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『聖なる鉄槌』  作者: 妃水
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第十三話 陽動作戦


「着きました、空港です」


 巨大で煌びやかな灯りがともった空港の駐車場へ到着するなり、イヤホンから想の声が聞こえた。


《まったく、倫子はお喋りが過ぎますね。

 月雫さん、勇斗さん、聞こえますか?》 


 溜め息混じりの声を切り替えて、想が呼びかけてくる。


「はい、聞こえます」


 月雫が返事すると、想が事務的な連絡事項を通達するように話しはじめた。


《これから、おふたりには空港内のトイレに行ってもらいます。

 ぼくが指示をしますから、それに従ってください》


「はい」


 そう応じると、タクシーのドアが倫子によって開けられた。


 勇斗に手を引かれ、月雫が車から降りる際、「私はここで待っています。どうかご無事で」と倫子から声がかけられた。


 振り返ると、月雫は倫子に微笑みかけ、「はい」とうなずいてみせると、勇斗と手を繋いで空港の入り口へと走り出した。


 夜だというのに、人通りが絶えないだだっ広い国際空港のなかを、うつむきがちに人とすれ違いながら進む。


「月雫、顔上げて。

 防犯カメラに顔が映らないと意味ないよ」


 勇斗に促されるも、月雫はマスクの位置を何度も直しながら落ち着かない様子だった。


「だって……今、捕まっちゃったら全部台無しになると思うと怖くて……」


《大丈夫ですよ、乾がハッキングした防犯カメラで空港内の映像は逐一確認できますから》


 安心を誘う想の穏やかな声の指示通りに空港内を移動していると、トイレが見えてきた。


《そこのトイレに入ってください》


 言われるがまま隣り合う男女のトイレに別れて入っていく。


 すると、女子トイレの中に、ひとりの若い女性の先客がおり、とっさに身構える月雫に向かって女性がぶしつけに言葉を放った。


「脱いで」


「……は?」


「だから、服を脱いで。

 時間勝負だから、早く」


 謎の女性が個室のドアを開け、月雫に入るよう促した。


「でも……」


《ダミー役の女性です、言う通りにしてください》


 想から指令がくだり、月雫は渋々個室に入り鍵をかけて、部屋着の半袖のTシャツとフレアスカートを脱ぎ、下着姿になると、ドアを細く開け、待っていた女性に渡す。


 すると、女性もまた自分の着ていた服を脱ぎ、月雫に渡してきた。


 女性が着ていた白いブラウスとジーンズに着替えて個室を出ると、さっきまで月雫が着ていた服を身に着けた女性がおせち料理のお重のような物々しい黒塗りの箱を洗面台に用意して待ち構えていた。


「マスク、して」


 言われた通り、マスクを着けると、すっかり月雫の部屋着姿になった女性が箱から筆を取り出した。


「目を閉じて、ちょっと動かないでね、すぐ終わるから」


 女性は月雫の目元に化粧筆を走らせる。


 筆の感触がむず痒い。


 さっと刷毛で芸術作品でも作るように、月雫の目元を筆が撫でていく。


「よし、いいわよ」


 了解を得て目を開けると、鏡に映った自分を見て驚きの声を上げてしまった。


 マスクで隠しきれない目元が、目の前の女性と酷似していたからだ。


「……すごい、これって……」


「特殊メイクってやつ。

 びっくりしたでしょ?

