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◆8◆

 犬の手当てが終わると、吾朗は和江が出した冷たい麦茶を飲みながらのん気に茶菓子を食べていた。

「ソラは、元気になりますか?」

 琉美は吾朗の傍に来て心配そうに訊いた。

「ああ、大丈夫だね。外から見たほど化膿は酷くなかった。撃たれて間もないのかもしれない」

「しかし、銃声がすれば、この山全部に鳴り響くはずじゃが」

「今は狩猟の時期でもないし、何処かで撃たれたんでしょう」

 重三郎の疑問に、吾朗は言った。

「ソラは、何処で見つけたんだい?」

「川の向こう」

「いなくなったのは何時?」

「えっ…と…」

「ニ、三日前さ。勝手に山さ行ってしまったんだ」

 重三郎は、困った琉美の顔を見て、助け舟を出した。

「それじゃあ、その間に何処かで撃たれたんでしょうか。ハスキー犬なら、ずいぶん遠くまで遊びに行った事も考えられます」

 そう言いながら、のん気に麦茶を飲む吾朗に向かって、重三郎は

「お前、そんなにのんびりしていていいのか?」

「いやあ、どうせ暇ですから。それに、最近はこの辺も携帯の電波が届くので何かあったら電話が来るんですよ」

 吾朗はそう言って、ポケットから携帯を取り出して見せた。

 すると、途端にそれが鳴り出した。

「言ってる傍から、町で仕事が出来ました」

 吾朗は電話を切るとそう言って笑いながら、鞄を手にした。

「ソラの目が覚めたら、あまり動かさないようにして。栄養のあるものをあげれば直ぐによくなるから」

 吾朗は、琉美にそう言い残して、車に乗り込んだ。




「おじいちゃん、ありがとう」

 吾朗の車が見えなくなると、琉美はろくろを回しだした重三郎に言った。

「なあに、別にいいさ。しかし、何とも奇妙な犬じゃ」

「そうかな、なんだか賢そう」

 琉美はそう言って、ソラの眠る土間を覗き込んだ。

「あのう、お昼どうします?」

 和江が声を掛けてきた。

「そうじゃった。どうりで力が出んわけだ」

 重三郎は、そう言いながらろくろを止めて立ち上がった。

「琉美もお腹が減ったべ。ささ、食べるべ」

 遅い昼食を二人は食べた。

 和江は、もう夕飯の仕込みをしていた。

「ねえ、犬って人の言葉が判るのかな?」

 琉美がご飯を口に運びながら、訊いた。

「どうじゃろ。ブン太も、理解してるような、してないような」

 重三郎はそう言って、ははっと笑った。

 琉美は再び考えていた。

 自分をソラと名乗ったあの声。

 確かめたい。あの犬、ソラは本当に自分で名乗ったのか。そんな事があるのだろうか。

「そう言えば、ソラだなんて、ずいぶん風変わりな名前を付けたもんじゃな」

 不意に重三郎が言った。

「う、うん。ぼら、何かここにいると毎日青い空ばっかり見てたから」

「ああ、なるほどなぁ」

 重三郎は、そう言って頷くと、やけに感心していた。

 そうだ、ソラって、本当は誰が付けたんだろう。やっぱり、青空のソラなのかな。

 琉美はそんな疑問を感じながら、再び土間の方を眺めた。



 白い三日月が淡く小さく輝き、頭上には天の川が流れていた。

 澄んだ星空に、虫たちの声が森の囁きとなって吸い込まれていった。

「ブン太。あんたは、喋らないよね」

 その晩、餌を貰うために犬小屋から出てきたブン太に、琉美はそう話しかけたが、ブン太は黒い瞳を輝かせてただ陽気にシッポを振るだけだった。





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