◆9◆
「ねぇ、ソラ。あんたソラって言うんでしょ。ソラ」
あぁ、もううるさいなぁ。何だよこの人間の女は……
昨晩は、あまり食欲も無かったソラだが、今朝出された食事はキレイに残さず食べた。
土間に寝そべっていれば、外の灼熱は遮られてウソのように涼しかった。
琉美は、そんな寝そべるソラに、何度も話しかける。
しかし、ソラはそれに応える事はしなかった。
そっと薄目を開けて覗うソラを、琉美は好奇心に満ちた眼差しで見つめた。
……そんなに、ジッと見るなよ。
「ソラって何だか、若草のような匂いね」
何だそりゃ……
ソラは、いちいち琉美の言葉に、心の中で反応していた。
「まだそっとしておいた方が、いいじゃろう」
重三郎が、やたらとソラを気に掛ける琉美に向かっていった。
「そうだね」
琉美はそう言って庭に出ると、熱い陽差を避けて縁の下にいたブン太に声を掛けた。
「ブン太と出かけてくるね」
重三郎にそう言って庭を抜けていく琉美を、ソラはこっそりと目で追っていた。
ブン太は、土間の入り口から僅かに見えるソラの鼻先を、チラリと見てから、庭を駆けて行った。
「あら、またお出かけ?」
あぜ道を横切ろうとした時、和江がちょうど昇って来たところだった。
「うん、ちょっとその辺まで」
琉美はそう言って、和江の持った籠を見て
「うわあ、とうもろこし」
「お昼の後にゆでとくから」
和江はそう言って笑うと
「もう直ぐお昼だからね」
「うん。直ぐに戻るよ」
琉美はそう言いながら、ブン太に咳かされるように駆けて行った。
少し山を降りると、林の中に小さな畑が幾つかある。その殆どは村の人が個人で食べる為のものだ。トマトや、きゅうりやジャガイモ。大きなネットで囲われているのはとうもろこしだ。
琉美は畑の横に生えた自分の倍もありそうな大きなひまわりを眺めながら、その先の水田跡に向かった。
今は使われていない小さな水田は、自然の湧き水を利用していた為、溜池のようになって残っている。
どじょうやイモリやおたまじゃくし、そしてアメリカザリガニが、当たり前のようにうごめくその場所は、東京で育った琉美にはいかにも神秘的だ。
触るのは怖いが、見るのは好きだった。
得体の知れない生き物が、自分の意思で動き回る様は、なんとも不思議な光景だ。
こうして琉美は、一人でも都会には無い自然を堪能するのが好きだった。
「山の向こうで、賞金狙いがまた死んだそうですよ」
和江が、昼食の用意をする合間に、重三郎に言った。
「賞金狙いって、あのファングとか言われている奴かい」
「山犬とか、犬神とか言われてますね」
「犬神かぁ。そりゃ、ワシも会ってみたいもんじゃ」
重三郎は、仕上がった器類を、窯に入れる準備をしていた。
「会ってみたいだなんで、あった時は死ぬ時ですよ」
和江は目を丸くしてそう言った。
「相手の命を狙うから、こっちの命を取られるんじゃ。わしゃ、ただ見てみたいだけじゃ」
重三郎は、そう言ってホホホッと、小気味よく笑った。
「そう言われてみれば、死んだ猟師って、みんな仲間の鉄砲で誤射してるんですよね」
「きっと、どえらく賢い犬神さんなんじゃろう」
会話をしながらも、和江は手際よくちゃぶ台に料理を並べていた。
相変わらず土間に寝そべったソラは、耳を立ててそれを聞いていた。
その耳が、ピクリと動いた。
少しして、庭には琉美とブン太の姿が現れた。
「あぁあ、人間なんかと一緒に走って楽しいかね」
ブン太と琉美を見て、ソラは呟いた。