 まるで別人だって。

 これでもあたし、ハリウッド映画で特殊メイクするのが夢だったりしたんだよねえ。

 まあ、現実はそんなにうまいこといかなくてこんな何でも屋みたいなことしてんだけどさ」


 軽快な調子で話し続けながらも、女性は鏡を睨みつつ自分へのメイクの手を止めない。


 ものの2、3分で女性の目元は月雫そのものに変貌していく。


 あまりの手際のよさに魔法でも見ているようだと月雫は口を開けたまま、メイク道具をてきぱきと片付けていく女性を眺めている。


 さすが、ダミーというだけあって、背格好も、そしてメイクを施した顔も月雫と錯覚するほどの仕上がりだ。


「せっかく手につけた技術をこんなふうにしか使えないんだもんね、なんか自分にがっかりだよ」


 女性はメイク道具をキャリーケースにしまいながら、そうぼやきつつ、月雫に向き直って片手を差し出してきた。


「はい、パスポート」


「あっ、はい」


 月雫はアジトを出る際渡された、スマホや変装道具が入ったバッグから偽造パスポートを探し出し女性に渡す。


「じゃ、あたしは今から月雫ちゃんね。

 無事にマレーシアまで行ってくるから、月雫ちゃんもがんばるんだよ。

 あ、旦那さんのほうも月雫ちゃんみたいにメイクして別人になってるだろうから、安心して。

 せいぜい向こうで遊んでくるわ、じゃ、またね」


 すっかり月雫の外見になった女性は、名乗ることもなく手を振りながら女子トイレを颯爽と出ていく。


《月雫さん、勇斗さん、合流して倫子の車に戻ってください》


 想の指令が聞こえる。


 慌ててトイレを出ると、マスクにキャップを被ったまるで別人の勇斗が壁に身を預けて月雫を待っていた。


「勇斗、だよね?」


「月雫、だよな?」


 お互い声だけで確認を済ますと、一瞬ぽかんとなったあと、同時にぷっと噴き出した。


 悟が死んでから、ふたりは初めて笑った。


「勇斗、絶対バレないよ、それ。

 勇斗もメイクされたんだね」


「月雫こそ、本当に月雫か?」


「すごいね、特殊メイクって。

 ダミーの人たち、すごい技術」


「何でも屋みたいなこと言ってたけどな。

 それじゃ、あとはダミーに任せて俺たちは戻ろう」


 今度こそキャップを目深に被りマスクをつけて手を繋ぎ、人波を縫ってうつむきがちに空港をあとにする。


 空港には明るい笑い声があちこちから聞こえる。


──どうしてわたしたちは、あちら側じゃないんだろう。


 これからはじまる逃亡生活を考え、月雫の中にかすかな嫉妬が生まれる。


 空港を出て駐車場へととんぼ返りすると、「お帰りなさい」と倫子がドアを開けつつ迎えてくれた。


《ダミーが搭乗手続きを無事済ませました。

 これで捜査を撹乱できるでしょう》


 耳元で想の少し興奮した声が聞こえた。


 作戦の成功を確信して、月雫と勇斗、倫子までもがほっと息をつく。


「都心に戻ります。

 あとはゆっくり寝てくださって構いませんよ」


 倫子がタクシーをスタートさせながら声をかけてくれる。


「いえ、みなさんがわたしたちのために動いてくださっているのに、呑気に寝るわけには……」


 そう言った数分後、倫子の安全運転の車に揺られていた月雫と勇斗は、安堵の眠りに落ちていた。


「緊張の糸が切れたんですかね」


 倫子が苦笑混じりに呟いたことを、ふたりは知らない。


 それから30分ほど経ったころ、すやすやと寝ていた月雫たちの耳朶を、戸惑ったような想の声が打った。


《え?

 もう空港に警察が……》


「どうしました?」


 目を覚ましたばかりの月雫と勇斗に代わって倫子が不安を含んだ硬い声で想に問いかける。


《空港に制服警官がなだれ込んできました。

 ダミーはもうマレーシアに旅立ちましたが、警官の到着が早すぎる……》


「悪いこと、なんですか?」


 月雫が訊くと、想は煮え切らない回答を独り言のようにぶつぶつと並べる。


《いえ……。

 ダミーは仕事をやり遂げてくれましたし、月雫さんたちは海外に高飛びしたと判断されるでしょう。

 ですが、間一髪の差であったともいえます。

 警察の手がこんなに早く及ぶとは……。

 どこかで時間を余計に使っていたら非常にまずかった、と言えないこともありません》


 それを聞いて月雫はぞくっと背筋を震わせる。


 空港に向かう道がもし渋滞していたら、ダミーの特殊メイクにもう少し時間がかかっていたら、飛行機が予定時刻より遅延していたら、あるいは……。


──自分たちは捕まっていた? 


