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『聖なる鉄槌』  作者: 妃水
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第二十一話 終焉

 

    

「すみませんでした」


 強い日差しが白い壁に乱反射する病室で、パイプ椅子に腰かけた想が頭を下げた。


 上半身を起こしベッドに身を預けた月雫は、微笑みながら首を振った。


「これは、わたしが自分の意志でやったことですから。

 気づいたら身体が勝手に動いていた、それだけなんです」


 月雫は、手術によって傷口が閉じられた脇腹を撫でながら穏やかに答えた。


「倫子が裏切り者ではないことは、はじめからお伝えするべきでした。

 遥斗に怪しまれないため、月雫さんと勇斗さんにも黙っていたわけですが……」


「確かに、はじめから倫子さんが味方だと知っていたらわたしたちだと不自然な態度を取ってしまったかもしれません。

 そうしたら、倫子さんが遥斗さんに疑われたかもしれない……。

 倫子さんが疑われたら元も子もないですものね。

 バレたら犯罪の証拠を消されたかもしれない。

 倫子さんの命だって、ひょっとしたら……。

 想さんの考えは間違っていません。

 すっかり敵だと思ってひどいことを倫子さんに言ってしまったことは謝りたいですけど」


「それに関しては心配ありませんよ。

 こういうのは変な言い方かもしれませんが、ぼくも倫子もある意味プロですから。

 憎まれ役が必要ならその役割りを演じる……ただそれだけなんです。

 月雫さんが気負う必要はありませんよ。

 でも、もし心の整理がつかないのなら、ぼくから倫子に伝えておきます」


「……もう、倫子さんやみなさんには、お会いできない、ということでしょうか?」


 想は静かに笑んでうなずく。


「徳山遥斗は逮捕されました。

 現職の警察官の起こした前代未聞の犯罪としてメディアをにぎわせています。

 ぼくたちの役目は終わりましたから。

 あとは、月雫さんたち被害者が遥斗にどんな罰を下すのかを決めるんです。

 ぼくたちはもう関係ありません」


「絵里香さんや、青山さんは……」


 想はレースのカーテン越しに降り注ぐ夏の日差しを背中に受けながら、首を横に振った。


「田辺さんや久保さんも含めて、司法が刑罰を下します。

 月雫さんと勇斗さんが、ご自身たちの手で復讐を遂げることを選びませんでしたからね」


 月雫は複雑な胸の内が表情に現れるのを隠しもしない。


「そうですか……みなさん」


 少しうつむいたあと、ぽつりと月雫が零した。


「あの、謝礼をしたいのですが」


 想は驚いたように目を丸くした。


 そんな日本語、生まれてはじめて聞いた、そんな月雫がたじろいでしまうような驚きようだった。


「ぼくたちの活動は営利目的ではありません。

 依頼人たちの復讐を手伝う、そのためだけに存在します。

 いわばボランティア、そんなふうに考えてください」


「無償で、ここまで……」


 すると、ちら、と腕時計を確認した想が、聞いてくれますか、と前置きして話しはじめた。


「月雫さんは、ぼくの過去に興味がおありのようでしたので、そのお話しをさせていただければと思うのですが」


「あ、はい、そうでした」


 想は変わらない穏やかな笑みをたたえたままの表情で自分を納得させるように小さくうなずいた。


 それが作り物の仮面めいて見えて、月雫はその仮面の下に隠された想の本性を聞くことが少し怖くなった。


 ゆっくりと想が口を開く。


「ぼくは幼いころから、実の両親に虐待されて育ちました。

 身体的、心理的、どちらもです。

 それでも、ぼくは自分の置かれた環境が異常だとは気づきませんでした。

 両親を愛していたし、また愛されたいと思いました。

 両親に愛されないのは、自分が悪い子だから、そう思い込んで、必死に両親の望む『良い子』になろうと努力しました。

 愛されたかった、その一心でした。

 しかし、成長し外の世界に触れたとき、はじめて知りました。

 ぼくの家庭は普通ではないのだと」


 そこで一旦言葉を区切り、想は深く息をついて続けた。


 その様がなんだか痛々しくて月雫も息が苦しくなる。


「小学6年生のときです。

 日常的な虐待で麻痺していたぼくは、虐待に気づいた当時の担任教師に両親と離れて暮らすべきだと言われました。

 虐待に気づいてくれたはじめての大人でもありました。

 そこで、ぼくはようやく目を覚ましたのです。

 虐待されるのは、ぼくが悪いからではないのだと。

 気づいてしまえばあとからあとから憎しみが生まれて、ぼくはその感情に溺れそうでした。

 行政によって一時保護され、両親とは別々に暮らすようになりましたが、ぼくは両親を許せなかった……。

 そして、14歳のとき、ぼくは両親の住む家に放火しました」


 月雫が息を呑む。


 それに気づきつつも、想は表情を変えることなく話を進めた。


「両親は死亡し、ぼくは復讐を果たしました。

 その後裁判を経て、少年院に送致されました。

 虐待の被害者という事情も加味され、拘束期間は1年と、殺人罪にしては軽い刑罰でぼくは外の世界に戻ってきました。

 そこで思い知らされたのは、ぼくは弱者だということでした。

 弱いから搾取される側に分類されてしまった。

 社会には、ぼくのように弱いという理由だけで支配される人間がいる……。

 弱いがゆえに殺人まで犯してしまったぼくは、同じように苦しんでいる人を助けられるのではないか、助けることが、社会復帰したぼくの使命なのではないかと思いはじめたのです」


 窓から差し込む日差しに月雫が目を細める。


「まず準備段階として、少年院で知り合った非行少年のつてで情報屋になり裏社会に人脈を作ることにしました。

 そこには加害者も被害者もいて、救いのない世界でした。

 殺人を犯した人間という過去を手土産にすると、ぼくはすんなりと受け入れられました。

 弱い者を害して罰を受けない人間に強い恨みを持ち、そいつらに復讐を望む人の手助けをしよう、そう誓って『聖なる鉄槌』を立ち上げました。

 ぼくのように、弱い人が虐げる側の人間に鉄槌をくだせるための場所を作りたかった……」

 

