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『聖なる鉄槌』  作者: 妃水
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第十六話 隠し玉


 マンションの部屋に帰りつくころには日が傾いていた。


 夕食を冷凍食品で済ませ、シャワーを浴びて寝室で一息つくまで、月雫と勇斗は言葉を交わすことなく、沈鬱な時間を過ごしていた。


 掴みかけた証拠は、するりと抜け落ちてブラックホールに吸い込まれてしまった。


 遥斗の悪事を暴くなんて、到底不可能だったのではないか。


 もう手がかりも残されていない。


 いつまで逃げ続ければいいのだろう。


 月雫が溜め息を零したときだった。


《明日は田辺佐知子の上司、久保のところへ向かってください》


 イヤホンから想の声が届いた。


「久保……?」


 月雫がオウム返しする。


《田辺佐知子と会話したとき、遥斗はご丁寧に『久保支店長に貢げる』と言っていました。

 なんだかわざわざヒントを出されたようで気に入りませんが。

 久保は田辺佐知子の上司で、銀行の支店長でした。

 久保のことを調べてみたところ、興味深いことがわかりました。

 どうやら、隠し玉を使うときがきたようです》


「隠し玉?」


久保達夫くぼたつお、帝国信用金庫新宿支店長です。

 今から顔写真を送ります。

 明日はこちらの人員を送りますので、銀行に向かってください》


──まだ手がかりは途絶えていない、まだ復讐を諦めるのは早い。


 月雫と勇斗は目配せすると、「はい」と想の声に返事した。




「おはよー、いやー、今日も暑くなりそうだねえ、もう溶けちゃうよ」


 倫子が運転するワゴン車に乗り込むと、助手席には先客がいた。


「……まな、さん?」


 月雫が目を丸くして呟くと、「そう」とどこか得意げにまながにっと笑ってみせる。


 ノースリーブのブラウスにリボンタイ、チェックのミニスカートをはいて、ツインテールに結った髪は太陽の光りを受けて天使の輪を作っていた。


 メイクもナチュラルでアイドル色はやや薄まっているが、内面からきらきらと輝くような眩しさは変わらない、何度見ても絶世の美少女だ。


「どうして、まなさんが?」


《久保はまなさん推しなんです》


 シートベルトを締めていると、想から説明が入った。


「推し?」


 勇斗が怪訝な顔をする。


「ファンってこと」


 月雫が補足すると、まながくすっと笑った。


「世間知らずだねえ、勇斗くんは」


 勇斗がむっとした表情になるが、特に抗議するわけでもなく、座席に収まった。


《隠し玉とは、まなさんのことなんです。

 久保は愛人を囲むばかりでなく地下アイドルにも──今の推しのまなさんにもカネをつぎ込んでいるようです》


「そう、久保っちね。

 しょっちゅう握手会にきてくれていいお客さんだよー」


 脚をぶらぶらと揺すりながらまながまるで緊張感のない調子で楽しそうに月雫たちを振り向く。


愛人まなとさん、危ないのでシートベルトは締めてください」


「はいはーい、倫子っちは口うるさいなあ。

 お母さんみたい、あ、おばさんか?

 あははっ」


 まなが心底おかしそうにからかうが、倫子は相手にしない。


「……愛人、さん?」


 月雫が呟くと、まなが顔だけで振り向いてにやっと笑う。


「あれ、言ってなかったっけ?

 わたしの本名は清水愛人しみずまなと、正真正銘のオトコのコ」


「……はあっ?」


 まなのドヤ顔に月雫と勇斗が目を剥く。


「あははっ、やっぱ女の子だと思ってた?

 まあ、その辺の女の子より可愛いんだもん、気づかなくて普通だよ」


 信じられないものを見る眼差しで、月雫と勇斗はまなを凝視する。


 まなからは『男』の面影は微塵も感じられなかった。


「胸、触ってみる?

 お金ないからタオルつめてるだけなの」


 信号で停まったタイミングで、月雫がまなの胸に手を触れる。


「……本当だ……」


 まなは華奢で小柄、身体の線は女性のように柔らかいが、強調されていた胸は不自然に感触が硬い。


「二の腕も触ってみてよ。

 鍛えてるんだ」


 月雫がまなの二の腕に触ると、たくましい力こぶが盛り上がっていた。


「可愛いだけじゃなくて、力仕事もいけるんだ、すごいでしょ」


 えへへ、と照れたようにまなが女の子そのものの可愛らしい顔と声で笑いかけてくる。


「なんでわたしが女の子の格好してるのか、知りたい?

