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地元の猟友会の仲間が集まって山狩りをする事が決まった。
隣県からも仲間が集い、山狩りは実施された。
ある者は地元の安全の為に、ある者は友人の敵を撃つ為に、そしてある者は興味本位か英雄気取りで集まった。
猟師を襲う獣は何時の間にか、ファング「牙」と呼ばれるようになっていた。
ファングは猟師しか襲わず、人里での目撃はほとんど無い。
ハイキングに訪れた家族連れがそれらしき動物を見かけているが、デジカメで撮る暇も無く身体を翻して森へ消えたそうだ。
狩猟区から絨毯式に捜索されたが、ファングの足取りは掴めなかった。
東京から動物学者が呼ばれて、捜索に加わった。
山狩りの人員は百人を超えていた。
噂を聞きつけた全国の猟友会からも助っ人が来たのだ。
それでも深い森が連なる山々の中で、一頭の動物を見つけることは困難だった。
断崖の頂からそれを見つめる目があった。
「ソラ、もういいだろう。この辺で身を引きなさい。さもないと、お前が人間に殺されてしまうよ」
後ろから声を掛けたのは、銀色の毛に覆われた日本カモシカだった。
ソラは、このカモシカに育てられた。
日本カモシカは天然記念物指定だから、一緒にいれば安全だった。
「駄目だ。皆殺しには出来ないけど、一人でも多くの人間を傷つけて、僕はあいつらに復讐するんだ」
ソラは、遠くの森にうごめく人間どもの気配を冷たく見下ろした。
「でもね、ソラ。お前は犬なんだよ。犬は、私らなんかよりもずっと人間の生活に近いところで生きるんだ。いや、人間と共に生きると言ってもいい」
「じゃあ、どうして人間は犬を殺すの?」
「確かに人間は勝手だけど、お前が一匹でどうこうできるものじゃないだろ」
カモシカは優しく光る黒い眼差しでソラを見つめた。
「ソラ、私についておいで」
カモシカはソラを促して、森に入って行った。
紅葉で彩る木々から落ちた木の葉が、獣道までもその色に染め上げていた。
小さな沢に沿って下り、再び木立の中を歩いた。
「オバサン、何処に行くの?」
「いいから黙ってついておいで」
小さな沼のほとりを過ぎて、ゴツゴツした岩の突き出た地形を登ると、数頭の日本カモシカがいた。
「おや、久しぶりだね」
一頭のカモシカが話しかけてきた。
「坊やも、ずいぶんとデカくなったもんだね」
「誰?」
ソラが訊いた。
「ソラ、足を見てごらん」
オバサンが、話かけてきたカモシカの足をソラに示した。
その足にはもうボロボロになった布切れのようなものが巻かれていた。白かったそれは、既に茶色に変色している。
「それ、何?」
ソラは、そのカモシカに訊いた。
「ああ、これかい。ずいぶん前に、足を折ってしまってね」
「骨折したの?」
「ああ。でもね、人間が私を捕まえて手当てしてくれたのさ」
「人間が?」
「最初は殺されると思ったから、足を引きずってでも必死で逃げたさ。でも、ついに掴まって観念してたら、添え木をつけて包帯を巻いて、身体を縄で固定されて」
カモシカはそこでフッと笑い声を出した。
「私も臆病だから、いったいどうするつもりだろうって、生きた心地がしなかったよ。でも、足の骨がくっついた頃に、再びこの森に放してくれたんだよ」
「そんな事をして、人間には何の得があるの?」
ソラは怪訝な顔で訪ねた。
「さぁね、人間はほんと、理解不能な生き物だけど、悪い奴ばかりじゃないのは確かだね」
カモシカはそう言ってホホホホッと笑った。
「判ったろう。人間にだって、きっといい奴はいるんだよ」
オバサンが言った。
「ソラ、噂は聞いてるよ。ずいぶん暴れてるそうじゃないか」
他のカモシカも寄ってきて話しかけた。
ソラは何だか、自分の信念が少しだけ揺らぐのを感じたが、仲間を大量に殺された恨み、そして母親を殺された怨嗟の思いは簡単には消えなかった。
紅葉の葉も落ちて、朝晩は霜が降り始めた頃、猟友会による山狩りは何の成果もないまま一端終止符を打った。