 どこか迷子の子どものように途方に暮れた顔で想がうつむいた。


「メンバーは、ぼくが直接出向いて面談して手を貸してもらえないかと協力を頼みました。

 ぼくと同じように虐げられた過去を持ち、人殺しまでもできる度胸があり、そしてときには冷酷になれる人をさがしました」


 いつか倫子が語った自身の過去を思い出す。


「……逃げる、ための場所でもあったんですよね?」


 想は少し目を見開くと、綺麗に唇を微笑みの形にした。


「ええ、『聖なる鉄槌』は、苦境にいたメンバーが身を寄せ合う場所でもありました。

 これまでにも、数十人が『聖なる鉄槌』に属し弱者を救うために尽力しました。

 彼らは償いの機会を欲し、誰かを救うことで罪悪感をひとつひとつ解消していき、自分が納得するまで活動したあと、『聖なる鉄槌』から去っていきました。

 ぼくたちがしていることは、自己満足でもあるのです。

 それでも、誰かの役に立てるなら、動機が不純でもいいのではないか、ぼくはそう思っています」


 そうですね、と月雫が顎を引く。


「実際、わたしたちは想さんをはじめ、みなさんに助けられました。

 遥斗さんに対する復讐も果たせた。

 想さんたちの理念は、とても崇高だと思います」 


 そのとき、とんとんと、ドアをノックする音が響いた。


 返事を待つでもなく、ドアがスライドして開けられる。


 顔を出したのは、真っ白いガーゼを顔中に貼り付けた痛々しい出で立ちの勇斗だった。


 すっと想が立ち上がる。


「ん、なんか大事な話の最中だったか?」


 呑気な勇斗に対して、月雫が苦笑した。


「想さん、勇斗に怪我させたこと、まだ後悔してるみたいなの」


 勇斗が怪訝そうに片眉を持ち上げてみせる。


「まだそんなこと気にしてるのか?」


「勇斗さんと月雫さんに怪我をさせてしまったことは、ぼくたちの落ち度です。

 本当に、申し訳ありませんでした」


 深く頭を垂れる想に、「もういいって言ってるのにね」と月雫が困ったように勇斗に笑いかける。 


「では、ぼくはそろそろ帰ります」


「え、もう行っちゃうんですか?」


「ええ、お話ししたいことは伝えられましたから。

 月雫さん、勇斗さん、どうかこれからは、ぼくたちと関わることのない人生を送ってください」


「もう会えないんですね、想さんたちと」


 月雫の声には一抹の寂しさが滲んでいる。


「ぼくたちとはもう二度と、会わないほうがいい。

 どうかお元気で」


 再び頭を下げる。


 そして、にっこりと笑った。


「ぼくたちは、弱いことを免罪符にして他人を害しました。

 どれだけ弱くとも、被害者であろうとも、人を殺すほど傷つけることは、誰にも許されません。

 そのことはぼくたちが一番よくわかっています。

 なので過ちを清算するためにぼくたちはこれからも誰かを救い、誰かを罰します」


 想の声音には覚悟と揺るぎない決意がこもっていた。


「ぼくたちのしていることは、間違っているとも、本当はわかっているんです。

 ぼくたちには、誰をも罰する資格なんてない。

 それでも、そうやって生きていくしか、ぼくたちが救われる道はありません」


 月雫と勇斗の顔を交互に見比べると、想がひときわ力強い張りのある声で宣言した。


「でも、月雫さんと勇斗さんは、ぼくたちとは違います。

 おふたりは強い。

 決して弱者ではありません。

 羨ましいくらいの強い絆で結ばれている。

 ですから、今後、おふたりとぼくたちの人生が交わることはないでしょう。

