第八話 うしなったもの
3日後、最悪な形で悟は見つかった。
霊安室で悟の無惨な遺体と対面したとき、月雫は喉が千切れんばかりに絶叫して泣き崩れた。
激しい殴打によるショック死。
暴行を受けた小さな悟の身体のあちこちは腫れ上がり変色していた。
「……ごめん、ごめんね、悟……。
痛かったよね、怖かったよね……。
守ってあげられなくて、本当に、ごめんね……」
冷たくなり固く目を閉ざした悟にしがみつき、身体中の水分を涙に変換して月雫は泣き続けた。
もう笑うことも話すこともなく、たった1歳で人生を終えた悟の姿を見下ろしていた勇斗は、これまでに経験したことのない憤りに全身が支配され、握りしめた拳を震わせた。
「……天使……わたしの、天使、だったのに……」
くずおれて慟哭する月雫をなだめる余裕もなく、闇より暗く深い憎悪が勇斗の心の中に巣食っていく。
目の前の悟の亡骸も、月雫の魂の叫びも、どこか遠い別の世界にあるようだ。
怒りでぼやける視界に血が滲みそうなほどに勇斗の全身の血管は沸騰していた。
ぶちぶちと血管が音を立てて切れ、今にも身体中から熱くたぎった血が噴き出しそうだった。
これまでは、自分が我慢すればいいと思っていた。
自分が耐えさえすれば、事態は丸くおさまる。
それが一番正しく、平和的な解決の方法だと。
だから、自分にどんな前科がつこうと、それが生まれついての運命なのだと、自分はゴミ箱のようなものなのだと、自分の人生は光りが当たらない道を死ぬまで歩くだけの報われないものなのだと、そう諦め己に納得するよう言い聞かせてきた。
だが、今回こそは、そんな諦めも納得も、勇斗の中に生まれた憎悪を説得して懐柔してくれることはなかった。
──自分の分身である我が子を、殺された。
愛する家族が絶望のただ中でなすすべもなく喪失を嘆き悲しんでいる。
現在進行形で、月雫の心が殺されている。
大事な家族に加害され、大人しく受け入れることは、今の勇斗には、もうできない。
「……なにがやりてえんだよ、遥斗……。
殺しまで、するのか……」
なんの罪もない無垢な子どもすら、あいつは手にかけるのか。
勇斗の怨嗟の呟きは、月雫の耳には届いていない。
──殺人まで、するのだとしたら。
行き着くところまでいってしまった遥斗は、つぎにどんな行動を取るだろう。
超えてはならない一線を超えたら、遥斗は自分たち家族をいや、弟である自分を、どうする?
──消すつもりか。
遥斗にとって邪魔な存在になった自分を、用済みになった自分を、抹殺するつもりなのかもしれない。
決して突飛な想像ではないだろう。
なにか、あいつに対抗する手段はないのか。
思考を働かせているうちに、勇斗を包んでいた頭と身体の熱が冷め、冷静さを取り戻していく。
──許さない。
激情が絶対零度に凍りついて勇斗の目に復讐の炎が宿る。
そっと、月雫の肩に触れ「行こう」と促した。
月雫はしばらく顔を上げなかったが、やがて緩慢に起こした顔を勇斗に向けると、その変化に気づきはっとしたように息を呑んだ。
自覚はないが、自分は今、鬼のような形相をしているのだろう。
立ち上がった月雫は、ふらふらと倒れかかるように勇斗の胸に顔を埋めた。
その震える小さな頭を、慈しむようにそっと撫でてやった。
言葉はなかった。
そんな陳腐なもので、月雫のずたずたになるまでえぐられた心の傷を修復できるとは思えなかった。
霊安室に耳に痛いほどの静寂が訪れた。




