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『ソラ』の旅の続編ですが、話はさかのぼり『ソラ』の過去を描いた作品です。
― 199X年 ―
その広い敷地には、鉄製の幾つものケージが無造作に積み重ねられていた。最初は向きを考えていたようだが、今となってはめちゃくちゃで、場所によっては斜めに積み上げられて今にも崩れそうだった。
山を切り開いたこの土地は、周囲は緑の木々で覆われている。
小さなプレハブ小屋から出てきた男が、混み合ったケージを眺めながら、タバコに火をつけた。
「とっとと引き払わんとヤバイな」
男は呟きながら、足元のケージに片足を乗せた。
男の携帯電話が鳴った。
彼は、着信モニターを見ると、「チッ」と舌を鳴らして電話に出た。
「ああ、判ってますよ。直ぐに処分します。はい、クスリを使います」
男は面倒くさそうに敬語を使っていた。
「大丈夫です。動物愛護団体なんて、どうせ事が終わってから騒ぐのがオチですよ」
タバコを咥えた男の口元が引き攣ったように上向きに動いた。
男は電話を切ると、片足を乗せていたケージを思い切り蹴飛ばして、再び携帯電話を開くと、今度は自分から何処かへ電話をかけた。
「俺だ、今夜やるぞ。もうここは水も止められた。一気に片つけないと、何かの拍子に気づかれたら面倒だ」
男は話しながら、プレハブ小屋に姿を消した。
「どうやら、今夜私達を殺すらしい」
大きなハスキー犬が言った。
その背中の毛色は、普通のグレーよりも明るく、むしろ銀色に近い。
「とうとう皆殺しか……」
同じケージに入れられている耳の大きなビーグル犬が、眉にしわを寄せながら呟くように言った。
「何とかこの仔だけでも逃がしたいわ」
大きなハスキー犬は、足元の仔犬の匂いを嗅ぎながら言った。
「母さんも一緒に逃げよう」
仔犬は母親を見上げた。
「私は無理だわ」
「あんたも、目さえやられなければなぁ」
そう、大きな母犬のハスキー犬は目が見えない。
一週間前にここを抜け出そうとして管理人の男に見つかり、捕獲された時に両目を傷つけられてしまったのだ。
そして、仔犬の父親は死体となって、少し離れたケージに他の骸と一緒に詰め込まれている。
ここは、あるブリーダーの飼育小屋だ。幾つかの飼育小屋を辺ぴな場所に設けて、流行の犬を繁殖させる。
人気が無くなってあまった犬は、餌代などの経費節減の為に、次々に処分される。
そして今、シベリアンハスキーの流行が下火になって、ここのメインだった犬が根こそぎ処分されようとしていた。
今回でここは放棄される。
他の飼育小屋で増やしたゴールデンレトリバーに絞り込んで、経費を削減する計画なのだ。
母犬のハスキー犬は人の言葉が完全に理解できた。そればかりか、彼女は人に話しかける事が出来る。
大量に繁殖させる生き物は、その中で時折突然変異が起こる。それは、小指の骨が欠損していたり、片方の目が見えなかったり、耳が通常よりも短かったり。
全身が真っ白だったり、真っ黒だったり……
それはたいてい悪い方へと姿を現す。
しかし、ここにいる母犬のハスキー犬は生まれて間もない頃から人間の言葉を吸収し、学習する能力があったのだ。おそらく大脳皮質に、何らかの異変があるのだろう。
それが、本当にいい方の突然変異と言えるかどうかは判らない。
知らぬが仏。そんな言葉もあるほどだ。
その能力を使って、母犬は、先週はここのアルバイトにケージを開けさせたのだ。
しかし、運悪く責任者が車で戻ってきて、大捕り物になってしまい、挙句の果てには母犬は両目を失い、父犬は命を失った。
「俺たちの仲間は、目の見えない人間を助けてるって言うのになぁ」
ビーグル犬が呟いた。
「目の見えない人を助ける犬がいるの?」
「ああ、盲導犬って言うんだそうだ」
「僕らの仲間は目の見えない人間を助けているのに、人間は目の見えない犬を助けてくれないの?」
仔犬は言った。
「人間にそんな事を望んでも無理な話さ」
ビーグル犬はそう言って、前足に顎を乗せると、上目遣いに仔犬を見た。
「でもね、いい人間もいるから、人間そのものを怨んじゃいけないよ」
母犬は、仔犬の身体を舐めながら
「それにね、太古の時代から、私ら犬は人間のパートナーとして、彼らを助ける事を喜びにして来たんだよ」
「そんなの嘘だ」
仔犬は叫んだ。
「嘘じゃないさ。ここから運よく買われていった連中だって、殆どは人間の喜ぶ顔を見ながら幸せを感じてるんだよ」
「まあ、それが俺たちの本能だからなぁ」
ビーグルが再び上目遣いで仔犬を見上げた。
「なんか、人間て勝手だね」
仔犬はそう言いながらあくびをして、床に丸くなると
「お腹すいたなぁ」
そう呟いて、黒い鼻をピクリと動かした。
「もう、私たちには何も出ないよ」
「今夜って事は、そうだろうな」
ビーグル犬は、そう言って目を閉じた。




