出来た親友を失いたくないが為に命を懸けた。二つ目の世界では物心付く前に両親を亡くした自分に、勝手ながら親の背中とういうものを感じさせてくれた師匠の為に命を懸けた。世界の救済自体はそれらの過程に過ぎない。
つまり、最初から世界の救済を志したのは今回が初めてだったのだ…
だからこの世界に喚ばれた当初、自分は『言われた通りにすれば良い』などと甘い事を考えた。その結果が、自分のやる事に後悔と迷いを抱える今の状況だというのに…
「物語に出てくる勇者や英雄も、こういう事を悩んだりしたのかな…」
自分が昔よく読んでいた絵本の殆どは、勇者や英雄が活躍する冒険譚ばかりだった。それ故に、憧れも大きかった。だけど、現実はこんなものだ。どちらか一方の為に、もう一方を不幸にしなければいけない…命を懸けたいと思える様な存在が無い今、そんな事を悩み続けなければならない自分が居る。
「……もう駄目だ、明日考えよう…」
寝る時間も削って考えたが、自分が求める答えは出そうにない。しかも本音を言えば、暫くの放浪生活のせいでフカフカのベッド自体が久しぶりであり、その心地よさによって増強された睡魔に敗北寸前だったのである。というわけで、色々と考えることを諦めて利道は一端眠ることにした……
―――コンコンッ…
「…ん?」
そう思った矢先、部屋の扉がノックされた。手放そうとした意識がすぐに戻ってきてしまい、その事を疎ましく感じたのとほぼ同時に扉が開かれる…
「利道さん、起きてますか…?」
「キリエさんか…どうかしました……?」
入って来たのはこの家の主であるキリエだった。こんな夜中でありながら既に寝間着から普段着に着替えており、まるでこれから一日が始まるかのような雰囲気である。
「朝食の準備が出来ましたので、声を掛けに来たんですけど…」
「……え゛、朝食…?」
「あの、大丈夫ですか…?顔が凄く酷いことになってますけど、眠れなかったんですか…?」
―――言われて部屋の窓に目をやると、薄っすらと朝日が差し込んできた…
◇◆◇◆◇◆◇
「……おはよう…」
「おはよう…良く…眠れたかい……?」
「……多分、そっちと同じくらい…」
「…成る程……」
キリエの案内で居間に来て見ると、自分と同じくらい酷い顔をしたロータスがテーブルに着いていた。どうやら彼も自分と同じく眠れなかったらしい…
そんな彼とは反対側の席に着き、自身も用意された朝食用のパンに手を伸ばす。それと同時にキッチンへ入って行ったキリエがスープの入った鍋を手に戻り、それをテーブルの真ん中に置いた。そして彼女もまた席に着く。彼女の子供はまだ部屋のベッドでぐっすり眠ってるようで静かだ…
「二人とも、大丈夫ですか?何なら、まだ寝てても……特にロータスさんはいつにも増して酷い顔してますし…」
「いや、心配には及ばない。それこそ、こんなのいつもの事だから…」
そのやり取りを聴いてふと思った。いや、そもそもキリエが自分のことをロータスに報せた、もしくはその伝手を持ってる時点で分かり切っていたことだ。どうやらこの二人は…
「もしかして二人とも、結構長い付き合いだったりする…?」
「あぁ、そうだね。利道君がこの世界に来る前から、私はキリエの世話になっている」
「あの時は本当に驚きました…朝、玄関を開けたら目の前にボロボロの何か居ましたし、おまけに良く見たらゼルデットの民でしから心臓が止まりそうになりましたよ……」
曰く、天空都市から追い出されたロータスは昨日の話の通り世界を放浪していたらしい。しかし、実質着の身着のままの状態で放り出された彼はすぐに限界を迎える羽目になった。朦朧とする意識を辛うじて繋ぎ止めていた理性が遂に消え去り、心身共に死に掛けの状態で動き続けた足が歩みを止めたのが彼女…キリエの家の前だったそうだ。
無論、キリエは日頃ゼルデットの連中の手によって残酷な目に遭わせられているデモニアの一人だ。最初は当然の如く警戒した。ところがその時のロータスが完全に手ぶらであり、本当に死に掛けてると分かってしまうと、放っておく事が出来なかった。そして結局、彼は彼女の手によって一命を取り留めたのである。
「命を助けて貰ったこともあって、私はキリエに自分の事情と目的を話した。流石に直接協力して貰う事は出来ないが、理解して貰うことは出来た。そして地上に降りて初めて出来た縁ということもあって、それ以降もこの集落を基本的な拠点として使わせて貰ってる」
集落に住む人々は最初こそロータスを警戒した。ゼルデットがデモニアに対して行った所業を振り返れば当然のことであり、彼はキリエの付き添いで集落の住人達と顔合わせをしにいった時は殺される覚悟さえしていたそうだ。
だが、その心配は杞憂に終わった。デモニアの人たちはロータスの人格を理解した途端、普通に接してきたのだ…