 それが一番いい、なによりいいはずです。

 どうかお元気で、さようなら」


 月雫と勇斗に目配せすると、最後に極上の笑顔をみせて、想は病室をあとにした。


 無機質な白い部屋には、想のかすかな残り香が尾を引いた。


 柑橘系の爽やかな香りだった。


「さようなら、ありがとうございます、想さん」


 想のいなくなった部屋に、月雫の呟きがぽつりと漏れた。



 抜けるような青空のもと、目を閉じて手を合わせていた月雫は、ようやく満足したのか、ゆっくりと瞳を開けて立ち上がった。


「ごめんね、悟。

 寂しい思いさせちゃって」


『徳山家』と彫られた墓石に向かって月雫が申し訳なさそうに語りかける。


「知らない人ばかりで、悟も戸惑ってるだろうな」


 勇斗も眉を曇らせて月雫の背後から墓石を見つめている。


 悟の遺骨は、結局徳山家の墓に入れることになった。


 勇斗の稼ぎでは墓を買うことなど到底できないので、悟を憐れみながらも仕方がないとした選択だった。


 悟が寂しくないよう、頻繁に訪れよう、そう決めた。


 枯れかけの花を回収して真新しい花々を供える。


 夏の本格的な日差しが墓石に跳ね返り眩しいほどだ。


「そろそろ行こうか」


 勇斗に促されて月雫が小さくうなずく。


 遥斗が逮捕されたことにより、勇斗は両親と一定の和解を果たした。


 しかし、幼いころから自分を雑に扱ってきた両親を、勇斗は心の底から許すことはできなかった。


 急に孫を惜しみ出し、徳山家の墓に入れるよう父親の善治が提案してきたときには、勇斗はそれを一蹴した。


 けれど、月雫に説得され、渋々それを受け入れたのだった。


 絵里香をはじめ、遥斗に協力した者たちは、素直に罪を認めているが、遥斗だけは往生際が悪く未だ犯行を否定し続けている。


 噂では、高額なカネを払って優秀な弁護士を雇ったと聞く。


 どうやら善治がその金額の一部を負担しているらしいとも。


「とにかく、もう俺たちには関係ないことだ」


 勇斗の一言に、月雫も納得してうなずいた。


 そう、もう関係ない。


 遥斗という悪魔の幻影に惑わされることはもうないのだ。


 ようやく手に入れた安寧の暮らし。


 悟が生きていたころのように、またふたりで『家族』になろう。


 今度こそ、誰にも邪魔されない、幸せな家族になろう。


「あっちいな」


 墓前を離れて歩き出すと、夏空を見上げて憎々しげに悪態をつく勇斗の手を、月雫が握った。


 そして、ぴったりと身体を寄せる。


「暑くないか?」


「こうしていたいの」


 まさに悪夢のような数日を乗り越えてきたのだ。


 今は、隣にいてくれる勇斗のすべてが愛おしい。


 この人でないと、自分はきっと駄目なのだ。


 隣にいたのが勇斗でなかったら、きっと途中で心が折れていた。


 だから、一緒にいられることを当たり前だと思わずに、一瞬一瞬を大切に噛みしめたい。


 月雫の気持ちを汲んだのか、勇斗は手を離そうとはしなかった。


「しょうがねえなあ」


 小突くように肩をぶつけて、空いたほうの手で月雫の頭をわしゃわしゃと撫でる。


 ふふっと月雫が無邪気に笑い声をあげた。


 蝉の大合唱を聞きながら、月雫と勇斗は歩幅を揃えて家路につく。


 一抹の寂寥感と未来への希望を胸に抱きながら。 























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