第十六章 三の放浪
話がぶつ切り状態に…
「おい、聴いたか…?」
「あぁ、またゼルデットの騎士団が全滅したって話だろう?」
「いったい、誰が…」
---あれから何日経ったのだろうか…
一度目とは別の不浄の輩…いや、『デモニアの民』の集落の酒場の隅にあるテーブルに着きながら他の客たちの会話に耳を澄ませ、利道はそんなことを考えていた。
現在の彼はゼルデットの民から貰った聖剣と軽鎧をあの時の集落に投げ捨て、途中で遭遇した盗賊やら聖騎士団を返り討ちにして手に入れた黒い服と細身の剣で身を固めている。
この世界の救世主として扱われた時の利道を知る者が彼と出会ったところで、本人だと気づく者はまず居ないだろう…
「まさかクレイトの集落に現れたっていう奴がやったんじゃ…」
「『天空都市の裏切り者』のことか?本当に居るのかそんなの…」
「けど未だに見たって言う奴が増えてるし、もしかしたら…」
天空都市の裏切り者…その言葉を聴いた瞬間、利道は思わず自嘲気味な笑みを浮かべた。まさにそれは、今の自分にとってこれ以上に無いほどピッタリな異名ではないか。
この世界に呼ばれ、救世主としての役目を貰った。それなりの地位も与えられた。聖剣と魔法を渡された。そして何より、空を自由に駆ける権利を授かった。
自分が救世主であることも関係していたのだろうが、どちらにせよゼルデットの民達には世話になった。彼らの世界を救うと…救世主の役目を全うしてみせると約束した。
---そんな自分は初陣で、仲間である筈の聖騎士団100人を皆殺しにした
初めての討伐作戦で訪れた集落で、子供を抱えたデモニアの女性を胸糞悪い笑みを浮かべたまま斬ろうとした騎士を斬り捨てたその瞬間、彼ら聖騎士団の地獄は始まった……否、彼方利道という少年を自分達の戦場に連れて行った時点で既に始まっていたのかもしれない…。
この戦いを終わらせるべく、目の前の不浄達を殲滅する為に呼ばれた筈の救世主が、不浄を護るために自分達に刃を振るった…たったそれだけの事実なのだが、騎士団の連中は中々その事実を受け入れることが出来ず、暫く呆然として立ち尽くすしかなかった…。
だが目の前の利道が何かを呟き、騎士団と同じ様に呆然としていたデモニアの女が、それに反応するかのように立ち上がって逃げようとした所で数人がようやく我に返る。そして、それを逃がさんとばかりに魔法を彼女に向かって放とうとしたところで、二度目の衝撃が彼らを襲った。
騎士達が放った魔法を、不浄を護るようにして利道が魔法を放ち、それを全て撃ち落したのだ…。この世界に呼ばれる際、神から特別に授かったとされる救世主としての力はやはり絶大で、手練の騎士数人掛かりで放たれた魔法を利道は容易く迎撃して見せた。その光景は、改めて騎士団を戦慄させるには充分過ぎる光景だ。
最早、利道の正気を疑う段階など当に過ぎている。彼が狂っていることは不浄の輩を護った時点で確定している。救世主を失う事は気が引けるが、この状況では仕方が無い。“代わりはまた喚べば良い”…
騎士団長がそんな事を考えた時には既に、彼自身の首は宙を跳んでいた…
あらゆる事を考えるのをやめ、慈悲も与えず、容赦もせず、利道はゼルデットを護るために渡された筈の聖剣で次々と天空都市の聖騎士団を斬り捨てる。最初の衝撃と、その利道の動きに圧倒された騎士団の連中が恐慌状態に陥るのに左程時間は掛からなかった…。
先程まで狩る側だった彼らは、あっという間に狩られる側へと身を転じたのだ。剣を振れば剣ごとその身を両断され、盾を構えれば盾ごとその身を貫かれる。魔法を放てば、放った倍の威力を持つ魔法が撃ち返される。まるで理不尽そのものを体現した利道の前に聖騎士団は逃げ出すことも忘れ、一人残らず彼に向かっていった。
そして気付いたら、壊滅した集落で立っていたのは、利道ただ一人になっていた…
全てが終わり、集落に住んでいたデモニアの民の血と、それ以上の量を流した聖騎士団の血で赤く染まったその場所で虚ろな瞳になりながら、無意識にただ空を見上げることしか出来なかった利道。いつの間にか空は曇天が広がっており、やがてポツポツと雨が降り始めた。最近までは雲より高い所に居たため、雨に打たれるのは随分と久しぶりの感覚だ…と、ぼんやりとした頭で随分と場違いなことを考えながら、彼は覚束無い足でその集落を去った。
---ゼルデット史上、最大の悪夢の始まりを告げながら…
その集落を去った利道はその覚束無い足とぼやけた頭のまま、特に目的を持つこともなくフラフラと放浪の旅に出た。その途中、幾度と無くデモニアの集落を襲うゼルデットの騎士団に遭遇し、そしてその度に最初の集落で目撃した惨劇と同じ光景を目の当たりにし、その全てに対して本能の赴くままに首を突っ込み、騎士団を血祭りにしていった。幸か不幸か逃げる者、降伏した者に無意識で手を出さなかった事が影響したのか、最近では利道の姿を見ただけで逃げる騎士達も少なくない。
そんな事を繰り返しながら時間が過ぎ、旅の途中で立ち寄ったデモニアの村でつい先程、自分の事を噂する者たちの声が自分の耳に届いたというのが現状である。
(そろそろ出るか…)
簡単に発覚するとは思えないが、自分がその裏切り者の張本人であると知られたら面倒なことになるのは確かだ。下手をすればこの場に居るデモニアの人たちに、ゼルデットの奴らと同じ事を言われるかもしれないし…
---何より今の自分は、何がこの世界にとって正しいのかすら分からないのだ…
世界の救済のため、護るべき対象と思ったゼルデットの民。だけど、それは間違っていたと自分の感情がはっきりと告げている。それでも尚、頭の何処かで己の感情さえ疑う自分が居る…。
次の選択も間違えるのでは?と…
そんな今の自分に再び『世界を救え』等と懇願されても、もう何も出来る気がしない。いっそ誰かにこの疑問を…あの最初に訪れた集落の時からずっと胸中に漂う、このモヤモヤしたモノの答えを教えて欲しいくらいだ。
(けど、それが出来る人なんて何処にも居るわけがない…)
そう思い深いため息を吐きながら、あの時からずっと重い足を引きずる様に動かしながら、彼は席を立った。一度護ると決めた相手に対して、心からの憎悪を抱いて殺した……その事に対し、依然と心の整理がついていないのか…
利道がその事実に再び自嘲気味な笑みを浮かべた、その時だった…
「あの…」
「ん…?」
「貴方、あの時の人ですよね…?」
振り向くとそこに、最初の集落で利道が助けた時と同様に子供を抱えた、あの時のデモニアの女性がすぐ後ろに立っていた…