 いいよ、話してあげる」


 誰もなにも言っていないのに、まなは一方的に話し出した。


「わたし母子家庭でね、母親はわたしが小さいころから男を取っ替え引っ替えして家に連れ込んでたの。

 その中には悪い大人もいて、わたしに暴力を振るうやつもいた。

 わたし、子どものころから女の子みたいねって言われて育って、それならか弱いふりをして、殴られないために男の機嫌を取ることを覚えたの。

 そのとき、コンプレックスだった、女顔が役に立ったわけ。

 でも、弊害もあった。

 母親が、わたしが男を誘惑してるって嫉妬してね、家を追い出されたの。

 わたしは母親の自分を睨む目から逃げた。

 逃げた挙げ句、路頭に迷ったわたしは、『女』を武器にして生きていこうと思った。

 そうして流れ着いたのが地下アイドルだったわけ。

 想っちには、男を誘惑する処世術と力仕事ができるところを買われたの」


「……まなさんも、逃げてきた?」


 月雫が訊くと、まなはからからと笑いながら「そうそう」と応じた。


「ま、そんなだからさ、今日はわたしに任せてよ。

 どーんと大船に乗った気持ちで、ね?」


「はい……。

 ちなみに想さんは、なにから逃げてきたか、ご存じありませんか?」


 月雫は少し前から気になっていたことをまなにも訊いてみた。


「うーん、よくわからない。

 ……けど、なんか虐待されてたっぽいよ。

 少年院にいたって話だから、親に復讐でもしたんじゃない?」


「そう、ですか……」


「着きました」


 倫子がスピードを緩め、ワゴン車は銀行の駐車場に停まった。


《まずは月雫さんと勇斗さんで話を訊いてみてください。

 まなは切り札なので、話が進まない場合に温存しておきます》


 想の指示に従って、月雫と勇斗は銀行の自動ドアを潜る。


 そして、窓口にいた女性行員に声をかけた。


「支店長の久保達夫さんにお会いしたいのですが」


 女性行員は訝しげに勇斗を見上げたあと、「アポイントは取られていますか?」と事務的に訊いてきた。


「いえ……取ってませんが、こうお伝えください。

『徳山勇斗が会いにきた』と」


 女性行員は渋々立ち上がり、「少々お待ちください」と奥へ消えていった。


 数分後、「お会いになるそうです、応接室にどうぞ」と月雫たちを受け入れた。


 応接室に入ると、黒革のソファから久保達夫が立ち上がった。


 どこにでもいる平均的な顔立ちの中年の男だった。


 一見すると埋没しそうな存在感のないこの男が、人殺しという一線を越える犯罪を犯したなんて想像もできなかった。


 ただ、上司の代わりに殺人に手を染めたという田辺佐知子の証言通り、目の前でしきりにハンカチで額の汗を拭う久保は、いかにも小心者のようだった。


「お座りください」


 久保に促され、ふたりは久保と対面のソファに腰かける。


「あの……。

 勇斗さん、どういうことです?

 職場までこられては困ります。

 私は、あなたの言うことに忠実に従ってきたつもりなのですが……」


 ああ、と月雫が天井を仰ぐ。


 また遥斗と勇斗は別人であるという説明からはじめなければいけないのか。


 腹をくくると、月雫はまず誤解を解きにかかった。


 一通りの説明を受けると、久保は絵里香や佐知子と変わらない驚きの表情を作った。


「なるほど、勇斗さんではない……」


 久保にぶしつけに観察されて、勇斗は迷惑そうだ。


 久保は、きっちり七三分けにした黒髪をしきりに撫でながらどこか怯えた眼差しで勇斗を見上げる。


「それで、本物の勇斗さんが一体なんのご用で?」


「わたしたちは、遥斗さんの犯罪を暴くために、何人かからお話しをうかがってきました」


「……私の名前を出したのは、田辺佐知子ですか?」


 そうです、と月雫が認めると、久保は「やはりか」と呻くように声を絞り出した。


「田辺佐知子は今日出勤していません。

 もしかしたら、もう警察に……?」


「それは……わたしたちは知りませんが……」


 すると久保は頭を両手で抱え、さらに唸った。


「彼女が逮捕されたとしたら、つぎは私が捕まるんでしょうか」


「なにか心当たりが?」


 勇斗の問いに、久保がはっと顔を上げる。


「いえ……、ありません。

 田辺佐知子がなにを言ったか知りませんが、私は関係ない、そう、関係ないんです」


「あなたは、冤罪であると?」


「そうです、その通りです」


「でも、あなた佐知子さんと一緒に強盗に入りましたよね?