「心の底から驚いたさ。挨拶をすれば返事をして貰えるし、ゼルデットの証である翼を見ても何も言わない、同胞を殺された恨みを晴らしにくる人は……たまには居たが、その時は村の人達は私を殺しに来たデモニアの民ではなく、ゼルデットである私を助けてくれた…」
村の人達はゼルデットである彼を警戒した。ただ、初対面の時に警戒しただけでそれ以降は彼を対等に扱ってくれたのだ。しかも特別扱いをするわけでもなく、自分が何かやらかした時は堂々と非難の言葉を浴びせてくるしキレたりもする。本当に同じ目線で接してくれたのである。
「……。」
その事に、思わず利道は開いた口が塞がらなかった。暫く世界を放浪していたのだが、その様な集落は一つも目に掛かることが出来なかったのだ。遭遇した光景の殆どが、ゼルデットに襲撃されているデモニアの集落ばかりであり、自分はその出会ったこと如くを文字通り斬り捨ててきただけだったのである。
よしんば無事な集落や村が見つかっても、ゼルデットとデモニアが共に在る場所なんて無かった。そもそも、自分の身内を傷つけるような一族と誰が一緒に居たいと思うだろうか?自分はどこぞの国が日本人を徹底的に迫害したら、死ぬまでその国とそこに生きる国民を恨み、呪い続ける自信がある。
しかし、目の前のロータスは冗談にしか聴こえないそれを冗談抜きでやっていると言うのだ。
「正直な話、自身でも信じられない時があるよ。私達ゼルデットは、デモニアにとって最も忌むべき存在の筈なのだから……しかしだ、私達の思想は彼女達のソレと比べたら時代遅れも良いとこかもしれん…」
「彼女達の思想…?」
自嘲気味な薄ら笑いを浮かべながらロータスはそう言った。思わずキリエの方に視線を向けると、彼女は困惑して少々あたふたしていた。
「ちょ、ちょっとロータスさん…そんな大袈裟な言い方しなくても……」
「事実だろう?少なくとも私は君の話を聴いたからこそ、集落の皆に胸を張って接する自信が付いたのだから…」
「ロータスさん…」
「もし良かったら、利道君にも聞かせて欲しい。君自身の口から話してくれた方が、何かと伝わりやすいと思うんだ……ただ嫌と言うのなら、これ以上の無理強いはしない…」
その言葉にキリエは考え込むようにして俯いた。その雰囲気に何か気まずくなった利道は、無理をしてまで話さなくてもいいと止めようとしたのだが、それよりも早く…
「……分かりました、話します…!!」
確固たる決意を秘めた表情を見せられ、何も言えなくなった。そして彼女は前置きとして『これから話すことに関しては、既に自分の中では心の整理がついている』とだけ念を押し、話し始めた…
―――ロータスを…そして利道に全ての切っ掛けを与えることになる、彼女自身の過去を…
「利道さん…貴方は既に察しているかもしれませんが、私には夫と呼ぶべき人が“居ました”……」
「……。」
『居ました』というその言葉は、ある程度予想していた。初めて会った時から大事に抱えていた子供の存在もそうだが、彼女の薬指には銀に輝くリングが嵌められていた。にも関わらず、この家にはキリエと彼女の子供しか居ない。一瞬だけロータスの事を思い浮かべてしまったが、彼は今からキリエが始める話を聴いて考えが変わったというのだから違うだろう。
―――ということは既に、彼の夫は…
「えぇ、死にました……というより、殺されました…」
「…そうですか……」
それを聴いた瞬間、3人の着いたテーブルが重い空気に包まれた。利道は勿論の事、何故かキリエに話すことを頼んだ本人であるロータスでさえ気まずそうにしている。そうなると分かっていて筈なのに、それでも尚自分に聞かせたい彼女の過去とはいったい何なのだろうか…?
「最初にも言いましたが、私自身はこれから話すことに決着はついているので気にしないで下さい」
「いや、ちょっと無理…」
「それでも、です。もしも利道さんがゼルデットに喚ばれた救世主として、私の境遇を嘆くと言うのなら筋違いですから…」
そうは言われても、無理なものは無理だ。いくら天空都市を裏切ったといえ…少しの間だけとはいえ、異世界から召喚されたゼルデットの救世主として振る舞ったのは事実。その事実が、ゼルデットの所業を聞く度に利道の罪悪感を大きくさせていく。自分が身を置いた場所が如何に非道であったかという現実を突き付けられ、絶え間なく胸を締め付けられるような思いをした。
そして今から彼女の話を聴いいた時、自分の中に渦巻くそれらの感情は更に強くなっていくだろう…
「その顔、やっぱり気にしてますね…?」
「……。」
―――しかし、そんな利道の思いは…
「ですが、逆に今はそれが幸いとなるかもしれません……だって私の夫を殺したのは…」
―――色々な意味で裏切られた…
「ゼルデットの民では無く、私達と同じデモニアの民です」
彼女はまるでそれが、当然の事の様に…何でも無いかの如くあっさりと告げた……