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◆5◆

 真夏の熱い風は、緑を通り抜けて山々を越えてゆく。朝露は太陽の陽を受けて、光りの粒となって森を照らしていた。

「あるぞ、やっぱり犬の足跡だ」

 男は地面に顔を近づけて呟いた。

「さすが田口さん。目がいい」

「バカ、俺は感がいいんだよ。マヌケな猟師たちと一緒にすんな」

 田口は大学時代の後輩だった室井を連れて、山へ入っていた。

 実は、県と市の行政が協力して、ファングに賞金を掛けたのだ。

 生け捕りなら百五十万、死体でも百万円を支払うと謳ったのだ。

 賞金の告知をした春先にはかなりの猟師たちが山へ入って来たが、ファングの消息が全くつかめない為、賞金に踊らされた熱気は次第に冷めていった。

 終いには、熊にでも喰われて既に死んでいるのだと言う者までいた。

 しかし、田口は諦めなかった。

 春先に何度か来た後、獣の足跡を徹底的に研究して、僅かな足跡でも見分けられるようになったのだ。

「でも田口さん、ライフルはヤバくないですか?」

「用心の為だ、使いはしねぇよ」

 田口は銃を所持する許可証は持っているが、猟師ではない。クレー射撃などのスポーツ射撃専門だ。

 だから、山の中に銃を持ち込んだり、ましてや勝手に発砲する事は違法だ。それ以前に、例え猟師でも禁猟期間は狩猟区であっても銃を使ってはならない。

 しかし、田口は素早く動く物を撃つ事に自信があった。

 数年前には、クレー射撃の全国大会で上位入賞を果たしている。

 そして、今日彼が持参したライフルは、ターゲットスコープ付きの強力なものだった。

 田口は背中に背負っていたもう一つ、散弾銃を室井に差し出した。

「お、俺はいいです。銃なんて撃てないすよ」

「いいから持っておけ。護身用だ。お前だって、腕を喰いちぎられたくはねぇだろ」

 室井はそう言われて、渋々渡された散弾を受け取り肩に掛けた。

 それを見た田口は、口の端を吊り上げてニヤリと笑うと

「これでお前も同犯だな」




 陽は西に傾き、森の中はいち早くほの暗さを増していた。

 田口と室井は結局決定的な収穫が無いまま、山を降りる途中だった。

 その時、草木の生い茂った先の岩場に白い陰を見つけた。

 田口は慌てて室井に身をかがめるように促して、自分も素早く林の中に身を伏せた。

 彼は以前から考えていた。

 これだけ捜しても見つからないのは、よほど賢く、こちらの動きを読み行動を悟られているからではないのか。

 田口は林からそっと岩場を覗った。

 山の向こうから照らし出す夕日に、銀色の毛が輝いていた。

 ライフルスコープを覗くと、はっきりと獣の姿が映し出された。

「なんだよ、ただの犬じゃねぇか。何が犬神様だよ」

 室井はすぐ傍の茂みから田口の様子を覗いながら、岩場に佇む獣の姿に見入っていた。

「どうするんです?」

 室井が田口に向かって、小声で言った。

「ここから狙ってやる」

 そう言って、田口は再びライフルを構えてスコープを覗いた。

「撃つのはヤバイっすよ」

 室井は再び声を潜めて言った。

「こういうのはな、捕ったもん勝ちなんだよ」

 田口たちは、獣の風下にいた。それはまったくの偶然で、それが二人を優位にさせていた。

 田口が草むらからライフルの銃身を突き出して、立ち膝のままスコープに映る獣を見つめていた。

 中心のドットに標的が入る。

 ……殺しはしねぇ。後ろ足を狙ってやる。

 呼吸を整えてトリガーに人差し指をかけると、静かに息を吐き出しながらその指を絞り込んだ。



 ソラはこの時何も気づいていなかった。

 夕陽は遠くの尾根に向かって傾いていた。

 しかしその時、視界の端で一瞬何かが光るのが見えて、ソラは反射的に後ろ足で前方に素早く跳んだ。

 スコープのレンズが夕陽に反射したのだ。

 ダンッ! ンッ、ンッ………

 銃声が鳴り響いて、辺りの林から鳥たちがバサバサッと一斉に飛び立った。

「クソッ、外した」

 田口は急いでボルトを引いて、次の弾丸を装填したが、もう標的の姿は無かった。

「何処行った」

 田口は思わず室井を見た。

「いや、早くて判らなかったっす」

「クソッ、役にたたねぇ野郎だ」

 その時、草むらを何かが揺らした。

 茂った草むらの動きが、縦横に揺れて素早く移動した。

「いるぞ」

田口が声を出して、林の揺れを目で追った。ライフルのグリップを握り直したその時、いきなり何かが目の前から飛び出して彼の右腕に噛み付いた。

「うわぁ、ちきしょう」

 田口はライフルを手から落してしまった。

 室井は、気が動転していた。

 肩に下げていた散弾銃を手にして、田口へ向けた。

「バカ、ヤメロ、こんな所で散弾を撃つな」

 室井の耳には届かなかった。しかし彼は、純粋に田口を助けようとしたのだ。田口の腕に噛み付いて離れない獣を狙ったのだ。

『早く撃て』

 誰かの声が室井を急かした。

 ダンッ!

 再び銃声は森を駆け抜けた。

 夕日は沈みかけて、辺りは夕間暮れに包まれていた。飛び立つ鳥の音が消えると、辺りは静寂に帰る。

「た、田口さん……ああ、どうしよう。俺は何て事をしてしまったんだ。すみません。すみません」

 そこには血まみれの田口を抱き起こす室井の姿だけがあった。

 小さな血痕が、森の中へ消えていたが、今それを追える者はいなかった。




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