 佐知子さんを誘ったのも、あなただとお聞きしましたが」


「ははっ、なに、彼女のでまかせですよ。

 少し前、私と彼女は別れました。

 その腹いせで私を陥れようとしているのでしょう」


「あなたには家庭がある。

 田辺佐知子さんと不倫関係にあったことは認めるんですね?」


 強い調子で勇斗が迫ると、引きつった笑いを無理やり作って脂汗を拭いながら、久保は何度もうなずいた。


「ええ、それは認めますよ。

 ですが、そんなことは罪のうちに入らないでしょう。

 大人同士の痴話喧嘩、その程度ですよ」


「あなたは闇バイトには参加していない?」


「ええ、そうですよ。

 私は関係ない、すべて田辺のでっち上げです」


 往生際が悪い久保が、口を割るのを待つのは得策ではない、そう判断した月雫は「お願いします」とイヤホンに手をやりながらささやいた。


 とたん、とんとんとドアをノックする軽やかな音が聞こえる。


「取り込み中だ、今は……」


 久保が苛立った口調でドアに声を投げつけるが、構わずドアが開き人影がさっと入ってくる。


「だから、今は取り込み中だと言って……」


 現れた人物の正体に、久保が驚愕の面持ちで腰を浮かせたまま動けずにいる。


「ま……まなちゃん!?」


 小さな瞳を瞬かせ、上ずった悲鳴に近い叫びをあげる。


「久保っち、久しぶりだねー。

 最近ライブきてくれないじゃん、冷たいなあ、もしかして、まな推しやめた?」


 堂々と応接室に入ってきたまなが勇斗の隣に座るので、ふたりがけのソファはぎゅうぎゅう詰めだ。


「そんな!

 ちょっと、忙しくて、行けないだけで、まなちゃん推しをやめてなんていないよ!」


 久保は恋人に浮気を疑われた高校生男子のように、わたわたとまなの機嫌を取ろうとする。


「ホント?

 よかったあ、ね、でも、まなのために使っているお金、本当はいけないことして稼いでるんだよね?」


 ぐっと久保が言葉に詰まり喉仏がごくりと上下する。


「ねえ、まなには本当のこと言って?

 まなのために久保っちが悪いことしてるなんて、耐えられないよ」


「うっ……ごめん」


「このふたりはね、まなの大切な友達なの。

 徳山遥斗に復讐したいんだって。

 手、貸してくれないかな?

 話してくれるよね、徳山遥斗のこと」


 まなが大きな瞳で久保を上目遣いに見上げる。


 数秒と保たず、久保は陥落した。


「……わかった、なにが聞きたい?」


 久保が月雫たちを視界に捉える。


 その表情は緩みきっていて、違法な薬物でも摂取しているのかと思うほど恍惚としていた。


 推しの力というものは本当に絶大のようだ。


「徳山遥斗の犯罪の証拠を探しています。

 遥斗さんの罪を立証できる証拠に心当たりはありませんか?」


 すると、拍子抜けするほど簡単に、「ある」と久保は答えた。


 スーツの懐からスマホを取り出す。


「あいつと強盗に入った際、尻尾切りをされないように徳山が犯行を指示するさまを盗撮してある。

 でも、これを見せたら俺まで逮捕されるんじゃないのか?

 なあ、頼むよ、俺が強盗に加担してたって、誰にも言わないでくれよ」


 眉をハの字にしてなりふり構わず懇願する中年男性とは、痛々しく滑稽なものである。

 

「わかった、協力してくれるなら内緒にしてあげるよ」


 そうか、と心底ほっとしたように呟くと、懲りもせずに久保はまなに迫った。


「まなちゃん、あとで写真撮ってくれよ。

 それと、サインと握手も」


 でれでれと目尻を下げ、鼻の下を伸ばしながら下心丸出しでまなにすり寄っている。


「うーん、まずは盗撮動画を見せてくれる?」


 久保は言われるがまま、スマホを操作し、月雫にスマホを渡してくる。


 画面は真っ暗だった。


 揺れて不安定なのは、車に揺られているからだとわかった。


 カメラが助手席に座る男を後部座席から撮っている。


[今日は年寄りのひとり暮らしの家に入る。

 田辺はじいさんを取り押さえろ。

 生死は問わない]


 紛れもなく遥斗の声だった。


[徳山さん、それは殺しても構わないということでいいんですか?]


 久保の声が続く。


[抵抗されたら躊躇なく殺せ]


[この案件は、徳山さんが首謀者なんですか?]


[なにをいまさら訊く。

 当たり前だろ]


 そこで月雫は動画を停止させた。


 証拠としてじゅうぶんであると判断したからだ。


「この動画のデータをスマホに送ってもらっていいですか?」


 月雫が訊き、勇斗が自分のスマホを引っ張り出す。


 久保は無言で応じた。


 ついに遥斗の悪事を暴く証拠を手に入れた、そのときのことだ。


 応接室の外から、甲高い女性の悲鳴のようなものが聞こえてきた。



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