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『聖なる鉄槌』  作者: 妃水
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第二話 秘密


 その日、月雫は日直だったため、普段より早めに『ひまわり』を出た。


 夏のはじまりのじめじめとした湿気がまとわりつくすっきりしない朝だった。


 まだ人がまばらな通学路を辿っていると、突然上空に暗い雲が湧きはじめて、太陽を隠し頭上から影を落とした。


 空を見上げると、今にも雨が降り出しそうだった。


 遠くから雷鳴が聞こえる。


 天気予報では、雨の予報はなかったので、傘は持っていない。


 月雫は走り出した。


 学校までは徒歩10分ほど。


 学校に到着するのが先か、雨が降り出すのが先か、ぎりぎりの攻防だ。


 通学路を半分過ぎたころ、風が強くなりはじめ、大粒の雨が降り出した。


 ランドセルの中で教科書が、がたごととリズミカルに音を立てる。


 灰色の雲から容赦なく激しい雨が地面に叩きつけ、暗い空に稲光が走る。


「嘘でしょ、濡れちゃう!」


 ランドセルを傘代わりにしたが、雷鳴と雨に追いかけられ、ものの数分で月雫はびしょ濡れになった。


 呼吸を弾ませながら小学校に到着すると、髪からぽたぽたと水滴が昇降口の床に落ちる。


 水を吸った洋服が身体にぴたりと貼り付いてひどく不快だ。


 上履きに履き替えながら、ハンドタオルを取り出して肩ほどの長さの髪を拭う。


 誰の姿もない廊下を歩いて、3年生の教室へと向かった。


 窓の外を見ると、雨脚はさらに強まっていた。


 土砂降りだ。


 3年2組の教室について、後方のドアを開ける。


 誰もいないと思っていた月雫は、室内に人影を認めて飛び上がらんばかりに驚いた。


 そして、そこにいた人影の姿にも驚いてしまった。


「と……徳山くん……」


 思わず漏れた月雫の呟きに振り向いた徳山勇斗は、上半身裸だった。


 乱入者の月雫を目にして、彼もびっくりしている。


 しかし、月雫が驚いたのは、そこにいたのが徳山勇斗だったからでも、彼が裸だったことでもなかった。


 勇斗の身体のそこかしこに点在する痣や火傷のあと。


 それがただの怪我でないことは、一見して月雫にもわかった。


 月雫の視線に気づいた勇斗は、素早く体操服を頭から被った。


 勇斗の髪も濡れている。


 どうやら、月雫と同じように、登校中に雨に降られたらしい。


 月雫も、持っていた体操服に着替えようとしていたので、きっと勇斗も同じことを思いついたのだろう。


「あ……あの、おはよう」


 混乱した月雫は、しどろもどろになりながら、なんとも間抜けな声音で挨拶をした。


 勇斗は、声を絞り出して頬を引きつらせながら不器用に笑いかけた月雫を仇のように睨んだまま返事をしない。


 今日の日直は、月雫と勇斗だった。


 はじめてふたりきりで話せるチャンスだと密かに期待していた月雫は、眼光鋭い勇斗の表情にひるんでしまった。


「あ、す、すごい雨だね。

 わたしも濡れちゃって……」


 苦笑いしながら、自分の席にランドセルを置くと、体操服を引っ張り出し、逃げるように女子トイレへと向かう。


 教室を出る際、勇斗の鋭い視線が突き刺さるような気がした。


 強まるばかりの豪雨の音を聞きつつ廊下を歩きながらも、勇斗の身体にあった痣や火傷のあとのことが頭から離れない。


 そういえば、と思い出す。


 1年生のころから、勇斗は決してプールに入らなかった。


 みんなが楽しくプールで遊んでいても、水着になることは一度もなかった。


 月雫は、はっとした。


──もしかして、あの傷あとを誰にも見られたくなかった?


 隠しておきたかった?

 

──虐待、なのかな。


 『ひまわりの園』でも、親からの暴力に傷つけられ、実の両親から引き離された子どもが暮らしている。


 そういう子が発する自分を過小評価するオーラが、確かに徳山勇斗からは感じられる、そんな気がした。


 ただ、月雫はまだ子どもだ。


 普通の家庭に暮らす子どもより、そういったデリケートなことに少しだけ敏感ではあるものの、ただの憶測や思い込みなどの可能性だってある。


 決めつけることも訳知り顔もできない。


 でも、もし勇斗が苦しんでいるとしたら……?


 気づけたのが、自分だけだったとしたら?


 救えるのが、自分だけだったとしたら?


 そんなふうに考えるのは傲慢だろうか。


──助けてあげたい。


 彼の苦しみから目を背けることは、月雫にはできそうになかった。


 体操服を胸元で握りしめ、月雫はきつく目を閉じた。



 結局、日直として過ごした一日のなかで、月雫と勇斗が話しをする機会はなかった。


 勇斗は与えられた仕事を黙々とこなし、黒板を消すのも日誌を書くのも担任の先生に提出するのも、すべてひとりでこなしてしまい、月雫が出る幕はなかった。


──避けられている。


 やはり、朝の出来事が尾を引いているのだろうか。


 知ってはいけないこと、知られたくないことだったのかもしれない。


 ただ、そうすると、勇斗があの怪我のことを隠そうとすればするほど、疑いは深くなる。


──どうすればいいのかなあ。


 すっかり晴れた空を見上げながら、帰り道の地面に溜め息を落とした。


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