 青ざめた顔を見合わせ、月雫と勇斗は手を握り合った。


《すみません、不安にさせてしまいましたね、大丈夫です、陽動作戦はうまくいきました、心配ありませんよ》


 わずかに間を置いた想が、口調を柔らかいものに改めて月雫たちの不安を払拭させようとつとめているのがわかる。


「作戦は変わらずですか?」


 倫子が訊くと、「ええ、継続です」と想が毅然とした声で応えた。


 タクシーは都内を順調に走行し、見知らぬマンションの前で停車した。


 10階建ての、都心にほど近いマンションである。


「ここは……?」


「想くんの所有するマンションです。

 私もここに住んでいます。

 乾によってセキュリティが完璧にされていますので関係者以外が入ることはできません」


 月雫と勇斗を降ろすと、倫子が再びタクシーのエンジンをかける。


「倫子さん、またどこかへ?」


「タクシーは目立ちますから、別の車に乗り換えてきます」


 そう言うなり、倫子は夜のとばりが降りた都内の道を走り去っていった。


《乾にロックを開けさせました、マンションにお入りください》


 自動ドアをくぐり、エレベーターに乗ると、8階で下りる。


 ごく普通の、なんの変哲もないセキュリティだけが最先端の古びたマンションだった。


『808』のプレートが掲げられた部屋へ指紋認証を経て入る。


 むわっとした部屋にこもった熱気に出迎えられる。


 室内は家具が備え付けられ、冷蔵庫には食料が豊富に用意され、すぐにでも生活できるようベッドも清潔に整えられていた。


 シャワーを浴び、メイクを落としてクローゼットに入っていたスウェットの部屋着に着替えると、ベッドに腰掛けて一息つく。


「……なんか、長い一日だったね」


 隣に座って想から支給されたスマホを真剣な表情で眺めながら勇斗が「そうだな」と同意する。


「なに見てるの?」


 月雫が勇斗の手元を覗き込むと、スマホの画面にはニュースサイトが表示されていた。


「俺たちのこと、ニュースになってないかなって」


「……なってる?」


「色んなニュースサイト見てみたけど、まだそれらしき記事は見当たらないな」


「そっか」


 うーん、と腕を揃えて前に伸ばした月雫から疲れたようなほっとしたような複雑な「そっか」が口をついて出た。


 時刻は日付けが変わるころだった。


 警察に包囲されて取るものも取り敢えずアパートの部屋から逃げ出し、想たち『聖なる鉄槌』に拉致され、のちに助けられたと知り、空港に向かい海外に行ったふりをする──。


 なんて目が回るような、現実感がないような、それでいてひたひたと忍び寄る恐怖は総毛立つほど恐ろしくリアルだった。


──捕まったらつぎはない。


 一歩でも道を踏み外したら、間違った選択をしたら、これまでの努力は水の泡になってしまう。


 こうして落ち着いてみると、つくづく想に頼るしかないと思い知らされる。


《今日はお疲れ様でした。

 今夜はゆっくりお休みください》


 耳元でノイズ混じりの想の張りのある声がした。


 風呂に入るとき以外は、イヤホンを外さないよう指示されている。


「これから、どうすればいいんですか?」


 月雫が訊くと、想が「スマホを見てください」と言ったのと同時にスマホが着信音を立てた。


 勇斗がメッセージを開く。


「……これは?」


《明日、この人物のもとを訪ねてください》


 送られてきたメッセージには画像が添付されていた。


 生え際が黒くなった長くカールした金髪に濃いメイク、露出の多い服に身を包んだ派手な出で立ちの20代中頃とおぼしき女性を盗撮したようなアングルの画像だった。


 背後には飲み屋などの看板が映り込んでいる。


 どこかの繁華街、歌舞伎町あたりだろうかと月雫は思った。


《徳山遥斗を恨んでいる人間はたくさんいます。

 彼女、秋島絵里香あきしまえりかさんもそのひとりです》


「……名前まで……。

 どうやって調べたんですか?」


 一瞬沈黙が落ちたので、聞いてはいけなかったことだったかと月雫は焦ったが、返ってきたのは、ふふふ、と含み笑いをする想の声だった。


《こう見えてぼくは情報屋なんですよ。

 乾もいますしね。

 自分たちで追い詰める悪人の情報はできるだけ手に入れているんです。

 ただ、ぼくたちができるのは情報を提供することだけです。

 実際に動いてもらうのは月雫さんたちになります》


「動くって、なにをすれば……?」


《徳山遥斗を恨む人間を探し出して接触し、犯行の証拠を見つけ出してもらいます》


 月雫と勇斗が顔を見合わせる。


「あいつが、自分に不利な証拠を残してるとは思えないけどな……」


《徳山遥斗の悪事を暴くには、数多くの被害者を当たるしかありません。

 いくら徳山遥斗でも、処理しきれなかったり見落としている証拠があるかもしれません。

 やつの尻尾を掴むのは骨が折れるでしょうが、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、ではないですが、とにかく足で数をこなして、やつの残したわずかな綻びを探し出すしかないんです。

 ……あ、すみません、勇斗さんのお兄さんに『やつ』呼ばわりは不敬でした》


「……あんなやつ、名前で呼ぶ価値すらない、好きに呼んでくれ」


 勇斗の声音が冷えていく。

 

 月雫の胸もきゅっと締め付けられて軋みを訴えた。


 最後に見た遥斗は、悟の小さな手を繋いで『伯父さん』の顔をしていた。


 悟は彼に懐いて、『はるちゃん』と遥斗を呼んでいた。


 優しい伯父を、信頼していた──信頼していたのに。


 自然に涙が溢れてきて、月雫ははっとして頬を拭った。


 それに気づいた勇斗が、月雫の肩を抱き寄せ額にキスを落とした。


 う、ひっく、と月雫の嗚咽が少しずつ大きくなっていく。


 張り詰めていた月雫の緊張が堪えようもなく綻びを帯びていく。


「泣いていいんだよ、月雫。

 気が済むまで、付き合うから」


 わああ、と勇斗の胸に顔を埋めた月雫が子どものように泣き叫ぶ。


 勇斗は月雫の頭を撫でて、優しく抱擁した。


《おやすみなさい、ゆっくり休んでください》


 それ以降、想の声が聞こえることはなかった。


 月雫が泣き疲れて眠るまで、勇斗は月雫を抱きしめ続けた。


 寝息をたてはじめた月雫をベッドに横たえると、勇斗は自分の目元を拭った。


「俺が泣いてちゃ、駄目なのにな。

 悟、弱いパパで、ごめんな」


 月雫の髪に触れながら呟いた勇斗の涙声を聞く者はいなかった。

 


 


   


 


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